4-6:頼ること
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食料と水の問題さえどうにかなるのならば、一人で北へ行こうと思っていた。その相談を持ち掛けた際、ロトリリィーノは難しい顔をして、頭から否定をせず、まずは確認と説明から入った。そのやり方は上手いと思った。
「先生、北に行くと仰いますが……、言いますが、それは終わりではありません、ね?」
ロトリリィーノはこちらの言語力をわかっていて、丁寧な言葉で伝わりにくいよりも、多少礼を省いてでも、確かに伝わる簡単な言い回しで話してくれる。
あの日、死にかけていた男の目は静かで、責任感と追い詰められやすい気質を除けば相談相手として非常に優秀であった。この男、表舞台に立つことは性に合わないのだ。こういう男は裏方で、そっと耳打ちをするような立場が活躍の場だ。トルクィーロが存命の時はそうしていたからうまく回っていたのだろう。逆に、トルクィーロはじっくりと考えたりすることが苦手な性質だ。相性のいい組み合わせだったはずだ。
先生、と声を掛けられ、ラングは思考から顔を上げて頷いた。
「そうだ。北行く、また、ここ戻る。ツカサ、アルと合流、する」
ロトリリィーノは少し言い淀んだ後、大きな羊皮紙を手にしてテーブルに広げた。トルクィーロの部屋から持ってきてあった地図だ。
トルクィーロの部屋はいずれキスクが引き継ぐ。それまでの間は資料庫として扱われ、ロトリリィーノは時折こうして物品を持ち出していた。もちろん、後で戻すのだが、現在はロトリリィーノの部屋が寝室兼執務室となっているのでその方が効率がいいのだ。様々なものを取り上げられていた部屋は鍛冶師が贖罪から少しずつものを作りあげて搬入され、複数人で座ることのできるテーブルと椅子が用意されていた。今はそこに腰掛けての会話中だ。
茶は、ラングが三脚コンロを出し、そこに暖炉から炭を入れてゆっくりと水を温めている。暖炉から取り出す炭は朽ちるのも冷めるのも早いので何度か入れ替える必要があり、そのための動作は会話が行き詰まることを防ぐ。炭から限界を知らせる音がし、ラングがポットを、ロトリリィーノが三脚コンロの足を掴んで持ち上げ、暖炉へ行って新しい炭を入れてきた。この動作もまたロトリリィーノにとっての訓練になる。テーブルに戻されたそこにポットを乗せて戻せばロトリリィーノは言った。
「先生、今は、いけません。【不思議な力】の練習で広場に出られているのなら、この雪の多さ、わかる。でしょう?」
ロトリリィーノの手は窓を指し、ゴウゴウと真横に吹いている雪を示した。あの吹雪でまた山には分厚い雪の層ができるだろう。黒いシールドを戻し、ラングは首を傾げた。
「雪、強い? いつまで続く」
「わかりません。こんなに雪が降り続くことも、今までの記録にはないのです」
わからない、雪、続く、記録、という単語を拾い、この豪雪が毎年のものではないのだと理解した。これもまた世界の衰弱、衰退の結果だとするのならば、留まれば留まるほどに生きにくく、移動しにくくなるだろう。雪が降り続けば食料を育てることもできない。人よりも先に動物が飢えて死に、肉は手に入らなくなる。
ふと思い返してみれば、北の方角では大虎、牡鹿、大熊と土地神に多く出会ってきたが、このドルワフロではユキヒョウにしか出会っていない。ツカサは薬を取りに行った際、黒い命に纏わりつかれたらしいが、土地神の眷属らしきものには出会っていないと言っていた。ユキヒョウが眷属ごと抱え込んでいたのだとすれば、他の土地神を凌駕する力の持ち主ではないだろうか。
南は既に水も死に絶え、アルとホムロルルの話では黒く染まり自我を失った眷属たちを狩り尽くしたという。西は言わずもがな、草木は多少あったものの、動ける命はすべて追いやられていてどこにもなかった。
この世界の成り立ちがどう謳われていたか。ツカサが精神世界なる場所で時の死神と話していた時の言葉が耳に蘇る。
――渇きを癒す水、立って歩くための大地、冷えた体を温める炎、行く先を決めるための風。
ラングは心配そうに声を掛けようとしてきたロトリリィーノを手で制し、地図を撫でた。
ホムロルルのいた南はホムロルルが必死に風を動かしていたという。だが、ホムロルルはもうトリニクになる運命で、末路は決まっている。やがて谷の風は力を失い、大陸を駆ける風は失せるだろう。その際、後を引き継ぐのは北の大虎だと聞いた。そして南は水も死んでいる。火も存在しない。
