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やわらかなつの  作者: 遥々岬
日常怪奇
7/15

つま先の向くほう

 

 小学校から帰宅すると玄関に綺麗に揃えられたローファーが置いてあった。


「あ、千歳ちゃんじゃん」


 急いで靴を脱いで居間に行けば近所に住んでいる中学生のお姉ちゃんがいた。婆ちゃんがお茶を淹れてあげたばかりなの千歳ちゃんの前に置かれている湯呑からはもくもくと湯気が出ていた。


「お庭でトマトが採れたからお裾分け」

「やったー! 千歳ちゃんちの野菜ならいくらでも食べられる」

「この子ったら、普段は文句を言いながら野菜を食べるんだけど千歳ちゃんのおうちのは良く食べるのよ」

「だって味が濃くて美味しいんだもーん」


 台所を見に行けば艶々と光っているトマトを見つけて丸かじりしたいのを堪える。

 そのまま食べても美味しいのはあのトマトだけなんだよね。


「あ、こらー。まーた靴揃えないで。もう二年生なんだから、しっかりしなさい」

「はあい」


 玄関にいる母さんがいつもの調子で怒っていた。

 千歳ちゃんの前で怒るなんて気が利かないなあ。心の中でぼやきながらソファーに座っている千歳ちゃんの横に座って菓子盆に入っている固い煎餅を手に取って齧る。


「どうして靴は揃えないといけないの?」


 学校ではひらがなやカタカナを習って、算数を習って、温度計の使い方を教わった。

 色々な事を学んでいるけど、靴を揃えなくてはいけない理由はまだ教えて貰っていない。


「入っても良いのかと勘違いされちゃうから」

「え?」


 ラタンの一人椅子に座っている婆ちゃんと喋っていた千歳ちゃんが僕のボヤキを拾った。


「何が?」


 何が入ってくると勘違いするの?

 猫? 犬? 


