3-25:地下牢の扉
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調査と準備ができた、とルシリュから連絡があったのは豊穣の剣ですったもんだあった四日後だった。
神殿内で地下通路の噂を【神子派】の守護騎士の前で話す。先日の侵入者があった件で対策を講じられず、責任を問われているので狙いの守護騎士は必ず乗ってくるとお墨付きだった。気の早い奴であること、無策で物事に当たる人物であることなど、様々な観測点から噂を流す日と決行日は同じにしたい、とかなり明確にルシリュが提案してきた。こちらとしては問題ない、決行日を決めてくれと投げ返し、では翌日、となってのことだった。
ショウリの商会が持っている別の小さな家。そこで夕食を食べながらのんびり待っていて、ちょっと遅いね、と話しているところへの襲撃だった。すっかり夕食も済ませた後だったので暴れることもなく連行された。
守護騎士は自身の立場にこちらが委縮していると思ったのか尊大な態度で縄も掛けずに先導を始め、さすがに、コイツ大丈夫か、と不安になった。
一先ず、神殿の正門は守護騎士のマントで越えた。先導する守護騎士のマントには【8】、【神子派】だが崇拝ではなく、権力欲の強い男で、小物だが面倒な男だと書かれていたことを思い出した。ルシリュは、状況からもちょうどよく、こいつを排すと決めたらしい。ツカサはちらりと男の様子を窺った。
ブツブツと呟く内容に聞き耳を立てれば、これで挽回できるはずだ、捨てるわけにはいかない、など、追い詰められている様子が見て取れた。迷わずに歩いていくその後をついていけば、何度も教徒とすれ違う。
「ポデム様、それは、そちらはいったい……!?」
「うるせぇ! 黙れ! 退け! 俺様は忙しいんだ!」
【8】の守護騎士・ポデムは教徒を突き飛ばしながら先を急ぎ、叫んだ。ツカサは思わず倒れた教徒に手を貸して起こし、さらに後ろを歩いていた【8】の守護騎士の部下に背中を突き飛ばされた。やめろと言いたげにアルがツカサと部下の間に入り込んだ。身長の高いアルが見下ろすだけで夜盗のような部下は少し距離を開けた。その間にも先頭で【8】の守護騎士は叫んでいた。
「神子様に襲撃犯の奴らを捕らえたと伝えろ! 俺様はこれから、こいつらを地下牢に入れにいく! いいか、俺様が、ポデム様が捕らえたんだと伝えろ!」
教徒たちはお互いに顔を見合わせて仕事を擦り付け合っていた。誰もが直接【神子】とかかわりたくないと顔に出ていた。あまりにも畏怖を与えすぎている。だが、情報連携が密ではない、これはチャンスだな、と思った。情報が回る前に行動に移せれば幸運だ。
荘厳な神殿を見て回る余裕はなさそうだ。ツカサはちらりと視線を上げて通路を眺めた。銀の燭台は磨かれておらずくすみ、蝋燭は滴る蝋がそのままになっている。煤を孕んで垂れ下がり壁を伝った蝋は剥がしとられていたのでどこかの部屋で再利用されているだろう。首都・レワーシェ全体が明るく暖かい印象だが、ここはなんというか、寂しさを覚えた。
石造りの廊下を進み、階段を下りて行けば行くほどひんやりとしたものを感じた。むずりとして、ちらりと前にいるラングを見遣れば左頬を二度叩いていた。紋様が出ている。つまり、ここには黒い命がある。注意しなくてはならない。
ぐっと下っ腹に緊張感を抱いた割に、順調すぎて怖い。特に強く止められることもなく地下牢まで辿り着いてしまった。
泣き声と、救いを求める声と、悲鳴、嬌声、何かをぶつ音、打ち付ける音、腐った何かの臭いが全て混ざり合って顔を撫でた。地下牢を管理しているのだろう男が守護騎士様、と止めても止まらず、【8】の守護騎士はズンズンと奥へ行く。後をついて来ていた部下たちもさすがに困惑し始めていた。
「旦那、どこまで行くんですかい?」
「うるせぇ! 黙ってついて来い!」
焦りが含まれた声に、予想通り、ルシリュが誘導した通り、こいつの目的が地下牢の先であると理解した。となれば、進めれば進めるだけ有難い。
蝋燭の明かりすら少ない地下牢の通路、ちらりと牢の中を見遣った。当然のように地獄だった。入れられたばかりなのか衣服のまだ綺麗な人もいれば、いつからいるのかわからないほど黒ずんだ者もいる。牢の奥で微動だにせず寝転んだままの体には蛆がわいていて異臭が漂っていた。同じ牢にいる者は既に正気を失っているのか血が流れるのも構わずに親指を噛み続けており、ガタガタと震えてすらいた。女が犯されている牢もあり、素早く目を逸らした。自身のトラウマを抉られてしまい唇を結ぶ。あと少しで突き当りの扉、といったところで牢屋から伸びた腕に灰色のマントを掴まれた。