同様に、西の炎の土地神も既に土地失いになっている。だが、元々は大地を温め続けるために蛇は人を追い払い、それ以上狂うことを防いだ。
かちりとラングの中で何かがはまった。ツカサが大ムカデを退治した際、風に炎をぶつけ、爆発させていた光景を思い出した。そうだ、風は炎を助けるのだ。ホムロルルが一切を捨てて風を送り続けたのは、南の蛇が大地を温め続けられるように吹かせていた可能性もある。いや、大地を溶かす炎のことなどわかりはしないが、風が運ぶ熱だってあったのではないだろうか。
順番なのかもしれないと思った。水が生まれ、大地が起こり、炎が温め、風が吹く。ドルワフロの鍛冶場は火を落とす時、起こしたのとは逆からやるという。もしそれと同じ事ならばどうだ。風が止み、火が消え、大地が崩れ、水が腐り果てたのならば、どこに生きる場所があるというのか。
『だとするなら、奴らのユキヒョウへの態度にも多少納得はいく』
末っ子のような甘えをみせるユキヒョウは、なんだかんだホムロルルにも甘やかされていて、加えて他の奴らに比べて元気だった。それは最後の砦として、もっとも力を持たされているから、ではないだろうか。ホムロルルが制約に触れさせなかった理由にも繋がり、ユキヒョウもまた制約に気をつけている理由にもなる。
その可能性に気づいたところで、これを誰に相談すればいいのだろう。ツカサの記憶はあやふやになってしまい、アルとはそもそも言語の壁がある。便利な槍に通訳を頼むのも、ホムロルルに通訳をさせるのも、非常に面倒だった。
誰かに話す? そもそも、こうしたことはいつも自分で考えてきただろう。ラングはふぅー、と息をついてから顔を上げた。
「すまない、話、違うこと考えていた」
「大丈夫ですよ、お聞きしましょうか?」
「いい。雪、多いわかった。ドルワフロ、居るが安心、わかった」
「先生」
そっとロトリリィーノの未だ細い手が地図に置かれたラングの手に重なった。なんだと顔を上げれば、ロトリリィーノは真摯にこちらを見つめていた。
「先生、あなたはとてもしっかりしておられる。キスクと歳が近いのだとも伺いました。けれど、その落ち着き方は私と同年代であっても、なかなか得られないものです」
「何が言いたい?」
責める音はなく、単純に疑問だった。この男が何を言いたいのかがラングにはわからなかった。歳について言われているのはわかったが、何を言っているのかも理解は半分程度だった。ロトリリィーノは両手でラングの手を包み、年上として言った。
「頼ってください、先生」
ラングは黒いシールドの中で少しだけ動揺した。自分の手を握っているロトリリィーノの力強さは予想以上であったし、今現状ドルワフロに居ること自体が頼っているというのに、まさかそんなことを言われるとは思いもしなかったのだ。
「先生、私はあなたに、あなたたちに命を救われました。こうしてドルワフロの仲間たちに再び受け入れられ、ここでクィースク……キスクを支えるという役目をいただきました。恩返しがしたいという気持ちもありますし、食料を提供してくださったのがツカサくんなのです、滞在は当然の権利です」
もはやラングに言葉が通じていようがいまいが、ロトリリィーノは熱く語り、訴えかけてきていた。
「先生、私はあなたの手伝いがしたいのです。頼ってください、きっと、何かお役に立てることもありましょう」
お願いです、と再び手を強く握られ、ラングは暫し言葉が出なかった。頼ることを願われたことはとても少ない。一人で行動し、ツカサに叱られたことなどは記憶に新しいが、いや、ツカサも事あるごとに頼ってくれていい、と言っていた。それだけの実力を持つ青年が自身のこともあやふやになってしまっていたことに、そうか、自分は愕然としていたのだと気づいた。この世界で頼りにしている、信頼している者が失われたように感じていたのだ。ロトリリィーノはその機微を感じ取っていたのだろう。
これは恥ずかしいと思うよりも、感謝を抱くべきだと思った。
「……ありがとう」
ラングは空いていた手をロトリリィーノの手に重ね、ぐっと力を込めた。ロトリリィーノはにこりと微笑んだ後、ゆっくりとその手を離した。
「頼っていただけますね?」
「なに、頼ればいいか、わからない。できれば、キスク、ユキヒョウ、合流したい。確認するしたい」
「わかりました。こちらとしても甥っ子の居場所は突き止めたいところです。ショウリがこれから戦いを挑むにしても、彼が表に出ることはないはず。改めて手紙を送りましょう」
