3-19:首都・レワーシェ 潜入
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「よし、いいだろう、運び込んでおけ。向こうの倉庫だ、あとでよくよく見てやる」
存外、あっさりと潜入はできそうだ。荷台の奥、穀物がたっぷりと収まった樽の影でラングは短剣を握っていた手を緩めた。同じようにテルマもまた、ふぅ、と小さな息を吐いていた。他のペアは違う荷馬車にいるがどちらも緊張している気配を感じた。
早朝、享楽に耽る人々が眠り、首都・レワーシェは束の間の静寂を得る。薄っすらとした霧が足を絡め取るように揺蕩い、いつだったかツカサとともに誘ったあの朝のことを思い出した。荷馬車が指示された倉庫の前に着いて、樽が運び出されていく。隠れた最後の樽を退けながら商会の者が今なら誰も見ていない、と声を掛けてきた。まずテルマが先導のために降りて、次いでラングが降りた。ここからはまず地下への通路へ入らなければならない。
ラングはこういう時、通気口から侵入する。不思議と暖かい首都であれば暖炉を扱う部屋も少なく、特に、上層は人が居ないと聞いた。ならば、山を背後にしている神殿の裏まで回り込んだ後、少し登り、入り込めばいい。上層に人はいなくとも物置になっていれば違う情報もあるだろうという考えだ。
今回はツカサの顔を立て、テルマの先導に従ってやることにした。荷を運び込んでいたうちの一人が扉を押し、鍵が掛かっていないことを確認。そこから入り込んだ。パタパタと慌ただしい足音がしていた。厨房から聞こえる調理の音、作業を叱りつける声、教徒たちの朝食のために準備が急がれているらしい。通路を行き交う気配が多い。通路の天井を見上げる。明かりは窓から差し込んでやや斜め下を向いていて、天井を支える梁は細いが乗れなくはない。
「行くぞ」
テルマの声に視線を戻した。予想に反してテルマは気配を消し、通路を柱の影に隠れながら進むようだ。あり得ない。ラングは指摘したい気持ちともどかしい気持ちをぐっと堪えた。なぜそんな悠長な手段で行くのか理解に苦しむ。ここで働くものの大半が味方だというのならば構わないが、これではいつ見つかってもおかしくはない。黒いシールドの奥からの訝しむ視線には気づいたのか、テルマは顎で次の経路を指し示した。
「早く、こっちだ」
こちらの台詞だ、というのも黙っておいた。
テルマの先導で人けの少ないところまでやってきた。目的の扉をギィ、と音を立てながら地下への扉を開く。土臭い、湿ったにおい。底から吹いてくる風があるということは、その先に外へ通じる道があるということだ。それが西であればいい。
これはいくつかある経路の一つで、一番使用率の低い扉だという。だとしたらおかしい。ラングは暗い通路を下りるためにランタンに火を点け、明かりを得ようとするテルマの肩を掴んだ。
「なんだ」
「油のにおい、する」
何を言っているのかと眉を顰められ、ラングは蝶番を指した。意図が通じず、ラングは蝶番に触れて指先を見せた。指の表面に油が膜を張っている。確認を終えた指をグローブで拭った。褒められたことではないが、この指で何かに触れて残る方が不利だ。
「手入れされてる。ここは、人が使う」
「定期的な手入れはするだろう」
「人、よく使う道以外、手入れしない」
テルマは扉の先の真っ暗な階段を覗き、しかし、と振り返った。ラングはその口元を手のひらで覆い、自らの唇に指を置いて沈黙を求めた。まずは聞けと言ったところで、でも、しかし、だが、とテルマが折れるとは思えなかったからだ。
「足元、新しい。跡がある」
手を離しながらラングは体をずらし、窓からの微かな明かりをそこに当てる。何人かが通った足跡があった。
「人が通った。何か、ある。これは新しい。道変えたい」
「……わかった」
