第二の念写
新作サスペンス小説です。
探偵・氷上恭一の活躍をお楽しみください。
「最初から気分悪くなかったですか?」
野島芽衣は聞いた。
那珂湊唯一の旅館「旅館いのせ」は古いが、古民家というような雰囲気でもなく木造とひびわれたコンクリートで出来た「ただ古い」というような佇まいだった。
色あせた赤いカーペットに、暇そうに受付でたばこをふかし50前後くらいの女将。いつの時代から置いているのかわからないマッサージチェア。
昭和の遺産のような旅館だった。
「ん? あぁ僕は大丈夫ですよ。ああいうのも慣れているから……」
探偵の氷上恭一はボストンバッグを抱えて女将のところにいった。背の高い彼はいろいろなもののサイズの小さい昭和の旅館の中ではひときわ大男に見えた。
「でも」芽衣は言った。
氷上はにやりと笑った。
「探偵の仕事のほとんどは浮気調査とかなんですよ。調査報告はだいたい修羅場です。そのあとは依頼人は冷たいことも多いし、何なら納得いかないって払ってもらえないこともあります。いつものことですよ」
芽衣は少し気が楽になった。
「……客かい。聞いているよ、東京の探偵さんなんだって?」
女将が宿帳を開きながら言った。
ぶっきらぼうだが排他的というほどでもない温度感だ。
「《《野島さんとこ》》から《《こっち》》に依頼ってのも、なかなかないからねぇ」
一瞬氷上の目が探るような目つきになった。
まるで刑事のような、あるいは融資の際に相手を値踏みする銀行員のような目つきだ。
「野島さんとこと何か因縁でも?」
女将はタバコをじっくりと吸って紫煙をはきだした。
「そりゃあね。この町は野島さんといえば旧地主で顔役だ。あたしらんとこは《《井瀬》》だからだよ」
氷上は目を細めた。
「ははぁすると旅館《《いのせ》》というのも……」
「そうだよ。井瀬家の商売さ。普段は仲が悪いが、野島さんとこは困ったらここには頼んでくるんだよ。唯一の旅館だからねぇ」
ちらりと芽衣を見る女将の視線は少し表情がやわらかくなったように見えた。
「荷物はお客さんご自身でね……見ての通り人手がないんでね。女中も一人休んじまっていてね」
女将はそう言ったが、芽衣はこの旅館は年のほとんどは女将だけで経営しているのを知っていた。なにしろ町の近くにある廃墟マニアか、都会に出て行った親族が帰ってくるお盆か正月くらいしか客の姿を見かけない。
繁忙期は近所の住民のパートで十分なのだ。
氷上はやけに大きな文鎮のようなパーツがついた鍵を受け取っていた。
「女将さんこの旅館、談話室みたいなのある?」
「奥だよ、大浴場のとなり」
「ありがとう」
芽衣は実際この旅館の中に入ったことはなかった。
氷上についていくと赤いカーペットの下は木造なのかぎしぎしと不気味な音を立てた。
談話室は大浴場の休憩室でもあるのだろう。
革ばりの一人掛けソファがいくつか、大き目のベンチが2つ。
そして例によってマッサージチェアだ。
そして何も入っていない冷蔵庫。
「さて……幸い人の目もないので、例のものは持ってきていただけましたか?」
氷上が問う。
芽衣はうなずいた。
「兄は……行方不明になった時に荷物を持っていってしまったのか、ほとんど残されたものはなかったです。ただこれは……」
芽衣はバッグからジップロックの中に入ったメガネを取り出した。
スポーツ用のメガネだ。
「……じゃあやってみましょうか。念のためですが、僕の能力は気力次第ですが1日数回、バイオリズムの良い時にだけ使えます。そして基本的にはお預かりした物品に関する念写ですから……」
「はい」
氷上は申し訳なさそうな表情になる。
「これも身に着けるものという意味では同じなので、前回と同じようなものが視えるかもしれませんよ」
「構いません。少しでも兄の居場所……に迫ることができるなら」
「やってみましょうか」
氷上はジップロックから取り出したスポーツ用メガネを左手に持ち、いつものようにスマートフォンのカメラを自分自身に向ける。
カシャリと電子的なシャッター音が鳴った。
「……これは」
氷上は目を細めて表情を消した。
「見せていただけますか?」
「どうぞ……」
氷上が見せた写真には意外なものが映っていた。
第3話です。
果たして那珂湊で何が起きているのか?
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