3-6:大鷹の巣
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力を貸せとはどういうことだ。アルは突拍子もない依頼に首を傾げた。
ただでさえ見知らぬ場所に来て大ムカデに襲われ、喋る大鷹の背にいるという不思議な状況に混乱もある。まずは頭の中を整理したいところだ。翼の向こう側を覗き込むように少し身を乗り出した。
「力を貸せって言ったって、いったいどういう状況なんだ? 精霊っていうからには敵じゃなさそうだけど」
ふわふわと自由気ままな風の精霊、魔力持ちのアルを友と呼んでくれた精霊を思い浮かべながら問えば、大鷹はふむ、と思案の声を零した。
「そうだな、まずは話してやらねばなるまい。巣に案内しよう」
言い、大鷹は体を斜めらせて風を切った。
暫くして山頂付近に開いた穴蔵に辿り着いた。大鷹がそこに足を着けた瞬間、ふわっと暖かい風が満ちてさわさわと草がひろがり青々と緑が茂った。穴蔵の中だというのに木々が伸びた先が明るくて、心地よい森林浴ができそうな空気だ。おぉ、と見渡していれば大鷹はいつの間にか生えていた大木の上、巣に入って羽を休めていた。上を見上げて話すのは首が痛いなと思い、アルはひょいひょい木を登り巣にお邪魔させてもらった。いろいろと考える時間は欲しいものの、それは大鷹の話を聞いたあとでもいい。悼む時間はいつだって作れるが、声を交わし合うのは今しかない、というのは多いのだ。そしてそれは機会を逃すと一生手に入らない。
大鷹の巣は陽射しを感じて暖かい。これなら服も乾くだろう。いろいろあって気疲れもしている、寝る場所をここにさせてもらえればよく眠れそうだ。アルは見上げていた光から大鷹へ視線を移した。
「で、何から聞けばいい?」
「ヒトの子にしては豪胆だな。土地神や神獣などと聞けば、平伏すような者が多いのだぞ」
「でも精霊なんだろ? だったら、知らないわけじゃない」
ウィゴールのことをよく思い出すなと思いながら、一先ず座ることにした。木の枝が絡み合ってできた大鷹の巣は持ち主の羽毛がクッションになり尻は痛くなかった。槍を横に置いてそれで、と促せば、大鷹は嘴を開いた。
――どうやら落とされた先、この場所、随分と不味いらしい。命が黒く溶けるだとか、死者が生者の温もりを求めて歩くだとか、オバケは怖くないがアンデッドは嫌だな、と思った。サルムの肉体が黒く溶けたことと事態が重なり、それもすべてシュンなのかと尋ねれば、大鷹はシュンは知らぬが恐らく違う、と答えた。
「お主の言うシュンとやらが何者かは知らぬ。我の言う黒く溶ける命は、この世界の者たちのことだ。そして我がお主を感じたのはこれが初めてだ。この世界が生まれてより存在している我が言うのだ、間違いない」
「うーん、とすると、別の世界、なのか? ここに来てからは絆の腕輪がムズムズしてるし、サルムと会った場所じゃ何の反応もなかったしな。だとしたらあの世界も不味かったのか? だぁ! めんどい! もうあとで考える! で、改めて、この世界で命が溶けるってどうしてそんなことになってんだ」
アルが一人唸っていれば大鷹はそれをただ眺めていて、問えば少しの沈黙の後、話を続けた。
「この世界は様々なものを失ってしまったのだ。我らが【理の女神】、死を司る誘い手である時の死神。ゆえに、命の還る先すら、我らには存在しない」
「時の死神ってあれだろ、これくれたジンの友達」
アルが透明な石を取りだすと、大鷹はうむと尊大に頷いた。これが何かわからないと首を傾げれば、これもまた大鷹が話してくれた。
時を止めるための石、時を失う石、それを求めて大鷹はアルの下へ飛んできたらしい。というのも、黒く溶ける命とやらを大鷹は限界まで抱え込んでおり、あと一人、管轄内で死んだのならば、大鷹は自らを失い生者を襲うバケモノになるか、その身の消滅とともに抱え込んだ命を消滅させていたかだったそうだ。もしアルがあそこで大ムカデに殺されていたのならば、大鷹もまた死んでいたということだ。
