4-8:泣き虫
いつもご覧いただきありがとうございます。
首都側に戻ればトロッコにいる大男二人に少々警戒された。ラングがひょこりと顔を出したことで【客人】と理解され、ほっとした空気が広がった。ラングは往復で顔を合わせた者を選び声をかけた。
「ショウリ、連絡とるしたい。こいつらは目立つ、ここで返事待つ」
「わかりました。明日の朝にはテルマさんが一度来るはずなので、その時に渡していただけたら」
「わかったァ」
ポーツィリフが胸をどんと叩いて笑い、内容に了承を返した。
キスクのことを尋ねてみたが、ショウリから聞いたとおり、踵を返して出て行ってからそのまま行方不明のままだった。情報を得るにしても首都・レワーシェには入れず、おそらくキスクも戻ってはいないはずだ。ショウリがキスクの情報を出していないだけの可能性も思いついてはいるが、今回は無いだろうと判じた。もし無事なのがわかっているのならば場所を秘匿したまま、無事だ、とは言っただろう。現にトルクィーロやルシリュはどこにいるかは明かさなかったが、無事だということは教えられた。
となると、キスクがどういう手段を持ってここを離れたのかを推測しつつ、追うしかない。狩りは得意だ。
「旦那ァ、どのくらいで戻られますかィ?」
「……六日」
「了解でさァ、そいじゃァ六日後にここでェ」
「あぁ」
お気をつけてェ、と鍛冶師に見送られ、これを置いていくのかと問いたげな視線を無視して外を目指した。
自身のランタンを手に洞窟を進む。暫くすれば洞窟よりは多少明るい外に出た。星明り、月明かりだけでも目が慣れれば洞窟よりはましだ。時間は深夜、今は消さないが、ランタンを消せば星が確認できるくらいには遅い時間。それでも遠くに薄っすらと鈍い明かりが見えた。
首都・レワーシェ。眠らない享楽に耽る場所。黒い命の泉を抱えた諸刃の剣の都市。あの黒い命の泉をどういう目的でそこに置いているのか、結局理由はわからないままだ。もはやラングにとってはあまりにも大きな出来事過ぎて驚きを凌駕し、そういうものだと受け入れてしまっているものだった。考察するにしても、もう少し情報を得たい。
そもそも、ツカサの【変換】が目的だとわかっていて、ツカサはあいつとともに落ちるだろうか? それとも何か理由や意図があって落ちたのだろうか。
今のツカサが【変換】を持ち続けているのかすらわからないが、もしあの黒い命の泉に奪われているのならば、あれはどうするつもりなのか。
『自我がないのであれば、奪っただけの可能性も。いや、今はやるべきことをやろう』
すぅ、ふぅ、と息を吸い、気持ちを切り替えた。さて、キスクはどうやって移動したのだろう。洞窟を出てランタンで地面を照らす。ドルワフロの高い山々が雪雲をここまで運ばないのか、寒くはあっても雪がないのは助かった。
まず探したのは単独の足跡だ。波紋を描くようにラングはゆっくりと、徐々に弧を描きながら範囲を広げて歩いた。この辺りはショウリの手の者がよく歩くので足跡が多い。
少し時間は掛かったが、それなりに離れたところに一人分、迷ったようにその場を歩き回った足跡を見つけた。次はそこを中心に、洞窟とは逆側へ向かって何度も弧を描いていく。そして見つけた。大きな獣の足跡だ。
『ここで、ユキヒョウは大きくなってキスクを乗せた』
足跡の向きを辿り、ラングは地面をするりと走り出した。獣の走った跡は草木が踏み潰され、わかりやすい。雪とは違う土の感触を楽しんだのだろう、土を強く踏むように駆けているのは楽天的なユキヒョウらしく、有難いことに追いやすかった。