一つ指摘してダメなら二つ。二つダメなら実力行使と考えていたが、テルマが考えを変えてくれたようで助かった。扉を閉め、違う経路を改めて進んだ。
何度か危うかった。シーツを抱えて走る女とすれ違い、隠れる場所がなくて困ったシーンもあった。ラングは壁を蹴って駆け上がり梁に逃れることも容易だが、テルマはその判断が少しだけ鈍い。ラングが突然そうした動きをするので、どうした、なんだ、という思考に一瞬行ってしまうらしい。そこから状況を理解して上がるので、間一髪、ということがあった。ラングは黒いシールドを揺らし、梁を指した。
「このまま、この上いこう」
「確かにその方がよさそうだ」
梁と梁の間に距離があれば壁を蹴って駆けて経由するラングに、さすがにテルマは認識を改めたようだった。テルマは壁を駆けることはできず、人が通らない時を狙い、下りて、また上るということをする必要があった。暫くそうして進みながら時折テルマが追いつくのを待っていれば、次第に文句を言わなくなった。
ぐるりと回ったところで次の扉を見つけた。ここはどうだ、とテルマは扉の向こうの気配を探り、ギィと音を立てて開いた。先ほど指摘したことだからか蝶番の確認と、身を避けて埃の確認と学びは早い。ラングはロストアイテムであるランタンを取り出し、鈍いオレンジ色の明かりを点けた。
「いこう。先、道を頼む」
「……わかった」
テルマは背後からの鈍い明かりを頼りに先に下り始めた。ラングはばさりとマントを広げ、少しだけ膝を屈めた。歩いた跡を消すためにマントの縁で階段をなぞるのだ。そうするだけでパッと見た際、足跡があるかどうかを素人は気づきにくい。四角い螺旋階段をゆっくりと四階分ほどか、底に辿り着いた。埃っぽい空気に、逆に安堵感を得る。
「この先、地下の通路に入る。説明は覚えてるな?」
ラングは頷いた。地図の詳細と神殿の在り方について、一応知っておいた方がいいとテルタの提案で習ったことだ。
ツカサも可能性として話していたことだが、元々、フォートルアレワシェナ正教は豊穣を祈ることを目的としていて、人々が自然から糧を得ることへの感謝や、豊作の祈願を目的とした穏やかなものだったらしい。神殿の建造物が高いのは塔の最上階から種を蒔き、それが大地に根を張り、また糧となることを祈るためだそうだ。だが、そんな言い伝えはあるものの、テルマは一度としてそれを見たことはないという。
加えて、フォートルアレワシェナ正教にとっての地下というのは、大地の体内として考えられていた。潜ることは恐れ多く、死者だけがその温もりに抱かれるとされていたそうだ。だからこそ、こうした地下道は神殿にしかなく、許されなかった。では、この地下道をなんのために使っていたのかという点だ。
「土の中ってのは気温が一定だから、物の保管や、いざという時の食料の保管、それに、逃げ場として存在したんじゃねぇかな」
ショウリは確証はないけどな、と言いながらそう推測した。また、真っ直ぐに大地の中を通すことで、地上のように天気に左右されず、書簡を届けやすい、重要人物が来やすいなどの利点もあったはずだという。それがトロッコに移り変わった時代があったのだ。
ラングは一抹の不安を胸に抱いていた。世界が狂い始めて、誰かが首都から地下を使って逃げて来なかったのだろうか。誰かが地下を使って首都に行こうとはしなかったのだろうか。今まで通った道がドルワフロだけだからかもしれない。崖の街は大ムカデに蹂躙されていて、地下道などあったとしても調査は難しかっただろう。
戦乱の最中、追われる者が崩し、潰した可能性もある。逆に、敵の侵入を防ぐために崩すことも考えられる。本当に残っているのだろうか。なぜ、ショウリはこの道があると【神子】を通して知っていたのか。
『……道は置いておいて、地下の状況だけを得るつもりでいた方がよさそうだな』
「行くぞ」
テルマに呼ばれ、ラングはランタンをしまい、マントの裾を一度だけ払った。
