2-67:崖の街 調査
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翌朝、空は灰色のままだが少しだけ明るかった。ドルワフロでは洞窟内での生活のため、数少ない窓から外を見るしかなく、空自体が久しぶりなせいかもしれない。暖炉の火はチリチリと小さく燻ぶり、薪を足して勢いをつけさせ、朝の湯と糧を得る。試運転で南側まで抜けられはしたものの、その作業に長く掛かるとは言っていないのでキスクは心配しているだろう。
ドルワフロに戻るにしても少し時間が欲しいと言ったのはラングだ。
「調べたい」
あまりにも人が居ない。それがいつから居ないのか、少なくともそれが知りたいらしい。ツカサとしても同意見だ。ムズムズ感はないものの、水すら死んでいるこの場所で何があったのかはできるだけ把握したい。方針として決まったのは、ユキヒョウとトルクィーロ、そしてポーツィリフでレールの再確認をしながら戻る。トルクィーロとポーツィリフがドルワフロに戻ったら、ユキヒョウがここに戻る。
「リガーヴァルの精霊ってパッと現れてパッと消えてたけど、ユキヒョウ……シャムロテスはそれ、できないの?」
「ううむ、歯がゆいのである。精霊ではあるが、ここに在る我らの本分は土地神なのである。しかし精霊なのである。そして精霊だからこそ、今やできぬのである」
「えーっと、精霊だからできないってことは、それをするために条件があるってこと?」
「である。理が薄いのである」
もごもごとそれ以上は言葉を続けなかったが、察するに、移動するために理の濃度というものが必要なのだろう。どこにでも姿を現せるというわけではなく、たとえば、水から水へ。影から影へというように、規則性があるのだ。オットルティアに対し、遊んでくれた、と言っていたので、昔は行き来ができたのだろう。
リガーヴァルは理が正常であり、世界にそれが満ちている。だからこそ彼の世界の精霊たちは姿を現し、消すことができた。ツカサは精霊たちと出会った回数こそ少ないが、確かにその摂理に則っていたような気がした。アクアエリスは空気中の水分を、ウィゴールは風を、ディルバは大地から。
とにかく、それができないのであれば足で移動するしかないらしい。
「わかった、じゃあ、とりあえずそういう方針でいこう。ポーツィリフ、あのトロッコの道はもう安全だから大丈夫だよ」
ヘェ、と少し不安そうにしながらポーツィリフは頷いた。適当にパンを持たせ二人と一匹を送り出した。
さて、探しますか、とラングを振り返れば既にいなかった。ツカサは慌ててラングを追った。
ラングが目指したのは一階にある一室だった。扉は歪んでいたが開くことはできて、中に入れば派手な置物はないものの、ここが地位の高い誰かの部屋なのだろうと思った。大きな建物であるということは、偉い人が居て、情報が集まる場所ということだ。
『隠滅されていることもあるが、隠ぺいされている可能性もある。こういうのは、誰かに気づいてほしくて隠すことが多いからな。人は秘密を暴いてもらうことを望む生きものだ』
書棚を、机を探るラングになるほどと返しながらツカサは【鑑定眼】で部屋を見渡す。古びた何々、というポップアップが多く、そこに誰かの思い出もあったりして侘しさを覚えた。カチャリ、ガタ、という音がして振り返ればラングは机の奥のスペースから何かを取り出していた。手元をトーチで覗き込めば、小さな、薄い手記だ。文字が全て読めなかったらしくラングから差し出された。ツカサはぱらりとそれを開き、直感で答えた。
『日記みたい』
『読んでくれ』
二人で手記を覗き込み、ツカサが指で辿りながら音読する。これもまたラングの勉強になる。
―― 二の月 十
取り引きが進まない。
―― 二の月 二十
どこへ行けばいい。
―― 二の月 三十
ようやく連絡が来た。到底、受け入れられる内容ではなかった。
『月日は書いてあるけど、年がわからないね。そういえば、今が何年なのかも聞いてないや』
『日記というよりは日誌のような書き方だな。日付けが飛んでいるのは定期的なものだったからか、敢えてその間を抜いたか。他のページはどうだ』
『十日ずつ、同じ感じ。じゃあ定期的なものだったのかな? 後ろの方、最新は……』
―― 三の月 十
もうだめだ。書き記す気力がない。終わり。
―― 五の月 二十
みつけた。
―― 七の月 二十