林の中、キスクがトロッコの洞窟に辿り着いたのは夜だったのだろう。大きくなったことで目撃される可能性もあっただろうに、そういったことも無視をしてキスクを乗せられる大きさで駆けたようだ。歩幅が飛ぶように大きく、ひとつひとつの足跡が深い。それだけ強く地面を踏みしめたということだ。
こうして見ているとユキヒョウの前足は肉球が大きく思えた。ドルワフロの険しい山や雪の上を歩けるようになっているのだろうか。次に再会した時は体の構造について調べさせてもらおう。
ユキヒョウの足跡は一直線に進んでいた。首都・レワーシェへの街道を突っ切り、トロッコの洞窟から真っ直ぐに西へ向かい、再び林に入った。この時点で走り通し、少々疲れを覚えた。こういう時はきちんと休んだ方がいい。ラングは走っていた足をゆっくりと速度を落として歩きに変え、息を整えた。
多少開けた場所を選び、いい枝ぶりの木を探す。人ひとりその上で眠っても問題がなさそうな場所を見つけるとするりと登り、枝を短剣で斬り落として場所を確保した。斬り落とした枝は目立つが、追われる身でなければ気にすることはない。
頭の上にロープを結び、布を張り、太い枝の分かれにもロープを交互に編み込むように結んで足を乗せられる場所を作った。それから、小さなポプリのようなものを取り出して火打ち石で火を点けた。これは虫よけの香だ。これを燻らせることで頭上から虫が落ちてくるのを防ぐのだ。幹を伝う虫もこれで追い払える。
ナイフの腹に置いた虫よけの香が燃え尽きたらそれを幹に振りまき、準備は終わりだ。結んだロープの間に片足を軽く通し寝返りを防げるようにして、ラングはマントを手繰り寄せてゆっくりと呼吸を落ち着け、眠りに落ちた。
すぅ、と意識が浮上した。おそらく五時間程度、懐中時計を確認してそれが正しいことに頷いた。足を抜き、この寝床を準備したのとは逆の順番で物資を回収、木を飛び降りて一度マントを外し、虫がいないかを確かめる。首筋、耳の裏、鎖骨、背中に腕を回し、違和感がないことを確認してから、ぐぅっと体を伸ばした。寝返りを打たない睡眠というのは体が凝るのだ。
水筒に入れてあった水を一口、吐き出し、また一口。マントを着け直して歩きながら水分補給と食事を行った。
腹が落ち着いてきた頃、改めて走り出した。ユキヒョウの足跡は途中から北を目指し、森から林、林から平地へと抜けた。一歩一歩が大きいのでユキヒョウにとっては長い距離ではないだろうが、人の足にとってはそれなりの距離だった。そして辿り着いた場所に目を見開いた。
『大熊たちと城郭を抜けた場所だと?』
大熊が閉じたのか、埋められたのか、おそらくは前者だろうが穴は綺麗に埋まっていた。首都・レワーシェから脱する際にこの道を選ばなくて正解だった。ユキヒョウの足跡はここで暫くうろうろ悩んだ後、強く踏み込まれていた。
『城郭を越えたのか』
それから、戻ってきたのだろう。少し離れたところに深く着地した足跡もあった。それはさらに北、首都・レワーシェの背後を守る山の方、森の中へと続いていた。まだ先はある、今は追い続けるしかない。ラングはすぅ、はぁ、と息を入れて足音もなく駆け出した。
人の手入れがされていない森の中は湿気た臭いがする。陽が差さず、木々が生存競争を繰り返し、勝利者は背が高く、敗者は項垂れるように枝垂れている。ぼうぼうと生えた雑草をなぎ倒すように踏みしめられ、一方向に進んでいるのは道がわかりやすい。しかし、あまりにも歩き易い。その理由は木々がまるで自ら身を避けて開いたかのような道のせいだ。
『見たことがあるな。これは大虎や大熊が通った道だ』
土地神・神獣たちがその歩を進める時、木々が首を垂れるように、大地が絨毯を敷くように道が現れる。大虎も大熊もその後は元通りにしていたように思う。ではこれは、奴らとは違う誰かがやったものなのか。ふと脳裏に浮かんだ片角のクソのような生きものが浮かんだが、考えないようにして先へ進んだ。
