3-26:それは違う知識と経験
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扉の閉まる音が鈍く響いた。
ツカサはその音を聞きながら深呼吸をした。扉の向こうでガンッ、ガンッ、と音がしているので二人が無事に向こう側に行き、かつ、開こうとしてくれているのはわかった。扉を開くとき、押すより引く方が大変なのだ、時間は掛かるだろう。そうこうしている間に危険が近づいてくるので、さっさと先を目指してほしかった。
隣にそっと戻ってきた大男たちがツカサの体を捻り上げればそれだけで死ぬが、物理魔法障壁は展開してある。隣に並んだ二人はツカサに危害を加える様子もなく、ぼんやりと魔法障壁の向こうの炎を見ていた。攻撃してこないのならばいい。ツカサは炎を防ぐ方に意識を向け直した。
光もない地下牢で、いっそのこと白い炎は明るくて眩しい。目を眇めながら何度も瞬きをして光に目をやられないようにした。衝撃波のようにしながら、肉の表面を何度も焼くように炎が波打ってこちらへ迫ってくる。その発生源が徐々に近づいているのでこの魔法を撃っている張本人が近づいてきているのだ。ラングとアルを離れさせたかったのはそれが理由だった。
この狭い通路ではアルは存分に槍を振るえない。ラングはシェイのお守りがなく、魔法というものを相手取るには装備が整っておらず、そもそも理の属性であり、相性が悪い。ツカサだけであればとにかく防ぐこともできるし、反撃も可能だと考えた結果の、殿だった。決して、自己犠牲だとか英雄になりたいとかではなく、ツカサなりにやりやすさを選択してのことだ。
『考えてないわけじゃないんだよ、相手の怪我を治すのはいい交渉材料にもなるって、シグレさんも言ってたし、事実そうだったでしょ?』
誰にでもなく呟き、一際大きな炎の波を耐えきった。歪んだ熱の中で顎を上げてこちらを見下してくる尊大な態度の青年がいた。魔法障壁は展開を続け、こちらも睨み返す。はーぁ、と大きな落胆の声を上げ、黒髪の青年は首を摩り日本語で話しかけてきた。
『なんだよ、元気そうじゃねぇか。地下牢全体に魔法障壁なんてよくやるぜ。さすがお人好し』
『これでも鍛錬は怠らない方なんだ。元気そうだね、シュン』
チッ、と舌打ちをし、青年、シュンは美しい刺繍いっぱいのローブの裾を払った。ちら、とその目がツカサの装備を探ったようだった。見せてたまるか。鑑定妨害は形になっているんだぞ、とツカサは灰色のマントで身を少しだけ隠した。最大の攻撃力は魔法だが、いざという時の剣技もまた隠したい。それに、【お守り】もいざという時に頼りたい。破魔の耳飾りを外したのも同じ理由だった。マントの中で武器を空間収納にしまう。マール・ネルをしまおうとしたら、待って、と声が聞こえた気がして、そのとおりにした。暫く無言で睨み合い、シュンが舌打ちを零した。
『同郷だからかぁ? 警戒するもんがわかってて視えねぇの腹立つな』
『同郷じゃない、俺はスカイのツカサ・アルブランドーだ』
『あ? 帰化したってか? 異世界で大成功収めちゃってます、って自慢かよ、相変わらずだなぁ!』
『自慢じゃないよ、選んで、覚悟して、ようやく手に入れた居場所だったんだ』
なのに奪われた。すぅ、ふぅ、一度深呼吸。魔力は感情に引きずられることがある。冷静であれ、それが強みになる。シュンはイライラした様子で足先をパタパタと言わせていた。魔法障壁で守った地下牢の中から、【神子様】だ、あれが、と覗き込む人々がいた。そちらを見遣るシュンの視線を呼ぶためにツカサは声を掛けた。
『この世界で何をしてるんだ』
理の女神は消え、誰かがそこに収まっている。直接目にすると、それが目の前の青年だとは到底思えない。【鑑定眼】には名前だけが見えて、あとは黒いノイズで何も読めないが直感だ。覚悟はしていた、この男はあの時の欠片が集まったものだ。
『見りゃわかるだろ、遊んでるんだよ』
シュンはにたりと笑い、両腕を広げた。
『魔法のない世界で魔法を使う! 俺だけが持つ力! あの時とは違う、俺だけが特別な世界だ』
魔法が元々ある世界では【魔導士の中では強い方】と認識され、いくらダンジョンを攻略してもだめだった。助力を乞われ与した宗教も結局負けたことはわかった。そして。
『一方的に殺されてよぉ……! 許すわけねぇだろ!』
『サルムは呑み込んだ』
