アルレイ侯爵家にて
アルレイ侯爵家当主夫妻は、にこやかにイライアスとロゼリアに近付いてきた。
「ようこそお越しくださった」
イライアスが両親に向かってロゼリアを紹介する。
「こちらがクラン伯爵家のロゼリア嬢です」
ロゼリアは慌てて彼らに頭を下げた。
「はじめまして」
緊張に固くなっているロゼリアに向かって、二人は温かな笑みを浮かべた。
「イライアスから話は聞いているよ、ロゼリア嬢」
「可愛らしい方ね。今日はいらしてくださって、嬉しいわ」
確かに歓迎されていることを感じて、ロゼリアが胸を撫で下ろす。イライアスと結婚すると覚悟を決めたからには、クラン伯爵家に支援の手を差し伸べてくれるアルレイ侯爵家と、良好な関係を築いていきたかったからだ。
そんな彼女を、イライアスは優しい瞳で見つめていた。
(イライアス様は、思っていた以上に、ご両親に私のことをよく伝えてくださったようね)
想像していた以上の歓待に、ロゼリアの胸がじわりと温まる。イライアスに対しては、まだ不信感も恐怖感も拭えずにいたけれど、品の良さが漂う彼の両親には不思議と安堵を覚えた。
応接間に通されて、ロゼリアはふかふかとしたソファーにイライアスと並んで腰かけた。テーブルを挟んだ向かい側に、彼の両親が座る。使用人が四人の前に湯気の立つ紅茶を運んでくると、芳しい紅茶の香りが部屋に満ちた。
はじめのうちは、紅茶のカップを傾けながら、とりとめのない話に興じていた彼らだったけれど、次第に話の焦点がイライアスとロゼリアとの結婚に移った。
「君たちの結婚の時期だが……」
イライアスの父が、息子とロゼリアを見つめる。
「もうすぐ、イライアスは王立学院を卒業する。息子は卒業したらできるだけ早くクラン伯爵家の事業を手伝いたいと考えているようだが、貴女はどう思うかい?」
ロゼリアの顔に困惑が浮かぶ。
(イライアス様が卒業したら、って……もうすぐじゃない)
今月末に控えた期末試験が終われば、最上級生の卒業式はすぐそこだ。彼女の表情を見て、イライアスが父の言葉を継いだ。
「まだ君は学生だが、早いほうがクラン伯爵家の役に立てるのではないかと思っている」
ロゼリアの脳裏に、優しい父の顔が浮かぶ。最近も疲れていた様子の父を思い出し、確かにイライアスの言葉には一理あるのだろうと思いながら、彼女は慎重に答えた。
「ありがたいお話を感謝しておりますが、少し考えさせてください」
イライアスの父が頷く。
「ああ、ゆっくり考えるといい。急な話で、貴女も驚いているだろうからね」
ロゼリアは遠慮がちに、けれど端的にイライアスの父に尋ねた。
「……あの、どうしてイライアス様と私との結婚を認めてくださったのですか? 私の家のほうが家格が低い上に、もうご存知かと思いますが、家業にも色々と問題を抱えています。このように快く結婚を認めていただけるとは思っていなかったので、率直に申し上げて驚いております」
政略結婚を念頭に置けば、イライアスなら同等の侯爵家の令嬢か、あるいは王族に連なる令嬢と縁が繋がっても不思議ではない。
けれど、アルレイ侯爵家当主は隣に座る妻と目を見交わすと、にっこりと笑った。
「珍しいかもしれないが、私たちは恋愛結婚なんだ。妻は、貴女と同じく伯爵家の出身でね。私の両親の反対を押し切って結婚したんだよ」
「そうだったのですね……」
初めて聞く話に、ロゼリアが目を瞬く。
「あまり知られてはいないが、アルレイ侯爵家にも事業の厳しい時期があったんだ。このように持ち直せたのは、甲斐甲斐しく支えてくれた妻のお蔭だよ」
彼の妻もふんわりと笑うと、目の前の息子とロゼリアを穏やかな表情で眺めた。
