3-2:涼しい丘の話
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言葉が通じることの喜びより先に、アルは身構えた。老人を下ろして背に庇い、槍を手にして壮年の男に敵対する。ざわつき、アルの視線の先を辿って人が割れる。道ができてお互いに距離を測り、壮年の男は小さく首を振った。
「いや、そんな、待ってくれよ、どうして……! もう俺は、そんな」
「シュンなんだな? どうしてここに!」
「違う! いや、そうだけど、違うんだ! 見ろよ! 顔も、姿かたち違うだろ!」
「でも俺のことを知ってるんだな?」
そうだけど、と男は困惑した様子で言い、眉尻を下げた。確かに人相は似ても似つかない。アルの知っているシュンは黒い液体を纏ってはいたが、ツカサとよく似た風貌だった。金髪碧眼、掘りの深い顔、それはシュンではない。けれど、シュンだと何か直感めいたものでわかる。本来、自分一人であれば気づかないことを感じ取れるのは、ポーチに入れた刻の神・ジンの石のおかげか。アルはブーツの先をじゃりっと鳴らした。
睨み合う中、子供が恐る恐る壮年の男に近寄り、その足に抱き着いた。ぱるぱ、と言いながらだ。こちらを怯えた目で見た子供の顔と、男の顔はよく似ていた。アルは槍を背に戻し、大きく息を吸ってから言った。
「……話がしたい」
「俺には、話すことなんて、帰ってくれ!」
「帰り方がわかればそうしてる!」
元々大きなアルの声はよく響いた。先ほどまで友好的だった村人の怯えた目に、やった、と思いながら、アルは続けるしかなかった。
「ここで話すか? 俺はいい。でもお前は? 言語だってなんて説明するんだ」
「俺は、元々、旅人でここに居ついたから、故郷が同じだったとでも言うさ」
「なら俺は、お前をここまで追いかけてきた狩り人だって風を装う」
それは脅しだった。男はぎょっと目を見開き、心配そうに駆け寄ってきた女の肩を抱いて何かを言い含めた。窺うような視線がいくつも注がれ、アルはぐっと背筋を伸ばし、胸を張り、顔を上げた。
「話をさせてくれ。俺一人じゃ、わからないんだ」
ラングのように覚悟を持って、即座に斬り掛かれるほどの決断力はない。
ツカサのように発想を頼りに、こうかもしれないと判じれるほどの想像力はない。
アルにあったのは、状況に飛び込める胆力だった。
男はざわつく村人たちの声に何かを返し、子供の頭を撫で、女に任せ、ゆっくりとアルに歩み寄った。
「……もう終わったことだと思ってんだ、俺は、シュンじゃなくて、サルムだ」
「わかった、サルム。アルだ」
ぐっと握手をする。そこから感じたのは怯えと不安、敵意はなかった。故郷の知り合いで、別れ際が少し複雑だったから槍を抜かれたが、改めて話をしてくる、と家族と村人に言ったらしい、シュン、改めサルムに促されて小高い丘へ向かった。どこかに隠れたりしないのは、女、妻に見えるところにいてほしいと懇願されたからだ。アルもまた、槍を振るうつもりはなかったので場所は任せた。
チラチラとこちらを窺う村人たちの視線を遠くから感じる。その多くはアルに対して敵意を持っており、それだけこのサルムという男が慕われている証拠だった。【黒のダンジョン】で出会った我儘な青年の雰囲気はどこにもなく、大人だと思った。だから、まずは聞いてみた。
「お前、なんでここに? その姿なんだよ?」
「こっちの台詞だっつの。俺は、ここに転生しただけだ、たぶん」
【渡り人】憧れの転移、転生。イーグリス近郊ではよく聞く話ではあるし、アルの実家の関係で、こういうこともあるぞ、と教えられた座学を思い出した。
「やっと幸せになったってのに、どうしてあんたがここに来るんだよ……。ツカサとかもいんのか?」
「いや、俺だけだ。ラングがいなくてよかったな? 黒い仮面の奴」
ぐったりと項垂れて項を摩り、サルムは唸った。とりあえず、アルは素直に現状を話した。黒い仮面の男、ラングが消えたこと、いた場所がおかしくなったこと、突然穴に落ちてここに来たこと。刻の神・ジンのことは伏せた。神の存在を話すことは、アルでも危険だとわかる。
サルムはそれを聞きながら、少しだけ目を輝かせていた。元々ツカサと同じ【渡り人】、ツカサは様々な物語を知っていると言っていて、それはこの男も同じだったのだろう。聞き慣れない単語をぶつぶつ言いながら、だからどうしてそういうの俺にはねぇんだよ、と聞き覚えのある言い分を最後に、くそ、と悪態を吐いた。アルはサルムが落ち着くのを待ってやった。暫くしてサルムは草をプチプチ引き抜きながら言った。
