*** 26 甜菜窃盗計画 ***
また別の大使館では。
「なんだと!
あの高価な砂糖を得られる作物が北部の山肌いっぱいに延々と生えていただと!」
「は、はい」
因みにこの大使は飛行魔導機の存在を一切信じようとしなかった人物だった。
だが、己に利を齎すかもしれないモノはすぐに信じるようだ。
(貴族ってそこまでカネに困っているんだ……)
「ならばその方ら2名でその作物を北の山より箱一つ分取って来い!
そうしてそれをわしに献上するのだ!
それを我が領地で農民共に何倍にも増やさせて大量の砂糖を作らせるぞ!」
「あの、その山はここから3000キロ近く離れているとのことで、転移門を使わねばとてもではないですが……」
「ならば転移門にてさっさと行って来いっ!」
2時間後。
「あの、転移門の使用許可が下りませんでした……」
「なんだと!
お前たちは栄えあるチンカース王国の大使館員だろうに!」
「あの、北の山岳地帯の視察は昨日終わったはずだと言われまして……
それで断られました」
「うぎぎぎぎ……
ならば大使館の魔導車で行って来い!」
「あの、お言葉ではございますが、大使館の年末までの魔導車契約は先月打ち切っております。
ですので現在この大使館に魔導車はございません」
「なんだと!
何故魔導車契約を打ち切ったのだぁっ!」
「あの、閣下のご命令でした。
大使館予算で購入した閣下用の高級酒が無くなってしまい、新年度予算が下りる年末まで酒が十分に飲めなくなった閣下が『こんな平民の国を高貴なワシが出歩くことは無い!』と仰って、魔導車のリース契約を打ち切って浮いたカネで酒を買うよう命令されましたので」
「なんだとぉっ!
誰がワシの酒を飲んでしまったというのだぁっ!」
「あの、閣下用の高級酒でしたので閣下しかお飲みになっていません。
我々大使館員はもっと安い酒を飲んでおりますので」
(貴族ってカネが無い上に記憶力まで無いんだ……)
「うぎぎぎぎ……
ならばさっさと魔導車を借りて来いっ!」
「あの、例え魔導車をリースしても往復で1か月以上はかかろうかと……」
「それがどうした!
コトは我が伯爵領の莫大な利益がかかっておるのだぞ!」
「は、はい。
それでは魔導車を借りてきます」
2時間後。
「あの、魔導車のリースを申し込んだのですが断られました」
「なんだとぉっ!
何故だぁっ!」
「通常魔導車を借りるときには、代金を現金で払うか魔導学園国銀行発行のクレジットカードで払うのですが、当大使館の銀行残高はゼロになっており、さらに引き落としが金貨3枚分も出来ずに溜まっておりまして、それでクレジットカードが使用停止になっていましたので借りられませんでした」
「なんだとぉっ!
何故銀行残高がゼロになっていたのだぁっ!」
「それで慌てて調べてみたのですが、すべて閣下の高級酒代に消えていました。
おかげでこれから年末まで大使館の食堂ではパンと干し肉しか出ないそうです」
「ならば何故本国に大使館費用の追加を依頼しなかったのだぁっ!」
「あの、先月依頼したそうなのですが、断られていたそうです。
本国からは自分の酒代は自分で払えとのメッセージが……」
「!!!!!
伯爵家当主である高貴なわしの食卓にパンと干し肉しか出ないと申すかぁっ!」
「ですが、閣下用には1日1杯分だけの高級ワインがまだあるそうです」
「なんだとぉっ!
1日にたった1杯だとぉっ!」
「それから、ここから北の山岳地帯までの街道沿いには宿屋が全く無いそうで、もし魔導車で行くならば途中で自炊しながら野営するしかないそうなのです。
ですので閣下、自炊道具と野営道具と食料を買うカネを出して頂けませんでしょうか」
「なんだとぉっ!
なぜ宿屋が無いのだぁっ!」
「この国の民は遠距離を移動する際にはすべて転移門を使用するそうで、魔導車を使うのは短距離移動だけなのだそうです。
ですので宿屋の必要も無いとのことでした」
「そ、そんな道具代や食料代など、その方らが立て替えておけっ!
伯爵家当主であるワシをそのような些事で煩わすなぁっ!」
「あの、我らは子爵家5男と男爵家4男ですのでそのようなカネは持っておりませんのです」
「その方らそれでも貴族かぁっ!」
(あんたもね)
「そ、そうだ!
貴族家ならば商人からまず商品を献上させ、代金に相当するカネを年末に邸に来た商人に下賜してやるのが習いであろう!
魔導車リース屋にも道具屋にも食料商にもそのように申し伝えろっ!」
「それが……
この国は平民しかいない国なので、そういう商習慣は無いそうです」
「ぬがががが……
なんという下賤な国だぁっ!」
「それで閣下、北の山岳地帯まで魔導車で行ってあの作物を採って来いとのご命令であれば、全部で金貨1枚(≒100万円)ほどの費用はどうしてもかかります。
ですが砂糖生産に成功すればそのカネが何千倍にもなって戻って来ると思えば、ここはご自宅より費用を取り寄せられては如何でしょうか」
「な、何千倍か!
