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手紙(繋ぐ)

作者: 雨月そら

 彼と分けれて一緒に住んでいた部屋を出た。思い出がいっぱい詰まった部屋だから、住み続けるのは辛い、それくらい長く一緒にいた。結婚も考えていたかもしれない。どこで掛け違ったのか、洋服のボタンの様に、あっさり間違えてあっさり解けて、終わってしまった。

 私は旅に出よう、そう思ったのだけれど当てもないしどこか凄く行きたい場所も見当たらなかった。ただ、遠くへ行きたいという気持ちだけ、彼の思い出を思い出さなければそれで良かったのかもしれない。

 そんな思いで、海は小さくしか見えないけれど二階の窓から遠く眺められるちょっと古ぼけた一軒家を借りる事にした。築年数が経っているということもあるし、そこの大家さんである年老いたお爺ちゃんがとてもいい人で格安で貸してくれたというのもある。

 話によれば、お爺ちゃんはその家に思い入れがありどうしても手放せずにいて、でもそこに住むと思い出がいっぱいで胸が苦しくなるのだと少し悲しい笑顔で言っていた。

 だからといって大切にしてきた家なので、誰でもいいわけでもないし、かと言って明かりが付いていないと寂しい、身勝手だが、この家を大事に思って住んでくれる人がいるなら住んでほしいというのがお爺ちゃんの話。

 九十歳になる様で、綺麗な白髪頭の腰の曲がったお爺ちゃん。もうこの先短いと言ってたけど、まだまだ元気そうなそんな気がするのは、まだ何かを諦めていないその眼差しと、ハキハキと喋る姿からかもしれない。


 既に家の鍵も貰って、掃除も終わっている。最小限の荷物を持って、私は電車に乗り込んだ。


 ガタンゴトン ガタンゴトン


 市内とか出かける時は、ずっと彼の車だった。もちろん、自分でも運転はできるし好きな方。ただ、彼の車に乗ってドライブする、窓を開けて風を感じる、車の中で流れる外国のR&Bの曲、彼とそういうなんでもない事を共有するのが楽しかった。

 それがあって、私は今だに車、いや、彼に未練があって乗るのが躊躇われ、電車という選択。

 ありがたい事に、家は駅から徒歩十五分という距離。ただ、準急も特急もむしろ、一時間一本ペースのローカル線で、そう便利でもないし駅員さんもいないし、自動改札機がちょこんとある小さな駅。趣のあるレトロな駅といえばいいのか、それをいうなら私が住む家もまたそうである。

 山から海へとぱっと景色が変わって、窓向こうには夕日に照らされたオレンジ色の海がキラキラ輝いていて、ああ、綺麗だなと単純に思う。やっぱり、ただ海を見るだけでウキウキしてしまうのは海無し県に住んでいたからだろうか。それともあまり海が好きではない、彼との思い出がないからだろうか。

 この海を過ぎてちょっと森が多めになった、それが私が降りるべき駅。勿論、私以外は降りる人はいない。

 駅から出たらちょうど、風がバァーーーっと吹いて私の長い髪を撫でていった。夏より少し涼しくなっても少し生温く、少し潮の香りがした。

 少し汗ばんだ肌には心地よい、そういう風に感じるられるのは夜が更けてきたからかもしれない。もう、夜の帷が下がる様に、オレンジと赤と変化して、紫と藍色、もう夜が来るそんな空が広がっていた。

 私は白いワンピースで素足にサンダルというラフな格好で、革の小さい茶の旅行鞄を片手にぷらぷらと今更だけど散策するみたいにゆっくり歩いた。気分は、どこかへ旅行した帰り旅館へ泊まりに行く、そんな気分である。

 もちろん、私が行く場所は旅館でもなければ、観光名所でもないので特段何かあるわけでもない。

 ただちょっと気になるのは、二手に分けれる道のちょうど分岐点の所に、小さな可愛らしいお地蔵様がある。古いがちゃんと手入れもされて、綺麗な赤い前掛けをした穏やかな顔をしたお地蔵様。