「俺を殺した奴らの手助けするのもな……、どうして俺が……」
あの時、シュンだった青年は状況もわからず、自分を殺そうとするから戦った、そして結果殺された、という認識があるらしい。それ以前のやり取りを知らない青年の言い分としては正しいものの、アルにも言いたいことはあった。
「お前だってオーリレアの南側でこっちを殺そうとしただろ。殺そうとしておいて、どうして殺されないと思うんだよ。頭の中、都合良すぎだろ」
「俺と同じ地球の奴らをお前らが甚振ってるって聞いたからだ! 俺は正義のヒーローだった!」
「聞いただけだろ! あのジジイとクソ女神から! お前が少しでも目を開いて周囲を見渡してりゃ、イーグリスと渡り人の街のことも、それ以外の【渡り人】がどんなふうに生きてたかもわかっただろうな!」
睨み合った。ふん、と顔を逸らし、サルムは苛立たしげにまた草をむしり始めた。
「結局、寄ってたかって俺のことを殺したことには変わりねぇだろ」
「そうだ。お前を殺した。守りたいものがあった。そこは後悔してないし、謝ることでもない」
サルムは手のひらに集めた草を放り投げた。壮年の男は若い怒りを見せた。
「俺が何をしたってんだよ!」
「リガーヴァルの世界の人々を殺した自覚は? オーリレアの南側で人を焼いた炎、あいつらに与してた自覚は? 俺だって人殺しを正当化するわけじゃないけどな、お前だけが被害者だと思うな!」
テメェ、なんだよ、とお互い立ち上がり胸倉を掴んだ。アルの方が身長が高く、そうなるとサルムは少し勢いを無くし、唇を震わせた。元々、根は弱いらしい。こうしたガンのつけ合いで目を震わせる程度には慣れもないとわかった。軽く放るように手を離せばサルムは再び丘に座り込んだ。
「知らなかったんだ……!」
「ツカサだってそうだ」
正面に座り直し、アルが口にした言葉にサルムは真っ赤になった目を向けた。アルは見てきたことを言った。
「ツカサは知ろうとした。こうだって決めつけないで、いろんな想像して、実際に見て、学んで、そこにあるものを受け入れた。ツカサの素直さと真っ直ぐなところは、俺も尊敬してる」
サルムが目を逸らすように瞬きをした時、落ちた涙は見ないふりをした。
――知ろうと思えば、いくらでも知ることができるんだ。誰かからの教えを待っているから、知ろうとしないからそうなったんだろ!
――異世界だってことくらい、わかってただろ!
「……そうだ、異世界だってことくらい、わかってた」
サルムが呟き、軽く目元が拭われた。アルは少しだけ待ってやった。殺す、殺され、それが冒険者にとって身近なことだとアルはわかっているが、相手にとってその常識が同じではないともわかっているだけに、それ以上、言葉を重ねても意味はない気がしていた。殺されたくない。その気持ちはアルにだってわかる。そこから先、殺された経験者しかわからない葛藤はあるだろう。追い詰めた手前、早くしろとか、受け入れろとか、言える立場でもなかった。
さらさらと流れていく白くて薄い雲を眺めながら優に一時間、アルは色の変わりつつある空を見上げ、丘から目を逸らし続けていた。やがて、諦観を含んだ声が、おい、と呼んできた。視線を戻せば鼻先を赤くした男が、落ち着いた眼でこちらを見ていた。
「あんたたちに何があったかはわからねぇけど、懐かしい記憶を掘り起こす。それに、ここ数日で気になることがあるからよ」
「気になること? あー、どこから聞けばいいかもわからないんだ」
「いい、大丈夫だ。昔、昔って言っていいのかもわかんねぇけど、コミケに出てみたくて、ちょっと漫画描いてみたり、文字書いたりしてて、一応話はまとめられる。レポートと趣味は違うんだ、なんて思ってたけどそんなことはなかったな。画力と文才がなくて投稿サイトでちょっとやるくらいで、全然フォロワーも増えなかったけどよ。……神絵師と神が多すぎる時代ってのも、眼福だったけど辛いもんはあった」
「わからん」
話をぶった切る方針でアルが言い、サルムはだよな、と苦笑を浮かべた。
「うち泊まってけよ、話、長くなるだろうからよ」
「いいのか?」
