2-69:風を纏う
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読み上げて、暫く沈黙が続いた。
シュン。それはあの時、戦った青年の名前だ。【イーグリス】、【ショウリ】、漢字にすれば勝利だろうか。加えてツカサを名指しまでして、こちらを知っているので間違いなくシュンだ。書斎で会ったあの姿をショウリは見たのだ。
ラングの世界、ツカサの世界、そしてこの世界。いくつかに分かれたシュンが居たというのは事実なのだろう。分離した何かが、分離した違う自分の景色を見たと考えた方がいい。シュンもそう考えたはずだ。だから、【恐怖よりもどうにかしなきゃならねぇ】【全部書いておこう】と思ったのだ。自分もまた誰かに見られていると気づいてしまえば、嫌だろう。
ツカサは紙を置いて両手で顔を覆った。何か感情があったわけではなく、ただ、ぐったりと項垂れたかっただけだ。ラングはその横で紙を並べ直し、腕を組んだ。
『一度ここに戻って来たんだろう。誰かが手記を見つけここに辿り着いていないか、それとも、天啓だったのか』
『うん、紙の色が一枚だけ違うもんね。たぶんだけど、キスクとか、ルシリュとか、声が聞こえた人たちと同時にシュンも聞いたんだろうね。それで、確かめに来たんだと思う。ここ、随分前に滅んでたんだ。命はシュンが……取り込んだのかな、ポソミタキさんみたいに。だから何もいなかったんだ』
『体が黒いものと同様であれば、トロッコの道でも狂った土地神には襲われなかっただろう。あれは生者を襲い、奪うもので、あれ以上の命は不要なものだ』
うん、とツカサは頷いた。しかし、バケモノの謎が残る。
『シュン……、ショウリって呼んだ方がいっか。結局バケモノに遭遇してないからその姿はわかってないね。神獣、土地神はどうにかなったけど、トロッコの道にその問題は残っちゃったな』
『あぁ。お前は何を見つけたんだ』
そうだった、とツカサはトーチを天井へ広げて指差した。そこにはとても抽象的な天井画があった。
物語としては左端から右回りに、渦を描くようにして中心まで。
最初は星々の輝きか、そこから水が流れ、大地が現れ、火が燃えて、風が動いた。恐らく世界の創生神話か何かだと思うと言えば、ラングは全体をよく見たいと言った。
時計回りに進んでいくと小さな何かが増えてきて、手を差し伸べる大きな人が、小さな人をその腕に包むように現れた。そのあたりから何か流れ星のようなものが人々の周りを飛び回っているらしい。やがて大きな人が泣き始め、涙が落ちる。その雫が中央へ向かって一筋落ちていて、黒く塗りつぶされている。
その周囲にやはり流れ星のようなものが描かれていて、そこから先は真っ黒で何も見えなかった。
ちらほらと書かれた文字は神の言葉だ。ツカサは自分に書かれたものだけは読めるようになっているがラングのものは未だ読めない。天井画に書かれたものも読めなかった。何か制約があるのだろうか。ぼんやりと頭に霞が掛かり、大事な何かを思い出せない。
じっと二人で天井画を見上げ続けた。
『どういう意図なのだろうな。創世神話から、終わりまでということか?』
『俺もわからない。でも、神様が七日かけて世界を創ったとか、巨人と神様たちが争ったとか、男女の神様が神のこどもや島を産んだとか、いろんな物語はあるんだよね』
『教員をしているとも言っていたが、本当に学者の家系ではなかったのか?』
『いや、違う、全然違う。そうじゃなくて、見れるもの、読めるものが多かったんだ』
恵まれた故郷だな、と言われ、そうだと思う、と返した。ラングは再び天井画を見上げた。
『とにかく、この絵をよく覚えておこう。こんな場所にあるんだ、今までのことから、何か示唆されていると思う』
『そうだね。……なんで泣いたんだろう』
中央に向かって落ちた雫。天井画はそれなりにくすんでいるが、目元の方は白く、中央に向かうにつれ黒く変わる細かさだ。こういうのは大事な気がした。気づいたことと、アッシュの真似をして全体図をアバウトに手記に描き写す。ツカサが描き終わるのを待ってからラングは言った。
『一先ず、ここにもう用はない。戻るとしよう』
『だね。……フォートルアレワシェナ正教国の首都、レワーシェかぁ。いきなり敵の本陣に乗り込む感じ』
その前に前衛戦力のアルと合流したいところだ。絆の腕輪は未だどこかを指し続けている。
