哀しい記憶
(これは……)
頭の奥がクリアになるような感覚と共にロゼリアに見えてきたのは、目を背けたくなるような光景だった。
ロゼリアの目に、美しいドレスを纏い、馬車に乗っている一人の令嬢の視界が映る。彼女は、突然馬車を襲って来た数人の荒々しい男たちに、馬車の中から引き摺り出されるところだった。叫び声を上げようとして口を押さえられたその令嬢の恐怖や、男に掴まれた腕の鈍い痛みまで、まるで彼女に乗り移りでもしたかのように、ロゼリアには手に取るように感じることができた。
彼女を押さえつけた男たちが、その喉元に鋭利な刃物を突き付けてにやっと笑う。
「あんた、王太子に棄てられたんだってな。可哀想に」
彼女の胸がずきりと痛んだのが、ロゼリアにはわかった。その令嬢の記憶――王宮に招かれた大勢の貴族たちの前で、愛する王太子に冷たく婚約破棄を告げられ、逃げるように帰路についたことまで、ロゼリアはまるで自分のことのように思い出せた。エセル王国の国章が縫い取られた式服を纏った王太子は、彼女の代わりに、新しく婚約者となった令嬢の肩を抱いていたのだ。
目の前の男たちが、舌なめずりをしながら彼女に近付いてくる。
「こんなに美人なのに、王太子も惜しいことをするな」
「このまま殺すのも勿体ない。俺たちで味見でもするか」
喉元に突き付けられた刃物が、青ざめた彼女の胸元までつうっと下りる。その鋭い切先が掠めた白い首筋に、ぴりっと痛みが走った。
助けを求めて必死に周囲を見回す彼女の視界が、滲む涙で薄くぼやける。
(いったい、この映像は何なのかしら)
所々途切れるものの、見たくも聞きたくもないにもかかわらず、ロゼリアの意思とは無関係に不思議な映像は続く。
次にロゼリアの目に映ったのは、男の刃物が彼女のドレスを切り裂こうとする場面だった。その瞬間、彼女は男が手にしていた刃物を震える両手で掴むと、そのまま自らの胸に突き立てた。まるで、胸にまだ残る王太子への恋心までも散らすように。
色めき立っていた男たちの顔が歪む様子が、彼女の薄らいでいく視界に映る。誰かの大きな叫び声が聞こえる。
遠のく意識の中で、彼女の頭には走馬灯のように過去の幸せだった日々が巡っていた。そのほとんどが王太子との思い出だったことに、頬を一筋の涙が伝うところまでで、その映像はぷつりと途絶えた。
(……っ)
ロゼリアは、動悸が激しくなった胸を思わず押さえた。感覚や感情まで伴う生々しい映像に、眩暈を覚える。胸にはまだ、鋭い痛みまで残っているかのようだ。それが刃物で貫かれたことによるものなのか、それとも愛する人に棄てられた悲しみによるものなのかはわからなかったけれど、いずれにしても、その令嬢が非業の死を遂げたということだけはロゼリアにもわかった。
(もしかして、これは……私の前世の記憶?)
最期を迎える瞬間を切り取ったような断片的なものだったけれど、ロゼリアの脳裏に甦ってきたそれは、他人のもののようには思えなかった。
そして、非情な婚約破棄を言い渡した王太子の美しい顔が、なぜかイライアスの顔に重なる。彼女の目に映った王太子は、銀色の髪と翡翠のような緑の瞳の持ち主だったにもかかわらず、彼が纏っていた空気は、イライアスのそれとぴったり一致するように思われた。
(前世や、生まれ変わりなんていうものが本当にあるのかは、私にはわからないけれど……)
もしもそんなことが有り得るとするのなら、イライアスは確かに前世のロゼリアが愛した人――そして彼女を裏切った人なのだろうと、彼女は不思議と確信に近い感覚を覚えていた。
(だから、さっきはあんなに背筋が冷えたのかしら)
前世の死に際と思しき場面を思い出したロゼリアの顔からは、すっかり血の気が引いていた。混乱が収まらず、呼吸が浅く速くなっている彼女を、隣の席のクライドが気遣わしげに見つめる。
「体調でも悪いのかい? 顔が真っ青だよ」
「うん、ちょっと気分が悪くて。……今日はもう早退するわ」
ちょうど授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り、立ち上がったもののよろめいて足元をふらつかせたロゼリアを、クライドは慌てて支えた。
「ごめんなさい、クライド。迷惑を掛けちゃって」
「いや、全然。それより、大丈夫かい……? 君の家まで送ろうか?」
ロゼリアは首を横に振った。
「ううん、平気よ。お気遣いなく」
「わかった。どうぞお大事にね」
ジェマも、そんなロゼリアの元に心配そうに駆け寄ってくる。
校門まで付き添ってきた彼らに見送られながら、馬車に乗り込んだロゼリアは王立学院を後にした。