3-4:冒険者でありたいもの
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アルの咆哮は威圧を伴い、闇に紛れる獣を追い払った。
喉が枯れるほど叫んだ。一晩、一食、酒と水を交わし合っただけの短い時間。それでも、妻が、子が、サルムを大事にしていたことも、サルムが妻子を大事にしていたこともよくわかった。眠るサルムに代わり店番をする妻を見ていれば、村人がよそ者であるサルムを受け入れて心配してくれているのもよくわかった。穏やかで、平和で、サルムにとっての幸せを享受できていたのだろうと思えた。
アルはそれを壊したのが自分なのだと理解した。どういう因果があってここに落とされたのかは知らない。けれど、サルムが言ったとおり、結果として殺しに来てしまった。
「なんなんだよ……! なぁ! 俺は処刑人じゃないんだぞ! ただの冒険者だ! 旅が好きで、冒険が好きで! 仲間と一緒に飯を食って、笑って! 重たいもんなんてお断りなんだよ!」
聞こえてんのかよ! 叫ぶ声は風で戻ってきてアルの頬を叩くようだった。そのおかげか、村の方から響いた微かな悲鳴が届いた。アルは一度、シュンが消えた場所を見遣り、それから前を向いて走り出した。
全速力だった。地面を蹴り飛ばす足などやや下り坂の丘を駆け下りるならば着地回数の方が少ない。飛び降りるようにして駆けてアルは戻った。家々の夕餉の明かりが何かに移り、石を積まれ、木で支えられた素朴ながら風に強い造りのそれが赤々と燃えていく。
「クソ! おい! 神様! いったい何が起こってんだよ!」
腹が立って仕方なくて叫んだ。答える声はなく、代わりに高らかな悲鳴がこだました。
村に辿り着いた時にはごうごうと燃える炎が頬を照り、黒い煙の風に口元を覆うほどだった。赤い炎が夜空をオレンジに染め上げるように立ち上り、アルは叫んだ。
「誰かいないか! 声を上げろ! 助ける!」
バチバチ、木の弾けるような音だけがした。駆けている間は聞こえていた悲鳴が途中からなくなったことに嫌な予感はしていたが、まさか全滅か。けれど賊の姿はどこにもなく、一軒の家から燃え広がったにしては距離がおかしい。離れたところにある家すらも燃えているのだ。飛び火するにしても燃えカスが少なく、今、風はそこまで強くない。
「どういうことなんだよ!」
おい、誰か、と叫びながらアルはとにかく走り回った。オルファネウルに腕を引かれるようにして後ろを振り返る。そこにいたのはサルムの子だった。小さな男の子、アルに対して怯えを抱きつつ、好奇心が隠せない様子で父の膝にいた子供。駆け寄り、しゃがみ込み、その肩を掴んだ。
「おい、大丈夫か? 母さんはどうした? 怪我はしてないか?」
全身を撫でて確認し、火傷も怪我もないことに一瞬の安堵、瞬きの後には疑問が残った。なぜこの子供はこの炎と煙の中、一切の汚れを着けていないのだろう。
「……お前、まさか」
ゆっくりと離れた。子供はぼんやりとしたまま暫く佇んでいたが、ボンッ、と炎が木窓を飛ばして地面に叩きつけた音で顔を上げた。金髪碧眼の、サルムによく似た顔が泣いていた。そして聞き覚えのある声がした。
「なんだよこれ、もうただの、バケモノじゃねぇか……」
どろりと黒いものが肌を溶かすように落ちて、残ったのはシュンによく似た子供だった。では、その溶けた周りの黒いものはなんなのか。アルはぐっと胸をせり上がってきた胃酸を呑み込んだ。炎の照る中で互いに言葉を失っていた。先に口を開いたのは子供の方だった。
「見えてた。岩山からあんたに向かって飛び降りるのも、あんたを追いかけて、斬られるのも、肩に担いで逃げて、守ってくれるあんたの背中も」
ぐず、と泣き始めた子供の痛々しさにアルは唇をきつく結んだ。パキ、と何かが割れる音がした。
