ロゼリアの疑問
イライアスを乗せた馬車が遠ざかっていく様子を眺めながら、ロゼリアの翳った表情にようやく気付いた父が尋ねた。
「どうした、ロゼリア。何か気になることでもあるのかい?」
「いえ、その……」
言葉を濁した娘を、父は心配そうに見つめた。
「……もしもお前の気が進まないのなら、この縁談を断ってもよいのだよ」
はっとしてロゼリアが父を見上げる。
「格上の侯爵家からの縁談ですし……支援までしていただけるなんて、クラン伯爵家にとって願ったり叶ったりなのではないのでしょうか」
彼は温かな瞳で娘に言った。
「だがな、お前の幸せが、私の幸せだよ。アルレイ侯爵家からの支援がなかったとしても、この伯爵領は私が何とかしてみせるさ。お前が気にすることは、何もないからな」
父の言葉が自分を安心させるための優しい嘘だということは、ロゼリアにも当然わかっている。父の努力だけで何とかなるなら、クラン伯爵家はこれほど追い詰められてはいないはずだからだ。
彼女は慌てて父に向けて笑顔を作った。
「違うのです、お父様。私には勿体ないような縁談をいただいて、まだ現実味が湧いていないというか……少し戸惑っているだけですから。ご心配には及びませんわ」
「そうか。だが、不安なことが何かあるなら、いつでも私に言いなさい」
「はい、お父様」
自室に戻ってから、ロゼリアは崩れるようにベッドに倒れ込んだ。
(もし、私がイライアス様と結婚したくないと言えば、お父様ならわかってくださると思ってはいたけれど……)
いざ父の方から聞かれると、ロゼリアは何も本音が口に出せなくなってしまった。
イライアスからの真剣な求婚は未だに信じられず、混乱が収まらずにいる。
(彼との結婚なんて、想像もつかないわ。でも、もし断ってしまったら、二度とない機会を逃すことになる)
イライアスと結婚したくないという自分の気持ちよりも、父を、そして領民たちを困らせたくないという思いのほうに天秤が傾く。
(私がイライアス様と結婚することでクラン伯爵家が助かるなら、安いものだわ。ただ……)
ロゼリアにとって、一番大きな疑問がまだ解けてはいない。
(私との結婚なんて、イライアス様にとって何のメリットもないのは明らかだわ。それなのに、どうして私に求婚してきたのかしら?)
自分の感情はともかくとしても、イライアスがなぜ自分に求婚してきたのかが、ロゼリアにはやはり謎だった。
イライアスは社交界で評判が高いし、王立学院でも女生徒たちからとても人気がある。順当にいけば将来の成功が約束されているに等しい彼が、あえて格下の家に婿入りする理由が、ロゼリアには思い浮かばなかった。
思い当たる節といえば、前世に関することしかない。
(イライアス様はあのように仰っていたけれど、本当は、やっぱり前世で私を棄てたことに対する罪悪感からではないかしら……)
自分の側にいたいなどという彼の言葉を、そのまま信じられるはずもない。前世の別れ際に会った彼は、既に別の令嬢に心変わりしていたのだ。
前世で婚約していた頃に彼女が知っていた、王太子エルドレッドだったイライアスは、優しく、真面目で正義感が強かった。そして、彼女のことを大切にしてくれた。そんな彼を心から信頼していただけに、彼に婚約破棄を告げられた時には、胸が張り裂けるような思いがしたものだ。
それでも、もし前世の行いへの責任感から、イライアスが今世の人生を棒に振ろうとしているのだとしたら、それは止めたほうがよいような気がした。
(神様は残酷ね。前世の記憶なんてなければよかったのに)
苦々しい思いがロゼリアの胸に満ちる。
(今日は、つい感情的になってしまったけれど。求婚を正式にお受けする前に、もう一度イライアス様とお話ししよう)
心をざわつかせたまま、彼女は力なく目を閉じた。
***
その数日後、ロゼリアは放課後にイライアスのいる教室を訪れていた。
ロゼリアがイライアスに声を掛ける前に、彼が彼女の姿に気付いて微笑む。
「ロゼリア、来てくれたんだね」
「……少し、イライアス様のお時間をいただけませんか?」
「ああ、もちろん」
彼と一緒に廊下に出てから、ロゼリアが声を落とす。
「できれば、二人だけでお話ししたいので、屋上に行きませんか?」
「そうだな」
二人は連れ立って屋上へと向かう階段を上っていった。
ロゼリアの予想通り、屋上には見る限り人影はなかった。イライアスが先に口を開く。
「……気持ちの整理はついたのかい、ロゼリア?」
「イライアス様にお返事をする前に、お伝えしておきたいことがあるのです」
「それは何だい?」
イライアスの顔に微かに緊張が滲む。ロゼリアは真っ直ぐに彼を見つめた。
「貴方様は、前世に対する責任感から私に求婚してくださったのではありませんか? せっかく、イライアス様は今世も恵まれた立場でお生まれになったのです。私などのために将来を犠牲にする必要はありませんわ。……私、貴方様を恨んではおりませんから」
イライアスへの拒否感はあるものの、彼を憎んだり恨んだりしている訳ではないというのは、彼女の正直な気持ちだった。前世のことは、もうすべてが終わったことだ。
ロゼリアを見つめ返して、イライアスがふっと息を吐く。彼女の言葉に、嘘は感じられない。
「君は、どこまで人が好いんだ。こんな時でも、俺のことを考えてくれるなんて。……だが、あいにく、君への求婚は俺の希望だ。責任感などによるものではない」
「なら、この縁談をお受けいたします。貴方様には、クラン伯爵家を助けていただけるのですから」
ロゼリアはにこりともせずにそう言うと、彼に向かって思わず尋ねた。
「……イライアス様の目には、誰が映っているのですか? リュシリエールですか、それともロゼリアですか?」
イライアスが逡巡するのを見て、彼女は続けた。
「貴方様が棄てたリュシリエールは、もう死にました。今ここにいる私ロゼリアは、貴方様を信じることも、愛することもないでしょう。本当にそんな私を選んでもよろしいのですか?」
「ああ。俺が望むのは、君ーーロゼリアだけだ」
「……私にはやっぱり、イライアス様のお考えはよくわかりませんわ」
戸惑いを隠せず、ロゼリアは呟くように言った。
今世のロゼリアのことを彼がどれほど知っているのかも、彼女には疑問だった。イライアスを避けていたせいではあるけれど、今世の彼と話したことも、まだ指折り数えるほどしかない。
ロゼリアはイライアスを見上げた。
「アルレイ侯爵家には、いつご挨拶に伺えばよろしいでしょうか?」
「この週末はどうだろうか。君の家まで馬車で迎えに行くよ」
「承知いたしました。お待ちしております」
義務的な口調で答えたロゼリアは、美しいカーテシーをすると彼に背を向けた。