地下道は硬い岩盤をくり抜かれた岩肌、支えはなくともしっかりとしていた。かつてこれを掘った労力は途方もなかっただろう。水のにおいを近く感じるほど、空気はじっとりと湿っている。足元に古びてはいるが石畳が敷いてあり歩きやすい。壁に剥き出しの燭台が刺さっており蝋燭は随分と短くなっていた。ここ最近で火を点けられた形跡もない。
わぁ、という声が耳に届いた。奥から風が吹いてきて、それに乗った音だ。肌を抜けて通る風は地下に似つかわしくない熱気が混ざっており、ラングはテルマの肩を掴んだ。
「おい、やめろ。肩を掴まれるのは慣れないんだ」
「声、聞こえる。人多い」
耳を澄まし音を探り、テルマは肩を揺らして手を振り払った。
「商会長の予想が当たっているのか……」
足早に音の方へ駆け、途中でもっと立派な通路に辿り着いた。ラングとテルマが通った道は立ち入り禁止と言わんばかりに鉄格子になっており、鍵が掛かっていた。くそ、とテルマが悪態を吐いて鉄格子を殴ろうとした手を掴み、暗がりへ引き戻した。おい、と文句を言う口を手のひらで覆い、手を払って抵抗しようとする腕も掴み、面倒なので腕に抱いた。くぐもった声で文句を続けるテルマがしつこく、ラングは、しー、と耳元で宥めた。通路を歩く足音が聞こえ、ようやくテルマは大人しくなった。
「今日の対戦はなんだろうな?」
「行ってみてのお楽しみだろう! いやぁ、神子様は本当に面白いことを思いつかれる!」
「あぁ、本当に! 下民がいくら頑張ったところで、ただの見世物に過ぎないのになぁ!」
「だなぁ! ははは、必死に生きようとする姿の滑稽なこと! たまらんなぁ! 急ごう!」
ゲラゲラ、笑い声を上げて鉄格子の向こうを歩き去っていく。気配が遠のき、戻ってくる様子もないことを確認してからラングは手を離した。テルマは素早く離れ、鉄格子を掴んで向こう側を睨んでいた。
「奴らいったい何を!」
「どけ、開ける」
ラングは針金や鉄の棒を手にし鉄格子の向こう、錠へそれらを差し込み、手首を何度か動かした。カチリと音を立てて外れた錠を落とさぬように手に乗せ、鉄格子を開く。テルマは盗賊を見た顔でラングを見遣り、ラングは気にせずに錠を掛かっているようかのように戻した。鍵は開いたままだ。
「見てくる」
「私も行く。地図ではこの先にあるのは、倉庫のような広さの場所で……、わかっている、もうそんな場所じゃないだろうな」
わぁぁ、と先程以上に近い歓声が聞こえた。もはやここまでくれば熱気すら普通に感じられる。背後に人の気配はない。二人駆けるようにして歓声の響く方へ向かった。
――そこに広がる光景をどういえばいいのだろう。さすがに言葉を失った。
リーマスとともに潜り込んだ競売や闘技場でも見たような光景ではあったが、これはさらに酷かった。
円形の大きな牢屋。観客の顔は熱狂に染まり、目を引ん剥くように開き、口端に泡をつけ、拳を振り上げ、絶叫していた。
もはや学んだ言語など意味をなさない。そこにあるのは理性を失った人間による、人間の処刑という娯楽だった。
手に持たされた武器を振り回し、生き残るために戦う人々を、まるで玩具を見る子供のような顔で楽しんでいる人間たちの醜いこと。そうして興奮の箍が外れその場で性行為に及ぶ男女、中には同性も見えた。飛び散る血と肉片、それをまるでソースのようにして肉を貪るだらしのない口。投げつけられる食い掛けのもの。それを拾い、飢えを満たす檻の中の人々。そしてまた殺し合う。
あぁ、なるほど、だから人を街へ入れるのだ。娯楽が尽きぬように、使い捨てられるように。救いを求め、安寧を求めた人々に甘く囁き、地の底へと誘うのだ。
私はその時、リーマスの言葉を思い出していた。
――知ってるか、ラング。同じ種族で優劣をつけて、見下し、蔑み、尊厳を奪うのは人間だけなんだってよ。ッハ! ……くだらねぇな。