手記をまとめて空間収納に入れ、広げたものを片付ける。癒しの泉エリアの水とヒールでここまでの疲れを癒して立ち上がった。次は下りてきた長い階段を上がっていくことになる。
扉を出た先は変わらない暗闇だった。入った時との差異がないことには安堵を覚える。書斎を出てすべてがガラリと変わっていた衝撃が、扉を出入りする度にツカサの胃をキリキリとさせるのだ。トーチの明かり、【鑑定眼】、どちらにもおかしなものは映っていない。
ラングが再び先頭を進み始めた。下りる時と違い、上りは本当に太腿にくる。はぁはぁ息が上がってしまい、ラングに休憩を何度か強請った。ラングは息を乱していないのでコツを聞けば、息を長く吐き、長く吸うことだと言われた。きっとそれだけではないだろうが、休憩のあとは真似をすることにした。
光を失った場所から、光る壁と階段まで戻ってきて振り返る。ポソミタキの一族が守ろうとしていた【女神の欠片】の正体はなんなのだろう。少なくとも今はそれが一つ、確実に手中にあり、もう一つは可能性が高い。モグラに変じられるトルクィーロ。そしてもう一つは【渡す覚悟】もあるというショウリ。
『北の洞窟にも何かあったのかな』
何かしら意味のある場所だとは思った。けれど、それが何なのかを調べる間もなく、誘いを追い、ラングを追ったので何も調べられていない。
ひたすら上っていく。下りる時は楽だったものが、逆になるとこうも違う。さすがに時間も掛かっているので階段で一晩休むことになった。風の通りはあったので三脚コンロを取り出してポットでゆっくりと湯を沸かす。クズ魔石がパキ、と音を立てる度に新しいものを入れて火を点け、時間を掛けて湯が沸いた。その間にパンと生ハムで軽く夕食だ。食後のハーブティーを差し出せばラングは礼を言いながら受け取り、迷うことなく口を付けた。警戒心の高い人のそういう行動は嬉しい。
『北の洞窟だが、ユキヒョウの足を借りられるのならば、確認にいくのもありだろう』
『うん、途中でさ、大虎さんに会わせてあげられるといいよね』
命を誘った今のユキヒョウならば軽やかに駆けられるだろう。教会関係者には気を付けなければならないが、腐っても神獣、そう簡単に捕まりはしないはずだ。いや、人と関わりたがっているあのユキヒョウは少し危ないか。そこはしっかりと言い含めなくてはいけない。
ここでの調査結果をドルワフロに持ち帰り、キスクに共有し、首都にも同志がいることを伝えなくては。本当にショウリがそういうつもりなら、手を組んだ方がいい。そのためにも直接会ってこの【眼】で確かめたい。となれば優先順位を北にするか、首都にするかだ。西だって未確認のまま、人手と移動手段が足りない。
ただ、こちらの移動する方角はアルもわかるはずだ。空腹だけは心配だが、本人がそれに困っているのならば近づいてきてもおかしくはない。それがないということは絆の腕輪を感じてからおよそ二十日、アル一人どうにかなっているということだろう。【兄たち】からもらったポーチもなかなか優秀そうだ、何か入れてくれている可能性はある。ツカサはそう自分に言い聞かせながら、その夜は不寝番を交代しながら休んだ。
翌日もジメジメした道を目指して階段を上る。黙々と上り続けているといろいろと考えてしまう。今はショウリのことが気になって仕方がなかった。
――隣人をちゃんと人として扱う、そんな当然で、簡単なことを、してる。
異世界の人々をNPCとしか呼ばなかったあの青年の生き直している様が手記からは窺えた。その甲斐もあって信頼できる友人もいた。共に何かを作り上げる喜びも、一緒に盛り上げていこうという楽しみもあったのだろう。無情にもそれを壊したのが【自分自身】だと知っているのだろうか。いや、気づいたからこその反旗なのかもしれない。ツカサたちが掴んでいること以外に、シュンは何を掴んでいるのだろう。ショウリとして自分自身へ反旗を翻している今、それがゲーム感覚でないことを祈った。
考え事をしていればそれなりに上ってきていた。もうすぐポソミタキの書斎に戻ろうという時だった。ラングが足を止め双剣を一本抜いた。
『何か来る』
さっと武器を手にした。ツカサは魔法障壁を意識、右手は魔法、左手は水のショートソードに魔力を込めた。ラングは剣を構え、ゆっくりとシールドを巡らせている。物音がしない。気配がない。けれど確かに息遣いを感じた。どこからだ。
『下からだ! 走れ!』
