3-37:へし折る
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ガシャン、とガラス製品の割れる音がした。聞き慣れない音にびくりと肩が震えてしまい、困惑が浮かんだ。
先ほどまで地下牢で魔封じを抜いていたところで、と自分を思い出したところで、テレビのように光る画面が正面にあった。豪奢な部屋だった。ふかふかの絨毯。レースのカーテンが取り付けられた大きな天蓋付きのベッド。クッションも大量にあって、あんなに多くてどれに頭を置くんだと思ってしまった。
主観カメラのように動く映像、まるで映画のように一方的に見せられていた。座っているわけでもポップコーンがあるわけでもなく、その画面をぺたりと触った。特に向こう側に干渉できるようなものでもないらしい。
「なんでだ!」
赤い液体の入ったガラス製のデカンタを握り、放り投げる。ガシャン、と割れて飛び散った破片と液体に女性たちが震えて頭を庇っていた。主観カメラの主は息を乱しているのか視界が上下に揺れる。うわぁ、と苛立ちを募らせて腕を振り上げ、机を叩いた。銀の皿に乗っていた果物がバンっと跳ねて落ちていき、そこに鏡を作り出す。ハッと息を呑んだ。シュンだ。
「クソ、クソ、クソ! 捕まえたはいいけど、この火傷はなんなんだよ! 治りゃしねぇ!」
視界に出された右手は手のひら全体が真っ赤に焼け爛れていて震えていた。その痛みもあって何かに当たり散らしていたのだろう。ヒール、ヒール、と左手で治癒魔法を掛け、それは正しく発動しているようだったが、右手の怪我を治しはしなかった。
「なんなんだよ! あいつまだ何か持ってんのか!?」
時系列は理解した。これはツカサが地下牢へ捕らえられた後のことだろう。ラノベや漫画でピンときた。眠っている時に見る相手の様子というやつだ。問題は、今までこんなものを見なかったというのに、何故突然見るようになったか、という点か。原因を求めるとするなら、シュンと触れたことだ。
皿を持ち上げ、ぶん投げ、子供のように何かに当たり散らす青年の行動を遠くに置いて、考えた。
起きて、と誰かが叫んだ。ハッと息を吸い目を開く。微かな蝋燭の明かりだけがちろちろと頼りないオレンジを闇の中で揺らし、じめじめとした臭いが鼻についた。地下牢だ。ツカサはふぅー、と深い息をついた。今、何を見ていたのだろう。ぼんやりとしか思い出せなかったが、とにかく、何かに備えた。
遠くからガシャガシャと鎧の音がした。蝋燭を吹き消して暗闇を作り上げ、目を凝らす。曲がり角からじわりと明かりが見え始め、姿を現したのは特徴的な鎧の騎士、守護騎士とその部下らしい。計三人。さっと【鑑定眼】を使った。出し惜しみはなしだ。
【10】の守護騎士。【神子派】、加えて職業には【拷問師】とある。相手の尊厳を奪って拷問するのが好きと詳細が出て、ルシリュのいう守護騎士にしてはならない者の一人だと理解した。マール・ネルをしまおうとしたら怒られたので、ショウリが手配してくれたアタッチメントの先にそっと差した。灰色のマントを怖がる乙女のように手繰り寄せ、自身の身に再び纏わせていれば下卑た笑みが見えた。
「お前がルシリュの捕らえた侵入者か」
「正しくは【神子】が捕らえた侵入者だ」
守護騎士の中で争いがあることは知っている。ルシリュへの当てつけで拷問されるなど御免だった。こちらは【神子】の監視下だぞ、と釘を刺したつもりだったが、守護騎士はそれを鼻で笑った。
「【神子様】の手を煩わせるまでもない。どうして侵入したのか、この私が吐かせてみせよう」
「残忍な【神子様】が俺を殺さなかったのに、そんなことをして許されるの? 怪我だって土がついたくらいだよ?」
む、と【10】の守護騎士はランタンを掲げてツカサの状態を確認した。それから、にまりと気持ちの悪い笑みを浮かべた。首筋から腰までぞわりと走ったものが初体験で、どう言葉にすればいいのかがわからなかった。
「頬におかしな紋様はあるが、案外かわいい面をしてやがる」
――お前本当無防備で世間知らずだったから、ある程度体が鍛えられるまで、ラング、マジで保護者として大変だったんじゃねーかな。
――カダルさんも言ってた。ツカサはラングさんが居たから、あんなのに手を出しちゃ不味い、って思われてたんじゃないかって。ツカサ、見るからに異国顔だったし。
「マーシ……! ロナァ……!」
苛立ち混じりに名を呼んだが何の解決にもなってはいない。嫌なフラグを建てられたなとは思っていた。こちとら人畜無害の童顔で苦労もしているというのに、本当にそんなことを考える奴がいるとは思わないではないか。鍵を開けろ、と部下を顎で扱う守護騎士の態度に苛立ちを覚えた。それに素直に従う部下も部下だ。鍵を開けようとして開いていることに首を傾げるものの、そのまま入ってきた。
