知らなかった史実
ロゼリアが固まったまま眺めていたのは、エセル王国の最後の国王という文字と、その横に記されていた名前――エルドレッドの父の名前だった。
(どういうことなの?)
かつてエセル王国があった場所には、その後いくつかの周辺の小国とも統合が進んだ結果、今では共和国ができていることはロゼリアも知っている。けれど、その詳細な経緯は知らなかった。大陸の端のほうにあり、文化や文明の面においても、歴史上それほど華々しい注目を集めることはない地域だったからだ。
動揺したロゼリアが、ノートのさらに下の行に視線を移す。そこには、国内で革命が起き、王政が終焉を迎えたことが書かれていた。
(最後の国王がエルドレッド様のお父上ということは、エルドレッド様は……)
ロゼリアは、急いで分厚い歴史の教科書を開いた。教授は試験に出題する重要項目をかいつまんで説明するために、教科書のほうがずっと周辺事項の説明が詳しい。どくどくとロゼリアの胸の鼓動が速くなる。
教科書の説明によれば、エセル王国では、圧政の結果として民衆の不満が溜まっていたという。貧しい民衆を中心に組織され、民衆寄りの貴族が支持した革命軍が王国軍を破ったことで、王政が終わりを告げ、最後の国王を始めとする多数の王族たちは、揃って処刑されたとされていた。
さらに、教科書には、エセル王国の紋章や、革命軍の旗に描かれていたモチーフ、当時の戦に使用された武器・防具に加えて、王族の処刑に使用された断頭台の絵まで載っている。
くらりと眩暈を覚え、ロゼリアが身を震わせる。エルドレッドの姿を思い出し、ロゼリアの胸の奥が鈍く痛む。エルドレッドも、時を同じくして処刑されたに違いなかった。いくら前世の彼女が悲しみの中で命を落としたとはいえ、エルドレッドまでその後悲惨な最期を迎えたことを知って、胸がすくどころか、辛く苦しい思いがした。
(エセル王国の歴代の国王の一覧には、エルドレッド様はもちろん、エルドレッド様の子孫たちの名前も残されているものと思っていたのに……)
エルドレッドの名前すら、エセル王国の歴史に刻まれてはいなかった。
ふと、馬車の中で聞いたイライアスの言葉が、ロゼリアの耳に甦る。
『前世の俺は、君を片時も忘れたことはなかった』
(あのイライアス様の言葉には、どんな意味があったのかしら)
自分が選ばなかった元婚約者のことなど、すぐに忘れてしまいそうなものだ。それなのに、彼女にそう告げたイライアスの言葉からは、深い悲しみが感じられた。
教科書に記載されている革命記念日を、ロゼリアがそっと指でなぞる。
(この日付……前世の私が婚約破棄されて間もなくだわ)
前世の彼女が婚約破棄されたのは、当初はエルドレッドとリュシリエールの結婚式の予定を貴族たちにお披露目するための日だった。リュシリエールが、そわそわとしながらもその日を楽しみにしていたためか、ロゼリアの前世の記憶に残っていたのだ。
(エセル王国の終焉と、エルドレッド様による婚約破棄……。エルドレッド様は、もしかしたら革命の可能性を把握していらしたのかしら?)
ロゼリアの胸が、どくんと大きく鳴る。その視線が、宙を彷徨う。
(……まさか、私を革命の被害に巻き込まないようにするために婚約破棄を?)
ロゼリアには、自分の目に映っていた前世が突然、ぐるりと180度回転して見えたような気がした。前世の彼女を守るために、あえてエルドレッドが突き放したと考えるなら、これまで疑問で仕方なかった、今世で出会ったイライアスの態度もすべて辻褄が合う。
(でも……)
以前ロゼリアの目に映った、前世の記憶が思い出される。
(リュシリエールを襲った粗暴な男たちは、彼女が王太子に棄てられたことを、あの時既に知っていた)
前世の彼女を襲った男たちは、リュシリエールが婚約を破棄された舞台となった王宮に、足を踏み入れることを許されるような者には見えなかった。婚約破棄当日の王宮に集っていたのは、王族や貴族ばかりだったからだ。少し経てば噂も広がるだろうけれど、王宮で起こったことを知りえないはずの彼らが、どうしてあのタイミングで、リュシリエールが婚約破棄されたことを知っていたのか。
そう考えると、王宮で彼女がエルドレッドから婚約破棄された場面を見ていた者か、あるいは婚約破棄が行われると事前に知っていた者の息が、男たちにかかっていた可能性が高い。婚約破棄された帰り道にリュシリエールがすぐさま襲われたことから推測すると、後者の誰かが、彼女を襲うことを仕組んでいたように思われた。
(前世の私に手を下すよう指示を出したのは、エルドレッド様の可能性が一番高いと思っていたのだけれど……)
ロゼリアが痛む頭を押さえる。目に浮かんだ前世の記憶と思しき映像は、途切れ途切れだった。ロゼリアには、まだ大切な何かを思い出せていないように感じられた。
(今は時間がないけれど、期末試験を終えたら、もう少しエセル王国のことを調べてみよう)
辛い前世のことを思い出したくないという気持ちも、もちろんある。怯んでしまうような恐怖感もあったけれど、いつかは確かめなければならないと、彼女の内側の何かが告げていた。
(……まずは、無事に期末試験を乗り切らないと)
混乱する心を鎮めるように、ロゼリアは胸を抑えると、ゆっくりと一つ深呼吸をした。




