ある話 其の二
ジェキアの冬宿暮らしは体を慣らすのによかった。
赤いポーションを用いて治した喉も、冷気で痛んだ体もゆっくりと治すことが出来た。
それなりの金を持っていたおかげで宿は確保でき、安心してダンジョンへ潜り追加の路銀を稼ぐことも出来た。これはリハビリに近い行動だったが、久々のジェキアのダンジョンは変わらず自身に優しかった。
罠は地図を見なくても覚えている。ファイアドラゴンを討伐しようと何度も繰り出したダンジョンだ、5階層まで繰り返した攻略は未だ自身を助けてくれる。
公衆浴場であのガキと【真夜中の梟】を見た時は驚いた。行動を共にしているとは思いもしなかった。
気持ちよく風呂に入っていたら、あのガキは真っ青な顔をしてすぐに出ていった。もしやバレたのかと思いしばらく息を潜めてみたが、自身の情報について何も流れてこないので胸を撫で下ろした。
公衆浴場はあれから行かないようにした。体が温まったところで肌を掻くのが好きだったが、次こそバレては困る。
ダンジョンで顔を合わせないようにも気を付けていたが、どうやら奴らはダンジョンへはあまり行かないらしい。
【若葉の宿】などという良い宿に泊まりやがって、ガキの一人簡単に捻り殺せるが、その周囲にいるのが【真夜中の梟】のカダルとロナ、それにあの仮面の男なのは都合が悪い。
ロナに怪我でも負わせれば仲間想いのエルドのことだ、絶対に逃がしてはくれないだろう。カダルの追跡から逃れられる自信もない。
仮面の男はジャイアントベアーを討伐出来る力量だ、よしんばガキを殺せたところでこちらも無事では済むまい。
何より、サイダルで見ていた時よりもガキは鋭くなっていた。
一人で散策をしているガキを通りすがりに殺してやろうと思っていたが、今だという時に限ってあいつは振り返る。
殺気を消して人に紛れれば首を傾げて散策に戻る。いつの間にあんな面倒なガキになっていたのか。
男は、唇を噛み締めてガキに手を出すことを諦めた。
こうなれば一刻も早くジェキアから出るより他にない。しかし今年に限って雪が多く、厚く、移動が困難だった。
男は必要最低限の外出にし、宿へ引きこもった。少なくとも部屋にいる分にはバレることもない。
しばらく経って、ジェキアの街が大いに沸いていた。
何事かと宿の者に尋ねてみれば、【異邦の旅人】なるパーティがファイアドラゴンを発見、討伐したというではないか。
かつて自身のパーティで何度も挑戦し、終ぞ出会うことのなかった魔獣を討伐した。
冒険者の血が騒いだ。どんな冒険者が討伐したのか、どうやって見つけたのか、本屋のブルックの依頼だったというその鱗は、どのような輝きだったのだろうか。
もしかしたらギルドに納品され、記念品棚に飾られているかもしれない。堪えきれずに冒険者ギルドへ足を向けた。
結論、納品はなかった。あの日ブルックを呼べと【異邦の旅人】が言った際に掲げられた輝きだけが全てだった。
ギルドマスターの承認付きで発表されたのだから嘘ではない。鑑定師はしばらく興奮気味にその美しさについて語り、ダンジョンはファイアドラゴン目的の冒険者ですし詰め状態、規制が敷かれるほどだった。
見たい。
男は強く望んだ。
本屋のブルックは、渡すことは出来ないが、鑑賞はさせてくれるという。
力ずくで奪うような冒険者はいない。栄光と栄誉、報酬は自身の腕で得るものだからだ。
日頃本が高いと人の足がなかった本屋は、この鱗の甲斐もあり珍しく繁盛しているらしい。
【異邦の旅人】から直接話を聞きたいと思い冒険者ギルドで張っているところに、【真夜中の梟】と一緒にあのガキが来た。
今回は【真夜中の梟】とダンジョンに行くんだと言い、すっかり慣れた様子でギルドカードを差し出し、臨時加入操作を行っていた。
そしてとんでもないことを耳にした。
「あれが【異邦の旅人】のツカサだよ、かなり奮闘したらしいぞ」
ファイアドラゴンの話を聞きに行かないのか?と横で一緒に張っていた男が尋ねてくる。
今声をかけたら迷惑だろうから帰ってくるのを待つさ、と掠れた声で返したことだけは覚えている。
どこまでも気に入らない。
ただの力もない、魔法の穴も閉じたままで芋の皮むきしか出来ないあのガキが、ファイアドラゴンを倒したパーティのメンバーだという。
つまり仮面の男も同じパーティなのだろう。あの男がいればファイアドラゴンの討伐は出来たかもしれない。だが、ガキが奮闘したというのはどういうことだ。
意味が分からない。
意味が分からない。
イミガワカラナイ!!!