「抵抗しなければそれなりにいい思いをさせてやるぞ? だいたい準備している段階で心が折れて壊れるがな」
へへ、と部下たちの準備のいいこと、何か小瓶のようなものを携えてやがる。しかし、こちらは純真無垢な乙女ではない。
骨を折られ、首を絞められ昏倒し、逃げても先回りされて殴り飛ばされ、剣先で防具の隙間を刺し貫かれ、棒で叩かれ、払われ、矢で射られその矢じりの抜き方を懇切丁寧に教えられた、躾という名の暴力、いや、鍛錬で蹂躙された乙女だ。
ゆらりと立ち上がったツカサはすぅはぁと呼吸をした後、一言だけ言った。
「ごめんね、マール・ネル。目を閉じてて」
「あ? 何を」
やられる前にやるだけだ。部下の一人が持っているランタンのくすんだガラスに黒く何かが散った。え、と困惑した声を零しながら首を斬られた一人が倒れ、守護騎士は腰に下げていた剣の柄に手を掛けた。その指を斬り落とし、ランタンを持っている部下の鎧の隙間、脇腹から胸へ斜めの角度で水のショートソードを刺し込んだ。その長さは十分に心臓へ届いただろう。これはあの決闘で学んだ技だ。筋肉の収縮があり強く引いてもショートソードが上手く抜けず、ゾンビのように短い声を零す部下に肩を掴まれた。なるほど、思いきり刺し過ぎてもだめなのだ。あの時、ラングは刺して、すぐに抜いていた。あれも意味のある速度だったのだ。ツカサは仕方なく両手でショートソードの柄を握り、部下の体に足を置いて蹴り飛ばすように抜いた。手放されたランタンは素早くキャッチ、まともな明かりににこりと微笑む。
「そうか、こう、こうだな。こういうのやってみないと本当にわからないな」
シュッ、シュッ、とツカサが宙へショートソードを突き刺し、抜いて、動作を確認しているのを【10】の守護騎士は血を流す手を胸に抱え、呆然と見上げていた。ランタンを置き、ツカサはゆっくりと守護騎士を見下ろした。
「で、何が準備している段階で心が折れるって? あんたらの心かな?」
ランタンの明かりを背負った青年の白い目が暗闇に浮かび上がり、じろりと視線を受けた守護騎士は情けない声を上げて奥へ後ずさり、壁にドンと背中を当て、また悲鳴を上げた。
「どうもあんたらみたいなのがダメみたい。守護騎士、人数いるんでしょ? 一人くらい減ってもいいよね? 俺も忙しいしさ、詰めかけられても困るしさ」
ゆらりと持ち上がった淡い水色のショートソードがランタンの明かりを得て滴る黒いものをよく見せた。ねとり、ぽたりと落ちた雫を視線で追う守護騎士へツカサは優しく微笑んだ。
「大丈夫、死んですぐなら誘えるから。おやすみ」
守護騎士の悲鳴は地下牢の嬌声に掻き消され、誰かに届くことはなかった。
魂を誘うのも嫌ではあるのだが、ここで黒い命になられても困るので仕方なく弔い、死体を空間収納へ入れた。守護騎士のマントを拾い上げ、嫌悪感が凄すぎてこれはどこかで火種にして跡形もなく消し去ろうと思った。いや、待てよ。もっと丁寧に殺せばよかった。ラングのように変装してしまうのもありだ。次があれば丁寧に殺そう。落とされた小瓶は【鑑定眼】で視たところ、麻薬、と出た。媚薬と惚れ薬と麻薬は、もしかしたら違うようで同じなのかもしれない。もしくは紙一重なのか。一先ずこれも空間収納へ入れておいた。
守護騎士たちが持っていたランタンはしっかりとした蝋燭が入っており、かなり明るい。これだけでも気分は違う。見渡し、気になる血の跡や座るところに飛び散っていないことを確認し、再び座り込んだ。マール・ネルがお疲れ様、と同情するような声音で労ってくれた。苦笑を浮かべながら懐中時計を確認した。時刻は十時。深夜帯に差し掛かったところでラングとアルと別れたはずだ。それからここに運ばれ、魔封じを【変換】、少しの睡眠を取ったのでこれは午前十時だろう。明るいランタンも手に入れたので忘れないうちに日記を書くことにした。
落ち着いてから軽く食事をとった。誰も運んでこないので水も空間収納から取り出し、喉の渇きを癒した。トイレは部屋の片隅に転がっている桶のようなものがそれと理解した。正直嫌だったが仕方ない。誰かに見られるのも嫌で、ナイフで布を天井から吊り下げ、カーテンのようにして隠した。用を済ませた後は要らない素材を蓋にしておいた。氷魔法があればいっそ凍らせてしまうのに、とか、風魔法があれば換気ができるのに、とか、魔封じを【変換】して得た魔力をつい使いそうになってしまった。
