段階的な応援(評価)も、いつかはなくなる? 『平等なポイント』について考えたら、思考が飛びまくった。
どうも、こんにちは。
星の形は一筆書きで描ける形ではなく、逆五角形の辺に正三角形がくっついている、ずんぐりした形の方が、好きな物体げんらです。
これは、もしも話を考えているうちに、思考がとっ散らかりになったものです。
『もしも話』であり『空想』なので、不満や意見でもなければ、提案でもないことをご承知おきくださいませ。
この小説家になろうさん、以前は『評価』という形で、文章とストーリーにわかれて、5段階×2種類で、読者が採点してきたものだったらしい。
(私はこの頃、なろうにいなかったので、らしいと表記しています)
現在読者側からは、作品の下に『応援』という表記で、5段階でつけれるよう表示されている。
そして『応援』をおしたら『評価を送信しました』と出てくる。『応援しました!』じゃないのかーい!
んでもって、マイページには、『評価をつけた作品』表記だ。『応援した作品』じゃないんかーい!
応援と評価を同じものとするのは、いかがなものかと思う。
全部のページの評価という文字を、応援表記に変えて欲しいモンです。何故中途半端に☆つけるとこだけ、応援なんだろう??
とはいえ前の『評価』と今の『応援』は、最高ポイント10ポイントという事には変わりなく、ポイントが加点されるという事も変わりない。
そして、その『基準は各々で決めていい』モノなので、人によって☆1〜5の価値は変わる。
☆1は『読んだけど合わなかった』って人も居れば、『読んだら必ず☆1は入れる』と決めてる人もいるかもしれない。
連載物の場合『まず、ポイントを少しだけ入れて、完結時に最終のポイントを入れる』とか、マイルールを持っている人もいるかもしれない。
気にする人は、平均点下がるから☆1はやめて! って思っていたり、ついったーとかで吐き出したり? そんなのを見た事もある。
幾つでもいいからポイントが欲しい人は、後書きに☆1でもいいから、押してくれって書いてあったり。(もっとマイルドに書いてあったけど)
そんな意見? っぽいのを見ていると、そのうち、ポイントは一律10ポイントになるんじゃないの? と、思いました。
昨今の『何でも平等』な風潮見ていたら、ふと思っただけです。もしも話です。
文やストーリーを『評価』するものから、作者を『応援』するものに、表記と加点方式が少し変わりました。(評価の文字は至る所に残っているけど)
そうなれば次にある変化は、ポイントの一律化なのだろうか? と思えてしまう。ポチリと押したら10ポイント。
そうすれば、一人ひとりの応援(評価)が『平等なモノ』になる。
応援(評価)するか・しないか の二極化は、極端なモノかもしれないけれど。
少ない☆を嫌がる人がいる、☆4以下は嫌がられる、少ない☆でも加点だよ、☆1でも嬉しい――など色々な方々の、様々な言葉を見た。(々が多いな)
☆をつける側も、貰う側も、付け方・受け取り方が違うのに、ポイントという結果が出て良いのだろうか?
そういった点で、現在のポイントは、平等では無いものとも考えることができる。
『平等』に視点を置くならば、いつかはそうなるのかなぁ? と雑で何一つ当てにならない、確信も証拠もない未来の可能性一つを、ふんわり空想してみたり。
『そうなればいい』とか『いまのままで』などの意見は持っていません。
『評価はこうあるべきだ!』といったような気持ちも持っていません。システムにおまかせ。うん。
そもそもですよ、げんらは文章がウルトラ下手くそなもんで、そんなワシが『評価』だなんて、お相手に失礼ざんす(´・ω・`)
でも『応援』なら大手を振って出来る\\\\٩( 'ω' )و ////
なので、現行のシステムへの、不平不満というわけではないんです。
もしも話に戻りまして。
もし、実現されたら、☆5しか入れない人には、なんら不便はないけれど、☆を使い分けている人にとっては、とても不便なモノになり、そういった方々から得れるポイントを逃す可能性もあるのかもしれない。(この作品は私の中で、☆3相当の評価だから、入れなくていいや、となったり??)
けれども、基準が一緒になれば、ポイントの平等性は確保されるよなぁ。
といっても、システムがそんなふうに変わるよ、なんて告知は一切されてないので、ただの空想です。
結論
『平等なポイント』について考えたら、二極化された。
多様性と平等は、同じ位置に立てない。
思考がとっ散らかっていて、ごめんなさい(´・ω・`)