4-4:五里霧中
いつもご覧いただきありがとうございます。
目を覚ましたら、様々なものが変わっていた。
なんだか頭がぼんやりしていて、目を覚ますまでの前後の記憶はあやふや、思い出すことのできないことも多々あった。確か、ここは異世界で、どうやって来たのだったか、洞窟を出たような覚えがあり、それから、ラングと会って、とゆっくり、ひとつずつ思い出していく。どうしても思い出せないところをラングに確認をしたり、アルから補足を受けたりしながらパズルのピースがはまっていく。それでも穴だらけのパズルは隣り合うピースを合わせられず、はめ込むこともできず、そもそも全体に対してピースが足りないような気がして焦りを感じた。
迷惑を掛けている、自分が自分でないと疑われていることも感じられて、早く証明しなくてはならないと震える手を抱え込むようにして思い出そうとして、ごっそり抜け落ちていることもあり、泣き喚いた。違う、あるはずなんだ、覚えているはずなんだ、できるはずなんだ、なのにどうして、と取り乱した自分に掛かった声は真摯なものだった。
『いずれできるようになる。できるようになるまで、鍛錬したのだろう。ならば必ずそうなれる』
強く肩を掴まれ、振り払おうとした腕を掴まれ、黒いシールドの奥からしかと見据えられながらの言葉。見えない双眸が射抜くようにこちらを見ているのがわかり、掛けられた言葉にも落ち着いていった。そうだ、やったはずなんだ、きっと、できるようになる。最初からできていたような気もしていたが、違うのか。
「自分のことがわからないって、こんなに怖いことなんだ」
手のひらを眺めた。頭から首、肩から腕、きちんと連なってそこにあるのに、この手すら自分のものかどうか自信がない。両手の中指についた指輪は外された様子もなく着いているので大丈夫だと思いたかった。
「まずは魔法をちゃんと使えるようにならなくちゃ」
霞んでいる記憶を辿り、氷魔法や風魔法をやってみようとして、イメージした通りにできないことにストレスが溜まる。やるしかないのだと思いひたすら向き合っていれば、アルから声を掛けられた。
「ドルワフロに一回戻ろう」
「ドルワフロ?」
そうそう、とアルの明るい声に救われるところもありながら、なぜなのかを尋ねた。その肩にいる鷹、ホムロルル曰く、ここはコトワリも魔力も強い場所で、魔力を持つ者にとっても、コトワリに属するものにとっても影響の強い場所らしい。へぇ、そうなのか、自分には魔力があるから、影響があるのか。
「じゃあ、ドルワフロに行けばもっと上手く魔法が使えるかな」
「もしかしたらな。でも、別に魔法が使えなくたって、ツカサはツカサだ」
名を呼ばれ顔を上げ、ニッと笑う顔にこちらも釣られて微笑んだ。行きたい、と答えればアルは任せとけと胸を叩いて部屋を出て行った。
「記憶喪失って、こんな感じなのかな。……俺に、いったい何があったんだろう」
じっと手のひらを見つめ、その手で頬を撫でた。左頬に紋様があったはずだが、それは今消えているらしい。紋様、これもまた記憶に濃い霧が掛かっていて進んでも、探しても答えが見えない。こんなことばかりだ。
「これも、この場所の影響? ドルワフロに行ったら変わるのかな」
目を瞑ればこれもまたぼんやりと、自身が魔法を行使していた姿が見える。疑いを少しでも早く晴らすためにやれるようにならなくては。ドルワフロでならそれができるといい。ここから旅立つ時を少し前向きな気持ちで待った。
ゴミ捨てに行くふりをして首都・レワーシェを出た。食事も出てきて風呂にも入れる。そんな安心感のあった宿を、生まれ育った場所を出るかのような不安を抱きながら、この旅が良いものであることを祈った。
道中大した話はなかった。初めて見るトロッコに興奮した後、ふっと脳裏にトロッコの映像が見えて乗ったことを思い出した。扱い方を習い、それを教えてくれた大きな男も思い出し、確かに経験があると認識した。レバーを引くのを誰がやるのかという話では、病み上がりを理由にラングとアルを任命すれば、あっさりと引き受けてもらえた。