気づけば宿に居た。
テーブルや椅子を粉砕し、宿から弁償と苦言を呈され、それに粛々と応えた。
仕方ないのでダンジョンへ赴いてまた少し稼ぐはめになった。
ゆっくりと進んでいるらしい【真夜中の梟】とあのガキの戦闘を垣間見ることになったが、そこで見たものに目を疑った。
両手に短剣を持って魔獣に飛び掛かり、時に魔法を使って援護するガキの姿。
これは現実ではない。
あのガキは、魔導士に魔力を通してもらって昏倒していたはずだ。
確認できたところで炎、風、二種類もの属性を操り、その威力も高い。
俺はもしかして良い手駒を失ったのか。
男はぎちぎちと音を立てるのも構わずに歯を食いしばった。
悪い夢だ、悪夢だ。
サイダルでの地位を失ったことも、ジェキアに送っていた賄賂も、ジェキアで約束されていた席が流れたことも。
こうして今他人の名を奪い、ダンジョンで稼がなければならないことも。
雑魚だと思っていたガキが輝かしい冒険者の道を歩んでいることも。
全てあの仮面の男の登場から狂ったのだ。
深呼吸をして、冷静であることに努めた。
今ここで飛び掛かったところで、死んでしまえば元も子もないのだ。
男は目的を果たしてダンジョンを出た。
またしばらく宿に引きこもった。
食事もとらずに居たら宿が心配したらしく、弁償もされたし気にしないで良いからと食事を差し入れてくれた。
それを有難いと受け取る余裕もない。
顔色が悪いと言われたが、答える余裕もなかった。
それから時々、宿の者が声を掛けてくるようになったのが煩わしかった。
新年祭で差し入れられた食事を食べ、ただただ息を殺して冬が終わるのを待った。
ようやく春めいてくるころ、ダンジョンへ行き路銀を稼ぐ気力が湧いた。
春というものはその暖かさだけで多少救ってくれるものだ。
男は一人旅をするのに十分な路銀を稼ぐと、出立のタイミングを見計らった。
【異邦の旅人】と同じ方角へは行けない。
観察したところ、奴らは仲間を一人増やしフェネオリアの方へ行くらしい。決まった、逆のマイロキアへ行こう。
【真夜中の梟】も同日ジュマの方へ旅立ったので、念のため一日ずらして出立することにした。
奴らがいなくなったので安心して最後の夜を過ごせた。
そして決めていたことがある。ファイアドラゴンの鱗を見せてもらいに行こう、と。
夕食を済ませて店じまいされていたブルックの本屋を訪れる。
ドアノッカーをゴツゴツと鳴らせば、ブルックという男は顔を出してくれた。
明日朝一で出立をするのでファイアドラゴンの鱗を見せてほしいと言えば、快く中へ入れてくれた。
箱に入った深紅の美しい鱗は、ブルックの持つ灯りの下で艶やかに煌めいていた。
これを俺も見つけたかったと言えば、ブルックもだと寂しそうに笑っていた。
少しばかり冒険話に花が咲いて気が緩んだ。
名を尋ねられ、男は【今】の名前を名乗った。
ナルヴァン・イビエヌ。
ブルックの顔色が変わった。
どこに行くのだと尋ねられた。
冒険者を引退するために故郷へと答えた。
どの手段で行くのだと尋ねられた。
馬車があると答えた。
どうやって名を手に入れたと尋ねられた。
男は言葉を飲み込んだ。
逆に、何がだと問えば、ブルックは激昂したような、恐怖に怯えるような表情で答えた。
ウォード、キルファ、マリサ、それからナルヴァン・イビエヌは儂のパーティの仲間だった男だ。こんな特殊な名前の男が二人もいるはずはない、と。
自然と体が動いていた。
腰に吊るしていた剣で深々と老体を貫き、カウンターに押し倒していた。
ばたばたと最期の抵抗を見せたが、あっという間に血の海に溺れ、老人は事切れた。
乱雑に引き抜いた、血で濡れた剣を老人の服で拭い、鞘に納める。
転がったファイアドラゴンの鱗を拾ってアイテムバッグに仕舞い込んだ。
本をなぎ倒し物取りの犯行に見せかけるだけの冷静さは何故かあった。誰にも見られていないことを確かめ本屋を出て、宿へ戻った。
眠れぬ夜を過ごした。
早朝、陽の昇り切らぬうちに宿を出て、水晶板にて手続きをしてジェキアを出立した。
ナルヴァンが手を汚した訳ではないので、水晶板は何も反応はしなかった。
もう冒険者とも名乗れないが、どうでもよかった。
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