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やわらかなつの  作者: 遥々岬
御伽噺
4/15

時雨、降りしきる前に 第一話

「時雨、降りしきる前に」は全三話完結予定です。



 無常無情、悪意醜悪。

 何者も持ち、何者も恐れ忌み嫌う。

 人のみならず、我らは常に悪と共に在り。

 己が身にも宿る、その悲しき感情。

 それこそが、耐え難き事実。

 多くの葉が死を迎えんとする、山の眠り。

 我も眠らん。

 屍の如く、瞼を落とさん。




 むかしむかし、人里離れた山奥に、一人の男が棲んでおりました。

 その名を縁泳(えんえい)と申します。


 縁泳は不思議な男でした。父は人、母は山そのものであったからです。

 幼い頃、縁泳は父と二人、村で暮らしていました。父は優しく、縁泳に自然のことを教えました。

「見ろ、縁泳。綺麗な石だ」

 魚をとっていると、父が太陽のような笑みを向けながら石を縁泳に見せました。

 父親が見せた石は斑模様の普通の石です。

「この石も自然の一部だ。小さな石でも、川を作って未来を変えることがあるんだ。お前もまたこの石の一つのような存在に過ぎない」

「ちっぽけだって言いたいのですか?」

「それは違う。この石一つで未来が変わることもあるんだ。それを忘れずにいなさい。どんなに偉大なものもちっぽけで、掛け替えのないものでしかない。そして、お前がどんなに小さな存在でも大切な役目があるということだ」

 縁泳はその意味がわかりませんでしたが、父の笑顔とその言葉だけは覚えていました。


 父一人、子一人。

 二人は村の人々が認めるほど仲睦まじい親子でした。

 しかしある日、父が突然亡くなり、縁泳は村を出ました。

 自分が半分は人ならざる者であることを思い知らされ、唯一の家族を失った縁泳は、自分の居場所を見失ったのです。

 

 旅の中で縁泳が見たのは、この世の悲しき真理でした。

 命あるものは互いに争い、他を飲み尽くそうとするのです。

 その光景に、縁泳の心は何度も打ちのめされました。

 人の争い、動植物の命の主張。欲深さに差があれど、他者を傷付ける理由などあって無いようなもの。

 ただ、根の上に体を置くだけで良いことなのに、地面を覆い尽くさんばかりに広がり続ける。

 緑豊かな地の下で生きるモグラは出口を見失い、土の中で絶命す。そして、誰もがモグラの死など知らずに生きているのです。

 それが節理であると理解していても、縁泳の心は辛く悲しくなりました。

 そして命のあるべき姿であるはず理に心を痛める自分の弱さに、更に打ちのめされたのです。


 やがて縁泳は、父が見せてくれたあの石を探しました。

 冷たい川に手を沈め、爪が削れても探し続けましたが、石は見つかりませんでした。

 川から上がると、死んだ虫が落ちていました。中は干からびて消えたのか、それとも食べられてしまったのか何もありませんでした。

 生きた形だけが半透明に残り、砕け朽ちるだけとなった虫の抜け殻を見ていると、縁泳は自分の心を見ているような気がして悲しくなりました。


 孤独に耐えかねた縁泳は、ついに母なる山の元へ還る決心をします。

 縁泳が山に籠ると決めたのは三十を超えてのこと。

 山に足を踏み入れると、風が彼の頬を撫でました。

 それはまるで、幼い頃の父の手のように愛情深いものでした。

 縁泳は父を思い出し、涙を流しました。たった一人の肉親を失うことは、命が枯れ果てるその時まで、辛く悲しい。しかし、その優しい風は父のようであり、違ったのです。

 縁泳は涙を流しながら「おかあ」と呟きました。

 父と子二人きりで生きていたと信じていた縁泳ですが、大きな勘違いをしていたことに気づきました。

 父の様に武骨で頼りになる手とは違い、風は柔く繊細。まるで女性の手のようであったのです。

 母親は山で在りながらも、家族を見守り続けていたのでしょう。

 隙間風など届かない家の中で、優しくロウソクの火を揺らし、眠る間際の幼き縁泳の頬を撫でた夜風は母の手であったのかもしれない。縁泳は寄り添うように髪を撫で続ける風を感じながら、そう思ったのです。

 涙は、大きな粒となり大地に落ちました。

 風は涙を掬い、縁泳を山奥の洞窟へ(いざな)います。

 そこは花や木々に囲まれた、寂しくも美しい場所でした。縁泳は、まるで自分の為に用意された場所のように感じました。

 

 洞窟の奥には銀色の花が咲き、青い果実が輝いておりました。

 その光は、縁泳に幼い頃を思い出させました。

 独りで暮らすうちに、縁泳は声の出し方を忘れ、やがて両の目を縫い付けて閉じてしまいました。

 そして、父が付けてくれた名前を捨て、「虫黑(むくろ)」という名に変えました。

 虫の抜け殻と骸にちなむ名前です。


 冬が訪れ、体が凍ろうとも、虫黑は死にません。

 孤独を抱きながら、母なる山と共に静かに生き続けたのです。



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