 靴を揃えていないだけで、そんな変な事が起きる筈がないのに。


「何かが」


 何が入って来るのか聞いたのに、千歳ちゃんは答えを教えてくれない。いや、そもそもその何かってのが答えなのだろうか。


 合点がいかずに首を捻る。


「靴の先を家の方に向けていたら話しかけて来るよ」

「だから、何が?」

「こら! 千歳ちゃんを困らせないの。これ、お母さんに宜しくね」

「いつもありがとうございます」


 タイミング悪い母さんのせいで、千歳ちゃんは熱いお茶を飲み干して帰る準備を始めた。

 もう帰っちゃうのか……。


「いつもなんてお互い様よぉ」


 ちぇ。結局何の事を言っているのか分からないままになっちゃうじゃんか。


(つとむ)くん。お母さんの言う事は聞くんだよ」


 うちの庭で取れた大根が入ったビニールを持った千歳ちゃんは僕に言い聞かせるようにして帰って行った。


「勉」

「なあに?」


 千歳ちゃんに出した湯呑を台所に持って行こうとソファーから立ち上がると婆ちゃんが声を掛けて来た。


「ちゃんと靴は揃えなさいね」

「……はーーい」


 みんなして。

 べつにいいじゃん、靴くらい。


 そう言いたかったけど、婆ちゃんに反抗するのは良くないと思って口を閉じた。




「あ、千歳ちゃん!」


 友達と遊びに行く途中、僕らより帰りが遅い千歳ちゃんとばったり出くわした。

 公園は直ぐそこだし、この間の話の続きを聞こうと思って千歳ちゃんの元に近寄って甲高い音を立ててブレーキを掛ける。


「これから遊びに行くの?」

「うん。でさ、その前に何が家に来るのか教えてよ」


 昨日の話の続きか、と合点入ったような顔をする千歳ちゃんに、これで教えて貰える、とワクワクしていると良く聞き覚えのある声が僕の名前を呼んだ。

 もう! なに? 昨日から良いタイミングで邪魔されるんだから。


「勉! あんた、今日は雨降るんだからねー!」

「分かってるよぉ! その前にはちゃんと帰るってー!」


 遠くで2つ年上の姉が僕に向かって大きな声を出していた。


「あんたねー、この前もそう言ってずぶ濡れになって帰って来てお母さんに怒られてたでしょー? それ乗ってってあげるから自転車は止めて傘持っていきな!」


 そう言って姉ちゃんは僕の方に折り畳み傘をこちらに向けた。

 やだよ。だって健太たちは自転車で来るんだよ? 僕だけ歩きとかないでしょ。


 千歳ちゃんは千歳ちゃんで「傘忘れてたなあ……」と小声を漏らしていた。


「やだよ!」

「あ、こら!」

「僕行くね」


 僕らから声を掛けたのに、姉ちゃんから逃げ出す様に千歳ちゃんに別れの挨拶もまあまあに自転車を漕ぐ。


 どうしてああも母さんと姉ちゃんはタイミングが悪いんだろう。




 結局、夕立というのだろうか。

 姉のが言った通りに雨が降って来て僕達は解散した。


「……ただいま~」


 濡れたままでは怒られる。

 帰ってきたのがバレる前にお風呂に入ろう。そう思ってコソコソと家に上がれば、此処でもまたタイミング悪くこっちにやって来た母さんに見つかってしまった。


 目をひん剥いて怒る姿は宛ら鬼のようだ。


「あんた! またずぶ濡れになって帰って来て!」

「ごめんって!」

「いいから早くお風呂に入りなさい!」

「はーーい!」


 鬼の形相の母さんから逃げるように着替えをパパっと取りに行って風呂場に逃げ込む。

 こんなの”ふかこーりょく”って奴なんだから仕方ないじゃん。


 髪と体を良く洗って湯船に浸かる。

 雨にあたって冷えた体が温まっていく感覚が気持ち良くて目の下目で顔を沈める。


 あれ、そういえば僕、靴は揃えていただろうか。


 慌てて帰って来たからまた忘れていたかもしれない。

 見つかる前にちゃんと靴を揃えなきゃ。


 お風呂に浸かるのもそこそこに、慌てて風呂場から出て体を拭いて、良く髪を拭かずに玄関に向かう。


 良かった。母さんの怒鳴り声が聞こえない。まだバレていないぞ。

 ラッキー。そう思って玄関に続く引きとに手を掛けて、気が付いた。

 玄関に、誰かいないか?


 硝子が嵌められた引き戸から見える玄関は真っ暗だが、廊下の灯りによってうっすらと部屋の中ぎ見えた。


 ドアの所に、誰かが立っているように見えるんだけど……。


「だ、だれ?」


 玄関からは水が滴るような音も聞こえる。


「かえってきたよ」

「え?」


 子供の声だった。

 その人は子供の声で”帰って来た”と言ったようだ。


 居間からは「いま勉がお風呂入ってるからね~」と家族に話す母さんの声が聞こえた。


「つとむ。ただいま」


 あれ、もしかしてこれって。


「……ねえちゃん?」


 ちゃんとその声を聞いてみれば姉ちゃんの声にも聞こえる。

 もしかして僕には雨が降るとか言っていたのに濡れて帰って来ちゃったの? 母さんの真似して怒る癖に、姉ちゃんもうっかりしてたんだ。


「かえってきたよ」

「え? ……う、うん」

「ただいま」


 早く入ればいいのに。

 姉ちゃんはそこから動こうとしなかった。


 もしかして僕みたいに母さんに見つかって怒られるのが嫌なのかな。いつも偉そうに母さんの真似して僕を怒ってるもんね。

 だから濡れたまま家に入るのを躊躇しているのだろうか。


「今回は特別。僕が拭いておいてあげるから」

「ただいま、つとむ」

「分かったって」


 もう、何してるんだか。

 そう思って先に玄関の電気を付けようとした時、居間に繋がる部屋の扉が開いた。


「ちょっと、風呂上がったならさっさと声を掛けなさいよ」


 そういって出てきたのは、姉ちゃんだった。

 僕は驚いて玄関の電気を付けて、玄関に繋がる引き戸を開ける。


 そこには誰もいなかった。


「うわ。あんた靴べちょべちょじゃん。後で新聞かなんかで水分取んないと明日も濡れたまんまになるよ」


 僕の少し後ろにいる姉ちゃんがぶつくさと文句を言っていた。

 自分の靴でも無いんだからいいじゃん。なんていつもなら心の中で文句をボヤいただろう。だけど、いくら雨に濡れて帰って来たからといって、靴の周りに水たまりが出来るほど濡れて帰って来た覚えはない。

