3-33:熟慮と閃き
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ラングがすぅっと双剣を抜いたことにアルはぎょっとした。明らかに不機嫌で嫌悪感を隠しもせずにいるラングと、長いまつ毛をしぱしぱと瞬かせている牡鹿とを交互に見遣り、関係性が悪いことは理解した。とりあえず仲裁役がいないので仕方なくアルは前に出た。
「お前が大熊の眷属? 協力者? あのさ、担当者、変更ってできる?」
「変更については否、拒否する。協力者については如何にも、我が大役を仰せつかった。あの青年に改めて礼を言いたかったのだが、なぜおらぬのだ?」
「ツカサのことか? これから助けに行くんだ」
「なんと! では、どのようにすればよい」
ツカサに対して牡鹿はかなり協力的に思えた。魔導士であるツカサはアル同様、精霊などには好まれない性質だろうに、この世界の理に属する者たちはどちらかというと非常に人間くさいものを感じた。いや、分けて持たれているという時の死神の権能と片鱗も関係しているのか。考えても答えがないので誰か知っていそうな者がいれば問うことにしよう。
アルはラングを振り返るがその手には未だに双剣がもたれており、ラングの抱く牡鹿への印象が非常によくないことはわかった。いったいどうしたのかと問えば、以前、ツカサを誘拐しようとしたことや、誘拐ができないとわかれば、黒い命を抱えた動物を引き連れて後を追ってきたという。そこで魂を誘ったのが土地神、大熊だったというわけらしい。
なるほどラングからすれば迷惑を掛けてきた相手、共闘をするにも溝のある相手なのだ。単純に戦いを仕掛けてきただけならばいっそのことラングは共闘しやすかっただろうが、迷惑を掛けられたとあっては手を取りにくいだろう。とはいえ使えるものは使わなくては。
『ツカサ、助ける、大事』
『そんなことはわかっている。だからこそ、この牡鹿では不安だと言っている』
双剣の切っ先で指された牡鹿はラングに対し、ふん、と鼻先を逸らして尊大な態度だ。アルが苦笑を浮かべながらそちらを見遣ればきゅるんとしたつぶらな瞳を見せてくる。確かに二面性はありそうだ。
こうなるのであれば、城郭をさっさと越えてもよかったかもしれない。いや、誰でも、どういう状況でも逃げられる道を得るという意味では必要ではあったか。
わかった、とアルはラングの肩を叩き、一先ず双剣を収めさせた。それから牡鹿を振り返り、釘をいくつか刺した。
「頼むから単独行動はやめてくれよ、思い付きでとか、良かれと思って、っていうのも、ヒトからすれば困ることがある。こっちの言葉を聞いてからやってくれ、いいな?」
「穢れ風情が……」
「なんだって?」
「承知した」
こいつ、本当に不安かもしれない、とアルはホムロルルを睨んだ。俺が差し向けたわけじゃねぇ、と鷹はピヨピヨか弱い声で鳴いた。いっそ城郭の中に入り込んだあたりでお帰り願った方がよさそうだ。アルの隣で言葉は不自由ながら雰囲気を鋭く察知したラングが、だから言っただろう、と言いたげな様子で腕を組み、剣呑に顎を上げていた。とにかく、ここで立ち話を続けていても仕方がない。
「ホムロルル、上空からこの城郭の向こう側、どうなってるかとか、人がいるかとか見てもらえるか? 五十ロートルはないだろ」
「あぁ、任せろ」
気まずさを誤魔化すように鷹はアルの肩から飛びあがり、ひゅるりと姿を城郭の向こうへ消した。ものの数秒で戻ってきたホムロルルに腕を出して止まらせ、どうであったかを尋ねた。ラングは何も言わなくてもオルファネウルに手を添えていた。
「この向こうはヒトでいうところの墓地ってやつじゃねぇかな、石碑みたいなのが並んでて、もう長いこと手入れもされてなさそうだぜ。崖の街、ファンファルースみたいに寂れてらぁ。ヒトもいねぇ」
『もう少し詳細がほしい』