 私はこのお地蔵様に惹かれてというのはオーバーだろうか、でもこのお地蔵様が決め手であの家にしたところもある。あの家を教えてくれた不動産屋さんはお爺ちゃんの知り合いで、世話好きで色々な物件を見せてくれた。今の家より新めの一人で済むには充分な物件も紹介してもらったのだけれど、どうも後ろ髪引かれて、結局、最初に紹介された所へ戻って、お地蔵様の顔を見た瞬間に迷いは無くなり、即決した。


 おかしな話だが、そういう事もあるのだ。


 お地蔵様の前でしゃがみ込んで、バックを腕に、静かに手を合わせる。お礼を言い忘れたのでというのもあるが、なんだかいいご縁も感じてとその他諸々を拝んだ。


 家には電気が付いていて、ガラスがはまった古い扉に手を掛ける。鍵は掛かっていなくて、ガラガラガラと横に開いた。

 お爺ちゃんに電話しておいたから、多分、お爺ちゃんが中で待っているのだろうと気にせずに、古ぼけた靴箱に靴を仕舞い、私は居間へと歩いて行った。ひんやりと板張りの廊下が心地よい。

 障子は開けられたままでそこを潜れば、もちろんそこには正座したお爺ちゃん。しかも割烹着姿で、可愛いらしい。

 年季の入ったちゃぶ台には、四角く切った小さな夏野菜が乗って素麺が入った少し大きめなガラスの器とツユの入った小さな器と薬味の乗った小皿、割り箸と兎の箸置きが置かれていた。


 「あぁ、おかえり、未代(みよ)さん。お腹空いただろうと思って、勝手に申し訳ないけど、ちょっとした夕飯を作っておいたよ」


 にこぉーと笑うお爺ちゃんはお地蔵様みたいにいい笑顔で何だか幸せな気持ちになりながらも、お腹はぐーと遠慮なく鳴いた。


 「おお、良かった。お腹空いてたんだね。もしかして、食べてきてしまうかもとは思ったんだけど、やっぱり少しでもおもてなししたいなぁって気持ちがね、あってね」


 心意気に感謝で私は、少しうるっと目頭が熱くなった。感傷に浸って、電車に乗ってここまできたのも良くなかったのかもしれない。もう、お爺ちゃんの作った夕飯を食べたら、泣きそうで困ったなと思えば思い出す。


 「清一さん、少しお酒付き合ってくれませんか?」


 この間掃除しに来た時にぷらぷらと歩きたくなって散歩していたら、少し離れた所だが商店があったのだ。酒屋さん。私の好きな、お酒がある場所。

 私は意気揚々ともしかしたら、スキップしていたかもしれないけれど、すぐに店に着いた。

沢山の酒瓶が並んで、珍しいものもあって私は上機嫌だった。どれにしようか迷っていると、中から亭主のおじさんが出てきて、地酒を勧めてくれた。

 その時買った一升瓶の日本酒がまだ残って、茶箪笥にしまってあるのだ。普通は、茶菓子とかお茶を入れる所だけれど。

 それさえ飲んでしまえば、泣いていても不自然ではないかなって思ったのだ。酔っ払ってよく分からないと言えばいい。


 「でもねぇ...もう歳だし、飲んだら帰れなくなってしまうよ。流石に嫁入り前のお嬢さんと一つ屋根の下に泊まるのは気が引けるしね」


 「大丈夫ですよ、私は気にしませんから」


 「ははは、面白いお嬢さんだ。でもね、僕も一応大人な男だからそういうのは、ちゃんとしたいんだよ。だから、申し訳ないけど、もしなら今度、私の家に遊びに来た時にでも一緒に飲むというのはどうかい?今なら、下戸の親戚の子が遊びに来ているから車で送ってくれると思うよ」


