2-73:【女神の欠片】
いつもご覧いただきありがとうございます。
ツカサの呟きにラングもアルも眉を顰めた。片方はシールドをこてりと揺らしてそれを示し、片方ははっきりと表情に表した。ツカサは胸から手を離し、文字と声でまた通訳をした。
『時の死神、俺の中にいるみたい』
「どうなってんだよ……!」
『不調はないか?』
『大丈夫』
ツカサは頷いて深呼吸をした。空間収納。その中身は容量無制限。生きものは入れられないが生きものでなければ収納することができる。今のセルクスがどういう扱いであるのかがわからない。
随分と昔のように感じるがジュマのダンジョンでセルクスが金銀財宝を空間収納にスルスルとしまい込んだ時のことを思い出した。引き続き声と文字で共有しながらツカサは言った。
『話が全然変わってくる』
「どういうことだ?」
『北の洞窟で【女神の欠片】、もうこうやって呼称するけど、俺たちそれを見つけてないんだよ。でも、俺は時の死神と一緒に洞窟の最深部にいたんだ』
うん、それで、とアルが頷いて促す。ツカサはペンを走らせながら言った。
『北の洞窟の【女神の欠片】、時の死神が持ってるんじゃないかな』
『……死者を生者と変わりなく存在させるほどの力。死にかけた神ですら引き留められる、ということか?』
『そうだと思う。瀕死、実際、砕けて、ボロボロになって消えていったけど、俺にこうして権能を、ラングへ誘いの光を飛ばして力を譲渡してる。それって死んだ神ができることじゃない気がする。俺の中に命が入っていくのも、よく考えたらおかしいよね……』
えーっと、とアルは腕を組み、視線を右上にやってからぼやいた。
「つまり、あいつ、ツカサの中に逃げ込んでるってことか?」
『うん、理由はわからないけど、そんな感じなんじゃないかな。このところ時の死神の幻を見ることが多くて、どうしたんだろうなとは思ってたんだけど、出れるようになってきたのかも』
「幻なんて、なんでそれ言わないんだ。ったく、じゃあ出てこいって言えよ」
憮然とした表情でアルが言い、苦笑しつつ、ツカサはそうっと空間収納の中を、ものを収めている場所ではなく何かがいるような気がするところを、首を前に出すようにして覗いた。いないかな、と身を戻したところで腕の支えを失い、そのまま横にどさりと倒れ、肘を打った。
「いて! なんだろう、急に床が傾いたような」
手が滑って転んだようになり恥ずかしくなって伏せていた視線を上げれば、ツカサの目の前には宇宙が広がっていた。え、と間の抜けた声が零れ周囲を見渡す。ラングも、アルも、ユキヒョウも鷹も、キスクも、その膝にいたチュチュリアネもどこにもいなくなっていた。よろりと立ち上がって首を巡らせる。真っ暗闇ではあるのだが、そこに美しい銀河が存在し、色とりどりの宝石のような星々が光り輝き、闇を眩く照らしていた。手を伸ばせば不思議なことに温かくてキラキラしている宝石のような星を手に取ることができ、ツカサはそれを大事に撫でてみた。パチパチパチ、と線香花火のように弾けたそれはひときわ輝きを得て空に飛び上がり、ぱぁっと辺り一面を白い光で照らし出した。その光はゆっくりと降り注ぐ暖かな粉雪のようなもので、いつまでも消えることはなかった。
「明るいな」
ぺたりと素足の音がして振り返る。ずっと答え合わせをしたかった寝間着姿の神様がいて駆け寄った。心底を覗かせない藍色の眼差しはにんまりと細められ、口元にも弧を描いていた。ゆっくりと持ち上がった指先がその口元に寄せられ、秘密を共有するように言った。
「おっと、名は呼ばぬように。言っただろう? 呼んではまずいのだ」
ツカサは名を呼ぼうとした唇を結び、ゆっくりと合流した。横に並んだ時の死神はふいと空を見上げた。ツカサよりは小さいその姿を少しの間眺め、視線の先を辿って星空を見遣る。先ほど弾けた白い光はゆっくりと散っていき、その明かりを広範囲に広げていった。思わず呟く。
「綺麗、あったかいなぁ」
「君の心だ」
どういうことかと振り返れば、時の死神は藍色の目を細めて星空を見ていた。
「君はシェイの精神世界に行ったことがあるだろう。ここはそれと同じ場所だ」
「俺の精神世界ってこと?」
うむ、と時の死神が頷き、よろめいた。慌てて支えて共に座り込む。胡坐をかいた神の正面に同じように座り、ツカサは身を乗り出した。
「いったいどういうことなの? 時の死神がここにいることもそうだし、俺たちがいる世界も、何があったの? 俺の精神世界ってなに?」
「時間があまりないのだ。つい君の精神世界を眺め続けてしまったのでね。答えられることにも未だ限りがある。選びなさい」
「【女神の欠片】ってなに?」
ふふふ、と時の死神は嬉しそうに笑った。
「動じず、物怖じせず、その成長と進化には目を見張るものがある」