「仕方ねぇだろ、家に受け入れなきゃ村人たちがいつまでもピリピリするんだ。そういう村なんだよ。家に入れる、入れないで扱いは変わるんだ。ただでさえ俺はよそ者で居ついた、いわゆる移民、変に問題持ち込んだと思われちゃ、商売も、それに子供が将来困る」
ほう、と声が出てしまった。自分のことだけではなく、子供のことも考えられるような大人になっていて、正直に言って驚いた。ここに転生したと言っていたが、今この時に至るまで、どんな人生を歩んできたのか素直に気になった。だから、踏み込んだ。
「サルムとして生まれてから、どうやって生きてきたんだ?」
「あ? 俺の話は別にいいだろ」
「気になるんだ。シュンは多少知ってるけど、サルムのことは知らない。この村に辿り着くまでだって、いろいろあったんじゃないのか?」
まぁ、そりゃ、とサルムはのろりと立ち上がった。草を払いながら山々の連なりに視線を逃がし、息を吐いた。アルは立ち上がりながら堂々と言った。
「俺は穴を落ちたって話したぞ」
「知らねぇよ……。……俺が目を覚ました時には、俺の記憶にある姿じゃなくて、こんなんで、ただ、年齢だけは同じくらいだった気がする。二十四、五、か? 死んだ時の年がそのくらいで、たぶん、そう」
家に向かいながら話を聞いた。サルムは状況に困惑はしたものの、二度目の転移、いや、姿かたちが変わっていたので転生して記憶を取り戻したんだと思い、とにかく何か食べたくて仕事を求めたらしい。自分が旅をしていて家族を持っていなかったことはわかったという。
不思議な力をすべて失っていて、肉体だけが頼りだった。言葉ができること、幸い、文字は読めたので商人に雇ってもらえた。
その商人は遍歴商人で店を持っていなかった。少し稼ぎがよくなってきたから人手を求めており、最初は知能の低い、言うことをきく奴がほしいと思って、オロオロしていたサルムを雇ったらしい。
単純に世界と世間を知らないだけで、リガーヴァルを生きた経験も、その前の経験もあったサルムは、商人を随分驚かせたらしい。轍に車輪がはまった時の逃れ方、重い荷物を運ぶ時のやり方、仕入れ、売値の計算、思わぬ掘り出しものだった、と後に商人は酒を片手に笑ったそうだ。
そうして、よい働き手として生き直したシュン、商人に掘り出しものと呼ばれ、その名を気に入って名乗り始め、この村に来た時に出会った娘に恋をして、娘の手助けをしたい一心で商人と別れ、村と他の町の行き来をし、商流を作った。そして、結婚した。
「ふぅん、いい生き方してきたんだな」
「反省したんだっつの」
話は夕食の席まで続き、鈍いランタンと竈で燃える炎の明かりの中、木製のテーブルに並べられた食事に舌鼓を打つ。美味かった。山羊のミルクで作ったチーズに硬いパン、保存食のハムを出してくれて、今朝食べなかった鶏の卵を山羊のバターで炒めたスクランブルエッグに牛のミルクスープまで。アルはサルムの声を聞きながらそれらを大事に、ゆっくりといただいた。
こうして出された食事が豪華だということはわかっていた。本来なら山羊のミルクでスープを作り、パンを浸して食べるくらいだろう。未だ恐々しているサルムの妻に、真摯に礼を言えばようやく肩から力を抜いてくれた。
子供はサルムの膝の上で食事をとり、満腹になってウトウト眠り始めた。妻がその子を抱き上げて寝かしつけに行く背中を見送り、扉が閉じてからサルムは呟いた。
「……反省したところで、向こうでやったことがどうにかなるとは思わねぇよ。ただ、あいつらには言わないでくれ」
「言わないさ、言葉、わからないしな」
そうだった、とサルムは苦笑を浮かべ、酒を呷った。アルは酒を勧められて断った。厚意は有難いが下戸なのだと言えば、押し付けるようなことはされなかった。サルムは手酌でコップに酒を注ぎながら次は自嘲気味に笑った。
「妻子に知られたくないことをやってたっていうのを、今、痛感してる」
アルは水を飲み、その酒に付き合った。空になり、再び注がれている時に妻が声を掛けてきて、先に寝ていてくれ、と言ったらしい。再び扉が閉まってからサルムは酒瓶を置いて切り出した。
「あんたの仲間、あの仮面の奴が、キーポイントだったんだろうな。要は、大きな分岐点。すげぇ大きな話をすると、単純に、いる、いないでめちゃくちゃ変わってるっぽいから。それで……、本当に、嫌なんだけど……、たぶん、俺が関わってる」
アルが眉を顰めれば、サルムは顔を覆い、机に肘をついた。
「ずっと、悪夢を見てんだよ」




