3-30:聖域へ
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洞窟の中に入りランタンを点ける。二人で掲げた先に広がっていたのは何の変哲もない洞窟だった。
ラングはここが本当に聖域なのかと眉を顰めた。今まで足を踏み入れた聖域、北は仄かに青い光を湛え紋様に光が走っていた。ユキヒョウの聖域も、南の崖の街で足を踏み入れた場所も途中まではそうだった。だというのにここにはその兆候がない。
「静かだな、何もない……?」
ひょいと中を覗き込みアルという男はランタンを左右に振って、上を、下を確認した。一応、洞窟を歩く際の基本はわかっているらしい。人の手が入っていない洞窟というのは非常に珍しく、ラングの経験上、魔物などが棲みついて暮らしやすいように整えられたものという認識だ。とはいえ、この世界、そもそも理解の範疇を超えた生きものや出来事が多いので、ある程度そのまま受け入れることも必要だろう。
「行こう」
くい、と親指で洞窟の奥を示されたので進むという意思表示だろう。ツカサが時々口にする独り言の言語は学んでおらず、なんとなくを感じ取るしかない。動作もいちいち大きく、大げさで、いっそわかりやすいのは幸いだった。だが、こちらに気を遣ってかできるだけ前を行こうとするのが正直邪魔だった。
この男、一度【ラング】と比べてきた後、即座に護衛に立つ冒険者としての位置をはっきりと示してから崩すことがなかった。トロッコの道で剣戟を止められたこともあり腕のいい槍使い、冒険者であることはよくわかったが、癇に障る。飄々としているというか、細かいことを気にしないところというか、なんとなく体格も師匠に似ている気がして鼻についた。
ふと駄々をこねるような声が聞こえた気がした。
――なんでもかんでもリーマスリーマス言って、嫌いだ殺すだ言う割に大好きで慕ってて、そのくせ強がって! ガキじゃん!
そんなことはない、とあの時はっきりと返せなかったのは図星を突かれたからだ。リーマスにこだわり過ぎていることに気づかされ、強がっていた態度を指摘され、急に恥ずかしくなった。あれから少々、反省した。
アルという男が【ラング】ではなく、ラングとして扱うことのさっぱりとした心地よさもあり、少しずつ態度を改めていたところに、ツカサの件があった。離れてしまうことでどう守るというのか。馬鹿なことを考える奴だ。手に入れるものを手に入れて、即座に戻り、その頬を殴ってやると決めた。
その想いはアルとやらも同じであることは有難い。途中、ツカサがいつもつけているという魔法障壁なるものが霧散して消えて動揺した際、手厳しく、折れるな、堪えろ、受け止めろ、などと言われてしまったが、おかげで冷静にはなれた。ラングは息を吸い、足を踏み出した。
洞窟内はところどころ岩も抱えていて歩きやすくはなかった。壁は黒くざりざりしており、足元もデコボコ、誰かが歩いた跡もない。じゃり、じゃり、という音が洞窟内に響く。
暫くしてぶわっと熱さを感じた。これはドルワフロの鍛冶場とよく似た炎の熱さだ。奥の方で赤い光が見え、お互いに頷き合い、一気に駆け抜けた。
息が止まったのはラングだけではなかった。アルもまた、ぐっと喉を鳴らすようにして息を止めていた。洞窟は突然大きな空間をそこに現わし、ここからさらに先の横穴、恐らく道だろうところまで幅十五センチ程度のいわゆる一本橋ができていた。その下ではぼこりと音を立てて赤く、あまりの熱さに白く見えるどろどろしたものが煮えたぎっていた。膨らんだパンケーキの気泡がぱちんと弾けるように口を開けばそこから熱された空気が押し出され、ここまで届くようだった。
