那珂湊の因習
お読みいただきありがとうございます。
「あーはい、はいはい、そうです、例の事件の時に協力してくださった……元……です」
断片的に田沼巡査の声が聞こえる。
「では大丈夫ですね? 了解……氷上さーん、部長の許可出ました」
「ありがとう田沼巡査」
氷上の声が聞こえる。
「これは……ですね」
「現場の規制お願いしまーす」
「おいおれん家そっちなんやが、通れんやんか」
人の声が重なり合い、交差し、芽衣の頭に遠鳴りのように響いた。
――芽衣が起きたのは「旅館いのせ」の一室だった。
枕元にメモ用紙が置いてある。
そこには走り書きで、
「起きたらいつでも連絡ください。警察の方と一緒に県警のほうまで行ってきます 氷上」と書いてあり、携帯の電話番号も添えられていた。
まだ頭がぼうっとする。
芽衣はメモを見たが、今回待ち合わせるのにすでに交換したSNSの連絡先にメッセージを送った。
しばらくして既読状態となり「体調は大丈夫ですか?」とだけ氷上から返事が返ってきた。
返事を考えているうちに、ふとそれなりに明るいことに芽衣は気づいた。というより室内の電灯がついている。古びた旅館なのにLED電球らしくコントローラーが壁に取り付けられていた。
「もしかして……」
芽衣は旅館の窓のカーテン……何十年も置いてあるのか色あせて古びていた……の隙間から外をのぞきみた。
太陽はすでに落ちきり完全に暗くなっている。
町にぽつぽつと赤い灯がともっていた。まるで血のように赤い灯。提灯ではなく赤く塗られた裸電球がさがっているのだ。
芽衣はぞっとし、急いでカーテンを閉じた。
スマートフォンで氷上に電話をかける。
氷上は5コールほどで出た。
「どうされました?」
「その……今日は戻ってこないほうがいいです」
芽衣は声に緊急性を込めた。
氷上が数秒黙る。
「……何かありました?」
「その……都会の方だとあまり気にされないのかもしれないのですが、いまのこの時期、那珂湊はその……夜は出歩かないほうが良いんです」
「……何かそういう慣習でもあるのですね? わかりました……今日は県警の警察署の近くで宿をとりますよ」
氷上が素直に了承してくれたことに芽衣はほっとした。
この話は同じ県内の人でも那珂湊とあまりかかわりのない地域には伝わりにくい話だ。
芽衣はそっとカーテンから外をのぞき見た。
遠くから銅鑼を鳴らす音、そして何かが歩く気配がする。
あわててカーテンをぴったりと閉じた。
部屋の電灯の明るさを最大にして芽衣は部屋の隅に座った。
(早く終わってほしい……)
それらはぞろぞろと町の中に繰り出し歩き回っているようだった。
この時期、野島家は使用人も含めて全員が家の中にこもり、夜はぴったりと門を閉じる。外には赤い灯を。内側は煌々と電灯をつける。
あの家は嫌いだが、それでもあの分厚い木の門、高い塀は頼もしいと感じたこともある。
ふと、芽衣はこの旅館はあの赤い灯を外に取り付けているのだろうかと気になった。部屋はかんたんなフック式のカギだけがかかる襖だ。
外に出ると廊下は暗い。
ロビーはすぐにこちらから見える場所にあったが、そのロビーはからっぽだ。そしてガラス戸の外には……灯らしきものはともっていなかった。
芽衣は背筋に凍り付くものを感じた。
この旅館は人の気配がない。
外にはあの赤い灯が用意されていない。
季節外れのため女将も普段は親族の家にでも行ってこもっているのではないか。
その事実に気づいた時、芽衣は混乱した。
そして銅鑼の低い音が響き、ざわざわと足音が近づいてくるのを感じた。もう通りの向こうにアレらが近づいてきている。
芽衣は急いで部屋に戻った。
そして襖をしめる前にスマートフォンを取り出した。
そしてバッグの中身をすべて畳の上にあけた。
かきまわす。しかし目的の物は見つからない。
ふとスマートフォンを見る。
そのケースは赤い……ケースを取りはずす。少しだけ透過する素材のようだった。
芽衣はスマートフォンのライトをつけ、襖をわずかに開けた。そしてライトの前にケースをかざす。
旅館のガラス戸がすっと開いた気配がした。
芽衣はスマートフォンを外に置いて襖を閉じた。
みしりと音を立てて何かが歩いてくる……しかしそれは赤い光に気づいたのか途中で止まり、そして徐々に遠のいていった。
第5話です。
那珂湊の因習とは……?
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