 「うーん...残念。じゃぁ、また今度ということで。約束ですよ!」


 「はい」


 私はどうしてもお爺ちゃんと飲み交わしたくなり、というかこんな親切にしてもらったら、どうしてもお酒を注ぎたいと思ってしまい、ちょっと強引だったが指切りをした。

 お爺ちゃんは、それからこの家をよろしくと言って暗くなった道を一人帰って行った。送っていこうと願い出たけれど、むしろ私の方が心配された。慣れた道だし、街灯もちゃんと明るいのでとあっさり断られた。

 誰もいなくなってしまうと、広く感じてなんだか心にぽっかり穴が空いた、そんな感じで寂しくなった。誰かと喋りたいは、きっとこの寂しさから来るのかとも思う。

 ゴロンと少し古ぼけてはいるけど、手入れがされた畳の上に仰向けに寝転がる。

 うとうとっとし始めて、お爺ちゃんの作ってくれた夕飯の事を思い出して慌てて起き上がる。ただ、一人で夕飯はやはり寂しいものがあって、茶箪笥から日本酒、食器棚からガラスのコップを持ってきた。


 トクトクトクトク ちゃぽん


 ガラスコップに、お酒が並々と入った。少し入れすぎて、ちょっとでも揺れたら溢れそう。なんだか私の涙みたいだなと思って、行儀悪くも口を付けて啜った。

 すーーーっと日本酒が喉を通っていく。飲み心地の良い、清涼感がある日本酒は私の喉を潤した。そしたら、下に流れるはずなのに、私の目からポタポタと流れた。と言っても、お酒ではなくて、涙だけれど。

 やだなぁと思いながら涙を手で拭って、正座だったけれどもリラックスしたくて胡座をかいた。はぁぁっと天井に向かってため息を漏らせば、なんでかグーってお腹の音が鳴る。可笑しくて、もう涙目でもいいかと、素麺を啜った。

 素朴だけど、なんだか温かみと懐かしさで美味しい。それに重なって、食べれば食べるほど涙が出てきて、もうやけだと思って日本酒もぐいぐい飲んでたら、素麺はあっという間になくなって、コップは空。

 煽りすぎたのもあって、あーあと一人叫んで仰向けに寝っ転がった。心地よい風が網戸から入ってきて、私はそのまま眠りについた。



 ザァーーー ザァーーーーー


 海の音だと思って、目を覚ます。


 海へ来たのだろうかと疑問で、辺りを見回す。一応、目の前は大きな海が広がって太陽の光でキラキラ光っている。まだ涼しく明るいので、朝方かと思う。

 座っているのは大きな流木で、横には麦わら帽子がちょこんと置いてある。ふと気づけば、私も麦わら帽子を被っていた。まだ朝と言っても、日差しはあるので助かる。


 足に砂が入って気持ち悪いなと視線を下げれば、見たことのないサンダルを履いている。随分と昔のデザイン。砂を落としても、また動けば砂浜なのだからと落とすのをやめた。

 知らないうちにだけど海へ来たのならと、少し散歩することにした。靡く風も海の音も心地よく、サクサクっとかき氷を掬っている時の様な砂の音がまた心地よさを増してくれる。


 ふと下を向けば、白い小さな貝殻が見えた。私はそれを取ろうと、しゃがみ込もうとする。ちょっとワンピースが風に靡いて座りづらいので膝裏にスカート部分を手で押さえて入れる様にして座る。面倒だなと、心なしか思ってしまう。見せる相手もいないしと、続く。


 ちょうど貝殻を拾って、耳に当てている時である。


 「おーーい!夜美(よみ)さーーん!」


 そう呼ばれ、貝殻から波の音を聞いて、


 私の意識は奥へと追いやられた。


 ------------------------------------


 不思議なことがあるものだと、貝殻から流れる微かな波の音を聞きながら思った。清一さんが汗をかきながら両手にラムネの瓶を持って帰って来る頃には、波の音は聞こえなくなった。


 「はぁ、はぁ、はぁーーっ。夜美さん、喉乾いたでしょ?これ、どうぞ!」


 元気いっぱいにラムネを差し出した清一さんの顔はほんのり赤み掛かってお猿さんの様でもあり、でもその屈託のない優しい笑みはとても眩しかった。そう、私の大好きな人、清一さんを見て私は微笑んだ。