『そうだなぁ、石碑の並びは整列されてたぜ。小屋みたいなのが点在してて、城郭ほどじゃねぇけど塀の中にあった。広さはかなりだ。明かりを灯す道具もあることにはあるけどよ、その中に火をつけられる、蝋燭? とかは入ってねぇ。こんなもんでいいか?』
『ありがとう、助かる。聞いた限りではフォートルアレワシェナ正教の敷地の可能性が高いな。もしそうならば隠し通路に期待ができる』
隠し通路? とアルを含め土地神たちがラングを注視した。黒いシールドの奥で哀れなものを見るような顔をされた気がした。言外に、ツカサならばこういう時、こうかもしれないというアイデアを口にするだろうに、と言いたげな沈黙があった。仕方ない、少しその役目も担ってやるか、とアルは咳払いをして誤魔化した。
「あー、あれか? 貴族とか教会によくある脱出口っていうか、そういう?」
こくりと頷かれた。アルの実家であるエフェールム邸にも隠し通路というものが実はある。本来、当主にだけ受け継がれるその道を、アルは家の中の探検をして遊んでいるうちに見つけてしまい、父に苦笑を浮かべながら秘密だぞ、と言われたことがある。兄からは逃げるならここから一緒だ、と強く手を握り締められ、その本気度が子供ながらに怖くかったことを思い出した。今なら、あれが覚悟であったとわかる。アルは首を摩り思い出から自分を呼び戻し、うん、と頷いた。
「じゃあ、この城郭さえ越えれば俺たちだけでどうにかできそうだ。牡鹿はそのあと帰ってもらう方向で」
「なんと、斯様な小さい役目だけで我を返そうというのか」
カッ、と蹄で地面を掻いて不服を示し、牡鹿は威嚇をするかのように前傾姿勢になった。立派な角がこちらを向き、両肩の付け根あたりがぞわっとした。これは困ったな、俺も無理かも、とアルが牡鹿への歩み寄りをやめようとした瞬間、空気が変わった。木々が平伏し大地はその体を柔らかく広げ、黄金の降り注いだ絨毯のようなものが現れて、金細工のアーチが出来上がった。牡鹿が前脚を折って頭を下げ、その主の登場に備えた。
艶やかなたっぷりとした茶色い毛皮。大きな体にふさわしい重厚感と貫禄、低く威厳のある老人のような声が大熊から発せられた。
『まったく、お前ときたら。我こそはと片角を上げるものだから任せたというのに、ワシの鼻先に泥を塗るつもりか』
「滅相もございません、我は」
『言葉を合わせよ、最低限の礼儀すら持たぬのならば、命を集める使命に蹄を鳴らすがよい』
牡鹿はギュゥゥ、と鳴いてから後ろ脚も折り畳み、座り込んだ。一応の謝意らしい。ふん、と大熊はそれに対し鼻息を鳴らしてからラングとアルへ振り返り首を揺らして会釈を示した。大熊は槍にも視線をやり丁寧に礼を尽くした。オルファネウルがアルへ、通訳を頼まれた、と言ったことから、かなりの人格者なのだとわかった。
アルは槍を前に持ってくるとラングの方へ柄を向けた。それだけで通訳が入る、気にするな、ということだと理解したらしく、ラングは頷いていた。そのやり取りを見守ってから大熊が口を開いた。
『うちの若いモンがすまなかった。以前、誘い手を危険に晒したこともあるのでな、名誉挽回と意気込んでいたのだが、どうにも、空回りをする性質らしい。申し訳なかった』
まずは丁寧な謝罪。大熊はゆっくりと頭を下げ、アルは首を摩ってから座り、ラングは小さく息をついてから座った。それを経て大熊はよっこら、どすりと尻をついて座った。
『あの時は救ってくれて感謝するぞ。挨拶もそこそこに場を辞してすまなかった。改めて名乗らせてもらえるか』
『構わない。ラングだ。槍を持つ男はアルという。土地神の紹介は必要か?』
『ふはは、土地神連中は顔は知らずとも知った仲よ。構わぬ』
好々爺といった雰囲気を感じた。アルは大熊に好感を抱いた。
『ラング、よい名だ。そちらはアルか。背の槍には世話をかける。ワシはポットポス、北の先の見えない崖までを管轄する土地神である。名は覚えずともよい、お主たちに覚えやすく、大熊で構わんぞ』
