3-29:西の山
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呻き声を聞きながらの睡眠は質のいいものであったとは言い難かった。それでも無理矢理目を瞑り、耳を塞ぎ、休息を得た。
のんびりとしている暇はもちろんないが、だからといって休息を疎かにしては万全を期しての行動はできない。【女神の欠片】を探す、土地神から加護を得る、戻り、ツカサを救う。行動指針は明確だ。どうしようもない無力感を覚える時、やらなければならないことがあるだけでも人はどうにか立っていられる。やるしかないのだ。
黒い命の呻き声に唸り返すようにして顔を上げた。向かい側で双剣を腕に抱いて休んでいたラングもシールドを上げていた。癒しの泉は枯れはしないがぽたり、ぽたりと量が少ない。湧くのではなく絞り出すように水が滴る様子に、残量が不安になった。お互いに一口喉を潤した後、アルはこれを水筒に入れ時間停止機能のついたポーチにしまいこんだ。癒し手であるツカサがいない今、これは大事な怪我を治す手段だ。もう一つあることにはあるが、できれば使わないでおきたい。ラングは何も言わず、迷いのない行動に意味があることは理解して任せてくれた。そういう勘の良さは健在だ。
「さて、じゃあ行きますか」
ぐっと柔軟体操をして筋を伸ばし、槍を、双剣を構えた。これから進む通路の黒い命たちは目を瞑り見て見ぬふりをしている間にどっぷりとしたひとつの塊になっていた。ごめんな、とアルは胸中で呟き、槍を突き刺した。ひとつにまとまってくれていれば簡単だった。刺したところからしゅわっと泡に変わり、まるで花びらが広がるようにそれは白く弾け、消えていく。いっそ、死ぬときはこういう方がいいのかもしれないとさえ思った。
ツカサ曰く、相手に殺そうという意思はなく、温もりを求めているだけだという。どうかこの槍が安らぎになっていますようにと柄にもなく祈った。
ホムロルルの先導もあるためここでもアルは前に出た。眠ったとはいえラングが心に負った枷は重いはずだ。そのくらいはしてやりたかった。ラングは何度か前に出ようとしたものの、それを押しとどめたのもアルだ。いいから、と無言で胸板を押し返す手に、何度目か、イラっときたらしく突然噛みつかれた。
「いってぇ!? なんだよ!?」
しっかりと歯を立てて思い切り噛まれ、アルはその場で飛び上がった。手を振り払うとか、叩き落とすとかあるだろうと思ったが、それをやった上でアルが譲らなかったので噛んだのだろう。それも容赦なく。よく見たら歯形までついている。とんでもないじゃじゃ馬、いや、猛犬だ。
「お前な! 犬じゃねぇんだから!」
ラングは何を言われたのかはなんとなくわかったらしく、アルの胸倉を掴んで引き寄せると耳に向かって大きな声で鳴いた。
『ガウ!』
「ばっ、かやろ! うるさ! 耳痛いだろ!」
アルが耳を押さえて唸っている隙にラングは前に出た。気を遣って前を歩いていたのも余計なことだったのかもしれない。【ラング】は常々過去の自分をクソガキと称していたが、その言葉には一片の嘘もなかったわけだ。アルはむすりとした顔でその後に続いた。まだ短い時間の二人行動だが、アルはツカサという調教師の存在の大きさを痛感していた。
道中、黒い命はいなかった。癒しの泉エリアに詰めかけていたものが全てだったのか、分かれ道に当たっても見かけなかった。パチリ、と存在を示すように鳴るラングの時計曰く、いつの間にか夜になっていた。休みなしで駆け足のまま進み続け、再び小さな癒しの泉エリアに辿り着いた。
「やっぱりダンジョンなのか?」
ふわっと感じる風の圧、安全地帯だと体が理解し、壁に寄り掛かって息を整える。癒しの泉エリアだがここに水はなかった。壁の窪みはあるもののそこは乾いており、あるのは安全地帯だと体が認識する事実だけだった。
「ホムロルル、どういう状況なんだ?」
「ここは蓋なんだ」
