時雨、降りしきる前に 第二話
「時雨、降りしきる前に」は全三話完結予定です。
むかしむかし、あるところに奇異な少女がおりました。
少女の顔には半分も覆うほどの赤い突起があるのです。それは飴細工のように透けて、固い。
出来物と呼ぶには気味の悪いものでした。
いつからできたものなのかは分かりません、ただ、両親は少女の顔を見るのが辛くてしかたないのだと言って、我が子である少女を虐げました。
ある日、少女は村から抜け出して山奥に駆けて行きました。
目的もないまま、ただ、ただ真っすぐと。
走っていると、柔らかな風が少女の背中を押しました。
誘われるようにして奥へ進んで辿り着いた場所は、花や木々に囲まれた洞窟でした。
少女は無意識に柔らかな頬を擦ります。
理由もなく打たれた頬を、無造作に。
少女が奥へ進むと、突き当りで青く光る何かを見つけました。
少女がその光に近づこうとした時、その傍らに何者かがいることに気が付きました。
「だぁれ」
水面に滴が落ちて広がるように、少女のか細い声が響きました。
「誰とは。貴様こそ誰だ」
地を這うような低い声は人間の男のものでした。
少女は不安げに一歩下がります。
「あたし……」
「子供か?」
「……そうだよ」
男は深い溜息を吐いたっきり、黙ってしまいました。
少女は暫し立ち尽くしていましたが、一歩前に出ました。
「ここは、あなたのいえ、ですか?」
「そうだ」
「かぞくがいるんですか」
「いいや、私一人だ」
「……あたしはじゃまですか?」
少女は不安げに尋ねます。
すると、男はもう一度溜息を吐きました。
「いいや。しかし、邪魔かどうかも分からない。お前は何もしていない」
少女はもう一歩、男に近づきます。
「あたしは紫由っていうの。あなたは?」
「私の名は虫黑だ」
「ここはさびしくないの?」
「寂しいさ」
「……そうなの?」
紫由は、一歩、一歩と虫黑に近づきます。
そして、手を伸ばせば触れられるところまで近づき、青い輝きを明かりにして虫黑の顔を覗き込みました。
紫由は「ひ!」と短く悲鳴を上げると体を強張らせました。虫黑は、乱雑に瞼を縫い付けられていたのです。
恐ろしいと思いながらも、紫由は虫黑の顔から視線を外せません。
「……そぉら。怖いだろう? ここには化け物しかいない。だから、ほら。日が暮れる前に帰りなさい」
恐怖で激しく打つ鼓動とは裏腹に、紫由の口から洩れたのは柔らかな空気。それは、まるで安堵しているかのような息でした。
「何を安心しているんだ」
「わかるの?」
「分かるさ」
「みえないのに?」
「見えなくても分かる」
紫由は眉を八の字に下げ、視線を下げました。
「じゃあ、あたしのこともわかる?」
「あぁ、分かるよ。お前はこんな所にいてはいけないことくらい、分かるさ」
紫由は首を傾げます。そして不思議そうに「どぉして?」と尋ねました。
「子供がこんな山奥にいてはいけないんだよ」
「……いえにかえりたくなくても?」
「どうして帰りたくないんだ」
「……打たれるから」
「誰にだ」
「おっかあとおとお」
「お前を打つのか? 親が子供を?」
「しかたないんだよ。あたしはみにくいから」
紫由は「ほら」と言って虫黑の手を取ると、自身の顔の半分を覆う突起を触らせました。
予告もなく触れられた虫黑は驚きましたが、手を握る小ささに眉を潜めるとされるがままに少女に委ねました。
虫黑の手が固い突起物に当たると、指の先でなぞり形を確認します。
「これはお前の顔か?」
「そうだよ。こわいでしょ?」
「怖いものか。こんなもの、怖くなんかない」
紫由は目を丸めます。
虫黑はもう片方の手をふらふらと伸ばすと、紫由の柔らかな頬に触れました。
「きみがわるいでしょう?」
「見えぬものをどうやって気味悪がれば良いのだ」
虫黑の言葉は、紫由の心に染み渡りました。そして、これが嬉しいという気持ちなのだと理解したのです。
紫由が頬を高揚させると、赤い突起はぼんやりと鈍い光を灯しました。まるで、洞窟の奥で青く輝く花と相対するような赤に。
しかし、そんなこと二人は知りません。
なんせ、虫黑は目が見えず、紫由もまた突起を見ることができないのですから。
「ねえ、むくろはずっとここにいるの?」
「あぁ。私はずっとここに居る」
「あしたも?」
「……まさかお前、明日も来ると言うんじゃないだろうな」
「あしたもくる。あたし、きっとむくろがすき。あたしをみれないむくろ、すき」
紫由は、虫黑が次に何を言うか予想していました。
だから、虫黑が口を開く前に立ち上がり、洞窟の出口に駆けました。すると、洞窟の奥から「あ、こら!」という声が聞こえました。
紫由は来た道を走りました。
もう、打たれた頬の痛みなど忘れて。
引き攣る頬など気にせず、口元に笑みを浮かべて。