牡鹿が何かを言いたげに顔を上げたが、大熊がそちらを睥睨し再び顔を下げた。大熊の丁寧な挨拶は低く渋い声もあり心地よかった。温かな大地に腰を下ろし、陽だまりにいるような気さえした。アルはそう感じてから夜だというのに周囲が柔らかな光に包まれていることに気づいた。そうか、聖域に入れられたのだ。
少し時間が欲しいと言い、大熊はホムロルルと服の中から出てきた蛇と触れ合い、じっと動かなくなった。情報共有だ。その間にラングはアルに水をくれと言った。癒しの泉エリアの水も残り少なく、それを伝えれば一口でいいというので水筒を渡した。【時失いの石】はあれど、飢えと渇きはある。アルもまた一口飲んでから水筒をしまった。短い時間で土地神たちは情報共有を終え、鷹はアルの膝の間に、蛇はその服の中にと定位置へ戻った。
とん、とラングに肩を叩かれ、槍の柄を求められた。土地神との会話に不自由はなくとも、ラングとアルの間は困るからだ。アルは互いの膝を渡すようにして槍を置いた。
『待たせた。ふぅむ、そうか……、誘い手ははらわたに残ったのだな』
「はらわた? 言葉からしてよくはなさそうだな……?」
アルがごくりと喉を鳴らして尋ねれば、大熊はうむ、とゆっくり頷いた。動作が大きく、寛容なのは大地が受け止めるからだろう。ホムロルルが翼をもぞもぞと動かして自己主張した。
『哀れなトリニク様がまた説明を担ってやらぁ』
意識の共有で情報を得たホムロルルが相変わらず損な役回りを引き受けたらしい。
『俺様は風だからな、土の中のことはなんとなくしかわからねぇ。ポットポス、大熊から聞いた感じだと、かなりやべぇぞ』
そう前置きを置いた上で話されたことはラングとアルの言葉を奪うには十分だった。
神殿の地下深く、そこに黒い命が揺蕩い、泉ができているらしい。死者があればそこへ死体が落とされ、もはや誰が誰かもわからない状態だという。這い上がれない深い穴の底で救いを求めて手を伸ばしているような状態が長い間続いているそうだ。狼の神獣・オットルティアをもってしても、それには手を出せず、どうにもできなかった。そのせいで大地は腐り、深いところからじわじわと浸食されているという。
『オットルティアがその身を犠牲にしたのは、せめてそこへ堕ちる命が減るように、という意図もあっただろうて』
大熊は惜しむように言い、土地神・神獣たちは僅かな時間目を伏せた。アルは土地神たちの追悼を待ってから言った。
「街の様子からは絶対にわからないな。でも、確かに首都・レワーシェの周辺で畑作なんかもされてなさそうだったな」
『街中を見ても食料は外を頼っている様子もあった。ここは受け入れるだけか』
夜の闇の中で飛んだこともあり全ては見られていないが、上から見たところ首都・レワーシェの周辺に小麦畑のようなものも存在しなかった。アルは腕を組んで首を傾げた。
「首都が駄目になりそうなもんなのに、どうしてシュンはそんなことをするんだろうな」
『何か企みがあることだけは事実だ。それがわかればと思うが……』
ショウリはシュンと繋がりが切れているので情報を得られない。今持っている情報はショウリとサルムから聞いた所業と、オルファネウルがマール・ネルを通して伝えてくれた情報だけだ。ハッとアルは顔を上げた。
「オルファネウルが聞かせてくれた話だと、シュンはツカサに用があるって言ってたらしい」
『ツカサに用だと? 昔話ではないだろうな。なぜ用がある? 聞いただけではあるが、シュンはツカサと、お前と、未来の私が殺したのだろう?』
「そうだ。まさか、その恨みで拷問にかけるとか……!? いや、だとしたらたぶん、俺とラングが先だ。キフェルへの道中で威圧を使ったこと、すごい根に持ってたみたいだし。じゃあおびき寄せる餌に?」
拷問、餌、とラングは薄い唇を少しだけぎゅっと結び、すぐに開いた。