これが最期になるだろう。父よ、母よ、祖父よ、祖母よ。父祖、すべての者たちへ。
我らが翼は既に折れ、風切り羽は掴むべき道を失い、卵は腐り、腐臭にまみれている。
我らはもはや生きてはいけぬ。
ならば抗うことなく、この運命に身を委ねよう。
いつか美しい明日でまた会おう。
そっと顔を上げ、ラングと顔を見合わせる。いろいろと気になる書き方だ。まるで自分に羽があり、子供が卵で生まれると言っているかのような。
『有翼人種的な? あの、翼を背中に持っていたり、腕が翼だったり』
ラングはいまいち想像がつかないらしく、ツカサはペンで自分の手記に絵を描いた。あまり上手いとは言えないが、こういうのはイメージを伝えられればいいのだ。ラングはふむ、と腕を組み部屋を見渡した。
『符丁か、暗号かもしれないな』
ツカサはそわりとした。リアル謎解きゲームか。そうした浮き足立ったツカサに鋭く気づき、ラングはシールドの奥でじろりと睨んできた。ツカサは咳払いをして尋ねた。
『なんでそう思ったの?』
『自分で考えろ』
手記を押し付けられ、ツカサは苦笑を浮かべた。状況の深刻さからしてそわついている場合ではなかった。ラングはラングで部屋を見渡し、答えを探しているようだ。
とはいえ、だ。今までの旅路を振り返ってもなかなかない状況、不謹慎とはわかりつつも少しだけワクワクしてしまう。こういう時こそ前向きな気持ちだって必要だろう。アルならきっと、そう言って笑うはずだ。絆の腕輪の向こう側で笑う顔を思い浮かべ、ツカサは手記を手に【鑑定眼】で覗き、そこにノイズを感じて解除した。暗号と思ってしまったからか、明瞭に視えなかった。改めて調べ始めた。三十分探して見つからなければ改めて【鑑定眼】を使おう。まずは文字の読解と想像だ。
これが最期になるだろう。父よ、母よ、祖父よ、祖母よ。父祖、すべての者たちへ。
我らが翼は既に折れ、風切り羽は掴むべき道を失い、卵は腐り、腐臭にまみれている。
我らはもはや生きてはいけぬ。
ならば抗うことなく、この運命に身を委ねよう。
いつか美しい明日でまた会おう。
一文目は書き出しの前置きとして書いただけのような気がした。全文、別れの挨拶として書くのだとしたらあり得る話だ。少々勿体ぶってはいるがないことはないだろう。そうしてこれを遺書だと思う者もいるはずだ。ラングも、かもしれない、と言っただけで、これは本当に遺書だったという結果もあり得る。
なぜラングは符丁や暗号、そう思ったのか。背伸びせずにここを手掛かりにしてみようと思った。だいたい、そういう発言には明確な裏付けがある人だ。
そういえば、やけにあっさりと手記を見つけていなかっただろうか。ツカサが部屋を見渡し、古びた飾り、古びた肖像画など眺め、ここにいた人の思い出に想いを馳せている間にラングは迷わずに辿り着いていたような気がした。探っていた机を調べる。ここには隣の机よりも埃が少ない。なるほど、ツカサたちが来るよりも前、けれど埃が積もる程度の過去、誰かがここを触ったのだ。しゃがみ込んで引き出しの裏を撫でる。立ち上がり、引き出しを引く。既にラングが開けているので奥の方にぽっかりと空間が空いている。ふむ、とツカサは腕を組んだ。
『こういうの、調べてからわざわざ元に戻すものかな? 俺なら戻さない』
こうしたものを持ち去らず、残す理由は何か。戻す手間だってある。目的の品ではなかった。だとしても戻す理由とするには浅い。誰かに見せたかった。だったら、わかりやすいところに置いておけばいい。
もしくは。
『ここに入っていたものを見て、誰かが敢えて別のものを入れた?』
『そうだろうな』
ツカサは驚いて声を上げてしまった。いつの間にかラングが隣に居て、手記をするりと取り上げられた。
『この世界、紙は貴重品だろう』
『あ、うん、そうだね。本屋も、雑貨屋にもノートとかなくて、メニューも板だしね』
守護騎士から各教会への指令は羊皮紙だったらしいので、紙自体も、製本されたものはさらに少ない印象だ。この世界の雑貨屋で歯磨き粉を入れているのは小さな木の壺で、それらしいものを見かけていない。この場所は紙の技術を持つ者が少ないのだ。ラングはそれを、口伝に頼っているからだと言った。
『老人から若者へ、さらにその子へと技術や知恵を伝えるのに、手段として言葉が選ばれる場合は多い。特に、紙というのは作るのに工程が掛かり、質も良し悪しがある。そうしたものに頼らずとも、生活の中で、毎年の四季折々、生きるために必要なことを伝えるのならば、口伝で事足りる』