ラングが叫び二人同時に階段を駆け上がり始めた瞬間、下層で壁の崩れる音がした。階段を二段飛ばしてとにかく駆ける。こんな足場の不利なところで戦うのは悪手だとお互いに理解していた。事実、今上ってきた長い階段が下で崩れる音がしている。何かが崩しながら上がってきているのだ。ツカサは通り過ぎた階段に、一歩駆け上がるごとに氷の床を置いた。こうすれば壁にもなるし、壊した感覚で追いつかれた距離がわかる。これは【黄壁のダンジョン】からイーグリスへ戻る際、習得した知見だ。階段を駆け上がりながらお互い、武器をしまった。書斎に戻る道は狭いので武器など構えていられない。
『もうすぐだ、お前が先に戻れ!』
『氷魔法使うからラングが先で! 階段全部凍らせる!』
『ッチ! マントをしまえ、お前ならできるだろう!』
ツカサの提案手段が有効だと思い、その手法に乗るという了承だ。摩擦や幅があるのでマントを空間収納にしまう提案には乗った。遠くで、ゴン、ビキ、ガシャン、という音が続き始めた。追いついてきている。
『戻るぞ!』
ポソミタキの書斎への隙間、ラングが先に入り込んだ。ツカサもその後を追い、階段側へ全力で氷魔法を放った。一瞬、氷を叩いたような、キン、という高い音がしたあと、階段を埋め尽くすように氷が生み出され上も下も氷柱で埋め尽くされていく。ツカサは隙間を戻りながら氷魔法を使い続け、ポソミタキの書斎に戻ってからも隙間を氷で埋めた。
階段を駆け上がり息が切れている。太腿とふくらはぎが痛くてヒールを使い、二人で息を吐く。
『なんだったんだろう。氷で姿も見えなかったけど、割れるだけの強さはあるみたい』
『バケモノだとすれば健在だな。まだ真っ当な命らしい、紋様はない。帰りのトロッコの道でも気をつけた方がよさそうだ。留まる理由はない、行くぞ』
さっと踵を返してラングがこの家の出口へ向かう。ツカサもマントを着け直して後を追った。
トロッコの道に戻るため雪の中に出る。時刻は昼頃、それでも薄暗くてトーチを広く展開した。ユキヒョウの迎えはあるだろうかと顔を上げたところで家が一つ、轟音を立てながら吹き飛んだ。何かが奥から飛び出してきて、それが家を崩し、砕き、吹き飛ばして崖に落としたのだ。放物線を描いて落下していく大きな瓦礫を思わず目で追い、戻したついでに素早く照明弾の魔法を空に投げる。明るい光の中に姿を現したのは、真っ黒な甲殻を持ったでかいムカデのようなバケモノだった。牙と無数の脚、ただでさえ気持ち悪いのに目玉がいくつもついており、ぎょろ、ぎょろ、と周囲を見渡していることが嫌悪に拍車をかける。大きさはこの街の民家を三つ、四つを包んでしまうほどだ。かなり長い。
『気色悪い、ムカデか?』
『【バケモノムカデ】、まんまじゃん! 風纏い? 悪食? 久々の肉にウキウキだって』
『ウキウキ?』
『嬉しいってこと』
ギィィ、と二重三重になった聞き慣れない嫌な音を発し、大ムカデは波打つようにこちらに襲い掛かってきた。動きが速い。古びた街の足場では不利が続く。ツカサは魔法障壁はあっても嫌な予感がして避けた。ラングもまた道を飛び降りるようにして階下の家の屋根に飛び降りた。試しに置いておいた魔法障壁がばくりと食べられ、呑み込まれていく。
膨らませすぎた風船のように腹からどうにかならないかと魔力を送れば、じゅわりと吸収される感覚があった。あれは魔力も糧にするタイプか。
『ラング! あいつ魔法障壁を食べる! 消化されてる感覚がある!』
『では、捕まらない、触れないが第一だな』
魔法障壁も糧となると途端に攻略難易度が上がる。ギチギチ音を立てながら動くいくつもの脚は鋭く尖っていて家々を足場にしっかりと立てている。口元の毒爪を避ければそれ以上に範囲の広い脚が掠めそうで戦いにくい。ツカサは塀を飛び降りて下層の屋根へ避けるついでに氷魔法を撃った。
『アイシクルランス!』
大ムカデの体の継ぎ目、甲殻の間を狙ったものだった。それが不思議な動きでずるりとずれて他の家に突き刺さる。大ムカデがツカサに向いた瞬間、ラングの双剣が同じように継ぎ目を狙うが、ずるりと体勢が崩され、飛び退いた。ラングが受け流される? ツカサはトーチを置いて視界を確保しながらラングと合流し、大ムカデの突進を屋根を飛び移り避けながら話した。
『何今の! どういう感触!?』
『剣先が滝の水を受けたように震えた』
『風纏いってそういうこと!? 風圧か何かで魔法も逸らされちゃうんだけど! やばくない!?』
