3-36:地下牢に残ったほう
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あぁ、アレックスはこんな気持ちだったんだな、と思った。
灰色の、トレードマークにもなってきているアーシャヴァエンのマント。初めて身につけた際、それ、魔力酔いだぞ、と魔法の師匠に指摘され慌てて自身を律した時のことを思い出した。ふわふわとした高揚感、それが過ぎれば尊大な態度となり、自身より強いものは他にはいないという万能感に至る。自身で収めるのではなく、他者から強制的にそれを封じられた時の絶望感と無力感といったら、言葉にできるものではなかった。それでもツカサが折れなかったのは身につけた技術がそれだけではないからだ。
そして、魔力を持たない者の感覚も知った。羽織っている灰色のマントにしっかりと入れてある魔力が重く、そして気持ち悪い。乗り物酔いをしている時のようにくらくらとして、吐き気を催す。マントを外してしまいたいが、いったいどこまで運ばれるのだろう。
ツカサは目を閉じ、意識を失ったふりをして守護騎士・ルシリュに身を任せていた。さすがドルワフロ出身の女性、ツカサを肩に担いでも悠々と歩き、体幹がぶれることもない。
「ルシリュ様、どの牢に入れますか」
この声はこの地下、牢番の声だ。【8】の守護騎士が押し退けて通った時に聞いたしゃがれた声だった。
「神子様は指定をされなかった。だが、即座に殺さないということは、何かお考えがあるのだろう」
ルシリュの声が低く男らしい。これが【声音変え】のスキルの効果だろう。なるほど、この低く凛々しい声と、ドルワフロ生まれの首都男性顔負けの身長と体躯で性別が誤魔化せているらしい。性別が男であれば【神子】も興味を持たなかったのか。持たなかっただろうなと思った。ルシリュもまた顔を出す必要がある時は影武者でも使っていそうだな、と考えていれば肩の上、担ぎ直された。脱力をして担がれるというのは案外難しく、ルシリュはツカサの意識があることを気づいているぞと暗に示してきた。少し反省だ。
「ましな牢は? 一応、賓客として扱ってやろうと思う」
「へへへ、ルシリュ様、地下牢にましなど……」
「む、それもそうか」
地下牢には入れない、入らない、と言っていたのは本当らしく、ルシリュは兜をコツコツと掻いた。困った様子のルシリュに牢番の男はこちらへ、と案内をし始めた。
男の先導になりルシリュの背後に向いた位置を利用し、ちらりと左目を開く。暗闇の中で白い目が目立っては困るからだ。少しの距離を開けて兵士もついて来ていたが、胸に手を当てルシリュの姿に恍惚としてすらいたので職務よりもファン活動に忙しいようだ。
ツカサが歩いてきた地下牢は途中曲がるところが多くあり、地下牢自体が迷路のように広がっていた。その中であの扉まで真っ直ぐに辿り着けたあの【8】の守護騎士は、本気で逃げようとしていたのだろう、きちんと下調べを行ったのだ。そういうのをもっと別のことに使えばいいのに、とツカサは思った。
少しの間歩き、一つの牢に辿り着いた。ひんやりと寒くて空気が濁っている。けれど、異臭は随分薄くなった。
「地下牢の最深部でさぁ、くらーくて、じーめじめ、三日もいりゃぁ気が触れる」
「神子様に今後のことをお伺いするまで、一先ずここに入れておくとしよう」
案内された地下牢に入り、ルシリュは丁寧にツカサを下ろし、最後は牢番の目もあるので乱雑に転がした。誰かが入る前に、ルシリュはガシャンと思いきり音を立てて扉を閉じ、鍵を手にもじもじしている牢番に閉めるよう促した。薄目で確認していれば、牢番はどうやらツカサの装備を調べ、よいものはネコババしようと思っているらしい。【鑑定眼】には牢番、盗人、小心者、と書かれていた。守護騎士・ルシリュの目の前でそれができず、渋々といった様子で鍵を掛けた。
よし、とルシリュは頷き、後ろをぞろぞろついて来ていた兵士たちも促して牢から離れていった。牢番だけが残り、足音が聞こえなくなってからそろりと鍵を開けた。
「へへへ……、いいマントだ」
伸びてきた腕を素早く掴み、驚き身を引いた痩せた男をそのまま押し倒した。ぐえ、とか、起きて、とか聞こえたが構うものか。ぐるりと男の腕を捻り上げて痛みを逃がすために自らうつぶせになってもらい、ツカサはその背中に乗り上げると頭を掴んだ。じっとりとした汚い脂を感じて顔が歪む。
『使えるものは全て使え。これは、俺の盾のひとつ、武器のひとつ。……三回目だ』
ジュマ、オーリレア、そして地下牢。ツカサは手元で暴れる男の汚い声を聞きながら、ラングの故郷の言葉で囁いた。
『変われ』
ツカサの敵ではなく、味方に。単純に危害と損害を与えてこなければいい。それ以外は好きにしろ。久しぶりに、手元にぞわぞわとしたものを感じた。虫が這いまわっているかのような不快感、押さえつけていることもありこれは相手の抵抗だ。一分もあっただろうか、違和感がなくなったのでツカサは手を離し、そっと背中から退いた。男は少しの間床に寝転んだままだったがむくりと起き上がり、ツカサをまじまじと眺めていた。
「俺は、今、何が……」
「悪いけど、この地下牢の見取り図とかある?」
「あ? あぁ、あるが」
「借りるよ。もう戻っていいよ、牢番の仕事あるでしょ?」
