3-28:焦りを呑み込んで
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時折、行く手を阻む黒いものを突き刺しながら進み少し広いところに出た。アーチ形の通路の出口から足を踏み出せば、円形の広場だった。通路はそこからさらに三つあった。今出てきたところがわからなくならないよう、上部に槍で傷をつけパラパラと落ちた破片を眺めた。通路の劣化はあるものの、どこかが崩れているわけではないのでその頑強さに感心した。
「地下だから保たれてるってわけじゃないよな、これ」
「本来なら特殊な石なんだぜ」
詳しく聞きたい気持ちもあるが、今は先を急がねばならない。西の土地神・神獣からの加護を得て、ツカサを助けに戻り、この世界から脱するための道を得なくてはならないのだ。ツカサだってそうしてほしくて先に行け、足手まといだ、などと言ったはずだ。エレナに叱られてから、ツカサの中で燻ぶっていた何かが綺麗に水の底に沈んでいるのはわかっている。こちらが本当に足手まといになるわけにはいかない。アルはよし、とひとつ気合を入れてホムロルルを見遣った。
「よし、ホムロルル、次の道を示してくれ。ラング、行くぞ。……ラング?」
留まっていればあの骨だの黒いどろどろだのが追いかけてくるだろう。それどころか、三つある通路の先からここに集まってくる可能性だってある。奴らの足がたとえ遅くとも移動は早くするべきだ。だが、ラングはこの円形の場所に下りてから拳を強く握り締めたまま動かなかった。
「ラング」
肩に手を置こうとすれば振り払われる。黒いシールドが上がり、ラングが顔を上げてこちらを見たのはわかった。
『行こう、どちらだ』
ホムロルルが翼でアーチ形の入り口のひとつを指した。ラングは足音もなく、けれど何か重そうにしてそちらへ向かった。まるで足枷をつけられた囚人のような重さだとアルは思った。それを外す鍵はきっとツカサしか持っていないだろうが、それでも。
「ラング」
アルはラングに追いつくとその肩を掴んだ。再び振り払われる。構わず、アルはもう一度肩を掴む。
『しつこいぞ、なんだ』
『折れるな、堪えろ、受け止めろ』
アルが口にしたのは【ラング】が事あるごとにツカサに伝えていた言葉だった。厳しいことを言うよなと思っていた。【渡り人】の少年は世界のことも、世間のこともよく知りもしないのに懸命に顔を上げ、先を目指し、生きるために厳しい鍛錬を行い、必死だっただろう。それなのに【ラング】はその言葉を繰り返しツカサに贈っていた。アルはそれが呪いなのか祝福なのか、はたまた導なのかわからないでいた。
実際、こうして口にしてみるとこれは戒めであり呪いのように思えた。それがツカサの中で導に変わっていることを祈りながら、アルはラングの胸板を拳で叩き、次いで自分の胸をドンを叩いた。
『俺がいる』
黒いシールドの奥、見たこともないラングの双眸を見据えながらアルははっきりと告げた。
ラングは一瞬肩を震わせた。息を吸い、肺の震えが伝わったせいだ。マント越しなのでわかりにくかったが、アルの目には隠せなかった。気づいたことも言わない。相棒よりも若いとはいえそれを恥と思う男だと確信があった。ぎゅっと唇を結んで視線を逸らすようにシールドがやや下を向いた。
この場所に来てラングがツカサの支えであったように、ツカサがラングの支えであったことは想像に容易い。応用力はこの年齢から利いているようだったが、柔軟さは逆に相棒の方が柔らかい。それは受け入れるだけの度量と経験をしてきたからだ。いや、それだけの傷を抱えてきたからかもしれない。軌跡に思いを馳せるのも後にしたい。とにかく動かなければならない時というのはある。それくらいはラングだってわかっているはずだ。
『大丈夫だ、相棒』
その足枷になっている鎖を隣で持って歩くくらいはできる。片側の足枷をこちらの足に嵌めて隣を歩いてやる。肩を支えてやる。お前がそうしてくれたように、覚悟はしているさ。
――相棒の故郷を見捨てるほど、私は堕ちていない。
そうだろ? アルは二ッと笑ってみせた。
ラングは横目にその笑みを見たのだろう、舌打ちをして悪態を吐かれた。それを咎める前にラングは大きく息を吸い、叫んだ。
『ああぁぁぁ!』
怒りか、悔しさか、悲しさか、どうしようもない焦燥か。様々な色を込めた叫びは威圧を伴い、怒気を孕んでいた。アルはそれを真横で受けながら珍しいと思ってしまった。相棒の威圧には感情がない。だからこそ、人はそれを受けた時に恐怖を抱くのだ。怒りであるとか、殺意であるとか、そういうものを明確に感じ取れる方が安堵するのも、物事に理由をつけがたる人の性なのだと相棒から聞いた。
随分と長い咆哮だったように思う。けれど、時間にすれば僅か数秒。息を吸いながら体を戻し、ラングはアルの胸板を拳で叩き返した。
『ありがとう、冷静になった。行こう』
『大したことではない』
アルが肩を竦めながら返せば、ふ、とラングが笑った。それをこそばゆく思いながら再びホムロルルの案内に従って先を目指した。
真っ暗闇の中ひたすらに進み続けた。下り、上り、カビた臭いにうっ、となりながら、西への出口を目指し続けた。
徐々にじわりと暑さを感じた。ホムロルルに問えば地熱というものらしい。やや湿気を含んだ暖かさは心地よいのか気持ち悪いのか絶妙なところだ。壁は石ではなく岩盤をくり抜いた道に変わった。
「すげぇな、ダンジョンでもないのにこれを人の手で?」