『魔法障壁とやらが剥がれているのはわかる。ということは、ツカサ自身も危ういのではないか? 寝ていても張っていられると豪語していて、その言葉に嘘はなかった』
「それな。急いで助けなくちゃ。あぁ、でも、その前に、これだけ解いておきたい。これ、はっきりさせないと不味い気がする。なんでツカサに用があるんだ」
アルはくしゃくしゃと髪を掻きまぜて焦燥を滲ませた。ラングはその様子を横目に眺め、膝に置かれている槍の柄をトントンと指先で叩いていた。考えごとをしているらしい。
『ツカサも含めて恨まれているだろうが、わざわざ、ツカサに用があるというからには、そこに理由がある。なぜツカサだけだったのか、ツカサだけが持っている理由……』
ハッと顔を見合わせたのは同時だった。お互いに違う言語で同じ言葉を口にした。
――【変換】。
ラングはツカサに見せられた様々なものに変えられる力を思い出し、アルは黒い雨を青空に変えた光景を思い出した。そこに在るものを変えることができる。それを何に変えるかは使用者の気持ちと想像次第。もし、シュンがその力をツカサに使わせるために捕らえたのだとしたら。
「不味いぞ」
『ツカサが人質であり、我々もまた人質になりかねない』
「ツカサの弱いところだって絶対知ってる。雑貨屋だって不味い。そうだ、イーグリスって名前だって知らないはずは……どうして今までお目こぼしされていたんだ? あいつがオーリレア手前までで、あの時イーグリスに辿り着いてなかったとしても、ツカサとイーグリスで会ったってことは知って……」
再び顔を見合わせた。ラングはツカサから聞いたイーグリスだけしか知らないが、アルは真っ青になっていた。それからラングの肩を強く掴んだ。
「罠だったんだ! やばい、ショウリたちも不味い!」
『結論から話せ。予想でいい』
「シュンがイーグリスなんて名前を見過ごすはずがない! もっとも効果的に、ツカサを利用するために、取っておいたに過ぎなかったんだ!」
『もう一度言うぞ、結論から話せ』
「わざと知らないふりをしてた! ツカサが関係を持つまで待ってたんだ!」
シールドが少し下を向き、アルの言葉を槍から受け取り、上がった。
そうだ、たとえショウリが雑貨屋の看板名を納品の際に偽っていたとしても、最終的によいものが献上される先がシュンであれば誰かの口から【イーグリス】という言葉は耳に入る。調べはしただろうが、それを潰しに掛からなかったことはそれにも理由があるからだろう。
アルは【相棒】の声を思い出していた。あれはエルキスで歴史を調べていた時のことだった。
――時間が掛かっても良いから精霊離れを起こさせ、魔導士たちに攻めさせる。……まるで長い神の計画のようだな。
「まるで長い、神の計画」
そうだ、同じことではないか? 百年姿かたちの変わらない、享楽に耽るほどの時間を持つ奴が、なぜわざわざ深い穴の底に黒い命を貯め込んでいるのか。命というのは凄まじい力をもつ何かの塊だ。イーグリステリアもまた、長く生きるため、【渡り人】に分けたスキルを得るためなど、様々な理由から多くの命を抱え込んでいたはずだ。
『敵であればこそ、いずれ相対するのは必然。どう足掻いたところで出会う。ツカサの性格を少しでも知っていれば、魔法を防ごう、地下牢の中の命すら守ろうとするとわかるだろう。目にする命に心を砕くだろうと予想できる。時の死神の力の片鱗は知らずとも、何かするとは思うはずだ。もし、そうしてツカサが抱えたものすら目的にしているのならば』
「あぁ、不味い」
西の大山脈に兵を向けて道を潰し、神殿自体を手薄にさせて好機と思わせ、地下の通路を目指すしかないのだと思い込まされていた。誰が、どこまで敵か不明瞭だが、全ての見方が変わってくる。アルは一度大きく息を吸ってから低い声で唸った。
「やられた、これはツカサを捕らえるために、長い時間を掛けて計画された、罠だったんだ」