深い森の中、生きものの声はしない。北側で歩いた森と同じで生きものというものが存在しないようだ。草木はまだ生きているものの、生きものがいないという時点でこの森が異常なのはわかる。ラングは足跡と不自然な道を行き、その先が緩やかな上り坂であることに気づいた。山の麓に辿り着いたのだ。
『この先か』
上り始める前に息を整えるつもりですぅ、はぁ、すぅ、はぁ、といつもの呼吸を入れたところにおかしな気配を感じた。さっと双剣の柄に手を掛けた。ねっとりとした気配、殺気を感じ、その気味の悪さに呼吸の種類を変える。迎撃のためにここまで走った疲れを癒し、反撃に備えるものだ。
じっと耳を澄ませた。呼吸が落ち着いてくれば風に揺られる葉擦れの音が大きくなり、それをひとつずつ消していくように処理をする。それらの音が消える頃、ぺちょ、べちょ、と森の中では聞き覚えのない音が上り坂の上の方から聞こえた。
『なんだ?』
顔を上げ音の先を見ていれば、黒い何かが坂を転がり落ちてきていた。敵意はない。ぞわりとするものもない。ということは先ほど感じた殺気でも、黒い命ではないと思うのだが、いったいあれは何だ。手のひら大のそれは落下の速度を殺しきれないらしく、ぽよん、ぺちょり、ぽいん、と情けない音を立て弾力を見せながら転がり落ちてくる。斬るか。
右手だけを左の腰、剣の柄に添え、抜刀と同時に斬り捨てる方針に変えて腰を落とす。直刀に向かない剣技ではあるが、あの小さな塊に双剣を抜くことすら勿体なく思えた。
それはラングにとっても英断ではあったのだが、本人たちが知ることは終ぞなかった。
しっかりと黒い球の位置を確認、跳ねた軌道を読み切って腰を落とし、足先の向きを調整、ひと息に斬り捨てる。そうしてラングが剣を抜こうと腕に力を入れたところで、黒い物体から微かな声が出た。
『ブ、ラン、ダ、ニア』
ラングは動きを止めようとした。刃先の湾曲した剣であればスムーズに引き抜かれ、そのまま斬り捨てていた。直刀を引き抜く際の僅かな鞘の抵抗に助けられ、ラングは柄を素早く手放し、けれど止まらなかった腕が振り抜かれ、黒い物体を手の側面で殴り飛ばした。ピギッ、と形容のし難い音を立てて黒い物体はぽいん、ぺちょり、と草むらの向こうへ消えていき、ラングは息を乱されていた。
『待て、どこに行った』
ラングは薄暗い森の中、黒い物体が弾き飛ばされていった方へ駆けた。草を掻き分け殴った力と手に感じた弾力から飛んでいった場所を推測し、慎重に足を進めて探した。僅か数秒ではあったが見つけた時には心臓がうるさいほどの音を立てていた。そっと手を伸ばせば縋るように、糸をより合わせたかのような手らしきものがよろよろと持ち上がり、指先を掴んだ。そうっと持ち上げれば手のひらに身を寄せ、親指にしがみつくようにして、ぽろ、ぽろ、と大粒の水を零し、ぐすぐすと泣いているようで、ラングは困惑した。この泣き方を知っている。
ぐっと細い腕で涙を拭い、黒い物体はよろりと手の上で姿勢を正すと、再び喋った。
『ブラン、ダー、ニア』
ぐらりと揺れそうになった。信じ難いことが目の前に起きていて、存在している。けれど、その言葉はあの時、あの青年にしか吐き捨てていない言葉だった。いつ思い出すのだろうか、いつ話すのだろうかと思っていた。思い出せないのだろうか、それとも黒い命の泉に奪われたのだろうかと思っていたが、これはラングにとって重要な判断材料となった。
そして、ラングは確信を得た声で尋ねた。
『お前、まさか……ツカサか?』
黒い物体はもう一度ぼろりと涙を流し、きゅっとラングの指を掴むと、まるでそうだというかのように何度も頷いていた。