ツカサが言えば、ぴくりとシュンの眉が動いた。
『見てたんだろ、サルムのこと。どうして何人もシュンがいるんだ』
『お前、本当、口が上手いよなぁ。つい喋りそうになったぜ』
シュンは首を摩り、面倒だと言いたげにツカサを睥睨した。それから、ツカサの両側に控えている大男たちへ顎を上げた。
「お前ら、何してんだ。そいつを捕まえろよ」
「で、も、あったかい、みこさま」
「ッチ、どんな手で絆したんだっつーんだよ、ガキみたいな顔でマジできたねぇ奴だ」
ローブの中からごそりと筒のようなものを取り出して、シュンはそれを上から下に振り下ろした。両隣の大男たちが床にめり込むほど勢いよく頭を下げたことにツカサはびくりと飛び跳ねてしまった。呻き声に視線が取られる。生きてはいるが流れている血に手を差し出したくなった。シュンの目がある場所ではぐっと堪えた。シュンがツカサの能力についてどこまで把握しているのかがわからない。【あの時】は無我夢中で、お互いそこまで見ていられなかったはずだ。
シュンがもう一度筒を振り上げ、振り下ろした。大男たちが同じように顔を上げ、床に頭を叩きつけた。
「やめろよ!」
「うるせぇなぁ、せっかく拾ってやったのに言うこときかねぇからだわ。つーかお前一人かよ?」
きょろりとシュンが見渡し、そこに他の姿がないことに眉を顰めていた。これは探りか、それとも知っているのか、どちらか図りかねた。だから沈黙を選んだ。勝手に解釈すればいい。
「いや、鍵を壊したってことは通った奴がいるな?」
鋭い。それがなんだ。ツカサはラングのようにゆっくりと首を傾げてみせた。そうした動作がイラっとくるのか、シュンは筒を腰に戻し、そのまま手を当てた。
「英雄様かよ、俺に構わず先に行け! 的な? まぁ俺が用あんのもお前だけだしいいけどよ」
「何の用? 俺にはないんだけど」
「そうイキがるなよ、お前、この状況わかってんのか?」
後ろに重い扉。前方にシュン。魔法で開くことのないだろう扉を悠々と開けられる大男たちは両側で頭を床にめり込ませ、呻いている。確かに行き止まりに追い詰められた袋の鼠だ。それも覚悟の上でここに残ったのだ。
シュンはニヤニヤと楽しそうにこちらを眺めて、ゆっくりと歩み寄ってきた。炎を防ぐ目的で張った魔法障壁はまだそこにある。そこに辿り着くとシュンはそれをコツコツと叩いた。
「これずっと張ってるつもりかよ?」
「眠ってたって張り続けられる」
「へぇ? はは! そりゃすげぇわ!」
シュンは感心した様子で拍手を贈り、ツカサの努力を適当に褒めた。ツカサはじっと身構えた。シュンのこの余裕はなんなのだろう。時間を掛ければどうにかできるという自信があるのか、それとも既に対策があるのか。警戒は怠らないように周囲に少し気を回した。探るように魔力を巡らせて気づいたことがあった。不味い、とツカサが周囲を見渡したところでシュンは大声で笑った。
「ここに来ると思ってたぜ。西は今、大山脈の道も潰れて、兵を置いてるからな」
「どうして西に行くと思ったんだ」
「ははは! 話してやる必要はまだねぇなぁ!」
シュンはゆっくりと腕を上げた。ツカサはその軌跡を見ながら自身を守るための魔法障壁を堅く、厚くしてシュンに対して氷魔法を放った。
「アイシクルランス!」
「ばぁか、もうそこにいる時点で手遅れだっつーの」
シュンの手が振り下ろされる。ツカサの目には魔力の軌跡が視えていた。今立っている場所、その全ての壁に薄く、小さく、みっちりと魔法の痕跡があった。いくつもの点が一気に魔力を帯びていく。その全てがツカサの一点を狙って矢じりの角度を変えるようにして、一斉に放たれた。全面から撃たれたそれは一つ一つが弱いと想定していた。だが、貫通した。体の奥にあった何かを鋭く貫かれ、全身を巡っていた膨大な魔力が突然失われ、ツカサは息ができなくなって崩れ落ちた。
ひゅ、息を吸おうとして吸い方がわからない。体が重くて痛い。巡っていた魔力の道が突然全て縫い付けられるような、血管を全て閉じられるような感覚だった。血はどうやって巡らせるものだったか。魔法障壁が解けて地下牢の臭いも息の邪魔をした。放った氷魔法はふわっと霧散してシュンの頬を冷やしただけだった。
「ガンマナイフって知ってるか?」