「じゃあ、今まで見えてたものはどこにいる俺なんだ。俺が死んで、俺は、怖くなって、母親が、悲鳴を聞いて村人も、俺がこの手で、全部もう、嫌だ、こんなのばっかり、どうして俺がこんな目に……!」
答えは持っていない。アルはオルファネウルを握り締めた。再び、パキ、と音がした。次は燃えている家の中ではなく、上からだった。確認したい、けれど、子供から目を逸らせない。
「助けてくれ……、もう……」
アルは瞑目し、槍を振り抜いた。さすがに目視しながら振るうことはできなかった。それでも、オルファネウルが目を担ってくれて一思いに刎ねられた。もう、いい加減にしてくれ。目を開き、地面でしゅわりと消えていく残滓を見ながら叫んだ。
「おいクソ神! 見てんだろ! これで満足か! 何が手が足りないだ、意味の分からない人殺しさせて、いったい何がしたいんだよ!」
クソ! とアルはポーチから透明な石を取り出して地面に叩きつけようと腕を振り上げた。それを止めたのはあの時、刻の神・ジンとともにいた男だった。急に正面に現れて透明な石を握り締め、振り下ろしたアルの手を受け止められ、心底驚いた。
「詳細は言えん。だが、その加護石は我が主の唯一の抵抗、斯様な扱いは許さんぞ」
「うるさい! だったら全部きれいに話してから、報酬を提示して依頼しろ! 俺は処刑人じゃないんだ! 首を刈らせるな!」
「ヒトが手繰り寄せるしかないのだ!」
叫び返され、その悲痛な声にアルは怒りという炎に水をかけられたような気持ちだった。男はそっと手から力を抜き、アルは腕を下ろした。
「面倒をかけているのは皆が承知している。だが、失ったものを知ればこそ、貴殿もその槍を振るわざるを得なくなる」
「また思わせぶりで含みの多い発言だな、いい加減にしろよ。そういうの大嫌いだ」
「貴殿を運ぶ。だが、時と場所が合わせられん。絆を手繰り寄せて知る者と会うことだ」
バキ、と空が軋んだ。次は目の前の男から目を逸らすことができず、やはり確認はできなかった。バキ、メキメキ、まるで世界が壊れるかのような音だ。男の向こう側で空が崩れ落ちるような破片が見えた気がした。男もまたアルから目を逸らさなかった。
「未来を選ぶのも、掴むのも、ヒトなのだ」
「だからさぁ……!」
バキッ、と足元が砕けた。ひゅっと縮むものを感じつつ、共に暗闇に落ちた男がいたのでそれを必死に隠し、堪え、睨みつけた。男はアルを闇の奥底へ蹴り飛ばし距離を取ると奇妙な形の武器を構え、穴を振り返った。そして、空から伸びてくるいくつもの腕を斬り払い、叫んだ。
「行け!」
だから、どこに! というアルの叫びは再び闇に飲まれて消えた。
オルファネウルを腕に抱いていくつもの悪態を吐く、結局誰も答えをくれないまま、再び落とされた。次はどこへ行くのだろう。ちょうどいい、この闇の中で気持ちを整理したかった。
サルムはシュンだった。なんとなく、直感めいたものでそう思い、事実そうだった。一助となったのはこの透明な石。アルは先ほど投げ捨てようとしたものを指先で摘まんだ。暗闇を映しても、覗き込んでも、見えるのは闇だけだ。はぁ、と息が零れた。
いくつもの黒い何か。それが見ている景色が見られる。サルムの説明してくれた【ドッペルゲンガー】というのはすとんと胸に落ちてきていた。サルムは自分の過去の行動を後悔していた。だからこそ、何度も見せられる自身のやらかしに酷く傷ついただろう。
やったこと、してしまったことというのは忘れようとしても、ふとした時にカサブタが剥がれて血を滲ませる。みみず腫れのようになったデコボコが決して消えず、恥ずかしい記憶も、忘れたい記憶も、そうして胸に残るものだ。ふと思い出し、なんてことをしてしまったのだと思うこともあるだろう。それもまた、サルムに子供ができたから滲んだ後悔だったのだろう。
「でも、それも、無くなった」