うん、わからない。質問を重ねる前にラングへの通訳をオルファネウルに依頼し、アルはラングの手を掴み槍に触れさせた。一瞬驚きから硬直していたが、オルファネウルの説明は通じたらしい。首を傾げながらもおかしな事象を受け入れてくれた。ツカサには挨拶させたことがあるものの、ラングに経験させるのは初めてだ。これはなんだ、どういう仕組みだと聞きたいだろうにそれを堪えられるのはさすがだ。案外、好奇心も旺盛なのでこういった機会は逃すまいとするところもあるのだが、時と場合を考えてくれるのは有難い。ホムロルルは壁の窪みにとまり羽を休めながら話した。
「お前らが言う癒しの泉エリアってやつを置いて、蓋にしてんだ」
通路のところどころに小さな癒しの泉エリアを置くことで、生者は救われ、死者は囚われる。そこから進むことも戻ることもできず、ただ救いの御手が来るのを待ち続けるしかない。しかし、それは死者を苦しめるが、生者と土地神・神獣を救うことには繋がった。
「言っただろ、西の土地神はこれ以上命を抱えないために、火の海を溢れさせてヒトを追い払ったってよ」
『命が地下を通り、結局西に流れてきてしまうのは、乾いた大地も水に溺れる、か』
「ま、そういうこった。だから、なけなしの力で蓋が創られてたってわけだ。……お嬢の力の残滓だ。そうでなきゃ、オットルティア、狼の土地神だって三年持ったかどうか……。地上のモンはあいつが持ってったにしても、地下にこんだけ残ってちゃぁ、なぁ……」
オットルティア。アルは腕を組んで記憶を掘り起こす。首都に現れた狼の土地神・神獣で、一時的に命を預かり、黒くさせなかったという漢気の溢れた奴だったはずだ。多くの命を抱え込み、己の消滅とともにそれらを連れて行き、人々を数年とはいえ守り、救った、まさに神獣だった狼。
なるほど、理の神やら土地神やらもいろいろと考えているのだ。そしてここに黒い命が多かった理由もわかった。黒い命が温もりを求めて生者を襲い、生者は安息の地を求めてここへ逃げ込み、そこに黒い命を寄せ付けない場所があることを知った。だが、成人男性二人と鷹が一匹、足と羽を伸ばして休める程度の場所だ。奪い合いになったのだろう。一縷の望みを賭けて奥へ進み神殿地下の扉へ辿り着いたとしても、向こう側から開いてもらわなければ開かないのであれば。そうした成れの果てがあれらだとすれば納得がいく。他国と通ずるはずの扉の前に地下牢などとおかしな造りだと思っていたが、もしかしたら、地下牢の喧騒は扉の向こう側の声を掻き消すために作られたものだったのかもしれない。
考えても仕方ないか。アルは頭の後ろで腕を組んだ。ツカサであればもう一歩踏み込んだだろうな、と一人で笑ってしまった。ラングとホムロルルから同じような視線を向けられ、首を擦り誤魔化した。
「でも、一つ前と違ってここは水もないよな」
「残滓だからな、いずれ薄れて消えんのさ。ギリギリだったんだ」
空っぽの受け皿を覗き、ホムロルルは少し寂しそうに首を下げた。槍から手を離し、ラングは座り、壁に寄り掛かった。
『そういうことならば、力が消える前に、少しでも体を休めておいた方がいい』
「そりゃそうかもな」
ホムロルルは地面に降り立つとアルに座ることを要求し、胡坐の窪みに入り込むと脇腹の方へ首を突っ込み、羽を畳んだ。その羽を撫でてからアルは先前の癒しの泉エリアで水筒に入れておいたものを一口、次いでラングに放り投げた。
『飲めよ、ちょと違う』
『ありがとう』
ぐいっと呷り、水筒を投げ返される。ツカサという潤滑油がない今、このくらいの距離感でいいのだろう。アルは槍とホムロルルを抱え込んで目を閉じた。
暗闇の中の翌朝、再び水筒の中の水を飲んでから移動を開始した。西から逃げてきた者たちが西へ戻ることはなかったのか、癒しの泉エリアを出ても黒い命には遭遇しなかった。それよりも徐々に空気のにおいが変わり始め、そちらへの困惑が強かった。何か物が腐るような、ゆで卵のような、なんともいえないにおいに何度も鼻を擦ってしまう。
「なんか変なにおいがするな」
「出口が近い証拠だぜ」