だからこそ紙は上流に流れ、庶民には渡らない。それに、日々に忙しい者たちにとって、その場で習うことは容易いが、わざわざ読めと言われて読める者は余程の道楽者だ、とラングは手記を返してきた。ツカサは手の中の手記を見た。
『これ、きちんと製本されてるよね』
『少なくとも、この街の生まれではない誰かが置いた。それも、わかってもらうことを前提にだろう。鍵すら同じ引き出しにあった。意図を感じる。見ろ』
書棚をランタンで指し示された。ツカサは一つを抜いてみたが、そこにあるのはベタついた革張りのカバーだけで、中身がなく軽かった。これもまた、実態のない権力の象徴であるらしい。これを見て確信を得たという。
本当に必要な書簡、ここでいう羊皮紙の類は細長い筒にあり、積んであるものがそうだという。羊皮紙たちも埃の積もり方が薄い方だ。これも誰かが確認した跡か。開いてみれば、食料の収穫量の激減、疫病の蔓延、いくつかの施策が記載されているが、そのどれもがぐちゃぐちゃと書き消されていた。失敗したのだろう。
『ドルワフロとの交易路が使えなくなって、何年くらいなんだろう。聞きそびれてた』
『トロッコの道が使われていたのは十年に満たないらしい。ロトリリィーノの調べによると、最後に使われたのは九十年ほど前だそうだ。短ければ二代は入れ替わる』
確かにそうだ。九十年ほど前ならば、【神子】による惨殺のあとだろう。ここもフォートルアレワシェナ正教国の属国だったのか。しかし。
『あれ、でも、バケモノ、命が黒く溶けるのは四、五年のことだったよね? おかしくない? なんだか、それにしては、廃れてる? うらぶれてる? というか。こういうのなんて言えばいいんだろう』
『ここは崖にできた街だ。恐らく、この崖の下か、上か、もしくはぐるりと回ったところに畑があるはずだ。……だが、ここに住まう者が食ってはいけても、献上品や献金などが絡めば、徐々に回らなくなっただろう。ドルワフロとは違い、な』
『山の斜面にある街だし、トロッコを利用しない経路だと結構大変そうなイメージあるかも。モグラのタルマティアは堕ちるのが早かったのかな』
『可能性を考えろ。ここでは何があったとしてもおかしくはないと、私は考えている』
え、とツカサは顔を上げた。ラングはガタガタと音を立てる今にも割れそうなくすんだ窓を見遣った。
『土地神でも神獣でもない、本当に、バケモノだったのかもしれない』
サッとツカサは顔を青くした。
『トルクィーロとポーツィリフ、ユキヒョウが危ない?』
『ユキヒョウも馬鹿ではないだろう。怖がりな気性のようだ、何かあれば二人背負って逃げるくらいはするはずだ。むしろそれよりも、危険なのは我々だ』
とん、とラングは剣の柄頭を叩いた。
『バケモノが未だここにいるのだとしたら、ここを捨てるだけの理由になるとは思わないか?』
『早く謎解きしよう』
『半分解いた』
んー、もう! となぜか唸ってしまった。悔しい。ラングは肩を竦め、先ほどツカサがベタついた表紙の本を取り出したところから少しずれた。
『我らが翼は既に折れ、風切り羽は掴むべき道を失い、卵は腐り、腐臭にまみれている』
ラングは折れた翼の掘られた背表紙の本を取り、中を開いた。これも空。シールドを揺らし本のあった場所を指す。トーチで照らせば何か引けるものがあるように見えた。やめろ、引くな、と言われ、次いで、ラングは先ほどの背表紙を見せ、翼の折れた先、風切り羽の先を指差した。そちらには本が何もなかった。
『掴むべき道を失い……、本がないこと? 卵は腐り、腐臭にまみれているってなんだろう』
『私にとって卵とは、食うものだ』
あぁ、とツカサは納得を示し、本のない周辺で食べ物に関する本を探した。小麦のマークの掘られた背表紙を見つけ、これも抜く。中に同じような取っ手があった。腐臭にまみれているとは? とツカサが顔を上げれば、ラングは腕を組んだ。
『腐臭から先がわからない。卵が腐っているの意味も、何かあるのならば、もうひとひねりだろう』
『単純に臭いのかなって思うけど、ここ、別に異臭はしないよね』
鼻の利くラングがしかめっ面をしていないこともあり、埃っぽいだけだ。埃っぽい、とツカサは呟いた。