そこでふと気づく、これも【変換】してしまえばいいのではないか。とはいえ口に入るものにするのは嫌だし、元が排泄物であれば体に触れるのも嫌。ツカサはできるかはわからないが、それを【無】に【変換】してみた。できた。できてしまった。どっと汗をかいた。そこに在るものを無いものとして【変える】のは、無から有を創り出し、有を無に帰す神の御業ではないだろうか。多用してはならない。やはりこの【変換】は危険なスキルなのだと再認識した。
『これを危険だと考えるこの気持ちと思考が大事なんだ。それを捨てるなって、みんなに試されたんだよな』
気に食わなければ消せばいい。そう思うようになってしまえば、ツカサは人の敵に回る。最終手段だと思いながら、決してトイレ以外には使わないぞと改めて誓った。
トイレ問題が片付いた後、ツカサはまた座り込み、マール・ネルを膝に置き、瞑想の姿勢で魔封じを【変換】で取り除く作業に入った。ラングたちが目的を果たして戻ってきた時、戦える力は多い方がいいに決まっている。
取り除く作業をしながらルシリュやショウリのことを考えた。ルシリュはここに入れた本人なのでツカサのことを把握している。それをショウリに伝えてくれるだろうか。ショウリに助けに来てほしいというわけではなく、動かないでほしいと思うのだ。【シェルティーダ】の行動はツカサがどう動くかに関わってくる。
それにキスクが心配だった。トロッコの道を戻ってポーツィリフを連れてくるよ、と笑っていた青年の顔に血しぶきが飛ぶのは避けたい。
『俺に用があるって、どういうことなんだろう』
ラングとアルを追いかけろとも言わなかった。シュンはツカサだけしか見ていなかった。その真意をどうにか探りたいと思っていれば、のそりとした気配を感じた。
「み、みこさま」
牢屋の中のランタンで照らし出されたのは通路いっぱい横並びになり、おどおどしたあの巨人の二人だった。
「けが、ねぇ、か?」
「ありがとう、大丈夫。指はどう? 打ち付けてた頭は?」
「お、おで、だいじょぶ、だ!」
よくなったことを見せようとしたらしく握った拳を振り上げ、勢い余って壁を殴り、大きな音を立ててそこを崩した。ツカサのいる牢内ですらぱらりと土が降ってきたのでこれ以上の振動はやめてほしい。
「元気なのはわかった! 二人ともどうしてここに?」
鉄格子に近寄れば二人は膝をつき子供のように背を丸め、こちらを覗き込んできた。
「みこさま、に、にげるなら、おでたち、とびら、あける」
「おでたちなら、あけられ、る」
「有難いけど、それじゃ二人がまた痛い目に遭うでしょ?」
うぅ、でも、と顔を見合わせる二人の隙をついて【鑑定眼】で覗いた。
【左のやつ(15)】【右のやつ(15)】
職業:扉守り 神子守り 先の見えない崖生まれ
状態:奴隷の針
レベル:20
HP:--
MP:0
【スキル】
筋力増強 力が強い
この体の大きさで十五歳であることにも驚いたが、もっと驚いたのが出身地だ。先の見えない崖、北の洞窟を出た際に見上げた先の見えない大きな崖。そこで生まれたと書いてありツカサは目を見開いた。本当にあの崖の上に人が居たのだ。彼らのように体の大きな種族がいたのだ。感動はあとでゆっくりすることにした。
名前が左のやつ、右のやつ、で名前ですらなかった。ツカサから見て左が【左のやつ】、右が【右のやつ】なので、扉を守っていた位置がそのまま名前にされているらしい。麻袋を被っているので見分けはつかないが、パッと見で見分けがつかず、それなりに不便だ。
扉守りはあの黒い扉の守り人、神子守りは文字のまま、一番気になるのは奴隷の針だ。ツカサは自身の首を摩り、あの時のちくりとした痛みを思い出した。ちらりと自身を【鑑定】すれば、同じものが状態に刻まれている。
二人が痛いのは嫌だ、とお互いを慰め合っている間に併せて詳細鑑定をする。
――奴隷の針。一定距離内にいる監視対象者に対し、ある程度の行動を操れる。奴隷紋を改良したもの。
奴隷紋、脳裏に浮かんだ長身の男がこちらを馬鹿にしたような目で見ていた。ぶるりと振り払い、ツカサは目の前の二人と自身に刺されたものが同じことに危機感を抱いた。シュンが振り下ろした筒、あれに鍵がありそうだ。振り下ろして二人が地面に頭を叩きつけていたので、それに動作を引きずられる可能性もある。
「そっちを外すのが先だ」
ツカサはそろりと二人を見た。もし、この二人をそれから解放できたなら、かなり有用なのではないか。利用するのがシュンかツカサかの違いになってしまうが、進んで傷つけないことを伝えよう。
「ねぇ、もし、シュンの……神子様が振り下ろす筒が怖くなくなれば、力を貸してくれる?」
「い、いたくねぇ?」
「おで、いたいの、いやだ」
じぃっと救いを求めるように麻袋の向こうから覗き込まれ、ツカサは優しく笑ってみせた。
「試してみたいことがあるんだ」
マール・ネルがいいぞ、やっちゃえ、とツカサへ譲渡された時からは考えられない程積極的に背中を押してきた。