とはいえ、上り坂の続く首都側は三人で必死に押す必要があった。これなら徒歩の方がと思う気持ちもあったが、上りを過ぎて下り坂に入れば歩くよりもトータルでは早く着く。最初だけだと言い聞かせながらラングの方を手伝った。
『休もう』
パチリとラングが懐中時計を確認し、ブレーキを掛けた。トロッコが滑り落ちないことを確認し、空間収納を漁って食べ物を取り出し、それで食事をとった。
空間収納の中も探すのが大変だった。こんなもの入れてたっけ、と思うことのオンパレード、バラバラと山のように積まれた荷物の中から「これ」というものを探すのが大変で、どうにかしようと思った。なんとなく、食事はここ、素材はここ、装備はここ、という区分けはあるが、その中がごちゃごちゃだった。黒い命の泉に落ちた時にシャッフルでもされたのかと思うほどだった。
食事を済ませ、練習がてら水魔法をちょろちょろとコップに出し、喉を潤してラングもアルもすぅっと眠りに落ちたように見えた。その間にじわりと戻りつつある魔力を形にできるように練習してみた。まずはこの暗いトロッコの道を照らせる明かりが欲しい。今はラングとアルがランタンを出してくれているが、薄っすらと見える記憶の映像の中ではこの手でトーチを出していたように思うのだ。マッチを擦るようにポッと明かりが灯っては消える。それを残しておくことができない。
「トーチ、トーチ、ヒール……。早くちゃんと、使えるようになりたいな……」
ヒール、これも大事だ。怪我を治す手段は早々に得ておきたい。そうして魔力を使っていると眠くなり、いつの間にか眠りに落ちていた。
翌日、ホムロルルの助けを借りてようやく下り坂に差し掛かり、レバーを押す必要がなくなった。アルがレバーをさらに押して引いてするのでスピードが凄まじく、やめてくれと怒った。このままレールから脱線したらと思うと顔が真っ青になってしまった。
どうにか無事にドルワフロ側へ辿り着いた。出迎えてくれた鍛冶師に無事を喜ばれて胸がじわりと温かくなった。長くてグネグネした通路を進み、広間に案内され、そこで何人かと再会もできた。ロトリリィーノはラングへ礼を尽くし、キスクやトルクィーロのことを尋ねてきた。ラングが片言で別行動中だと伝え、ドルワフロでの滞在が許された。
「坊ちゃん、風呂ォ行きましょうやァ!」
「風呂? 温泉? 行く!」
お借りィしますぜェ、と鍛冶師たちはラングに許可を得てから案内してくれた。ドルワフロ滞在中、何度も入らせてもらった温泉への通路だというのに、なんとなく初めて通るような気さえしてしまう。
「まぁ、これも初見の楽しみがもう一度味わえると思えば」
悪いことではないのかもしれない。前向きにものを考え、ドルワフロの温泉の熱さに驚きながら体を温めた。自分に割り当てられていた部屋がどこだか思い出せず、通り過ぎた誰かに尋ねて部屋へ案内してもらった。物は必要最低限、ベッド、テーブル、椅子、暖炉、積んである薪。既に部屋に火は入れておいてくれたらしく暖かい。ベッドに腰掛けてホカホカと湯気を立てている手のひらをまた眺めた。ぽたりと落ちた水滴。髪を乾かさなければ風邪を引く。空間収納の中からタオルを探し、ガシガシと拭く。
「前はどうしてたっけ」
既に常態化している濃い霧の中で見えるものを探す。この霧、どうにかならないだろうか。じぃっと目を凝らすようにして霧の中を探し歩けば、ラングのフードの中に手を突っ込む自分の姿があった。そうか、魔法で乾かしていたのだ。練習にちょうどいいかもしれない。そっと手のひらに風を起こす。ふわふわとしたそよ風が周囲を取り巻く。傷つけないように、部屋の暖かさを真似して柔らかく、顔面からそうっと風を当てた。ドライヤーのようなものをイメージして上手くいった。髪が乾いて、自分で魔法を使いできたことに体が震えるほど感動した。
「やれた、できた。できるんだ」