ホムロルルの言葉通り、暫くして遠くに白い光が見えた。アルはラングと顔を見合せてから上り坂を一気に駆け上がった。
――期待していたわけではないが青空はなかった。噴煙に濁った空。白い灰と黒い土とごろごろ転がっている石と岩、遠く、大地が火を吹いた跡か、ぼこりと膨らんだ黒い山は白い息を吹いていた。こんなところでも微かな緑が生えていた。大地を温めると言っていたのは本当らしい。保っているのならばもたせるという意味をその小さな緑の集まりからなんとなく理解した。
飛んできた石や岩は今出てきた場所を狙わなかったらしい。ここだけはぽっかりと開いておりまったく被害がなかった。振り返ればここもまた山に突然開いた穴のようだった。
「ここに追いやって、人を逃がして命を抱えないようにしたってわけか」
槍でつん、と地面をつつけばざらりとした土と灰がその穂先を受け止め、ずっぷりと沈んだ。そっと足を乗せればザグっとした感触があった。案外滑る。
「先導するぜ。見えるか? あの洞窟が目的地だ」
ホムロルルの指し示す方角へ目を凝らす。噴煙を吹いている黒い山にぽつんと、違う黒い色が見えた。洞窟だ。ここからもそれなりに距離がある。けれど目的地が明確であるのはいいことだ。ラングにも目的地を槍で教え、頷き合い、歩き始めた。
ざりざり、ザクザク、細かな灰とゴリゴリとした石などで歩きにくい。石を踏み、灰がズルっとブーツの底を滑らせ、槍を突いて難を逃れた。ラングはアルが踏んだところを踏んで歩くなどと狐のような真似をしており、アルは歩幅に気をつけてやった。
鉄が溶けることを想像しろと言われていたが案外洞窟の中よりも外の方が風もあって涼しかった。ホムロルルの力かと問えば、ここは高い場所にあって、高い場所というのは寒いのだと教えられた。確かに、思い返してみればアズファルに入国した時も、サルムと出会った丘もそれなりに肌寒かったように思う。
小休止、足を止めて振り返る。出てきた場所もちょっとした山の麓だったが、周囲を見渡せば山々の連なりがある。上り下りが多かったので位置が狂っていたものの最終的に随分上ってきていたらしい。遠く、下の方まで灰色と黒っぽい土で覆い尽くされ、ところどころ緑の群れがあった。灰色と黒の中にある緑は案外見にくいのだなと思った。
さらにその先に西の大山脈と呼ばれていた山々があり、盾のようにその身を構えている。木々や森があればまだ見慣れているが、この光景は距離感すら狂いそうだった。
ふしゅう、と目指している黒い山が息をするように白いものを吹く音に改めて振り返った。そこからは言葉もなくただ上り続けた。この先で加護を手に入れ、ツカサを救いに戻る。そのためだけに足を動かしていた。
目的地が見えている状態でなかなか近づかないというのは焦れるものがあった。
「ホムロルル、飛べないか?」
「オレ様が飛ぶとなると、一度上昇しちまうからな。そうすっとお前らにとっちゃ毒の高さを経由しなきゃならねぇ。こっから下の方へ下りるだけならどうにかなりそうなんだけどよ」
「じゃあ、帰り道は飛べるんだな?」
「土地神の機嫌次第だぜ」
帰り道の重い扉のことを考えれば、再び地上から戻った方がいい。兵士が詰めかけているらしいがそれはなぎ倒せばいいことだ。ルシリュという奴が嘘を吐いていなければ、恐らく、武器すらまともに持てない奴らである可能性も高い。それはその時考えようとアルは改めて前を向いた。
膝を上げて岩を踏んでとにかく進み、洞窟の入り口に辿り着いたのは二時間も歩いてのことだった。一度息を整える。標高が上がっているせいか息が薄く、何度も大きく呼吸を入れ、手を握り、開き、感覚が鈍くなっていないかを確かめた。ラングはあっという間にそれを整え終わり、アルの準備を待っていた。
「慣れてんな? どういう経験したんだか」
『まだか』
「もうちっと」
最後に大きく息を入れ、アルは両頬を叩いた。
「よし、んじゃ、行くとしますか」
洞窟の奥から、ごう、と怒るような炎の音がした。