「それに、【時失いの石】のおかげで我はこれ以上消耗がない。お主もそうであるはずだ」
「そういや腹が減ってない気がするな」
いつもならそろそろ腹の虫がぐぅと鳴る頃なのだが、まだ動ける、という感覚がある。最後に食べた食事、今、この腹を満たしているものはサルムの妻が作ってくれた料理だ。そう思うとグッと体に力が入った。あれは夢でも幻でもなかったのだ。
大鷹は考え込んだアルのこめかみを嘴で押して意識を呼び戻し、さらに続けた。
「力を貸してほしいのは、我が眷属、要は部下の討伐にその【時失いの石】が必要だからだ」
「ええと、黒く溶けた命を、ホムロルルの代わりに引き受けて、それで、バケモノになっちまったやつ、だな?」
「そうだ。我が眷属は空を飛ぶ。彼らを討ち果たす武器を持つ者、そして、その命を止めたまま、失わせるものを求めていた」
「ううん、よくわからない」
アルは右に左に首を傾げ、ホムロルルは言葉をいくつか重ね、最終的に随分乱暴な口調で説明を終えた。
「だから! 時を失った命であれば! 黒くならずに無に還せると言っているのだ! いい加減理解せんか馬鹿者!」
「知るか! こちとらいろいろ巻き込まれて頭ん中大混乱なんだよ! もっと丁寧に教えてくれたっていいだろ! 助けてくれたことには感謝するけどな、結局俺がいないとお前も危なかったんだろ! 感謝しろよ!」
「ええい口の減らぬヒトめ! この山頂より下りるにも我が翼が必須と知ってのことか!」
「勝手に連れてきておいてなんて言い草だ! いいさ、こんな山くらい槍と足で下りてやらぁ!」
ぐぐぐ、と嘴に額を当て、額に嘴を当て、睨み合った。それから、なんだか馬鹿らしくなって笑ってしまった。いや、そんな状況ではないのだが、いっそのこと可笑しくなってしまった。お互いに座り直した。
「俺には時を失った命であれば、っていうのもよくわからないんだ。マジで補足が欲しい」
「うむ、そうだったな。説明が足りなかった。よいか、命というのは理の中にあるものなのだ。理の中にあればこそ、それは時の死神という理の一部に誘われ、次の生へと歩みを進めていく。だが、その石は時間という理を、言い方を変えれば【理を失わせる】とんでもない代物なのだ」
これが、とアルは手のひらの中で鎮座している透明な石を眺めた。そこまで聞いてアルはそろりと視線を上げた。
「なぁ、ホムロルル。そこまで話して大丈夫なのか? 俺はちらりと見ただけだけど、いろいろ話してた時の死神様は随分血にまみれてたぞ」
「まぁ、本来であれば我も羽が抜け落ち、哀れなトリニクとなっていただろうがな。これもまた【時失いの石】のおかげだ。お主の周りには理がないのだ。それが失われた時、我がどうなるかはわからんが……。お主がこの事実を知っていれば、我がどうなろうとも知ることはできるだろう」
「……剣と柄だな、お前とは離れられなそうだ」
アルがホムロルルの胸の羽毛を拳で叩けば、うむ、と大鷹は頷いた。
あまりこういうことを覚えておくのは得意ではないので託されると困るのだが、仕方がない。こういうのはツカサがメモしておくことが得意で、ラングはそもそも覚えていることが多い。ラングかツカサがいるこの世界で早く合流したい気持ちもある。ぶるぶると頭を振って話題に戻った。
「で、抱え込んだっていう命と、そのせいで狂っちまったホムロルルの眷属を……殺してほしいと」
「そうだ。あまり乗り気ではなさそうだな?」
「当然だろ、俺は処刑人じゃないんだって。こっちの命を狙ってくるなら返り討ちにだってするけどな、進んで何かを、誰かを殺したいわけじゃない」
アルが戦うということは、横に置いたオルファネウルを付き合わせることだ。槍は気にせずともよい、と言ってくれるのだが、その優しさに甘えてはいけないと思った。ただ、やらねばならないことならば、やるという覚悟はある。
「だいたい、こういうの、巡り巡ってツカサあたりが抱え込むだろうしな」