あぁ、そうだな、と牢番は見取り図らしい茶色い紙を置いて、首を傾げながらツカサの牢から出て行った。ランタン、と思い、魔力がない今、補充のできないものを易々と使うことに戸惑いがあった。これは各地で買っては在庫となり使わなかった蝋燭の出番か。空間収納をまさぐったところで怒れる少女の声がした。布を取り出して手を拭い、それだけでも落ち着かず桶に空間収納から水を取り出し、石鹸で洗い、整えてから美しい白い杖を取り出した。
「マール・ネル、怒らないで。マール・ネルを守るためだよ」
フゥゥ、と怒ったマール・ネルはまるでツカサの腕をポカポカと叩くように文句を叩きつけてきた。そうはいってもヴァンから託された大事な少女だ。マントの中に隠してはいたものの、こんな場所を見せたいわけではない。オルファネウルだってそれが嫌で地下の調査にツカサを行かせなかった。
「結局見せちゃったね、ごめん」
肩を落とせば、そっと頬を撫でられる感触があった。優しい杖は、仕方ない、と微笑むように小さく音を立てた。
さて、まずは環境を整えるとしよう。窓もなく、冷たい床、ジメジメの空気。先住者がいなかったので死体や腐臭がないことだけは有難い。先ほど通ってきた西へ行くための通路とは違い、ここは土が剥き出しで、とにかく掘りました、といった様子だ。
「ということは、この地下牢、拡張されて新しく造られた? それにかなり広いな?」
ルシリュの長い脚でここまでかなり歩いた。途中から気づいて数えたものの、それだけでも五百歩近くはあったはずだ。シュンがわざわざここまで来ることはないような気もした。だとしたら、すぐにしまえることを強みに部屋を作ろう。どう思う、と問えば、賛成、と楽しそうなマール・ネルの声が返ってきて、早速取り掛かった。
地面には野営の時と同じように毛皮を重ねて敷いて布を置く。牢内の暗さは蝋燭を使うランタンを置いて一先ず明かりを確保。
「これじゃただの野営だよね」
あまりにも代り映えのしない部屋だった。けれど今はこれでいい。座り、灰色のマントが重かったので外し、膝に掛けてマール・ネルを置いた。先ほど入手した地下牢の見取り図を開いた。一応測量はされているらしく縮図は正しいように思えた。奥の黒い扉から、なんとなく道を辿り、放り込まれただろう場所を見つけた。
「本当に一番奥じゃん」
階段からも遠く、逃げ出すには少々骨が折れそうだった。ルシリュはどう考えているのだろう。それに、【神子派】の守護騎士のこともある。地下牢に出入りができるヤバイタイプの守護騎士だっていると聞いた。ここからは【鑑定眼】と【変換】と、今までの経験で乗り切らなくてはならない。それに、とツカサは見取り図を畳みながら唇を結んだ。
ラングとアルは無事だろうか。魔法障壁さえあればどこにいるか、動いているか、何か物理的なことがあれば防ぐことができる。けれど、それが今は存在しない。絆の腕輪が遠ざかっていく感覚に目を瞑り、できることをすることにした。
ツカサは胸を押さえ、その奥をじっと探った。いくつもの命を一つに束ねたらしいシュンとの大きな魔力総量の差は、ツカサの魔力の根源部分を様々な角度から刺し貫き、最終的に一点を封じている。
「俺やシェイさんの使う魔封じとはタイプが違う」
ツカサがシェイから習った魔封じは一点集中タイプだ。だからツカサもナイフを投げるように魔封じを投げ、相手の魔力中枢にそれを刺す。ツカサに施されたこの魔封じは、言ってしまえば丸い針刺し全面に大量の針が刺さっているような感じだ。ふと思いついた。やれるのではないか。
「考え方を変えるんだ、魔封じを解こうとするんじゃなくて、【変換】する」
そっと、ツカサは自身に刺さった魔封じの一つにイメージで触れた。【変換】を使おうとしたらマール・ネルがビシリと封じを施してきたので、一気に変えるのは負担が大きいのだと理解した。マール・ネルが渡された理由はツカサがこれ以上の【変換】を利用しないようにとの意図からだ。けれど、マール・ネルも状況は理解している。ただ、ツカサに【変化】がないように釘を刺しただけだ。人間をやめたいわけではない。【変換】を用いれば【変換】を使うに耐えられる体に変わっていく。ヴァンはそれを何度も、様々な試練と誘惑を持ってツカサを試してきた。乗り越えたのだから、守りたいことでもあった。
「慌てない、まずは、一本」
イメージの中でそっと針に触れ、一本を【自分の魔力】へ【変換】した。ふっと何かが体の中に起きた気がする。それは少し、空腹時の胃腸の動きに似ていた。いける。
「シュンが気づかないように、ゆっくり、じっくり。これは長期戦になるなぁ」
そしてこれもまた武器になる。じわりじわりと自分の魔力に変えることで小さなことはできるだろう。今まで培ってきたものがツカサの顔を上げさせていた。必ず、ラングとアルが目的を成すという信頼も、いざとなれば戦える力もある。
「負けてたまるか、生き残れるだけの力は身につけてるつもりだ。そうやって鍛えてもらったんだ」
大丈夫、大丈夫、と自身を励ましながら魔封じを【変換】していく。遠くで聞こえる誰かの悲鳴と狂った笑い声が心を苛んでいく。誰かが来たら殺す覚悟を決めながら、ツカサは【変換】を一度やめ、自身を休めるために目を瞑った。
そして、不思議な夢を見た。