「なに……!?」
明かりもない暗がりからガリガリに痩せた腕が飛び出してくれば誰でも驚く。決死の思いで掴んだのか、手は震えていた。灰色のマントも細い腕も、どちらも棒きれのような一本鞭で打たれ、離れた。
「さっさと歩け!」
背を押されて足を進めながら、ツカサはそっと振り返った。鉄格子に鳥の骨のような指がいくつも並び、虚ろな目が何対もじぃっとこちらを眺めている光景に怖気づいてしまう。足を速めてラングの後ろに追いついた。
「おい、ここを開けろ!」
【8】の守護騎士の叫び声で視線を前にやった。地下牢の突き当り、大きな両開きの鉄の扉を前に、体躯のいい麻袋を被った男が二人、門番のように控えていた。なんとなく、その姿勢にゴリラのようなものを感じた。ちらりと守護騎士の向こうを覗き込めば扉があった。太い鎖が二重三重に掛けられていてかなり厳重だ。扉を【鑑定眼】で視たところ、コングマ鉱石特別製、非常に重い、魔法耐性あり。と出ていた。囁くようにそれを二人に伝えれば、隣に来たアルに、つん、と腕をつつかれた。視線をやればぱちりとウインクされた。唇だけでやってみる、と言われ、頷いた。
門番がのっそりと立ち上がれば天井にごつりと頭がついた。狭くて背を丸め、ぐぅっと顔が【8】の守護騎士に寄せられた。
「あ、あ、あけない、こ、ここ、みこさま、か、かんり」
「その神子様のご命令だ!」
「だ、だめ、みこさま、あける、おでたちに、ちょくせ、つ、いう」
この二人も地下牢を管理する者たちなのだろうか。地下牢とこの扉は別なのかもしれない。【8】の守護騎士があの手この手で扉を開けさせようとするが、大男たちは頑なに扉を開けることを拒んだ。焦れた【8】の守護騎士は大男の腰にあった鍵を奪い、錠に差し込んで開けようとした。
「だ、め」
二人、愚鈍だが太く強靭な腕を【8】の守護騎士の伸ばし、腕を、肩を掴んだ。ぱきょ、と軽く情けない音がして、次いで絶叫が響いた。人間の腕が絞られた雑巾のように細く捻られ、千切れていた。肩はべっこりと凹み、腕がどうにかぶら下がっている。呆気に取られていれば大男たちがオロオロしながら腕を伸ばした。
「あ、あ、ごめ、なさ、おで」
動揺し、心から謝罪を述べながら大男の一人が【8】の守護騎士を助け起こそうとして頭を掴んだ。ぱちゅん、と風船が割れるような音がして、頭が消えた。どぷりと何かを零しながら【8】の守護騎士の体が倒れ、扉に寄り掛かり、ずるずると落ちていった。暗闇の中で新鮮な血の臭いが充満し、暗い蝋燭の明かりで照ってその赤は黒く、艶めかしく映った。【8】の守護騎士の部下は悲鳴を上げて逃げ去り、連行してきたはずの三人を置いていってしまった。仇を取ろうともしないあたり、関係性が窺える。
「また、やっち、まっだぁ」
「なくな、なくな」
大男たちはおんおんと大声を上げて泣き、その声が地下牢に響き渡る。それすら気にされず背後では変わり映えのない音がしていた。今のうちに錠を開けて扉を抜けてしまおう、と思ったのは三人同時だった。足を前に進めたことで大男はのっそりと顔を上げアルを、正しくはその肩を見た。
「と、とり、さん、だぁ」
ずぅんと伸びてきた指をすぱりと何かが斬り落とした。くすんだ緑のマントが揺れていた。ラングの剣だ。腰のポシェットにしまっていたものを瞬時に取り出す。それもまたラングの培ったものなのだろう。
「進むぞ、あけろ!」
「下がってろ! うおおぉぉ!」
アルはアルで腰から取り出した槍を斜め下に構え、ぐんと振り抜いた。大男たちにも斬撃を浴びせながら錠がバキリと割れ、鉄の扉にも少し斬り込みが入った。神器・オルファネウルをもってしてもかすり傷程度であることを褒めればいいのか、この狭い通路で傷をつけられたアルを褒めればいいのか少々悩む。大男たちは自身の体を押さえてのたうち回り、子供のように大声で泣いていた。目もくれずに扉を押す二人をよそに、ツカサはそっとしゃがみ込んで【8】の守護騎士の命を自身のうちへ誘い、それから大男の腕を撫でた。
「見せて」
優しく声を掛ければぐずぐずと泣きながら身を起こし、素直に見せてくれた。落ちた指を拾い、水魔法で洗い、斬られた場所にそっと近づけて手で包む。よし、と手を離せば指が繋がっていた。腕に比べれば随分と楽だった。それから槍の斬撃を柔らかい光で癒し、呆然とする大男たちに微笑んだ。
