3-14:思うことはあれど
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しかし、アルが世界の時間停止から後、二十日近く掛けてこの世界に落ちてきたことは解決したい謎ではない。これはツカサの中の微妙なズレが整えられてすっきりしただけに過ぎなかった。
だが、世界が時を止める。この観点は大きい気がした。あの日、ツカサがリガーヴァルに渡ってからずっと抱えていた欲望を吐き出した際、ヴァンが【ラング】に言っていた。
――その人の心臓が脈打つたびに、今僕らがこうして生きている時間が、動く。その人が管轄する世界を手放せば、動かなくなるんだ。何一つね。
動けなくなったセルクスに代わり、刻の神はその役目を兼任した。その時、ラングの世界を手放すことで負担を軽くしていたという。もしや、これは同じことなのではないだろうか。
『時の死神に代わって命を誘うためにいくつかの世界を手放した? でも、誘うための権能はここにあるから、ということは、命を黒くしないために、すべての世界を手放した?』
いや、神の仕事の範疇まで考えるのはやめよう。それを紐解いたところで新たな謎が出てきて抜けられなくなりそうだ。ツカサは顔を上げた。
『ショウリが反抗勢力になったのは、一応みんなを守るためだっていうのはわかった。でも、本当にどうするつもりなの? キスクは聞いた声を【本当の理の女神】のものだと思ってて、戦力を求めてたみたいなんだよね』
『あー、そうなのか。いや、まぁ、最初はその気はなかったんだけどよ、若干、引き返せないところまで来ちまったんでやるつもりではあった。ただ、どうすっかなっていう』
ショウリは草の味と言ったハーブティーをちまちまと飲みながら目を左上にやり、思案している様子だった。わかる、少し癖になるところから始まるのがハーブティー沼だ。暫く待たされた後、ショウリが言った。
『俺は【神子】が俺だって知ってる。上から見たこの街の光景、鏡に映った顔、そういうのから確信は持ってる。ぶっ倒せば教会の権威だって地に落ちる。【神子】がいる限り俺は知らないところで誰かを傷つけて、殺してる。それはもう嫌だ。正直、そういう個人的な感情で反抗勢力の奴らを利用してるところはある』
とはいえ、その彼らもまた個人では動けないがために、ショウリを利用している。そういう協力関係なのだ。よくよく話を聞けばショウリが物資を支援していることもあり、ショウリなくして彼らが反抗勢力たり得ることもない。さらに、ショウリは戦いの先も見ていた。
『ポソミタキとも話してんだけど、今、一応【神子】っていう絶対的な神、権力者がいるからゴルドラル大陸は【国】っていう様相と体面を保ってんだよ。その【神子】を排した後、誰がまとめるかっていう問題があんの。各都市が独立して争い始めたら、それはそれで望む形じゃねぇし』
『ショウリはやらないの? 王様』
『同じ顔だぜ? 俺だったら嫌だって。さっきみたいにポソミタキの顔も借りちゃいるけどよ、歳を取らない、変わらないなんて【神子】再来だろ』
『それもそっか』
百年前から姿かたちの変わらない【神子】はだからこそ神性を持っており、支持する教徒が存在する。
『それに、案外誰かの前に立とうとか、上に立とうとか、結構疲れんだよな。好きなことする時間も取れねぇし』
『あはは、ちょっとわかる。教師は楽しいけど責任もあるし、重かったしなぁ。家に帰ってモニカとエレナとアーシェティアともご飯食べれなくて、なんだったら家も追い出されたし』
『なんだそりゃ』
モニカやエレナの妊娠に際して家を追い出された話を切っ掛けに、また少しだけ話は脱線した。サルムの夢で子を持つことを知っているショウリは少しだけ先輩だった。おしめのつけ方を布で教えてくれて、二度、三度、本当はもっと回数を練習してどうにか形になった。酒も入っていないのにワッと盛り上がり、それから、ツカサは呟いた。
『こういう未来を、守りたいんだ』
