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親切な青年

 ロゼリアは、急く気持ちを抑えて馬車に乗っていた。

 積荷の運び先は、ノールド家の屋敷だ。父から以前に聞いた話だと、取引先としての関わりよりも、資金の借入先としての位置付けのほうが重要なようだった。

 貴族ではないものの、現当主に代替わりしてから、飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長を遂げている商家だと聞いている。事業の範囲も手広く、流通網も国外まで含め拡大しているとの話だった。イライアスが婿入りしてすぐに悪い印象を与えることは避けたい相手先だと言えた。


(お願いだから、間に合って)


 イライアスに、家の手落ちのせいで迷惑を掛けたくはない。祈るような思いで、ロゼリアは馬車に乗っていた。

 これまでも、父の側で多少なりとも仕事の手伝いをしたことはあったけれど、ロゼリアが一人で取引先の元に行くことは初めてだった。多少の心許なさはあるにせよ、到着してしまえばイライアスがいるというのは心強い。


 見慣れない街の景色を通り過ぎて、少しずつ馬車が速度を落とし始めた。ロゼリアが窓の外を覗くと、立派な屋敷が視界の先で大きくなっていく。


(この家のようだわ)


 御者が屋敷の前に馬車を着けると、屋敷から出て来た使用人にロゼリアが用件を伝えた。

 けれど、中年の男性の使用人は、胡散臭そうな目でロゼリアを眺めた。


「酒も飲めないようなお嬢さんが、一人で酒を運んで来たってのは、どういう訳だい?」

「ですから、先に主人がこちらに訪問しているのですが、運んできた品物に手違いがありまして……」


 若い女性一人で来たために舐められているようだと気付き、声が震える。前世で男たちに襲われた時にも、若く非力な令嬢である自分が完全に舐められている感覚があった。その嫌な感覚がふと現状に重なってしまい、無意識のうちに冷や汗が流れる。

 説明しても伝わらず、このままでは埒が開かないと途方にくれていたロゼリアの後ろから声が掛かった。


「何をしているんだい?」

「あっ、旦那様……」


 目の前の使用人が急に背筋を伸ばしたのがわかった。ロゼリアが振り向くと、そこには一人の青年が立っていた。


(旦那様? ということは、この方がノールド家の当主の……)


 ロゼリアが想像していたよりも、彼はずっと若く見えた。もちろん彼女よりも年上ではあるが、それほど大きく歳は離れていないように見える。

 滑らかな黒髪に琥珀色の瞳をした彼は、使用人が口を開こうとするのを制すと、先にロゼリアに尋ねた。


「状況を伺っても?」

「はい。実は……」


 ロゼリアが来訪の目的を話すと、使用人とは異なって、彼にはすぐに話が通じた。彼は使用人を振り向くと言った。


「後は僕が対応するから、もういいよ」


 ばつが悪そうに頭を下げた使用人を尻目に、彼はてきぱきとロゼリアの馬車から自ら積み荷を下ろすと、別の使用人を呼んで屋敷に運ばせた。

 ほっと胸を撫で下ろしたロゼリアに、彼が微笑みかける。


「ご迷惑をお掛けしてしまって、すみませんでしたね」

「いえ、こちらこそお手数をお掛けいたしました」

「さあ、こちらへ」


 彼に案内されるまま、ロゼリアは屋敷の中へと足を踏み入れた。屋敷内は見た目以上にさらに広く、飾られた絵画や彫刻などの芸術品からも裕福であることが窺える。

 気付けば、彼女は広々とした応接間に案内されていた。


「あの、主人が先に来ているはずなのですが……」


 戸惑う彼女に、青年はさらりと言った。


「ご主人は今頃、僕の部下と商談をしているところでしょう。お持ちいただいた品物は確かに受け取りましたし、部下にも伝えるよう指示を出しています。ご主人が戻られるまで、よかったら少し話しませんか?」


 ロゼリアは、改めて目の前の青年を見つめた。端整で涼やかな顔立ちで、人好きのする笑みを浮かべた彼は、爽やかな好青年といった印象だ。


(お父様からも大切な相手先だと聞いているし、こうしてお話を伺うこともきっと大事なのでしょうね。どことなく、お会いしたことがあるような気がするのだけれど、どこで会ったのかしら……)


 彼に見覚えがあるような気がして、ロゼリアが内心で首を傾げる。

 応接間のドアがノックされ、メイドが紅茶と砂糖細工の美しい菓子を二人の前に運んで来た。

 話慣れた様子の彼は続けた。


「これは今、隣国で人気のある菓子なのです。よかったらどうぞ」

「ありがとうございます。こちらの手違いが原因でお邪魔したのに、これほど手厚くもてなしていただいて恐縮です」

「いや、さっきは失礼いたしました。使用人の教育が行き届いておらず、すみません」


 苦笑した彼は、テーブルを挟んで腰掛けるロゼリアに、手を差し出した。


「こうして直接お話しするのは初めてですね。僕はアーサーと言います」


 彼の手を握り返しながら、ロゼリアが尋ねる。


「私はロゼリアと申します。以前にもお会いしたことがありましたでしょうか?」

「今までに幾度かクラン伯爵家を訪問していたので、その際にお見掛けしたことがありました」


 そう言えばと、ロゼリアが記憶を辿る。体調不良で王立学院を早退した際に、家で父と話していた相手は、思い返してみれば彼だったような気がする。

 心の中で納得したロゼリアに、アーサーは続けた。


「それに、先日の結婚式にも少し顔を出させていただいたのです。あいにく、仕事の都合ですぐに失礼してしまったのですが、貴女のお美しい姿が印象に残っています」


 ロゼリアの頬が染まる。


「先日はお忙しい中お越しくださって、ありがとうございました。せっかく来ていただいたのに、きちんとしたご挨拶もできずにすみませんでした」

「いえ。伯爵も、しっかりしたお嬢さんをお持ちで幸せですね」

「アーサー様こそ、素晴らしい商才をお持ちだと聞き及んでおりますわ」


 アーサーが照れたように頭を掻く。


「僕は学校にも通っておらず、商いの現場を通じた叩き上げですから。ロゼリア嬢のようなしっかりした教育は受けてはいませんし、何か失礼があったらご容赦ください」


 そう言いながらも、その後の彼の話は実に巧みで興味深いものばかりだった。それに、知的で品のある語り口をしている。


(才能に秀でた方というのは、教育などあまり関係のないものなのかしら?)


 育った環境は対照的ではあるけれど、若いのに驚くほど敏腕だという点では、ロゼリアがイライアスに抱いている印象とも重なる。

 イライアスもこの場にいたらよかったのにと思いながら、ロゼリアはアーサーの話に聞き入っていた。

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