 私はありがとうと短く答えて、その眩しい笑顔にドキドキと胸弾ませているのを知られたくなくて、笑顔とは裏腹ちょっとぶっきらぼうに言ってしまった。本当は、とても嬉しくて飛びつきたいと内心思ってはいたのだが、はしたないと思って堪えていた。


 「いや〜、朝だから全然暑くないかと思ったけど、やっぱり暑いね。あ、僕には気にせず飲んで飲んで!」


 清一さんは流れる汗を首に巻いたタオルで一生懸命拭いているのだが、私が気にしていたのはそこではないのだけれど、清一さんが陽気ににかっと笑うのが可愛らしくて、もうこっちが恥ずかしく思って少し気持ちを落ち着かせる様にラムネを飲んだ。


 シュワー


 口から喉へ小さくパチパチパチっと炭酸が弾けて、夏の暑さにはちょうど良い清涼感と刺激だった。


 「ラムネって美味しいよね!このビー玉もキラキラ光ってて、なんだかずっと見てても飽きないというか、この綺麗さはやっぱり、夜美さんににている様な気がする...あーあーあー...僕は何を言ってるんだか...ごめんなさい。き、気にしないで」


 そう言って清一さんは、いつの間にか半分飲み終わったラムネを一気に飲み干して、頬をパンパンに膨らませてゴクンと最後に喉仏下げると、ぷはぁーーーっと勢いよく息を空に吐き出した。そして、両手を脇に置いて、空を見上げている。何故か、顔が真っ赤のトマトみたいである。


 それが面白くて、私はクスクスっと笑ってしまった。


 清一さんは参ったなと小声で呟いて、手を伸ばすと頭を照れくさそうにぽりぽり掻き始めた。

 少しして、急に真面目な顔になった清一さんは私の横に麦わら帽子をサッと取って被ってドカっと座る。緊張しているのが、仄かに伝わる。


 「僕と、僕と...結婚を前提に付き合って下さい!」


 「え?」


 そこは結婚してではないのかと、拍子抜けしてしまった。でも、誠実な彼だからこそ出た言葉だと思うと嬉しくて、ついつい涙が出た。


 「え、ええ!!夜美さん!!」


 オロオロする清一さんを見ながら、私は涙を拭くために一度、瞼を閉じた。



 私のお腹には、小さい子供が宿った。


 もちろん、清一さんの子供だ。二人で海へ出掛け、結婚を前提という話をされた夜、二人で清一さんの家に泊まった。その時である。


 私は嬉しかった。


 とても嬉しかった。


 けれど、私の体は病魔に侵されている、というのは清一さんも知らない。もちろん、子供ができたのも知らない。


 私でさえ、ついこの間、気持ち悪さで倒れた時に知らされたのが、この二つの事実。


 確かに、身体は強い方ではないし、体調も崩すやすく身体自体も色白で普通の人より痩せて筋力も然程あるわけでもない。だからと言って、今まで大きな病気になったことすらない。