アルにしてみればこうした道の造りはダンジョンそのものだ。ランタンの明かりでオレンジに照らされた壁はゴツゴツしており、天井は丸い。四角く削り、掘るだけの労力が大変だったのか、そこにも理由があるのか。そういう造りに対しては勉強不足だな、と頬を掻いた。
故郷では、ダンジョンは既に出来上がったものであり、不可思議が通じる場所だ。むしろ理屈を考えだしてしまうと癒しの泉エリアの水はそもそも飲んで大丈夫なものなのか、と首を傾げてしまう。そうしたことを細かく考えないでおくのが故郷のダンジョンだ。ツカサはダンジョンについてブツブツ言っている時もあったが、そういうのは今も任せておこうと思っている。適材適所だ。パチリ、ラングが懐中時計を鳴らした。
『深夜になる。ホムロルル、安全な場所はあるのか?』
『もう少し先に行きゃ、黒い命がいない場所があるぜ。お前らヒトにしちゃぁ結構足が速かったからよ』
「なんだ? 何て言ってる? 場所?」
安全な場所があるぜ、とホムロルルが言ってくれ、アルはほっと息をついた。ただでさえ真っ暗な闇の中、消費を必要としないランタンはあっても気は滅入る。その中で黒い奴らを追い払いながら休むのは正直ごめんだった。
扉を離れ、ツカサと別れてから七時間ほど、安全地帯とやらに辿り着いた。アルもラングも眠らずに行動はできるが、アルは休憩を選んだ。相棒が常にそうしていたように大きな出来事があった後は、少しでも眠った方がいい。ホムロルルに案内された場所はアルには見慣れた場所だった。
やや白く輝く場所。そっと中に入ればふわりと風の圧を感じ、入り込んだ場所では息がしやすく、じとりとした暑さも湿気も感じなかった。ここは安全地帯なのだと体が理解した。足元は白い石畳、天井には光を放つ苔。端の方、壁に小さな水たまりができていた。
「えっ、癒しの泉エリア!? ここ、ダンジョンなのか!?」
アルが叫べばホムロルルは壁の水たまりの受け皿にとまり、水を飲み始めた。ラングはそれを見て安全を理解し、コップを取り出して水をすくい、少し口に含みおかしな味がしないかを確かめてから呑み込んだ。じわりと疲れが取れる現象にツカサが出していた水を思い出したのかアルを振り返った。
『ツカサが出していた水と同じような感覚がある、これはそれなのか?』
『えーっと、ツカサ、水、同じ……、あぁ、同じ思う。ここ、ダンジョン?』
『ダンジョンにしては入り口がおかしい』
『うーん、俺の故郷も、違う。でも、ここ、水、ダンジョン』
単語が出てこない。ツカサが書いて【ラング】に届け、そこから渡された単語帳を開き、指を差しながらどうにか『このエリアの在り方はアルの故郷のダンジョンとよく似ている。ここはダンジョンではないか』を伝えることができた。くそ、勉強はしたくないのに。ラングは腕を組んで周囲を見渡し、考え込んだ。
うぅ、おぉ。黒い命の声がした。ここへの入り口は二つ。今入ってきた方ではなく、別の通路からの声だ。ランタンの明かりに照らし出された黒いものは腕を伸ばし、何か膜のようなものに行く手を阻まれた。びしゃり。剥がれ落ちた黒いどろどろが膜を伝い流れ落ち、足元に辿り着くとまた体に纏わりつこうと這い上がっていく。
「なるほど、安全ね。あいつらは入れないのか」
「ここは理が強い場所なんでな」
「ツカサだったら閃くこともありそうなんだけどな」
ラングは黒いものがここに入れないことを理解した後、薪を取り出して小さな火種を作り始めた。ナイフで削った木材のカス、そこに火打ち石を打ち合わせてチリチリと小さな火を起こし、削っていた木くずに火を移す。小さいものから薄いものへ、そして大きな薪へ。パチリと乾燥した薪が目を覚ますように火を預かり、燃えていく。
『飯? 多く、持ってない』
『いらない。お前の傍にいれば飢えることはないのだろう? 焚火は……趣味だ。ここは空気も動きがあるからな』
『趣味?』
どれが、とアルが首を傾げれば、ラングは薪を追加しながら焚火を差した。なるほど、ランタンの明かりで十分なところに火を起こしたのは趣味だということだ。アルは壁に寄り掛かるように座ると槍を腕に抱いた。
『出発、起こして。よろしく』
ラングから返答はない。黒いシールドは焚火をじっと眺めているようだ。自身を落ち着け、焦らないために今は必死に感情を整理をしているのだろう。趣味だろうが、あれはラングにとって必要な工程なのだろう。リガーヴァルで旅をしていた時も事あるごとに焚火をきちんと起こしていたのはそのためだ。
ツカサなら大丈夫だという思いと、何かあったらと思う気持ちと、アルも同じように綯い交ぜになっているのでよくわかる。ちらりと金の腕輪、絆の腕輪を見遣った。この世界に来ていることを知って安心した繋がり。今はアルがそれを頼りにする番となっている。体に張られていた魔法障壁は、気づけばどこにもなかった。
「つまり、魔法が解除される何かがあった」
ツカサほどの魔導士が遠隔で魔法障壁を張り続けられないわけがない。事実、ラングに対してはどこにいるのかわかるよう、迷子札の意味合いでもつけているのだとツカサから聞いた。アルにもつけておくよ、ともののついでにつけられたそれは、多少魔力を持つからこそアルにもなんとなく感じ取れていた。魔力を持たないラングならばさらに感じていただろう。
いったい、何があった。パキ、と弾けた薪の音に救いを求める死者の声が低音を乗せる。
悪いけど、救うのは目を覚ましてからだ。
アルは難しいことを考えるのをやめ、目を閉じた。