ざり、と時間を掛けて歩み寄ってくる足音に体を震わせながら顔を上げた。笑みの一つもなく、冷たい表情でシュンがこちらを見下ろし、ツカサの肩に足を置いた。踏みつけられ、耐えたが、呼吸もできないままでは耐えきれず、床に顔を打ち付けた。
「ガンマ線っつー、いわゆるほそーいビームみたいなやつをよ、一点に向けて集中的にぶつけて、治療する方法に使われんだけどよ」
ぐり、と踏みにじられ、顔が擦れる。
「魔封じにも使えんだわ、これ」
くつくつと笑う声に顔を見てやるつもりで動けば、次は頭を踏みつけられた。頬が擦り切れるような感覚があり、ヒリヒリとした痛みが走った。それも治癒魔法で治せずに臍を噛む。もっとよく周囲に気を配っていれば防ぐ手立てはあったはずなのだ。炎魔法を撃たれ、そちらへ意識を持っていかれ、嵌められた。いや、なめていた、甘く見ていた。慢心していた。これは失態だ。最大の力を封じられ、ツカサは初めて【魔力のない状態】を味わっていた。背中が凍るように冷たかった。いつもなら防げるものを防げない恐怖が全身を汗となって流れていく。
「それに? 言っただろ。俺も反省しただけだ。素直にアドバイスを聞いて、与えられた小さな慈悲と、恵まれたチャンスと、ここを使っただけだ、ってよ」
とん、とん、とシュンの指がツカサの頭をつついた。そこで魔法を使われればそれだけで頭蓋骨を砕ける。しかし、やらないということは、生かしておく必要があるということだと理解した。
「あの時は傍にあるものがわからなかった。でも、今は【俺】になってる。そう、つまりだ。鍛錬好きのツカサくんより、俺の方が魔力が高い!」
ははは、と高笑いが響いた。頭から足が退けられ、ツカサはどうにか上体を起こした。もう少し、もう少し話を先延ばしさせれば体が動くようになる。そうしたら。
「ひとの、力を、自分のものにしたって」
「話に付き合うほど優しくねぇんだわ。なんか企んでるのは知ってるんだぜ。お前、その目、何かあるんだ、って切り札を持ってるようなのが顔に出てんだよ!」
顎を蹴られそうになって咄嗟に避ければそれも顰蹙を買って、テメェ、と何度も蹴られた。魔法障壁があれば痛くはないが、痛くとも防ぐ方法は習っている。守るべき頭や目を、臓器や筋を庇いながらバレないように受け流しながら、気の済むまで蹴られて痛いふりをした。痛いのだが、ラングに蹴られるのに比べればマシだ。
息を乱したシュンはツカサを最後にもう一度蹴り、転がした。大男にとんと当たって、ツカサは空間収納から出した癒しの泉エリアの水を口の中に出し、コクリと飲んだ。いつでも動けるようにしておくつもりでいれば、シュンに胸倉を掴まれた。もうすぐ、動ける。
「そのさぁ、目から力がなくならないの、なんなの? お前」
頭にシュンの手が置かれ、何かがずる、と入り込んでくるような感覚を覚えた。
「やめろ……! なに、するんだ!」
「大人しくしてろよ、面白いことを……!?」
バチンッ、とシュンの手が離れた。お互いに驚いて、ツカサは腰のマール・ネルを撫で、止められるのも構わず空間収納にしまった。シュンの手は真っ赤に焼けていて煙すら漂っていた。
「なんだよ今のは! まだ何か持ってんのか!」
「静電気じゃない? 痛かった!」
「こんな静電気あるかよクソガキがぁ!」
ドッ、と重い音を立ててツカサの背中が黒い扉に打ち付けられた。風魔法で巻き上げられ、飛ばされ、そのまま壁にぶち当たったのだ。全身が軋む。ツカサは無抵抗のまま床に落ちて呻いた。殺されていない、やはり生かす必要があるのだ。それだけは理解した。用があると言っていたのは偽りではないらしい。
魔力のない状態というのも経験しておくべきだった。重力が倍に感じるこの重ささえなければ剣を振れたかもしれないというのに。悔しい。ツカサが呻いていればその首へシュンの手が伸びた。
「お前にも味わわせてやるからな」
チクリ、と痛みが走り振り払おうとした。腕が重くて動かない。いつもならヒールで即座に治すのだが、盛大に叩きつけられた体が打撲を負っていて震えた。癒しの泉エリアの水で癒すとして、どのくらい時間が掛かるのだろう。いや、そんなことより、何をされた?
「お前ら! そいつを牢に入れておけよ!」
焼けた手を抱えようやく駆けつけた兵士たちに言いつけ、シュンは逃げるように地下牢の通路から駆け去っていった。ツカサは後ろの扉の向こうに気配がないことを確認し、兵士を押し退けてこちらに歩み寄ってくる見たことのある兜にゆるりと目を閉じた。




