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兄の言葉

「今日は雨ですね」


 イライアスを見送りに玄関を出たロゼリアが、庇の下から空を見上げて呟く。


「ああ。昨夜から降り始めた雨が、まだ降り続いているようだな」


 彼の言葉に、ロゼリアは真っ赤になって頭を下げた。


「昨夜はすみませんでした。わざわざ馬車から抱き上げて、屋敷に運んでいただいて……」


 ロゼリアは昨夜の雨を知らない。昨日の日中は天気が良く、レストランを出たところまでは雨が降ってはいなかったからだ。


「いや、謝ることはないよ。君を起こしてしまいたくはなかったから」


 イライアスが優しい笑みを浮かべる。


「昨日は楽しかった。クラン伯爵家の仕事が少し落ち着いたら、王立学院の休日にでも一緒に出掛けよう」

「はい、是非」

「今日は、いくつか仕事を片付けた後に実家に寄る予定だが、午後には帰れると思う」

「わかりました。お義父様とお義母様、お義兄様にどうぞよろしくお伝えください」

「ああ」


 イライアスが乗り込んだ馬車を見送ってから、屋敷に戻ったロゼリアは自室から窓の外を眺めた。しとしとと降り続く雨が庭木を濡らす様子を見ながら、ロゼリアが小さく息を吐く。


(イライアス様がいないことを、こんなに寂しく感じるようになるなんて……)


 彼と結婚してから、まだ二か月も経っていないくらいだったけれど、ロゼリアは急激な気持ちの変化に自分でも驚いていた。イライアスがクラン伯爵家に来てから、頼りになって優しい彼に救われていたことに気付く。

 

 もうじき始まる王立学院の授業の予習をするつもりで机の前に座ったものの、教科書を開いてもなかなか集中できず、ロゼリアはパタンと教科書を閉じた。

 代わりに本棚から取り出した一冊の本を持って、ロゼリアはキッチンへと向かった。


***


 いくつか仕事を済ませてからアルレイ侯爵家に到着したイライアスは、兄のエイベルの書斎で彼と向き合って座っていた。

 エイベルが興味津々といった様子でイライアスに尋ねる。


「クラン伯爵家に婿入りした後の生活はどうだい?」

「今のところ、義父上からの仕事の引き継ぎは順調です。クラン伯爵家で扱っている商品の質自体は良いですし、販路や価格を見直していければ、今後の事業には明るい展望が描けそうな気がします」


 エイベルは呆れたようにイライアスを見つめた。


「いきなり仕事の話か。相変わらず固いね、イライアスは。そんなことより、ロゼリアさんとは仲良くやってる?」


 イライアスの頬が軽く色付く。そんな弟を、エイベルは悪戯っぽい表情で見つめた。


「家格が下の、しかも傾きかけている伯爵家に婿入りするなんて、お前も茨の道を選ぶなと思ってはいたんだ。まあ、運命の恋のためなんだろうから、口を挟むつもりはなかったけど、僕が気になっているのはどちらかというとそっちかな」

「……そうですね。最近ロゼリアの笑顔も増えましたし、俺も幸せですよ」

「ははっ、それは何より。ロゼリアさんが挨拶に来てくれた時には、少し硬い顔をしていたからね。お前が余程追い掛けたんだろうと心配していたんだが、そう聞いて安心したよ」


 兄の笑顔に、イライアスも笑みを返す。昔から、エイベルは頭の回転が速く勘が鋭い。普段は爪を隠して、表面上はおおらかで軽い調子を装っていても、実は驚くほど聡明な兄をイライアスは尊敬していた。


「で、僕に何を相談しに来たの?」

「父上にも先程話したのですが、クラン伯爵家の新たな取引先になり得る家の紹介を頼みました。兄上にも、思い当たる有望な取引先があれば紹介していただきたいのです。クラン伯爵家で造っているワインは、特に自信のあるものを、それぞれ何本か持って来ています」

「ほう、そうか。後で試させてもらうよ」


 頷いたエイベルに、イライアスが続ける。


「それからもう一つ、ノールド家について知りたいのです」

「ノールド家か……」


 エイベルがやや渋い表情になった。


「ノールド家は、アーサー殿が腕を振るうようになってから急激に事業を拡大したからな。彼は相当なやり手だが、僕たちにとってはやり辛い相手かもしれないな」

「それは、どういう意味ですか?」

「アーサー殿が平民であるせいか、どこか貴族を目の敵にしているようなところがあるんだ。特に侯爵家のような高位貴族はね」


 エイベルは腕組みをすると、椅子の背に凭れかかった。


「もちろん、高位の貴族であればあるほど上客には違いないし、彼も表面上は上手くやっているんだ。だが、やっぱり感じるものはあってね。……僕も彼のところの商会と取引をしたが、一筋縄ではいかない感じがしたよ」

「兄上でもそうだったのですか。俺も、避けられているような気はします。ただ、ロゼリアは気に入られているようなのですが」

「へえ、ロゼリアさんを? アーサー殿にしては珍しいね」


 エイベルが好奇心に目を輝かせる。


「あれだけのやり手だし、アーサー殿は女性に不自由はしていないらしいが、特定の誰かを気に入ったり、側に置いたりということはこれまでなかったらしいよ。まあ、僕も風の噂で聞いた程度だが、それは驚きだな」

「……そうですか」


 イライアスが不快そうに顔を顰める。エイベルは思案気に言った。


「さすがに、彼だって人妻に手出しする気はないと思いたいがな。まあ、お前だってあれほど女性に興味がなかったのに、ロゼリアさんには運命を感じたくらいだからね。僕も可愛い人だと思ったけど、ロゼリアさんにはそれ以上の何かがあるのかな」

「……」


 少し口を噤んでから、イライアスがエイベルに尋ねる。


「アーサー殿はレストラン経営にも乗り出すつもりのようですが、何か噂など聞いていますか?」

「ああ、彼は既に相当数のレストランに出資をしているようだよ。さらに拡大するつもりなのかな」


 どことなくすっきりしない思いを抱いたイライアスだったけれど、兄の言葉を聞いて溜息を吐いた。


「仮に俺が嫌われていたとしても、それなりに上手く付き合ったほうがよさそうな相手ですね。今は足元を見られている感がありますが」

「まあ、そうかもな。ロゼリアさんが気に入られているなら、さらに円滑な関係を築ければいいのだろうな」

「ロゼリアはまだ学生です。できるだけ彼女を巻き込んだり、負担を掛けたりしたくはないのです」

「気持ちはわかるが、お前は本当にロゼリアさんが大事なんだな。他の男に触らせたくないってことか」

「それは当然あります」


 エイベルはくすっと笑うと、椅子から立ち上がった。


「お前の惚気が聞けてよかったよ。せっかくだから、お前が持って来てくれたワインをこれから一緒に飲まないか。兄弟水入らずで、もう少し話を聞かせてくれ」

「そうしましょうか」


 場所を移したイライアスは、クラン伯爵家から持ってきたワインのボトルを取り出すと、栓を抜いてグラスに注いだ。

 香りを確かめてからグラスを傾けたエイベルが、満足そうに頷く。イライアスは兄の表情に手応えを感じながら、久し振りに兄と語り合ったのだった。

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