「あっちぃ……! ホムロルル、これ向こう側だよな!?」
「おう、そうだぜ」
鷹はばさりと翼を広げ悠々と飛んで先へいく。アルはラングに向けて肩を竦めてみせた。
「行くしかないな」
だいたい、言っていることは理解した。ラングはシールドを揺らして答えた。
『そうだな』
言い、ラングが足を踏み出せば後ろからついてくる気配がなかった。今にも崩れそうな一本橋、すぐにでも先を目指さなければそれこそ危うい。ラングは器用に振り返ると首を傾げた。
『どうした、早く来い』
「うぅ……、俺こういうの苦手なんだよ、足踏み外したらやばいやつじゃん……!」
そろりと足を踏み出しては引いて、アルはなかなか前に出てこない。ラングは呆れ、先に渡り切ろうと踵を返した。
「わぁぁ! 待て待て! 置いてくなよ! マント掴ませろ! なぁ! 頼むから!」
『足場のない空中、崖の街ではあいつと見事に空を掌握していた男が何を言っている』
「なに!? 何て言った!? 空? 空と一緒にすんな! 下を見ろ! 死ぬって!」
『……何を当然のことを? だからこそ先を急ぐのだろう?』
ただでさえ細い一本橋、少し中心からズレでもすれば端がカラカラと落ちていく。そうすればさらに細くなってしまうのだ。付き合っていられないとラングは先に行っているホムロルルへ声を掛けた。
『運んでやってはどうだ? 上部に余裕もある、羽ばたけるだろう』
『機嫌損ねるのがわかってるからやらねぇんだよ。オレ様が力を貸してみろ、そこの溶岩が吹き荒れるぜ?』
『死ねば命を抱える羽目になるだろう。それに、お前も危ないんじゃないのか?』
『オレ様はもう抱えてる命がねぇからな、それに土地も失ってらぁ、後任もいるだろってことでよ。容赦ねぇぜ、【火】だからな』
冷たいものだと思った。ユキヒョウを見ていると同じ土地神・神獣同士、家族のようなものかと思っていたが、少し見方を変えた方がよさそうだ。仕方なくラングは戻り、腰のポシェットからロープを取り出し、端をアルへ差し出した。
『早いところ先に進みたい。ツカサを迎えに行かなくてはならないからな』
『うぅ、悪い、ありがと』
アルはきゅっとロープの端を掴み、ラングが先を行き、つんつんとロープを引っ張って引きずり出した。ちらちらと足元を確認し、ラングが引く度に足を進めるアルはこの熱さの中真っ青だ。どうやら本当にこういった状況が苦手らしい。どうにかこうにか半分を行ったところで足元からビシリと衝撃が走った音がした。
「今のなんだ!?」
『走れ!』
ラングがロープを引き、アルは最初千鳥足で危険なステップを踏みながら駆けだした。入り口の方から一本橋が崩れ始めていた。ラングはロープを引っ張りながら全速力で駆け、アルは叫び声を上げながらそれについてきた。しかし崩れる速度が速い。
「うわあぁぁ! なんなんだよ!」
『跳べ! 跳べ!』
足場ががらりと崩れた瞬間、そうなれば無我夢中だった。アルは落ちていく足場を踏んで跳び、ラングもまたそうして宙を舞った。ぼちゃりと溶岩に落ちていく元一本橋。ラングとアルは向こう側の入り口にどうにか手を掛けられ互いに一度小さく息をついた。ひょいとラングが先に上がり、アルを引っ張り上げ、少しの間座り込んだ。
『……崩れるなら、最初から崩しておけ……!』
「ビビった……、勘弁しろよマジで、ああいうのだめなんだって……! 最初から空から落ちる方がマシだって……」
「おぉ、よ、よく間に合ったな……。帰りは運んだって怒られねぇだろうから……」
じろり、とラングとアルがホムロルルを睨んだのは同じタイミングだった。サッと鷹は首ごと視線を逸らし、先を急ごうぜ、と言った。