 何度も、何度も先生に聞き返した。


 後天性の遺伝子的な発病、稀にあることと説明されても全く納得がいかず、飲み込めなかった。


 理解できるのは、近々死ぬのだということと、子供ができた、産めないという残酷な事実。


 下す、


 という選択肢しか私にはない。それさえも勝手にはできず、清一さんの承諾が必要で、私はもうどうしていいか分からなかった。


 産めると告げるならまだしも、下すのを話すなんて私には到底できなかった。

 結婚を約束して、でも、私には将来がない。この子にも。


 そう思った瞬間、私は清一さんの部屋に一人きりで、彼の寝巻きにしている着物を抱えて大泣きした。彼に泣きつけないから、彼の代わりに。

 私は涙が枯れるまで、ぐしゃぐしゃに着物がなって湿ってしまうまで泣いた。


 そして、プツン

 っと私の糸は切れてしまった。


 私は、清一さんの将来を奪うことはできない。


 そう強く思えば、私は家から駆け出して玄関に出た。後ろ髪を引かれた、それは私の未練。

 このまま消えた方がいいと思うけれど、それでは悲しすぎて私は思いとどまり、トボトボ家の中へ戻る。清一さんが帰ってこない、今日しかないのだからと、踏み止まった。


 家にある便箋と万年筆。


 一枚は、置き手紙。


 ごめんなさい、結婚はできません。

 探さないで。


 そう書いてちゃぶ台の上に置いた。


 もう一枚は、私が話せなかったこと、清一さんが大好きという気持ちを綴った未練たらしい手紙。書いて、涙が止まらず、紙の端が濡れて、皺くちゃになった。でも、その涙の痕を消したくなくて、自分が生きていた、そんな証拠でもある様で、そのままに封筒に入れた。


 手紙好きな清一さんが選んだ、素敵な海の絵が描かれた朝顔の咲く便箋。


 それを、隠し板のある机の引き出しへ閉まった。


 未練があっても、彼を思う気持ちの方が大きい、彼を思うからこそ、また素敵な人と出会って恋をして結婚して家族になって、子供、私が産んであげられない子供をその人と。私にはできないから、しわくちゃの顔になってもその人と仲良く暮らしてほしい、そう願った。


 私は、涙をサッと拭いて静かに家を出た。


 実家に帰ろう、そう思って電車に乗った。


 ガタンゴトン ガタンゴトン


 心地よく揺られながら、優しいその電車の音を聞いていれば、いつしか意識は遠のいて途切れた。


 --------------------------------------


 はっとして起きた時には、流石に朝は少し肌寒くて震えた。

 私は上半身を起こして、そしたら何故か大粒の涙がポタポタと流れてきた。

 ここはと辺りを見るけれど、新しく住むことになった家の居間。

 海でもないし、あの真新しい家でもない。

 なんだったのかと思うけれど、確かに私は誰かの記憶を覗いていた。

 初めは飛び上がるほど嬉しかったけれど、少し経ったら悲しくて悲しくて、身体中の水分が出てしまうのではないかと思うくらい泣いた。


 彼女と一緒に、確かに泣いたのだ。


 おかしいなと思い、私は軽く頭を振った。くらっとなってちょっとふらついた私は畳に手をついた。その時、一升瓶が目に入って、酔っただけなのかなと思った。


 けれど、この顔にこびりついた涙は、絶対に嘘ではないと確信する。だって、私も好きな人と別れたばっかりで、あんなに壮絶ではないけれど、別れが辛いのは分かるから。


 私は目を瞑って、一生懸命記憶を呼び起こす。走馬灯、私は死ぬのかなとか冗談を言えるのが生きてるなって思えて少し笑えた。でも次の瞬間には、真剣。走馬灯というよりは、フラッシュバックが起きて、あの、手紙、が強烈に脳裏に写った。


 私は目をパチっと開くと急ぎ、机のある床間へと襖を開けて入った。慌てて、机に引き出しを引き出して、馳せる気持ちでもたもたしながら隠し板を取り除く。


 そこには、古ぼけた一通の手紙があった。


 中身が見たくて仕方なかったが、これは私が見ていいものではないと叱咤し、その手紙を手に、私は顔を洗わずにサンダル引っ掛けて駆けて家を出た。もちろん、鍵を掛ける余裕もない。


 駆けて、駆けて、駆け抜けた。


 お爺ちゃんに家の前、私はもういてたってもいられず、家のブザーを思い切り何度も叩いた。


 そんなに待っていないけれど、なんだかんだと時間も待っている様に思えた。それから直ぐに、お爺ちゃんが慌てた様子で、玄関を開けて顔を出した。ぜぃぜぃっと肩で息をしているお爺ちゃんと私。お互いに顔が真っ赤で、開口一番は笑いだった。