魔法は当たらなければ意味がない。剣は届かなければ意味がない。こうなればどうにか逃げ切るしかないが、その先が問題だ。トロッコの道を行けばドルワフロや首都近く、人が居る場所へ案内することになる。土地神でもないただのバケモノ、それは新たな餌場に歓喜するだけだろう。ユキヒョウと合流したところで手立てがなければ状況は変わらない。
『あの状態では矢も意味がない。毒も切っ先が刺さらねば意味がない。厄介だな』
『風、風、それなら、炎!』
ツカサはまた道を飛び降りて屋根に向かいながら、振り返って大ムカデにトーチをぶつけた。バチッと火花が散り、大ムカデが怯む。実は、こうした戦闘時、あまり使ったことのない属性の魔法だ、しかし、これはやるべきだろう。
『ラング! 火を使うから気をつけて!』
『お前は抽象的すぎる』
『いくよ!』
練り上げた魔力を弾けさせた。ドルワフロの鍛冶場でやったように密度を上げて、鉄や鋼を溶かすほどの高温の炎の渦を一気にぶち当てた。大ムカデが纏っている風がそれを吸い込み、燃えやすい油に引火したかのように、風を得た炎が燃え広がる。その結果、大爆発した。
余波は魔法障壁で防げた。ただ、のたうち回る大ムカデの体がツカサを弾き飛ばした。
やばい、と声にも出せなかった。魔法障壁もあった、思わず前に出した両腕でどうにか直撃は避けたものの、空中に放り出された体が勢いを殺しきれない。どこかに着地、何かに掴まる。サッと素早く視線を巡らせて気づいたのは、もう家がないことだった。飛び降りるという回避方法は有用だったが終わりはある。一番最下層の方まで逃げてきていて、ツカサは崖へ放り出されていた。
『ツカサ!』
迷うことなくラングが飛び、ツカサに腕を伸ばしてきていた。だめだ、それじゃラングもこのまま崖下に落ちてしまう。風魔法でラングを吹き飛ばして足場に戻さなくては。そう思って前に伸ばした腕をラングが先に掴んだ。ぐっと引き寄せられ、抱き留められ、ラングはツカサの腕を胴に回させると空中で器用に矢にロープを結んだ。落下しているというのにこの冷静さ、ツカサは目を瞬かせてしまった。
『掴まっていろ!』
リトの弓を引く。ヴンと音を立ててしなった弓、矢は高く飛んで塀を越え、ラングは弓をしまうと素早くツカサの両脇に腕を通し、ロープを腕に巻き、握り締め、衝撃に備えた。ガクンと来て体が振り子のように遠心力を持つ。背中は痛かったがロープを掴んでいるラングの手のひらから血が飛び散るのを見て呻き声を奥歯で噛み殺した。足を振って敢えて勢いをつけて近寄った崖をラングが走って、蹴って、何度か行ったり来たりして勢いを殺し、どうにか堪えた。土魔法で崖に足場を作ろうと気を向けた瞬間、上から濁ったギィィという叫びを上げながら、真っ黒い煙を上げながら、甲殻がボロボロ剥がれている大ムカデが降ってきた。
『嘘でしょ!?』
『ツカサ! 足場を作れ!』
ラングに放り出されたツカサが見たのは、大ムカデが真っ直ぐにラングへ落ちていく光景だった。そちらを振り返ったラングは腰の後ろ、短剣を抜いて相打つ覚悟でそれを振りかぶる。世界のすべてがスローモーションで見えた。
『やめろおおぉぉ!』
ツカサの悲痛な声は違う雄叫びに掻き消された。
「――うおおぉぉ!」
一瞬、音が無かった。空気が斬れるような感覚、音がついてきたのはそのあとだった。
ズバンッ。
大ムカデが真っ二つになり、煙と体液をまき散らして崖を落ちていく。ギィィ、次は断末魔の叫びであった。崖の下、深い雲霧の中にそれが落ちていくのをつい見守ってしまい、ツカサは自分の状況をすっかり忘れてしまっていた。
『ツカサ!』
ラングに名を呼ばれ、慌てて足場を、と思ったところでもう遅い。ラングが横に放ってくれたことで殺されていた落下が再び始まり、体が、自由が利かない。しまった、両腕を広げて、だめだ。ぐるんと体が回りそうになった。
それを横から勢いよく抱き留められ、その衝撃に、う、と呻いた。ゆっくりと目を開けば何かに乗っていた。絆の腕輪が近い。
煌めく艶のある焦げ茶色の羽毛の上、冷たい風が頬を打った。自分の体を支える金の腕輪がついた槍を握る手、見たことのある左腕の傷痕、風になびくざんばらの黒髪。二ッと笑う明るい笑顔。精悍な顔立ちの男。
ぶわっと涙が溢れた。
「待たせたな、ツカサ!」
「アル!」
【異邦の旅人】の槍使い、アルがそこにいた。
いつも旅路にお付き合いいただきありがとうございます。
旅人諸君、「キタァー!」となってくれた方、素直に挙手。
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