そうしたことが多かった。どうやら試練らしく、後ろから大岩が転がってきたり、謎かけを解くような部屋があったり、部屋のどこかにある扉の鍵を探させられたり、徐々に苛立ちが増した。大岩はアルがその槍ですぱりと斬り開き、難を逃れた。謎かけはこの世界の逸話などに疎く、先ほどのこともあってホムロルルを捕まえて逆さに振り回し答えを引き出した。鍵という名の宝石を探すのはラングに任せ、ものの数十秒で見つけてきた。
そうして宝石を扉に嵌め込んで開いた先は、聖域だった。淡いオレンジ色の明るい光が満ちていて、壁に不思議な紋様が彫られている。その紋様が明滅し、奥へ奥へと波打っている。ここだ、とラングは確信を得た。
「うわぁ、すげぇ、ラング、ここ暑くないな。ここが聖域か?」
聖域、と言いながらアルは胸に手を当て背筋を伸ばした。それがお前にとっての聖域の表し方なのかと呆れてしまったが、頷いておいた。さすがにここからはおかしな罠もないだろうと思ったのが甘かった。聖域に入った瞬間、ゴンッ、と背後で壁と同じような紋様を携えた扉が下りてきて閉じ込められた。二人の間に走ったものは苛立ちだった。アルの肩でホムロルルがぎゅっと肩身が狭そうに細くなった、ように見えた。
「まだなんかあんのかよ」
『殺す』
「殺すな、加護貰えないだろ」
行くぞ、と肩を叩かれ仕方なく聖域の道を進んだ。奥までよく見える一本道。その先はぼんやりと光っていて崖の街で見たような台座があるようだ。そこに土地神・神獣もいるだろう。暫く歩いて違和感を覚えた。いつまで経っても距離が縮まらない気がした。一度足を止めて手を前に出し、距離を測る。それを覚えてから再び歩き始めた。懐中時計を確認しながら十分ほど歩き、再び同じ動作を行った。
『距離が変わらない』
「きょり? 距離か、そうだよな、全然近づかないよな。気のせいじゃない」
アルはじぃっと前を見てそこにあるものをよく見ようとしていた。ラングは手っ取り早くその肩で息を潜めている鷹を捕獲し、逆さに持った。
『ピェー! 何をしやがる!?』
『どうせ答えを知っている』
「ホムロルル、精霊の言わんとすることもわかるけど、俺たち本当に余裕ないんだって」
「どこがだぁ!? 悠々構えてオレ様を見下ろしてんじゃねぇか!」
じぃっと二人から無表情に視線を注がれてホムロルルの勢いは徐々に失せた。哀れなトリニクが、がっくりと脱力したあたりでラングが言った。
『頼む』
「なぁ、ホムロルル、頼むよ」
アルも重ねて言い、ホムロルルはちらりと奥の方を見遣った。よし、吐く、と思いラングはホムロルルをアルの肩へ返して腕を組んだ。
『まぁ、もう、ここまで来てりゃ試練は達成したも同然だろ。足元と、壁が動いてて、お前ら全然前に進んでねぇんだよ』
ほぅ、とラングは後ろを向いて歩いた。アルとの距離は順調に広がり、こちらを眺めているアルの背中が先ほど入り口を塞いだ扉に当たった。驚いてそちらを確認するアルを視界の端に映しながらラングは振り返り再び奥の台座との距離を測った。変わっている。
『よくわからないが、誰かが扉に触れていなければ距離が縮まらないと?』
『そういうこった』
『面倒な仕組みだ。我先にと救いを求める者であれば永遠に辿り着けないというわけだな』
互いが互いの足を引っ張り合えば合うほど本来の目的から遠のいていくというのは、人間の本質を突いてはいる。ラングはアルを振り返り、指を差し、それからアルの足元へ指先を向けた。そこにいろ、というのは通じたらしくアルは門番よろしく槍の石突を床に突き、大きく頷いた。
『オレ様はアルから離れられねぇから、お前一人になるぜ』
『問題ない』
ラングはすぅ、はぁ、と呼吸を入れて床を蹴り、最奥へ駆け出した。もうこれ以上の面倒事は御免だと思ったのは仕方のないことだろう。