サルムは死んだ。この手で殺した。その子供もまた殺した。村は混乱に陥ったシュン自身が滅ぼしてしまったと言った。結局誰も救えなかった。
よくわからない。あれが本当に【黒のダンジョン】で倒したシュンならば、【元は同じパン】であるそれらがあとどのくらいいるのだろう。
「まさか全部殺せって話じゃないよな? 勘弁してくれよ……、俺は処刑人じゃない」
そもそも、冒険者同士で否応なしに争うのならまだしも、殺すことを率先して行うような性質ではない。そういうのはよほどのことがなければやらないのだ。とても疲れた。透明な石をポーチにしまい、オルファネウルを背中のホルダーに戻し、アルは落下の自重に身を任せて目を瞑った。疲れた。瞼の裏に幸せそうに食卓を囲み、妻子と話すサルムの姿が浮かんだ。じわっと滲んだ涙を暗い穴の中、光のように残してアルは落ちていった。
――どのくらい落ちていたのだろう、くん、と体が持ち上がる感覚がして目を覚ました。
オルファネウルに背を叩いて意識を確かめられ、起きてると答えた。頭からの落下ではなく背中から、上を向いたまま落ちていられたおかげでそれなりに寝た気がする。
背後に光を感じて肩越しに見遣り、ふわっと一度体が持ち上がり、着地。上を確認すればやはり穴はなかった。視線を戻したところでばしりと何かに頬を叩かれた。ヒトでも魔獣でもない、雪だ。
「う、嘘だろ」
ひゅごうと風が鳴った。全身をばさばさと叩いていく雪は柔らかいような、硬いような、とにかくどんどん肩に積もっていく。それを運ぶ風の冷たいこと、アルは両腕を抱え、服を、マントを手繰り寄せ、きょろきょろと周囲を見渡した。どこかこの雪を凌げる場所を探さなくては。むずりと何かを感じた。右手首に着けている絆の腕輪が同じものを指し示すような感覚がした。
「ラング? ツカサ? もしかしてここにいるのか!」
喜びも束の間、ゴォッと吹いた風が耳に入り、晒されている耳の先が痛い。位置を探るのも一先ず雪を凌げる場所に行ってからだ。アルは灰色の風の中に何かないかと点けっぱなしだったランタンを掲げた。色をオレンジまで変えて風と同化しないようにした。
風は冷たいし雪は痛いが、冷静に周囲を見渡してみればここは雪山、というよりは谷のようだ。風は一方向に吹いていて、アルは風上に向いているから顔が痛かったのだ。まずはそちらに背を向けてマントを広げ、体温を守る。足元の雪すら風が運ぶらしく一定量積もるだけでどんどん引き剥がされて飛んでいく。
「風下は雪だまりかもしれないな」
となれば、進むのは風上か。判断しかねた。これだけの強風、抗って進もうとすれば体力はかなり持っていかれる。上を見遣れば随分深い谷らしく、まったく終わりが見えない。どこかに指を掛けて登ろうにも風に削られたせいでつるつるしており、取っ掛かりがない。強風が吹いている風上の方が広く、風下に向かって谷がすぼまっているような気がしたので、長い間この流れのままなのだろう。
悩んでいても仕方がない。最悪、風下へ戻る方ならば追い風だ。
「オルファネウル、行ってみるか」
イーグリステリア事変で扱った【ひらく】という力を借りれば、この風も【ひらける】ような気がした。頼っていいかと尋ねれば、もちろんだ、と相棒が返してくれた。風上を振り返り正面から雪と風を受けながらアルは槍を構えた。物体を【ひらく】のは多少慣れた。そこにないものをひらく、集中しろ。
緩んだ糸がピンと張ったのを感じた瞬間、アルは十八番、上段から槍を振り下ろした。
「うおおぉぉ! ひらけ! オルファネウル!」
雪に向かって落ちた穂先。雄叫びの後、風がぐっと抵抗し、そして弾けた。ぶわぁっと背後の風下からも風が舞い上がり、視界が白で埋まる。それから、風を失った雪は柔らかく真っ直ぐに降り注いだ。
風はアルの体を叩くのをやめたのだった。