ハーブティーを置いてショウリがツカサを見遣った。その視線を受けてツカサは実直に訴えた。
『ラングを元の場所に戻さないと、俺はそういう未来を失うんだ。ショウリには聞きたくないかもしれないし、知ったこっちゃないかもしれない。だからできれば、というお願いの仕方しかできないけど』
ツカサはぐっと頭を下げた。
『助けてください。教えてください。西はどうしたら行けますか。どうしたら、キスクの手助けをしてくれますか』
返事があるまで頭を下げ続けた。スカイで常に敬意を払ってもらったように、ツカサもまた首筋を晒すほどに深く下げていた。何度かショウリが息を吸い、呑み込むようにして言葉が消えていった。声にならない息が出て、また吸われる。言葉を選んでいるのか、それとも決めかねているのか。ツカサにはただ待つことしかできなかった。分厚い絨毯を踏む音がして、横に立たれた。
『さっきも言ったけどよ、俺は俺の個人的な感情で動いてる』
とん、と肩を叩かれてゆっくりと顔を上げた。少しだけ血が頭に上りくらりときたが堪え、座り直した。恨みを込めた目を覚悟していた。想像とは裏腹にショウリは穏やかな面差しだった。
『ドルワフロが同じ志でいてくれんなら、武器には困らなそうだな。あいつらアクセサリーばっかりで最初はもたつくかもしんねぇけど、技術が高いのはロープウェイで知ってる。火の扱いわかってりゃ形整えるだけだろ』
ツカサはレターオープナーのことを思い出した。あれだけ素晴らしい芸術品を創りあげる人々に人を殺すための武器を作らせていいのだろうか。いや、それは、彼らが決めることか。その結論が逃げであることも理解したまま、ツカサは唇をぎゅっと結んだ。
『キスクはどこまで覚悟してんだ?』
『切っ掛けは黒い声で、現状を変えたい、ドルワフロを見捨てたことを見返してやる、とか、今は結構ぼんやりしてるよ。ただ、ドルワフロの民の目を敵に向けて生きる気力にもさせてて、こっちも引き返せない感じ。だから、ショウリが味方かどうかを知りたかった』
『で、お眼鏡にかなったってわけだ?』
『うん、そう』
こっくり頷くツカサにショウリは笑い出した。
『たぶん、そういうとこだよな』
『何が?』
『いや、なんでもねぇよ。残り百年程度、今更【神子】を排したところで何が変わるかわかんねぇけど、お互い引き返せないところに来てるなら、引き返せない者同士手を取り合ったっていい。でもな、どう変わるかは俺だって責任とれねぇよ?』
うん、この辺の会話はラングが居てほしいな。ツカサは腕を組んで唸った。そういえば聞いていなかったことがある。
『まぁ、何かしようとすると変わるのは当然だから。それより、ショウリが抱えてる戦力ってどんなもんなの?』
あぁ、とショウリはハーブティーのおかわりを強請りながら話してくれた。
個人戦力ではテルマが群を抜いており、テルタがその他の人々をまとめてくれているらしい。得物は剣や斧、魔法などの力を持つ者はいない。テルマの実力派部隊が十名程度、テルタの率いる部隊は五十名程度だという。軍を知る身としては少なく感じてしまうが、実行部隊がおよそ六十名なだけで、組織としての全体では二百人ほどらしい。そこにはドルワフロの女たちはカウントされていない。
『預かってるだけだからな、戦わせねぇよ。……ダチが頼ってくれてのことだしよ』
あるものを何でもかんでも使わないところには配慮がある。人ひとり養うのに掛かる金額を思うと、二百人はかなりの人数なのだ。それを賄うだけの稼ぎを雑貨屋で稼ごうとするなら、客を選ぶことはしないだろう。それはドルワフロの宝を託された商人を見逃すことに繋がっていた。
女たちを食わせ、保護し、ドルワフロへの支援もしていた。だが、ショウリもまた抱える組織の人々を生かすためになりふり構っていられなかったのだ。随分商人めいた男になったものだと思った。生き残るためだ、責めることはしないし、その権利はない。むしろよく頑張ったと言いたい気持ちがあった。それを言う権利も有してはいない。新しく淹れたハーブティーを渡し、ツカサもはごくりと呑み込んだ。