ロトリリィーノは手のひらに何かを書く動作をし、それから物を押すように腕を前に出した。書いて、トロッコ、送るということだ。ラングは頼むと言い、それから、と身を乗り出した。
「ツカサ、よく見る、してほしい」
「もちろんです。ツカサくん、記憶が崩れているのだと聞きました。鍛冶師も心配をしているようです」
以前の滞在中、風呂という社交場でツカサとかかわってきたドルワフロの鍛冶師たちは、記憶喪失であるツカサに最初は同情していたらしい。目の色も変わり、前にどんな会話をしたのか不安そうに尋ねたり、話したり、思い出す姿に皆が世話を焼いてもいた。だが、もっとも厳しい状況をともに行動した男が眉を顰めたという。
「ポーツィリフが言うのです。雰囲気が変わった、と。私もそう思います」
「変わる、私もわかる。だが、くわしく、聞きたい」
「ポーツィリフとツカサくんは、先生を助けるために、強行軍で進んだとか。その際、かなり砕けた友情を育んだと聞いています。ドルワフロまで駆け込んでくるまで、余裕のないツカサくんをポーツィリフは知っているのです」
いくつかの動作を大袈裟につけながら説明するロトリリィーノに、言いたいことはわかると頷けば、そのまま続いた。
「青年らしいずる賢さや、悪いことを思いついた子供のような顔をする青年だと言っていました。ただ、とても優しい子だとも」
こちらも、言いたいことはわかる。再びラングは頷いた。しかし。ロトリリィーノはそっと声を潜めた。
「今のツカサくんは、何と言いますか。……癇癪持ちの子供のような気がするのです」
ラングは同じように身を乗り出した。
「どういうことだ?」
「先生やアルさんの前ではツカサくんなのです。けれど、その目がないところでは、力を抜くと言いますか、悪戯を考えていそうと言いますか、少々難しいのですが……」
心の壁や距離感ではない、そもそも、前のツカサはラングのいないところでも変わらなかった。そうであることを当然と、自然体でいたものを、今は無理をしているのではないか、とロトリリィーノは表現する言葉をまとめられないまま言った。そこには記憶喪失という理由もあるだろうが、ラングとアルにだけは誤解されたくないという強い想いがあるように見えるという。
「私は記憶崩れを見たのも初めてですのですべて憶測です。ですが……怒らないでいただきたいのですが、彼は、本当にツカサくんなのでしょうか?」
ラングは答える言葉を持っていなかった。見た目で変わったことは目の色だけ。持っていたものは不慣れになったが習得をし始め、元通りになりつつあった。その内側に抱えるスキルとやらがどういう状況かは知らないが、空間収納という便利な場所に入っていたものがいくつかなくなっていた。
嫌な予感はラングとて抱いていた。守れなかった負い目から、変化に対し目を背けるように、アルと二人【ツカサらしい】ところを探して、見つけ、ツカサなのだと安心しようとしていた。だが。
ラングは胸に手を当てて礼を取り、ロトリリィーノに感謝を示した。こうした言葉を掛けてくれる相手が異世界でもいたことは、本当に幸運なことだと思った。
己が成し得なかったことの結果と向き合うべきなのだ。
信頼して裏切られる方がいいなどと綺麗ごとだ。裏切らない者は最後まで裏切らない、裏切る者はどれほど付き合いが長かろうが、信頼していようが裏切る。疑い、探り、互いを知って、ようやく手を差し伸べ、差し伸べられたものを掴むことができる。ツカサはそうして、少々強引に、ラングの窓を割って飛び込んできた。飛び散ったガラス片で血だらけになろうと、泣きじゃくろうと、それでも血を流しながらぶつかってきた。真っ直ぐな青年の覚悟をラングは知っている。
ラングは黒いシールドの中でゆらりと目を開き、覚悟を決めた。
「……ロトリリィーノ、頼みがある」
「なんでしょう」
「ツカサ、見張ってほしい。私は、手紙とともにキスク探しにいく。敢えて、離れる」
「わかりました」
「頼む」
お前がツカサならば、疑ったことをきちんと謝ろう。
だが、もしお前がツカサでないのならば。
弟の名を騙った罪を、その命で贖ってもらおう。
いつも旅路にお付き合いいただきありがとうございます。
今週は平日のみ更新予定です。
もしかしたら幕間をポイっと出すかもしれませんが、予定は未定。
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