 隣の、更に隣の靴の下まで水は広がっていた。


 なにこれ。


 それに、さっき僕に話しかけていたのは、一体誰だったのだろうか。


 湯上りだからじゃない。恐怖によって指の先から体が冷え始める。

 此処に居たら良くない気がした。そう思い靴を揃えなきゃいけない事も忘れて玄関から離れようとした時、玄関扉の向こうにボンヤリと人影が浮かんだ。


 姉は僕を置いて家の中に戻ってしまった。


 もう、駄目だ。


「ごめんください」


 走って居間に逃げよう。

 そう思って体を翻した時、聞き慣れた声が外から聞こえた。


「勉君。夜分遅くにごめんね。今日ね、響子ちゃんに傘を借りたの。明日も雨予報だから返しに来たんだけど」


 その声は、千歳ちゃんだった。


「本当に千歳ちゃん?」

「遅くにごめんね」


 いつも通りの千歳ちゃんの声だ。

 でも、さっきの事が頭から離れず僕は体を動かす事が出来なかった。


「ち、ちとせちゃん」

「何やってんの? 体冷えるよ」

「姉ちゃん」


 着替えを取りに行っていた姉ちゃんが二階から降りて来ていつまでも玄関にいる僕に声を掛けた。


「響子ちゃん」


 外にいると千歳ちゃんが姉ちゃんの名前を呼ぶ。


「千歳ちゃん? もう、早く入れてあげてよ」


 そういって固まる僕を横切って姉ちゃんは玄関の鍵と扉を開いた。そこに立っていたのは、紛れもなく千歳ちゃんだった。


「これ、ありがとうね」

「別に今度でも良かったのに」

「明日も雨が降るって聞いたから。助かったよ」

「ううん」


 姉ちゃんと千歳ちゃんはいつも通り話をしていて、僕はそれを呆然と見ていた。


「勉君、髪を拭かないと風邪引くよ」


 姉ちゃんの横から顔を覗かせるようにして僕を気遣う千歳ちゃんに僕はコクリと頷く。

 なんだ。さっきのは千歳ちゃんが玄関扉に映った姿だったのか。それで、夜って事もあって怖い気持ちで見ちゃったのかも。


 きっと、そうだよね。


「それと」


 分かった、そう声を出そうとする前に千歳ちゃんが更に続ける。


 ゆっくりと腕を上げて、指を指したのはあり得ないほど濡れている僕の靴。

 乱雑に脱ぎ捨てられて、つま先が家に向いている僕の靴だ。


「靴はちゃんと揃えないと。……何かが入って来きて声を掛けてくるよ」




「それで、間に合ったっぽいの?」

「間に合ったぽい」


 若者言葉を使う千秋の真似をすれば「真似するな」と腕を突かれた。千秋の突きは地味に痛い。


「勉が鈍感で良かったな」


 本日も雨。

 明日も雨が降るみたいだから。そう言ったのは私なのにね。

 傘を忘れた私と同じく傘を忘れた幼馴染の千秋は2人して肩を並べてバス停の屋根の下で雨宿りをしていた。


「早く入りなよとかおかえりって言っていたら招いちゃうところだったな」

「傘を返しに行って良かった」

「千歳のうっかりもたまには役に立つな~」


 自分だってうっかり傘を忘れた癖に。

 ムッとして先程やられたように千秋の腕を突く。


「あ! 仕返しまで真似して!」


 真似真似うるさい千秋に対して、ふん、とそっぽを向いて見せる。


 大雨の向こうで、傘も差さずにバス停に向かってくる小さな影を見つける。

 こうして見てみると、人じゃない何かは上手に雨の中に紛れる事が出来るらしい。


「今度から勉君は靴を揃え忘れる事はないね」




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