「夫のためだと思えば、苦労を苦労とも感じなかったわ。これも、夫への気持ちが基礎にあったからでしょうね。……だから、イライアスが結婚したい女性がいると私たちに言ってきた時には、背中を押そうと決めたのよ」
「突然の話だったから、驚きはしたがね。堅実なイライアスが貴女を見初めたきっかけが、まさか一目惚れだったとはな」
「⁉︎」
初めて聞く話に、頬に熱が集まるのを感じながら、ロゼリアが隣に座るイライアスに視線を移す。
(私のことを、一目惚れだとご両親に伝えていらしたなんて……)
珍しく、イライアスも頬を薄らと染めている。イライアスの父は楽しそうに続けた。
「急な話で、貴女もびっくりしたと思うが、こうして今日お話しできて、イライアスの気持ちも理解できたよ。可愛らしいだけでなく、聡明な方だね」
彼の妻も、その言葉に頷く。
「もちろん、イライアスのことは信頼しているし、彼が選んだ女性ならと思ってはいたけれど、こうして改めてお会いして、しっかりしていて素敵なお嬢さんで嬉しくなったわ」
それまで後ろ向きにしか考えていなかったイライアスとの縁談だったけれど、ロゼリアは、これから義両親になる二人の温かな言葉に、目に涙が滲みそうになっていた。
(イライアス様は、今世はこんなに素敵なご両親の下で育ったのね……)
イライアス本人に対しては、前世のトラウマが拭えなかったし、今の彼をそれほど知っている訳でもなかったけれど、少なくとも、彼の育ちの良さや上品なふるまいの背景は十分に理解できたような気がした。仲睦まじい両親の下で、愛情たっぷりに育ったのだと想像がつく。
(私たちが相思相愛だと誤解されていることには良心が咎めるけれど、イライアス様のご両親のお人柄にはほっとしたわ)
そして、彼が両親に自分のことを十分に根回ししてくれていたことも感じた。直接言葉で言われた訳ではないけれど、それ以上に、態度で自分を大切にしようとしていることが伝わってくる。
イライアスに対して、これまでのロゼリアは毛を逆立てた猫のように完全に身構えていたものの、その警戒が少し緩んだ瞬間だった。
ふと、ロゼリアの意識が過去に移る。
(そういえば、前世のイライアス様――エルドレッド様のご両親は、どんな方たちだったのかしら)
王太子だったエルドレッドの両親だった、エセル国王と妃の名前だけは薄らと覚えてはいるけれど、彼らについての具体的な記憶は、ロゼリアには戻ってはいない。前世について戻った記憶も部分的で、抜けている部分も多いことが引っ掛かっていた。
「……ロゼリア?」
ぼんやりと意識を飛ばしていたロゼリアは、イライアスの言葉にはっと我に返った。
「イライアス様。本日は素晴らしいご両親にお会いできた上に、これほど温かく迎えていただき、とても嬉しく思っております」
「そう言ってもらえると、俺も嬉しいよ」
二人の姿に、イライアスの両親も相好を崩している。
「イライアス、よかったらロゼリア嬢に屋敷の中を案内して差し上げなさい」
「そうね。それはいい考えだわ」
気を利かせて、若い二人だけにしようと彼の両親が席を立つ。イライアスと二人きりにされることに、むしろロゼリアが焦っているとは気付かないまま、彼の両親はにこにことしていた。イライアスもソファーから立ち上がると、ロゼリアを見つめる。
「では、屋敷内を案内させてもらうよ」
「……はい」
ロゼリアも、彼に続いて腰を上げた。クラン伯爵家とは比べものにならないほど長い廊下を歩きながら、ロゼリアがイライアスから壁に飾られた肖像画の説明を受けていると、二人の後ろから声がかかった。
「イライアス、その子が君の婚約者かい?」
ロゼリアが振り返ると、そこにはイライアスとよく似た面立ちをした長身の青年が立っていた。




