再度の訪問
「ようやく期末試験が終わったね」
期末試験の最終科目だった歴史を終えて、ジェマが大きな伸びをした。目の下に隈のできたクライドが頷く。
「ああ、結構きつかったな。……ロゼリア、あまり顔色がよくないけど大丈夫かい?」
「うん、大丈夫よ。ありがとう」
疲労を滲ませていたロゼリアも、どうにか笑顔を作る。
「クライド、歴史のノートを貸してくれて助かったわ」
「なに、お安い御用さ」
前世の記憶が甦ったり、イライアスとの縁談が進んだりと、これまでになく慌ただしい日々だったけれど、直前に勉強を追い込んだこともあり、試験の手応えは悪くなかった。
(次の最終学年でも、無事に奨学金が受けられるとよいのだけれど)
できる限りのことはしたのだからと、ロゼリアは自分に言い聞かせる。
三人が校門に向かっていると、校門の脇にいた人物から声がかかった。
「ロゼリア」
「……イライアス様」
イライアスの姿を見つめて、ジェマは目を輝かせると、隣にいるロゼリアを肘で軽く小突いた。
「ねえ、どういうこと? あれから、イライアス様と何かあったの?」
「うん、ちょっとまあ、色々とね。今度詳しく話すわ」
ロゼリアを待っていた様子の学院の有名人を見て、ジェマが色めき立つ。ロゼリアは慌ててジェマとクライドに手を振った。
「ジェマもクライドもお疲れ様! 今日はもう行くわ。また終業式でね」
イライアスの元に、ロゼリアが小走りに向かう。彼との結婚が決まったことは、落ち着いたらジェマとクライドに話そうと思っていたものの、結局まだ伝えられてはいない。前世の縁など話せるはずもなく、ロゼリア自身、どう説明したらよいのか悩ましかった上に、期末試験で忙しかったこともあり、結局後回しにしていたのだ。
イライアスの隣に並ぶロゼリアを満面の笑みで見つめるジェマに対して、クライドは怪訝な表情を浮かべていた。
(クライドが不思議に思うのも当然よね。少し前まで、私はイライアス様を避け続けていたんだもの)
ロゼリアがイライアスに会うのは、彼の実家を訪問して以来のことだった。彼女を待っていた様子のイライアスを、ロゼリアは躊躇いがちに見上げる。
(エセル王国のその後のことを、聞いてみてもいいのかしら……)
前世の自分が世を去ってすぐ、革命により滅んでしまったエセル王国。そこで前世のイライアスが何を思い、何を見たのかを知りたい気持ちと、知りたくない気持ちが胸の中で複雑に入り混じっていた。彼が前世で自分との婚約を破棄した一方で、今世になって求婚してきた本当の理由は聞きたかったけれど、エルドレッドの悲惨な最期がわかっているだけに、いざ聞いたら耳を塞ぎたくなってしまうような気もする。
ただ、彼を見つめるロゼリアの瞳からは、以前のようなきっぱりとした拒絶は消えていた。
イライアスが穏やかにロゼリアに微笑みかける。
「期末試験お疲れ様、ロゼリア。少しでもいいから、君の顔が見たかったんだ」
ロゼリアは少し考えてから彼に尋ねた。
「イライアス様、この後、何かご予定はありますか?」
「いや、特には」
「……もしよろしければ、これから私の家にいらっしゃいませんか?」
イライアスが驚きに目を瞠る。ロゼリアから彼を誘うのは初めてのことだった。
「いいのかい?」
「ええ。父がイライアス様に会いたがっております」
「なら、喜んで伺うよ」
警戒が大分解けてきた様子のロゼリアに、イライアスは嬉しそうに口元を綻ばせた。
(それに、結婚の時期もご相談しないといけないし)
父の仕事の負担を考えると、イライアスに早く婿入りしてもらうほうが良いのはロゼリアにもわかる。ただ、まだ心の準備ができてはいない。
イライアスを気に入り、また彼と会うことを楽しみにしている父も交えて、一度しっかりと話し合っておきたいと思っていた。
(きっと、お父様は私の意思を尊重してくださるのでしょうけれど……)
このところ顔色の悪い父が、ロゼリアには心配でならなかった。娘の幸せを願う父を安心させたいという気持ちもある。
彼女はイライアスをクラン伯爵家の馬車に誘うと、一緒に乗り込んだ。
「……乗り心地が悪くはありませんか?」
アルレイ侯爵家の馬車よりもずっと簡素な馬車に、ロゼリアが心配して尋ねる。けれど、イライアスは意に介していない様子で笑った。
「いや、まったく。それに、こうして君と同じ空間にいられるだけでも嬉しいよ」
ロゼリアの頬が軽く色付く。それまでは、イライアスに何を言われても、素直に信じることはできなかったけれど、エセル王国の最後を知ってからというもの、彼女の心境は大分変化していた。少なくとも、彼の話に耳を傾ける準備はできている。
結局、前世のことをイライアスに尋ねられないまま、当たり障りのない会話をしているうちに、馬車はクラン伯爵家に到着した。
二人揃って馬車を降り、屋敷に入る。普段であれば、ロゼリアが帰宅するとすぐに仕事部屋から出てきて顔を見せる父が、この日は出ては来なかった。
(いったい、どうしたのかしら……?)
ロゼリアはイライアスと一緒に父の書斎の前まで行くと、ドアを軽くノックした。
「お父様、ただいま帰りました。イライアス様もお見えです」
部屋の中からは返事がなく、イライアスと顔を見合わせる。
再びロゼリアは書斎のドアを叩いたものの、やはり返事はない。
「……お父様、失礼します」
ロゼリアはドアを開けると、目に映った父の姿に悲鳴を上げた。
「お、お父様⁉︎」
仕事机の前の椅子から滑り落ちたような格好で、父は床に突っ伏していた。
イライアスはすぐに彼女の父に駆け寄った。
「意識はないが、脈はある。君の父上はいったん寝室に運ぶよ。すぐに医者を呼ぼう」
「はい」
イライアスがロゼリアの父を慎重に抱え上げる。混乱のあまり、真っ青な顔で震えながら固まっていたロゼリアは、イライアスの言葉にはっとして頷くと、医者を呼ぶために使用人を呼びに走った。