ぼろりと涙が零れた。よかった、何もかもを忘れたわけでも、失ったわけでもないらしい。きちんと練習すればできるのだ。これは一つ自信に変わった。明日から、雪山という誰かを傷つけることのない場所で練習を行い始める。魔法が使えるようになれば北の方角を目指し、改めて加護をもらう。そうすればラングは元の場所の戻れる、ということは理解した。思い出した。
魔力を扱い、ぐらりときた。まだ魔力自体が戻っている最中なので、一度ゆっくり休むのもありかもしれない。ばさりとベッドに倒れ、布団に潜り込み、自分を少しだけ甘やかした。
翌朝、アルが部屋に来た。飯を一緒に食べないかと言われ、もちろんだと返した。
「空間収納の中の屋台飯でもいいからさ、もし料理作るなら待つし」
「ドルワフロのご飯はいいの?」
「ツカサが穀物渡したからどうぞ、とは言われたけど、食料減らすのも申し訳ねぇし」
そういうものか、と頷いた。しかし、料理か。目を瞑って光景を探す。確かに、料理は作っていたような気がする。ものは試しだと空間収納の中を漁り、鍋や食材を取り出した。どうやっていたのかが思い出せずに不安な顔をすれば、アルが水は魔法で出してた、火は暖炉で、といつもやっていたことを教えてくれる。芋の皮むきにも時間が掛かり、アルもナイフを手に皮をそれなりに厚く剥き、苦笑を浮かべていた。
ドアがノックされ、ラングが合流した。
『おはよう。料理を?』
『おはよう、うん、思い出しながらだけど』
ふむ、と腕を組んで暫く黙り込んだ後、ラングは退け、とアルを足でどかしながら座った。
『私が作る。食材と塩を出してくれ』
どちらの手からも芋を奪い取り、ラングはするすると皮を剥いていく。薄く、実がきちんと残っていた。これは手際の悪さに奪われたのだろうと思い、しょんぼりと肩が落ちてしまった。
『様々なことを思い出そうとするより先に、まず一つ、これと決めたものに取り掛かった方がいい』
『魔法とか?』
そうだ、とラングは水を求め、空間収納から桶を取り出して水を入れた。まだちょろちょろだが、少しずつコツを掴んだ気がした。
ラングは剥いた芋を洗い、切り、鍋の中に入れていく。そこに追加でニンジンも増やし、きっとあるはずだといい鶏肉を要求された。探すのに時間は掛かったものの無事に見つけ、ラングはそれを適当な大きさに切って投入し、岩塩を砕いて味をつけた。具材が煮えるまで少し待てと言い、ラングは暖炉の火を調整して竈を守った。
待っている間、トーチの練習を続けた。マッチのような小さな火が点いては消え、ラングとアルのランタンをイメージして細長い光を出せるようになってきた。少しして、鶏肉のにおいとニンジンのにおいが漂い始めた。
『いいだろう、器を』
アルは腰のポーチから素早くだし、出遅れたが空間収納から見つけ、渡した。ラングがよそってくれ、受け取り、器の中を眺めた。黄色いジャガイモとオレンジのニンジン。そこに鶏肉が入っているだけのスープは白い湯気を立てていて顔をひりっと焼くような熱を感じさせ、ついでにしっとりとさせてきた。
「いただきます!」
アルが言い、スプーンを突っ込む。同じように言って器を持った手で傾け、直接啜った。ふぅ、ふぅ、と息を吹きかけて呑むところだけでも冷まそうとしたものの、唇が火傷をする。すっと入ってきた出来立てのスープを押し留められず、口の中に鶏肉の出汁と塩味を残して喉まで駆け抜けていった。喉が焼ける。食道を下りていくスープが通り道を示し、体の中がじわっと温まった。食べ物の塩味に唾液が溢れた。
鶏肉をスプーンで拾って頬張る。ぷりぷりとした鶏肉の弾力と出汁になりきれなかった脂が口の中に広がり、ジューシーで美味しい。ジャガイモのほくほく感、ニンジンの歯切れのよさ、合間にスープを入れてあっという間に一杯を食べきってしまった。
『おかわり、ある?』
『ある。器を貸せ』
『うん』
両手で差し出し、たっぷりのスープを改めて受け取り、はぐはぐと食べた。シチューでもない、根菜と鶏肉だけのスープがこんなに美味しいとは思わなかった。
『美味しいよ、ラング』
『そうか』
優しく、真摯に受け止めてくれる二人がいることにホッと胸を撫で下ろした。




