愛しい人と
本日二度目の更新です。最終話になります。
病室のドアが閉まると、イライアスはロゼリアの顔をじっと見上げた。
「ロゼリア」
「イライアス様……」
ロゼリアはベッドの脇で膝を折ると、彼と視線の高さを合わせた。
「私のせいで貴方様を巻き込んでしまって、本当に申し訳ありませんでした」
イライアスが、ロゼリアの目から零れた涙を指先でそっと拭う。
「君が責任を感じる必要はまったくないよ。君には少しも非がないのだから」
「でも……」
「君が無事でいてくれたことが、俺にとってはすべてだから」
彼は微笑むと、少し口を噤んでから続けた。
「俺が、君の意向を無視して急いで求婚したのは、クラン伯爵家の背後にアーサー殿の影を感じたからなんだ」
「……どういうことですか?」
初めて耳にする話に、ロゼリアの瞳が揺れる。
「当時は、それがアーサー殿だとはわからなかったがな。ロゼリアに会って前世の記憶が戻った時、苦学生だという君の実家であるクラン伯爵家のことも調べさせてもらったんだ。ここ数年で急に事業の状況が悪化していたが、これといって明らかな問題もなかった。誰かが裏で不当な圧力をクラン伯爵家にかけているような感覚があったんだ」
「では、イライアス様は以前から気付いていたのですか?」
「何も証拠はなかったし、直感という以外には説明のしようもなかった。でも、君に何か不穏なものが迫っているような気がして、居ても立ってもいられなかったんだ。僕の立場で調べられることは限られていたし、もし僕の勘が当たっているのなら、今度こそ君の一番側で守りたかった。だから、嫌がる君に結婚を申し込ませてもらった」
イライアスがふっと表情を翳らせる。
「青ざめて口を引き結んでいた君に、無理に結婚を持ち掛けてしまってすまなかった。でも、君が無事でいてくれて、これまで君の側で過ごすことができて、俺は本当に幸せだったよ」
「イライアス、様……?」
彼の言葉が過去形になっていることに、ロゼリアの胸が波立つ。
「もう、クラン伯爵家の先行きに不安はなくなったし、今後は俺がいなくても問題はないだろう。むしろ、俺がいるほうが、君の足を引っ張ってしまうのではないかと思う」
ロゼリアは息を呑んだ。
(そういえば、イライアス様は私に求婚なさった時、家が持ち直すまでで構わないから、ご自分を利用して欲しいと仰っていたのだったわ……)
イライアスは言葉を選ぶように続けた。
「俺の身体は、どの程度治るか先が見えない。元のように歩けるようになるかもわからなければ、顔にも醜い傷が残るかもしれない。……俺のせいで、君の未来を奪ってしまいたくはないんだ。君は、こんな俺から自由になる権利がある」
彼はロゼリアを愛しげに見つめて微笑んだ。
「今までありがとう、ロゼリア」
ロゼリアはぎゅっと唇を噛むと、イライアスの澄んだ碧眼を覗き込んだ。
「イライアス様。貴方様は、私を助けるために酷い怪我を負ったのではありませんか。それに……私、前にも貴方様にお伝えしましたが、私の幸せは私に決めさせていただきたいのです」
傷だらけのイライアスの顔を、ロゼリアがそっと両掌で包み込む。いくら傷付いていても、彼女を全力で庇ってくれた、誰より大切な愛しい人の顔だった。
「私の幸せは、イライアス様のお側にいることなのです。だから、貴方様がお嫌でないなら、私をずっと貴方様の一番側にいさせてください」
「ロゼリア……」
イライアスの目に薄らと涙が浮かぶ。ロゼリアが彼に微笑みかける。
「これまで、私はたくさんイライアス様に支えていただきました。今度は、私が貴方様をお支えする番です」
ロゼリアは真っ直ぐにイライアスを見つめた。
「大好きです、イライアス様」
堪らず、イライアスがロゼリアを抱き寄せた。彼の目から涙が零れる。
「……愛しているよ、ロゼリア」
二人の顔が近付き、ゆっくりと唇が重なった。ロゼリアは、胸いっぱいにイライアスへの愛しさが広がるのを感じながら、長く優しい彼の口付けに身を委ねていた。