「優しく、そうっと、触るんだよ。小さいものは弱くって、すぐに死んじゃうよ」
こうね、とツカサはそれぞれの手に触れて、立ち上がった。同情したわけではない。何も知らないだけのような気がして、魔法障壁もあり怖くないと思ったのだ。対処できる相手は敵ではない。相棒に怒られるやつ、とアルが腕に力を入れながら言い、そうかもね、とツカサは笑った。
「じゃあね」
大男たちはぼんやりとツカサを見上げ、お互いに顔を見合せ、小さく手を振ろうとした。瞬間、ツカサは右耳に熱を感じた。この熱さ、痛みには覚えがある。素早く振り返り前に出ながら叫んだ。
「盾魔法!」
「ははは! 見つけたぜぇ!」
地下牢全てを守るように、向こう側から迫ってくる魔力より早く、速く。大男たちよりも前に出て、ツカサが腕を前に出した。
パッと閃光が走った。真っ白になるほどの炎、鼓膜を叩く爆発音、腕がビリビリと痺れたが、あの日、オーリレアの南側で受けたものほどではない。しかし重い。
「ツカサ!」
「大丈夫! 防げる! 扉を開けて!」
「そうしたいけど、これ、想像以上に、重い……! 幅がないから、ひらけないしさぁ! あとすげぇ錆びてる!」
うおぉ、と呻きながらアルが押し、ラングもまた全身に力を入れて扉を押していた。ず、と僅かにしか開かない扉に苦戦を強いられる。槍を振るうにはあまりに通路の幅が狭すぎて、錠はまだしも扉をひらくには手間が掛かるらしい。腰のマール・ネルがフゥゥ、と兄を応援しているが、オルファネウルも力を振るえずに悔しげな音を返していた。やめてほしい、気が抜けそうになる。
遠くから何度も打たれる炎魔法、防げてはいるが地下牢全てに魔法障壁を張っている今は反撃に意識を向けられないでいた。
「ど、どいて」
大男たちがのっそりと鉄扉に近寄り、二人が離れればそこに腕をついて扉を開いた。ずりずりと重い音は立て、人が一人通れる隙間ができた。ラングとアルは顔を見合わせてからそれぞれ叫んだ。
「槍で怪我させて悪いな、ありがとう! ツカサ!」
「来い!」
二人に呼ばれ、そちらへゆっくりと足を下げていく。しかし、ここを離れれば全員が焼ける。どうしよう。右耳が熱を持って痛い。着けていられる熱さではなくなり、思わず触れて空間収納にしまいこんだ。
『ツカサ、来い!』
兄の呼ぶ声にツカサは肩越しに振り返る。
『後で追いかけるよ! 先に行って!』
『見捨てろ!』
『ここにいる命だけでも数がすごいんだよ!』
『私を守るのだろう!』
ツカサのせいではなく、ラングがいるせいで失うのだ。お前が背負うな、と言外に言われ、ツカサは前を向いた。
『わかってる、守るよ、そのために俺はここにいるんだから』
「おいツカサ! 何してんだ、早くこっち来い!」
槍使い、アルの声にもまた肩越しに振り返る。展開する魔法障壁に衝撃が何度も何度も響く。ごうん、ぼうん、という鈍い音がそこにも届いているだろう。
「アル、先行って! 後から追いかけるから!」
「お前、約束しただろ! 託すな! 見捨てることを怖がるな! 一緒に背負ってやるから、早く!」
「託すんじゃないよ! 重くて、事実、今、ここから離れられないから! 後で追うって言ってるんだよ! 魔法障壁、集中したいんだ! 二人とも、足手まといなんだ!」
絞り出すような声で言った。アルはラングのマントを掴んで扉の向こう側に追いやり、再び前に出てくるのを押しやり、文句を聞かずにツカサの横に戻ろうとした。その前に立ったのは大男たちだった。
「み、みこさま、あんたたち、むこう、いく、のぞんで、る」
「ゆび、なおしてくれた。みこさま、おでたち、まもる」
「いや、おい、待て! 俺が、っぐぇ! 放せ! うわぁ!」
『ツカサ!』
アルは、ぐぅん、と服を摘まみ上げられて体が浮かび、ツカサへ駆け寄ろうとしていたラングに向かって投げられた。手足の長い、すらりとした高身長、加えて鍛えられた筋肉のある男の体は重く、二人とも扉の縁に体をぶつけながらその向こうで倒れ込んだ。素早く身を起こして二人で扉に駆け寄った。体勢を戻すのも早かった、扉に向かって駆けるのも早かった。だが、見えたのは大男が二人、取っ手を掴んで扉を引き、閉めているところだった。
「やめろ! 待て! オルファネウル!」
『ツカサ!』
槍の穂先を突き刺す前に、ズゥン、と音を立てて扉が閉まった。