よ、よし! しばし待てっ!」
大使閣下は執務室から魔導通信にて本国王都の伯爵邸に連絡を取られた。
「家宰よ! 早急に我が大使館に金貨1枚、いや2枚を送金せよ!」
『旦那さま、残念ながらそれは出来かねます』
「な、何故だ!」
『奥方さまが旦那さまへの送金を固く禁じられておられるからです』
「!!!」
『もしどうしても金貨が御入用でしたら奥方さまにご相談くださいませ』
「し、仕方ない、奥方に代われ」
実はこのとき、伯爵大使閣下は大変なミスを犯していた。
現在使用中の魔導通信機は、現代地球の電話の中でもハンズフリー機能を持った機種と同様であり、つまり通話相手の話す音声はスピーカーから出てくるのだ。
さらにいつも部下を呼びつけるために使っていた大使館内一斉連絡用魔導機のスイッチがオンになっていたのである。
という事は通信の魔導具で話す内容が、大使館内全ての部屋に聞こえていたのであった!
魔導通信機から奥方さまの声が聞こえて来た。
(という事は大使館にいる者すべてに聞こえているということである)
『なりません』
大使閣下が聞いたことも無い猫なで声を出した。
「いやお前、いきなりそんなことを言わなくても……」
『金貨の送金はなりません!』
「い、いや実は確実な儲け話を見つけてだな」
伯爵閣下の気色悪い声音に皆困惑している。
彼はいつも目下の者に対しては怒鳴り声しか出さなかったのだ。
『あなたが確実な儲け話を見つけたと言って金貨をせびるのはこれで7回目です。
過去6回のうち、3回は大失敗に終わり、3回はあろうことか投資用の金貨がすべて酒代に代わってしまっていたではないですか!』
「い、いや、今度こそは本物の儲け話なのだよ」
仮に部下が甜菜を盗めて持ち帰り、伯爵閣下がそれを領地の農民に渡して栽培に成功したとしよう。
だがそもそも多年植物である甜菜の根部が甘くなるのは、冬の厳しい寒さでも自身が凍って細胞壁が破壊されぬよう、貴重な栄養分を使って自ら糖を作り出す自己防衛機能なのである。
(糖度が高いと不凍液になる。蜂蜜はマイナス40度まで凍らない)
もしも伯爵領のある南方の地で栽培出来たとしても、その甜菜は甘みが全くなく、ただ苦くてエグい味にしかならないだろう。
それを知らされたときの伯爵閣下が怒りと絶望のあまり発狂するのも見てみたい気がするが。
また、例え高地などでの栽培に成功したとしても、甜菜を絞る道具も水分を飛ばす道具も何もないのである。
もしすべてを商人に丸投げしても、肝心な搾り汁のあの苦みとエグ味をどうやって取り除くというのだろう。
今までは誰もそれが出来なかったからこそ、砂糖はあれほどまでに高価なのである。
奥方さまもお怒りのご様子である。
『だいたい金貨を2枚も送金しろなどと言ってきて、どうせ実際に投資に使うのは1枚でもう1枚はお酒に変えるつもりでしょうに!』
(ぎくぅっ!)
『それにしても何故一瓶銀貨5枚(≒5万円)もするワインを馬が水を飲むようにガブガブと飲んでしまうのですか!
あなたがいつも家で喜んで飲んでいたワインは一瓶大銅貨2枚(≒2000円)だったというのに!
ワインの味の違いも分からないくせに!』
「えっ!
た、たった大銅貨2枚のワインだと……
そ、それではいくらなんでも伯爵家の体面が保てないだろうに……」
『誰に対する体面ですか!』
「そ、それはお前、購入先の商人とか……」
『問題ありません!
あの安いワインは侍女侍従、従僕たち向けのワインと言って買っていますので!』
「そ、そんな……」
大使館員が執務している大部屋では、この会話がすべて聞こえていることを伯爵閣下に万が一も気づかれぬよう、全員が怖い顔になり歯を喰いしばって声を出して笑わぬように耐えていた。
まるで敗色濃厚な戦での前線司令部のような光景である。
だが、下男下女の仕事部屋は伯爵閣下の執務室より離れていたために、全員がゲラゲラと笑っていたのであった。
『それに新年の王宮パーティーに備えてわたしも娘もドレスを仕立てなければなりませんので!』
「ドレスならもうたくさん持っているだろうに……」
『あなたはわたくしと娘にパーティーで一度着たことのあるドレスをまた着ろというのですか!
それこそ貴族社会で笑い者になって体面が保てませんっ!』
(一瓶銀貨5枚のワインと大銅貨2枚のワインの味の違いもわからぬ男が銀貨ワインをガブ飲みするのと、パーティーの度にドレスを設える伯爵令室ではどちらが無駄遣いなのだろう。
大使館の全員はそう思っていた……)