「時間がないんでしょ?」
「【女神の欠片】とは、【女神の欠片】である」
「なんの女神? キスクは【理の女神】って言い伝えがあるって言ってたけど」
「【命の女神の欠片】だ」
不味い、もっとわからなくなった。ツカサは落ち着け、冷静であれ、と一言自分に声を掛けてから息を吸った。
「命の女神って、シェイさんの師匠が言ってたスフィなんちゃら?」
「それは正しく、また、誤りだ」
「はっきり言えないの? 神様のそういうところが嫌われるんだよ」
時の死神は少しだけ傷ついた顔をした。言い過ぎたかもしれない。ツカサは小さくごめんと謝った。時の死神は、いや、そうだな、と頬を掻き、コホン、と咳払いをしてから言った。
「まったく、若さゆえの強さなのか、無知ゆえの図太さなのか。まあいい、見なさい」
改めて早く答えを寄越せと詰め寄ろうとしたツカサを手で制し、時の死神は手のひらで座っている地面を撫でた。黒に金銀の細かい砂を交ぜたような、まるで水銀を思わせる独特の艶めきをもってそこに水盆が出来上がった。ここがツカサの精神世界だというのならば、勝手に触らないでほしいと思った。
「暗闇に小さな粒が生まれる。それは様々な夢を見たあと、役割を持ち、自我を持ち、そして神となる。闇に孤独を抱え、光を求めて創り出す、それが様々な世界である。真なる理、そうした神の夢や憧れが君たちヒトの生きる世界と成る」
時の死神が水盆の中で外から内側に向けて時計回りに指を回していく。真っ暗闇の中には先ほど交ぜた金か銀か、何かキラキラ輝くものがあって、指が回っていくたびに光が増える。
「生命を育むにあたり、そこには必要なものがある。それもまた多くは神の望みから生まれ落ちた。渇きを癒す水、立って歩くための大地、冷えた体を温める炎、行く先を決めるための風。そうして、世界に光が満ちるようにして精霊が生まれる」
星のようなものが増え、そこに水と、土と、炎と、風が増えた。
「やがて小さな命が生まれ、それはいくつもの滅びと生存競争を繰り返し、徐々に、命として確かなものになっていく。君ならばわかるだろう」
ツカサは頷いた。化石を始めとする様々な歴史と浪漫が教科書やテレビ、漫画などで論じられ、説明され、知っている。時の死神が水盆で回している指が通り過ぎる度に細かな光が増えていき、いつしか水盆は光り輝き始めた。
「そうして命が輝き自我を持つと、そこに感情が生まれ始める。幸せ、楽しみ、悲しみ、喜び、苦しみ、妬み、怒り、恐怖、そして願いと想いを抱く」
時の死神の指先を追うものが光りではなくどろりとした黒いものに変わっていく。ツカサはこれもわかった。大虎・エントゥケの内にあった命を誘った際、様々な想いの欠片を受け止めた身として実感がある。時の死神が水を掬った。その手の中にあるものは、どろり、ねとりとした粘性の強い真っ黒いスライムのような気味の悪いものだった。指の隙間からボトボトと落ちていき、水盆に落ちてボチャボチャと汚らしい音を立てる。
「人の想いを受け止め続けると、神は狂うのだ」
ツカサは顔を上げた。神が狂う。ふと脳裏に浮かんだのはイーグリステリアとラングの言葉だった。
――だから、私はリガーヴァルの敵となってでも、ここに楽園を取り戻すのよ! 私の世界の願いを、想いを叶えるのよ!
――哀れな女だ。人を食らいすぎて勝手に人の想いを背負った。
どくどくと血が巡り、頭の奥が熱を持つ。今思いつきかけていることを形にするのが怖い。頭は熱いが体中が冷えていっている気がした。そんなツカサのことなど放っておいて時の死神は続けた。
「だからこそ、命にかかわることの多い、時の死神は世襲制、同じ神がその役目を永遠に担うことはない。命の女神もまた然り、本来ならばそうなるはずだった」
「やめて!」
それ以上、聞いてはならない気がして叫んだ。耳を塞ぎ、顔を伏せ、ツカサは続きから逃げた。ひやりと冷たい時の死神の手がその手を掴み、引き剥がし、ツカサの目を藍色が真っ直ぐに覗き込んだ。ヒッ、と声が喉で潰れた。
「ヒトの子よ、【女神の欠片】とは何かと問うたな。我が身を犠牲に答えよう。それは本来、次代の【命の女神】となるはずだった、【女神の欠片】である」
ツカサを掴んだ時の死神の手に血が滲んでいく。こふっと咳き込むようにして血を吐き、ツカサはその赤色を見て我に返り、咄嗟にヒールを使った。ふわりと柔らかな光に包まれた時の死神は優しい微笑を浮かべてツカサの頬を撫でた。
「君は優しい子だ。素直な心と、柔軟な発想、そして、この精神世界を見たまえ」
血を流す腕を宇宙のような空に向けられ、ツカサはその動作を目で追った。
「君は可能性の塊なのだ」
水辺で揺れる草花のように優しい時の死神の声がツカサに響く。支えていたその体がゆっくりと脱力し始めた。
「ちょっと、まさか」