『うーん、何かが腐るって、物を捨てることだよね。ゴミ箱とか、燃やしたりとか。臭いから埋めちゃったりさ。あぁ、臭いといえばギンナン、あれ土に埋めてから取るって聞いてびっくりしたんだよね。イチョウ並木が臭くってあの時期は通学路嫌だったなぁ。でも俺ギンナン結構好きだった。好みが渋いなんて言われたけど、おじいちゃんが好きで食べてて。あ、ちょっと食べたくなってきたな、どうしよう』
『土、そうか、床か』
ツカサがぼやいていればラングはハッと閃いた様子で足元の絨毯を剣で刺し始めた。小麦の背表紙のあった本の周辺を重点的にだ。ゴツ、カチ、と音が違う場所があり、短剣で絨毯を斬り裂いた。二人がかりでへばりついた絨毯を外せば、そこには小さな金属製の取っ手とダイヤルがあった。絨毯の厚みもなかなか、これは靴で踏んでもわからないだろうとツカサは思った。
『これで終わり? ダイヤルの鍵はなんだろう』
『数字か? 文字列か?』
『文字列だね、この世界の』
ツカサが錆びたそれをガチガチ回すことにラングは正気か、と呟いていたが、どの文字列か見ないことには解けないだろうとやっている本人は肩を竦めた。文字列は文字のみ、数字はない。何を入れればいいのだろう。本棚の取っ手は二つ、床にダイヤルを有する取っ手が一つ。順番に引けばいいのか、どれかがダミーなのか。悩む。
『我らはもはや生きてはいけぬ、うーん』
『ならば抗うことなく、この運命に身を委ねよう』
『やってみる? 全部引いてさ』
『断る』
ですよね。石橋をきっちり叩いて渡るのがラングだ。とんでもないところでズボラを発揮する癖に、こうした罠を予感させるものに対してはさすが慎重だ。アルなら見つけた途端にあっという間に引いて怒られるだろう。そしてよくわからない豪運で当たりを引くのだ。解せない。
ラングは、ならば抗うことなく、この運命に身を委ねよう、を何度も繰り返し、うろうろと八の字を描いて歩いた。そういう癖もあるんだなぁとツカサが眺めていれば、ラングはぴたりと止まり、両手を広げた。
『ならば抗うことなく、この運命に身を委ねよう』
すぅっとシールドを上向かせ、ラングは天井を仰いだ。それから素早くランタンを掲げ、目を凝らした。それでも明かりが足らずラングはツカサを呼んだ。
『ツカサ、トーチを天井へ』
指差された位置にトーチを広げれば、そこにあったのは天体図のような天井画だった。見たことのない星の連なりが描かれ、トーチの明かりでいくつかがキラキラと輝く。あれはドルワフロからの友好の証か何かだったのではないだろうか。ダイヤルもきっとそうだ。彼らなら作れるだろう。ツカサがそんなことを考えていれば、ラングが呟いた。
『明日は、日が昇ったら、くる』
『あっ、太陽の位置!? 現実じゃなくて、あれの?』
太陽を探す。どこだ、二人で上を見上げながら後退し太陽を頭上に迎えたところで、ドン、と本棚に背中をぶつけた。ここだ。同じタイミングで振り返る。翼は既に折れ、の方だ。取っ手を引くならこっちが正しいのだろう。顔を見合わせて頷き、ラングがそれを引いた。ゴトン、ガチ、と何かがはまるような音がした。違う方を引いたのならどうなったのか、試したい気持ちもあり、怖い気持ちもあったのでやめておいた。
それから、床のこれだ。ダイヤルがあるのだからこれも重要だろう。
『なんの文字を作ればいいんだろう。この街の名前? 女神様の名前?』
『順序としては、最後の一文に何か手掛かりがあるはずだ』
しゃがみ込んで二人でダイヤルを代わる代わる回す。ふと、ツカサは思いついた。
『ねぇ、ラング、寝る時はおやすみだよね』
『あぁ、そうだな』
『明日、朝、目を覚まして、美しい明日でまた会ったら、おはよう、だよね』
『この世界の文字で回せるか』
任せて、とツカサは手記にこの世界の文字でおはようと綴りを書き、その文字になるようにダイヤルを回した。こちらもまた、カチ、と小さな音がして、ツカサが取っ手を掴んで引っ張った。
何か大掛かりな仕掛けが動いたわけではなかった。ズズ、と重い、静かな音を立てて本棚がずれた。二人で指を掛けて力いっぱい引けば、やっと一人が通れるくらいの細い道が姿を現した。物を引っ張るというのは全身を使う。お互い、少し息を乱しており、取り繕うように整えて、ランタンとトーチを掲げた。
通路から湿ったにおいがした。喉の奥が違和感を覚えるような不快感。これを肺に入れたくないと思った。魔法障壁を上書きして息を守り、ラングのありがとうを聞く。
『賢者が待つか、愚者が待つか』
ラングはするりとそこへ入っていき、ツカサはあとをついていった。