『お前は西に行って、どうすんだよ?』
『【女神の欠片】を手に入れてくる。いろいろ話したからおさらい、確実な味方の歌を追ってるんだ』
『あぁ、あれだろ、盗賊殺しの歌』
『そんな曲名なの!?』
違う違う、とショウリは笑って説明してくれた。要はお宝を探す冒険者、いわゆるトレジャーハンターのような者たちがそれを求めては消えていくので、盗賊を殺す歌と言われているらしい。今やただの歌であって追いかける者はいない。夢を嘲笑う世界なのだ。夢を追いかける余裕もない世界なのだ。
おそらく、今までは土地神たちが追い払っていたので【女神の欠片】は無事だったのだろう。命を抱え始め、余裕がなくなり、ホムロルルのように秤にかけた結果、目を逸らされ、その間にショウリは【女神の欠片】を得た。セルクスが得た時もそうだ。【女神の欠片】が残っていただけ運がよかった。
『で、ラングを元の場所に戻す目的のお前が、引き返せない俺らに手を貸す理由はよ?』
『ラングを元の場所に戻すのに必要なのはちょっと違うものなんだけど。俺が抱えてるある人のために【女神の欠片】が要るっぽいんだよね。ショウリが持ってる【女神の欠片】と、もう一つドルワフロにある【女神の欠片】をもらうためには、状況を落ち着けないともらえないでしょ?』
『……そうだったわ』
ショウリは長くそれを持っているのですっかり忘れていたらしい。理由はトルクィーロと同じ、反抗勢力のリーダーになっているショウリから【女神の欠片】を受け取るのは悪手なのだ。今、それがあるから【神子】と繋がりが切れていて、【神子】は見えないが、同様に見られていない。それはつまり、情報が漏れないことに繋がっている。そうでなければ二百人規模の反抗勢力を【神子】が見逃さないだろう。
『なんにせよ、お互いが協力するだけの利害関係にはなれるわけだ』
『そう。ショウリを見極めてキスクと会わせる目的も達成したから、次は西に行きたいんだ』
『西なぁ。地図あるかよ?』
ツカサは腰のポーチを叩き、しゅるりと地図を広げた。四枚を並べて端を皿やコップで押さえた後、ショウリは中央にある首都・レワーシェを指差した。
『西は火山なんだよ。昔は火の神を【理の女神】として祀る一族がいたらしい。今は、滅んでる』
『詳しく聞いてもいい?』
『話す話す。道が潰れてんだよ』
ショウリは首都の西を縦になぞった。西の山は五十年ほど前、ショウリが商会を作った頃、大きな噴火をしたらしい。その際、首都側へ通じていた道が溶岩で埋まり、西から首都までの途中にあった村や街も噴石で大きな被害を受けたそうだ。先ほどショウリのなぞった縦のラインは溶岩や噴石の多くを防いだ大山脈だった。それがあっても被害が大きかったとなれば、噴火の規模もテレビの中のイメージでなんとなくわかる。
『昔は大山脈のここに、結構立派な道が通ってた。長いけど軽いハイキングコースみたいな感じで歩けて、山小屋みたいな休憩所の集まり、村が多くてよ。そういうのも全部溶岩に呑まれて、こっち側は流れてこないように慌てて山崩して、川の流れを変えて、どうにか止めたらしいぜ』
『じゃあ、徒歩は難しいんだ? どうしよう、空は空で人間が息できないって言われてるんだよ』
『お前、魔法は相変わらず使えんのか?』
問われるということは求められているのだろう。ツカサは頷いた。
『だったら、ちっとあぶねぇけど、お前らくらいだったら通せるかもな』
ショウリの指が首都に戻り、とん、と置かれた。
『フォートルアレワシェナ正教の神殿の地下に、いくつかの通路があんだよ。東西南北、全部通じてるはずだ。夢で【神子】を見なくなって結構時間が経ってるからよ、西が通れるかわからねぇから調べる時間はほしいけど』
ツカサは目を瞬いた。それに対し、ショウリはにやりと悪い笑みを浮かべた。
『魔法使えんなら、最悪、道作りながら進めんだろ?』
悪い顔だ、悪い考えだ。力任せで強引で、言ってしまえば行き当たりばったり。でも、なぜだろう。
『そういうの嫌いじゃない』