ガリガリと頭を掻いてアルは顔を上げた。
「ま、やらなきゃならないことだっていうなら、付き合うさ」
「感謝する。……空を飛べる我が眷属は広く飛び回れる。今はまだ土地に執着もしているが、やがて離れる時がくる。その時、ヒトの多い場所を狙っては、不都合なのだ」
「死者が増える?」
「左様、そのとおりだ」
やれやれ、とアルは陽射しの差し込む天井を仰いだ。
「この依頼、高くつくぞ、神様」
相変わらず答える声は無い。絶対にでかい貸しを返してもらうからなと心で誓い、アルは大鷹へ視線を戻した。
「眷属を狩るのはわかった。あの大ムカデもそうなのか?」
「いや、あやつは元々死体喰いの虫だったものだ」
へぇ、と言いながらアルは大鷹に首を傾げた。
近くの街では崖に住居を建てており、土地が貴重らしい。限られた土地を畑などに回しているので墓地という概念が存在せず、死者を弔う方法が谷へ投げる方式だったらしい。大いなる風に運ばれ、空へ運ばれ、肉体という枷から解き放たれる、という考えだそうだ。鳥葬とは少し違うが、自然に任せるあたりは似たものを感じる。食べるのが鳥か虫かの違いか。
思い返してみればあの谷、そういう場所だというのに骨も欠片もなかった。片付ける奴がいた、あの大ムカデが死体を喰っていたのだ。
「死体を喰って随分肥えたんだな?」
「そう言うな、あれもまた自然の一部であったものだ。おかしくなったのは百年ほど前からでな」
百年ほど前、【女神戦争】と呼ばれる人間による争いがあったらしい。人が死に、死体が増え、そして終結して減った。そうなると一度大量の食事に慣れてしまったムカデたちは飢えを覚え、仲間内で共食いを始めたという。その争いに生き残ったのがあの大ムカデなのだ。
「独自に進化しちまって、命を拾い集めることに奔走し、あれを押さえられなかったのは落ち度であると言うしかねぇ」
アルは大鷹の口調の変化に口元を笑わせながら続きを促した。偉そうな喋り方は恐らく、この大鷹の本来の口調ではないのだろう。威厳を示したくて背伸びしている青年のような印象を抱いた。
大鷹曰く、大ムカデは仲間を食いあさりそれがなくなると、食料を求めて谷を出ようとした。時を同じくして、交易が始まり道具や技術が手に入った人々が谷へ伝説を求めて下りてきた。伝説とは何かと問えば、歌があるらしい。その中の一節がこの谷を指しているのだという。
南に風が吹きすさび人の通れない谷がある。風は世界を知る知恵を授けてくれるだろう。
そうして、大ムカデは繋がった坑道を経て食事場所を見つけてしまった。飢えはあっても食べずとも数十年生き延びられる大ムカデは、崖の街から人々が消えた後、時折現れる盗賊を喰らいながら、じっと肉を待ち続けていたのだそうだ。
「ムカデは冷たい人の肉ではなく、温かい肉を知ってしまったのだ。厄介だぞ」
「まぁ、次に会う時は絶対倒す。……なぁ、ちょっと休んでいいか? すぐに行かないとまずいか?」
「ヒトが数時間眠るくらい大差ない。空は広いからな、一日、二日では終わりもしない」
「そっか、じゃあ、悪いけど寝床借りるぞ」
アルはごろりと腕を枕にし、槍を抱き込んで目を閉じた。頭の中が情報で溢れていた。頭痛もする。何も考えないで眠りたかった。あぁ、でも、これだけは聞いてみたい。目を閉じたまま尋ねた。
「あのムカデと戦わなかったのか?」
「我らは殺生を許されていない。だからこそ、命を消滅させる時、自らの命と引き換えなのだ」
「なるほど、それもまた【理の決まり事】ってやつか、面倒だな」
勝手に落として、勝手に移動させて、いったい誰が決めた【理】だというのか。
この世界にラングかツカサがいるのはいい。だが、あまりにも道程がひどすぎる。情報の整理は苦手だ。頼れる仲間たちの知恵と知識と発想が恋しい。アルは睡魔に落ちながら、できることをやるしかない、と胸中でぼやいた。
その声をオルファネウル・ネルガヴァントだけが聞いていた。