「ふふ、死にはしないさ。ただ、癒えたものが再び怪我となっただけに過ぎない。すまないが、今暫く君の内で休ませてもらおう」
「それは、いいけど、でもこんなところで治せるの?」
「ふ、ふふふ、ツカサ、君は鋭いくせに、時折、鈍いのだな」
トン、と胸を叩かれ、ツカサは叩かれた場所を握り締めた。
「汝の持つ加護は、偽りではない」
時の死神は、すぅ、と息を零して目を瞑り、眠りに落ちた。イルに傷つけられ眠り続けるリガーヴァル同様、時の死神は今ここでその時を過ごすことになっているのだ。ツカサの内にいることで何か恩恵でもあるのだろうか。
「今聞いたこと、話さなくちゃ、確かめなくちゃ」
ツカサは宇宙のような星空を見上げ、ぎゅっと下唇を噛んだ。癖だな、傷めるぞ、と言われた声を思い出して唇を開いた。戻らなくちゃ、とツカサが呟くその肩で、どろりとした黒い何かがピチチ、と体を震わせていたことには気づかなかった。
「――ツカサ! おい、やめ――!」
バシン、と頬に痛みが走った。口の中が切れて血の味がした。
「痛い! なに!?」
目を瞬かせて痛みの原因を睨みつければ、ラングが胸倉を掴んで手を振り上げているところだった。ぎょっとして腕で顔を庇う。
『なに!? なに!? ちょっとやめてよ!』
『戻ってきたか』
「焦った、ツカサ、大丈夫か? 急に倒れたと思ったらなんかずっとブツブツ言ってるから」
「え?」
あの会話、どこまで口から出ていたのだろう。聞けば、優しい子だ、の前までほとんどすべてだった。ツカサが話したこと、時の死神が話したこと、ツカサの口から不思議な音となってラングにもアルにもわかる音でそれが零されていたらしい。キスクはさすがにドン引きしていて少し距離が開いていた。ユキヒョウは鷹を口に咥えて壁まで離れており、尻尾がぶわりと広がっていた。もう大丈夫と声を掛ければそれぞれ改めて輪になって座った。その間にヒールで口の中を治した。
共有する手間は省けたものの困惑が三人の間にはあった。どのような光景で話していたかはわからないながら、時の死神が世界の成り立ちについて話している時、ラングが機転を利かせてツカサのスケッチを見せたらしい。そうか、あれはあの天井画の話だったのか。手記をいろいろと広げておいてよかった。
そうしてまずわかったことはひとつ。キスクが聞いていた言い伝え、【理の女神の欠片】は【次代の命の女神の欠片】であったこと。なるほど、【命の女神の欠片】であれば死者を生者として、瀕死の神を引き留められるほどの力を持っているのは想像に易い。土地神たちが守らなければならないと思うのもわかる。
けれど、この世界の【理の神】はどうしたのか。【片鱗】とは何か。【声の主】は誰か。なぜ、キスクは【理の女神の欠片】があると言い伝えを聞いていたのか。
謎はまだ多い。とにかく、何も答えのない状態からひとつでも明確になっただけ有難い。
「で、なんで俺ラングに叩かれてたわけ?」
「戻らなくちゃって言うから、起こそうとしたんだろ」
アルの目に諦観が浮かんでいる。起こす手段が野蛮なのはこの時からそうらしい。うん、知っていた。アルは止めようとして、とにかく起こそうと声を掛けてくれたそうだ。いろいろと言いたい文句は多いがあとにした。
「時の死神はちょっとまた制約を受けて怪我してるけど、俺の内側で無事だよ」
「よかったって言っていいのかわからないな。結局ツカサが背負ってることには変わらないだろ」
アルはブツブツとまた文句を言い、聞いてんのか、とツカサの胸を、その中に居るらしい時の死神を睨みつけた。加護が偽りではない、など、気になることは多いものの、ラングがふむ、と腕を組み唸った音に視線が集まった。
『ルシリュとやらに会ってみたい。グルディオの言葉は伝聞だからな。ショウリが抵抗勢力、いわゆる【神子排斥派】ならば繋がりがあるのではないか?』
『確かに。うん、アルとも合流できたし、ショウリにも会っておきたいし、次の目的地はそれでいいかも。それまで【声の主】とか、言い伝えの内容とか、【片鱗】がなんなのかは決めつけないでおこう。俺も気をつける』
「了解、行く先が決まるだけで気持ち違うよな」
三人で頷き合う。歳がどうであれ役回りが変わらないことにもツカサは安堵を覚えた。
次の目的地がフォートルアレワシェナ正教国の首都レワーシェに定まったところで、少し気分転換が欲しかった。
「アルは、合流するまで何をしてたの?」
「俺の話? あんま気分いいもんじゃないぞ。あぁ、でも、聞いたことが結構大事だったから、これも伝えないとだな」
なんだか喉が渇いてハーブティーを用意しながら、聞きたい、と言えば、アルは首を摩りながら口を開いた。
「ダチになれるかもしれないって思った男を殺してきたんだ」
また重い話になりそうだとツカサはコップに湯を注いだ。