***
王立学院の卒業式の日、式を終えたロゼリアは、ジェマと並んで校門に向かって歩いていた。
「ロゼリア、ジェマ!」
クライドが手を振って二人の元に走ってくる。
「卒業おめでとう、クライド」
「ロゼリアとジェマも、卒業おめでとう」
卒業証書を手にしたジェマが、少し寂しそうに続ける。
「もう卒業だなんて、何だかあっという間だったね」
クライドがジェマの言葉に頷く。
「本当だね。そういえば、去年の今頃はロゼリアが結婚するって聞いて驚いたな」
「そうそう! あれからもう一年も経つのね。……ロゼリア、旦那様との生活はどう? 前に、事故に遭ったって聞いたけど……」
ロゼリアは、馬から山の斜面に放り出された当時のことを、友人たちに詳しく告げてはいなかった。余計な心配をかけたくはなかったからだ。
気遣わしげに眉尻を下げたジェマに、ロゼリアが微笑む。
「もう、身体の具合はかなり良くなっているの。まだ激しい運動などをするのは難しいけれど、日常生活に支障はないわ。今日も、実は迎えに来てくれる予定で。あっ……」
校門の外にイライアスの姿を見付けて、ロゼリアが大きく手を振る。イライアスも、笑顔でロゼリアに手を振り返した。
腕の良い医師が見付かり、イライアス自身もリハビリに積極的に取り組んだために、彼の身体は奇跡的な回復を見せていた。ロゼリアが、肉体的にも精神的にも側で支え続けたことも、彼を順調に快方に向かわせたのだ。王立学院に通う時間以外は、イライアスの隣でずっと忍耐強く彼を支えたロゼリアとの間で、さらに絆は深まっている。
ジェマが、肘でロゼリアの脇をつんとつついた。
「いいなあ、格好良くて優しい旦那様で。幸せそうね、ロゼリアは」
「ふふ、幸せよ。ありがとう、ジェマ」
にっこりと笑ったロゼリアは、ジェマとクライドに手を振った。
「また会いましょう。ジェマ、クライド」
ジェマとクライドもにこやかに頷く。
「うん、絶対よ!」
「また会える日を、楽しみにしているから」
笑顔で手を振り合って二人と別れると、ロゼリアはイライアスの元に走って行った。
「卒業おめでとう、ロゼリア」
「ありがとうございます、イライアス様。すみません、お待たせしてしまって」
「いや、待ってはいないよ。さあ、行こうか」
「はい」
ロゼリアはイライアスの手を借りて馬車に乗り込んだ。明るい陽の下で見ても、イライアスの顔の傷は目立たない程度になっている。彼の若さも良い方向に働いたと、ロゼリアは医師から聞いていた。けれど、イライアスの顔に傷が残っていた頃も、ロゼリアの彼に対する愛しい気持ちは変わらなかった。
柔らかな緑の新芽が風に揺れる窓の外を、ロゼリアが目を細めて見つめる。
「良い季節ですね」
「そうだね。こうして外の景色の美しさを感じられるようになったのも、ずっとロゼリアが献身的に支えてくれたお蔭だよ。……遅くなってしまったが、ようやく新婚旅行にも行けそうだね」
「そうですね、楽しみです」
ロゼリアが明るく笑う。
「どこか、君の行きたいところはあるかい?」
「もし、イライアス様がお嫌でなかったら、昔エセル王国があった場所に行ってみたいのですが、いかがでしょうか」
「それはいい考えだね」
イライアスが微笑む。
「俺も以前から一度行きたいと思っていたのだが、君と一緒に行けるなんて感慨深いよ」
「きっと、今は見える景色も違っているのでしょうね」
「ああ、そうだね」
前世で途切れた運命の糸が今世で交わったことに、二人は互いに深い感謝の気持ちを抱いていた。イライアスが、ロゼリアの指に自分の指先をそっと絡める。
「君に会えてよかった。ありがとう、ロゼリア」
「私も同じ気持ちです、イライアス様」
笑い合い、見つめ合った二人の顔が近付く。イライアスの唇が優しく重ねられ、ロゼリアはそっと目を閉じた。
馬車の窓から差し込む暖かな陽射しが、二人を柔らかく照らしていた。
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