事件の中心・那珂湊
新作サスペンス小説です。
探偵・氷上恭一の活躍をお楽しみください。
「いやぁ思っていたより遠いんですねぇ」
ひょろりと背の高い男、氷上恭一は物珍しそうに車の外の風景を眺めていた。
後部座席には彼が一人だけ。運転席には迎えの男、助手席には野島芽衣。
迎えの車はごとごとと揺れ、シートベルトをしていても体が時々浮く。
芽衣はあの後、実家に戻って着手金を氷上探偵事務所に送った。
氷上の念写をみて本格的に調査を依頼するためだ。彼は依頼に応じて身軽に東京から飛行機に乗ってやってきた。
近くの駅までやってきた氷上をこの車で迎えにきたのだ。
「4WDの車じゃないとだめなんだそうです……私はよくわからないけど」芽衣はそう言ってちらりと氷上のほうを見た。
依頼人の街に行くためか、先日と変わってYシャツにジャケット姿、無精ひげはさすがに剃ってきたようだが、襟は少しよれていた。
芽衣の住む那珂湊は九州の旧港町だ。
有明海に面していて扇状に町が広がっている。扇の円弧にあたる部分……町の周囲は山に囲まれていてちょっとした要塞のようだ。
山の幸と海の幸が両方味わえるということで一時期は観光客でもにぎわっていたが、交通の便が悪すぎた。
特に別の町からの船便が途絶えてからは訪れる人も少なくなった。
もちろん山側に道はあるが、国道にでるまでにこの厄介な山道を車で1時間は行かねばならない。
「調べてきましたけど海と山の幸両方が味わえるって聞いて楽しみなんですよ」
氷上はにこにこと笑っている。
「陰鬱な街ですよ」芽衣はぽつりと言った。
「それに……」
「お嬢」
運転手の男がさえぎるように言った。
氷上がおや、という表情になる。
「お嬢、こんな町でもわたしらにとってみれば大事な町なんですよ……余計なことを言ったらいくら野島家でも」
運転手の男は50がらみだろうか、深いしわが刻まれ真っ黒に日焼けしている。漁師然とした雰囲気だった。
芽衣は目をそむけて黙った。
男は表情を変えずに言った。
「お客さん……野島さんの口利きだからこの車に乗せるんですよ。東京から来た探偵だか何だか知りませんが、あまり首を突っ込まない方がいいこともありますぜ」
芽衣はぎくりとして振り返り、氷上を見た。
氷上はにこにことしていたが目は笑っていなかった。
「久しぶりだなぁ、そういうの。でも僕は《《こういう町》》、好きですよ」
「……さいですか」
迎えの男は興がそがれたように黙って運転に戻った。
「……お客さん、あんた呑めるなら、町の床屋とタバコ屋のある十字路の三軒隣、"魚辰"に行きな。いい酒が出る」
運転手はまた表情を変えずに言った。
「お酒は強くないんで」
「……」
運転手の男はやりにくそうに舌打ちする。
車はやがて山道を抜けて町に入った。
勾配の多い地形で道は狭く、少し大きな車なら曲がるのも一苦労かもしれない。
「今日のところは旅館までって聞いてやすけどね」
「あぁそうですね、でも今日は野島さんの家まで行きたいな」
氷上がのほほんと言う。
「……野島家なんていきなり乗り付けられませんや……」
「野島家のお嬢さんがいるのに?」
「しきたりってやつです。今日のところは旅館までお届けしやす」
氷上は何か考えるような表情になったが、運転手は有無を言わさずこの町唯一の旅館に連れて行った。
「お嬢は家まで?」
男が芽衣に言ったが、
「打ち合わせがあるので」芽衣はそう言って車を降りた。
「じゃ、これは僕の"陰鬱な町"での第一歩ですね」
氷上は座席の横に置いていたボストンバッグを抱えて降りる。
運転手はまた舌打ちをして走り去っていった。
第2話です。
愛想の悪い運転手の登場。いよいよ舞台は那珂湊に移ります。
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