 落ち着いた頃、お爺ちゃんは何も言わないまま、優しく私を手招きして中へ通してくれた。


 居間にはあの家と同じ古びたちゃぶ台に、その上には茶菓子と急須と、湯呑み二つ。


 「おあがり」


 お爺ちゃんは空の湯呑みに、近くの電気ポットからお湯を汲んで急須でお茶入れて差し出してくれた。


 「ありがとう...ございます」


 私は正座で手紙をちゃぶ台に置いて、お茶を啜った。なんだかほっと一息付いたら力が抜けて、だらしなく猫背になった。


 「その手紙、もしや...僕に、かな?」


 「え?」


 そう驚いて、お爺ちゃんをパッと見た。

 お爺ちゃんは、なんだか分かっている、そう思える顔をしていた。


 「はい、どうぞ」


 私は湯呑みを起くと、スッと手紙をお爺ちゃんの方へ渡した。

 お爺ちゃんは、ありがとうっと小さく言って手紙を読み始めた。


 ぽた ぽた ぽたぽた


 ちゃぶ台に、大粒の涙が溢れた。


 私はお爺ちゃんをその場に残して、早々に帰ってきた。私がいたら、気を使って余韻に浸れないだろうと思ったからだ。もちろん、引き留めてはくれたけれど、痛々しくて見ていられないというのもあった。手紙は読んでないけど、なんとなく内容は思い浮かべる事ができた。それは、彼女の心を共有したから、そう思う。


 ガラガラっと玄関を開けて、鍵を閉め忘れたと眉を顰めた。と、


 ワン!!


 犬の鳴き声が玄関でした。もちろん、幻覚ではなく大型犬の犬がお行儀良く座ってそこにいる。しかも初対面なのに、尻尾をブンブン振っている。


 「夜さん?」


 今からひょっこり顔を出した男、何者か?とじぃーと怪しんで見れば、お爺ちゃんの若い頃に少しだけ似ていた。


 「夜さん、ダメだよ、急に吠えたら。びっくりするっていうか、あ、嘘、女の人だった?ごめん!俺、ここの大家の遠い親戚で、なんかさ、夜さんがこの家大好きで入って行っちゃって、でも鍵掛かってないし、不用心だからそのまま帰るのも忍びなくいて...ほんとーに、ごめん!見知らぬ男が家にいたら、怖いよね?ん?ちょ?」


 私はなんでかその顔と優しい声を聞いたら安心して、涙が急に流れてきた。彼がいることよりも、そっちの方が驚いて、彼がいることなんて、私の中では大したことではなくなった。

 泣き止まない私に近づいて、オロオロしながらもポケットからハンカチを取り出して渡してくれた。私は遠慮なしに涙とついでに、鼻水も拭いた。


 「ありがとう、ハンカチは洗って返すね」


 ひとしきり泣いて、涙が止まって、私はそう言ってハンカチを握りしめた。が、何故か、グーとお腹の音が鳴った。


 「あ、なんかよく分からないけど、お腹空いてるなら俺もお腹空いてるから、近くのラーメン屋で悪いけど、一緒に行く?」


 私はお腹が空いていたが、顔がボロボロの状態で早く顔を洗って着替えたいなと思って躊躇する。


 「...奢るけど」


 私はそう聞いた瞬間、現金にもうんと頷いた。ただ、やはりこのまま行くことはできずに着替えて、顔を洗い、歯を磨いてスッキリとさせた。鏡に中の私は、腫れぼったい顔だけれど、今はそんなのはどうでもよかった。


 「お待たせ、じゃー...行きましょ」


 「うん...あ...」


 彼が玄関を出た直ぐ先、大型犬のリードを持ち直して歩き出そうとした時、そう言って空を見上げた。私も釣られて、空を見上げる。気持ちの良い青い空が広がり、二匹の登り龍みたいな雲が見えた。


 「ああ...お迎えが来たな...やっとか...一人で頑張ったもんね...良かったね、じいちゃん」


 彼がそう、ぼそっと独り言を呟いて、私は納得した。けど、また目頭が熱くなって困ったなと目をとじて手で押さえた。

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