出会い
ロゼリアが王立学院で初めてイライアスの姿を見掛けた時、彼女はまるで全身に電流が駆け抜けていったかのような衝撃を覚えていた。
それは、一目惚れとか、運命を感じたといったような類のものではなく、どちらかと言えば、背筋が冷えて身体が震えたという方が正しい。
思わず固まったロゼリアは、目を瞠ったまま、その場に呆然と立ち尽くしていた。
(私、いったいどうしたっていうのかしら? でも、なぜだか、彼に会ったことがあるような気がするわ……)
今までにない感覚にロゼリアが戸惑っていると、一緒にいた友人のジェマが不思議そうに首を傾げた。
「ロゼリア、突然どうしたの? ……ああ、一学年上のイライアス様ね」
ジェマはロゼリアの視線の先に気付いてふふっと笑うと、遠目に見えるイライアスの姿に頬を上気させた。
「本当に綺麗な顔をしていらっしゃるわよね。背が高くてスタイルもいいし、あなたが見惚れるのもよくわかるわ」
確かに、イライアスの容姿は人一倍優れていた。遠くから見てもはっきりとわかるほどに整った、まるで彫刻のような顔立ち。深く澄んだ涼しげな碧眼に、さらさらと流れる淡い金髪。知的な面立ちに加えて、すらりと長い手足と、バランス良く引き締まった体躯を持った彼は、非の打ち所のない外見の持ち主と言ってよかった。
納得したように一人頷いたジェマが続ける。
「しかも成績優秀で、アルレイ侯爵家のご子息とくれば、次男だとしたって、この学院の女生徒たちが放っておかないのもわかるわよね。彼自身は、そんな女生徒たちからは距離を置いているみたいだけれど……いくらロゼリアが可愛くたって、ライバルは多いわよ?」
「ううん、そんなつもりはまったくないわ」
ジェマの言葉に、ロゼリアは苦笑した。家業が思わしくなく、奨学金を得ることでどうにか学生生活を維持している苦学生のロゼリアにとって、イライアスなど遥か雲の上の存在だ。そんな彼女には、イライアスに懸想する気は微塵もなかった。
それどころか、ロゼリアはすぐにその場から逃げ出したいような衝動に駆られていた。彼女の奥底にある何かが、彼の姿を前にして警鐘を鳴らしているようだった。
「もう、行きましょうか。教室の移動もあることだし」
口早にジェマにそう告げたロゼリアが、立ち止まっていた廊下を急ぎ足で歩き出す。けれど、ジェマに話し掛けようとロゼリアが何気なく振り返った瞬間、その向こう側にいたイライアスとばちりと目が合った。
ロゼリアの目には、彼がはっと息を呑んだように見えた。彼女の背中を、冷や汗が伝う。
(私だって今まで彼のことを知らなかったし、彼が私なんかのことを知っているはずもないもの。きっと気のせいよね……?)
イライアスと目が合ったことに気付かないふりをして、ぎこちなく彼から目を逸らした彼女は、そのまま、ジェマと次の授業がある教室へと向かっていった。
教室で席に着いたロゼリアは、黒板を見つめながらもぼんやりと思考を飛ばしていた。世界史の授業だったけれど、教授の熱心な説明も、まるで頭に入ってこない。普段は真面目で、奨学金を得るために好成績を維持しているロゼリアにとって、授業中にこれほど上の空になるのは珍しいことだった。
(さっきのあれは、何だったのかしら)
彼女の頭の中を、目にしたばかりのイライアスのことがぐるぐると回っていた。考えたくはないのに、彼のことばかりが頭に浮かぶ。
(彼を見たのは初めてだったはずなのに、この既視感は何なの?)
ロゼリアには、これまでイライアスと何の接点もなかったことは間違いなかった。それに、彼ほど美しい男性に、彼女は生まれてこのかた会ったことがない。もしもどこかで会っていたとしたなら、少なくともその姿を忘れることはなかっただろう。
けれど、彼を見た瞬間、どこか懐かしいような、それでいて決して近付いてはいけないような、そんな不思議な感覚にロゼリアは包まれていた。記憶の奥底で何かがつかえているような、そんなもどかしい思いを胸に抱えながら、彼女は悶々と授業の時間を過ごしていたのだ。
「……何かあったのかい、ロゼリア?」
ロゼリアが眉根を寄せて白いままのノートを広げていると、隣の席に座る友人のクライドから声が掛かった。聡明で面倒見もよく優しい彼は、ロゼリアの親しい友人の一人だ。
「どうしたんだい、そんな難しい顔をして」
小首を傾げた彼を見て、ロゼリアは目を瞬いた。
「私、そんなにおかしな顔をしてた?」
「ああ、らしくないっていうのかな。今日は板書も写していないみたいだし」
手元のノートが真っ白なことにようやく気付いたロゼリアは、慌てて黒板を見上げた。ペンを走らせようとした彼女の手が、黒板に書かれたある国名を目にしてぴたりと止まる。黒板の端の方には、エセル王国という文字があった。
「……!」
今は亡きその王国の名前を見た途端、ロゼリアの目の前に、突然鮮明な映像が浮かび上がってきた。