2-52:へたくそな切っ掛け
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誰もツカサが歩んできた道を知らなかった。隣立って歩き、ともに背を預け、笑い合い、過ごした時間がぷつりと消えた恐怖をツカサは知っている。だからこそ、ともに得たものが、「そこにいる」と示した何かに希望を抱いた。
南へ行こう。きっと、そこにともしびがある。
ツカサが急に移動に意欲的になり、キスクは困惑していた。【偽りの女神】との戦いには参戦しないと元より釘を刺されていたものの、ドルワフロで少しは歓待ができると思っていた。食料を甘えてしまうこと、身の潔白を知らしめるためにその力を貸してくれること、返せないほどの恩を抱えてしまうのは、男として悔しいものもあった。それに、思い出に何か作ってほしいと言われたことを忘れていない。
「そんなに慌てて移動しないと、だめか?」
ラングの体調のために合流してから二日間を休みにすると宣言したツカサは、黄金の短剣で出した大麦をたっぷり入れて、今、スープを作っている。その横で調理を眺めながらキスクが問えば、ツカサはにこにこと笑い返した。
「できれば、かな。結局南にも西にも行かないといけないなら、期待できる方向へ行きたいし。あ、でも、できるだけのことはしていくよ。霊薬も、案内も助かったしね」
そっかぁ、とキスクは糸くずを唇に挟むような、もじょりとした感覚を覚えた。ツカサにとって南に行くことは嬉しいことなのだ。別れを惜しむ気持ちもあるらしいが、それ以上に先が楽しみといった様子で、少し寂しい。魔法ももっと教えてもらいたい、やっと自分にできることが見つかった。その願いのために引き留めるのは失礼だろうし、ついていくというのも足手まといだろう。キスクはがっくりと肩を落とし、ちらりと離れた位置に座るラングを見遣った。
ツカサが大声で泣いて、笑って、はしゃいでジャンプしてから、ラングは沈黙を守っている。じっと腕を組んで考え込んだ様子で微動だにせず、絡みに行ったユキヒョウは受け入れられたものの、キスクの父トルクィーロは完全に無視されていた。ツカサはそれにも気づいてはいて、ただ、どう声を掛ければいいかわからないでいるらしい。
このままじゃだめな気がするんだけどな。などと、兄弟間のことに口も出せず、キスクはただスープが出来上がるのを待った。
「剣を」
食事を終え、食器を片付け、ラングが言った。ツカサが預かっていた双剣と短剣、ナイフを返すとてきぱきと身につけ、ラングはようやく落ち着きをみせた。
「体、動かしてくる」
「あんまり無茶しないで、離れないでね」
「あぁ」
ツカサはそっと迷子札をつけた。ユキヒョウを伴って洞窟を出ていくラングの背を三人で見送り、しんと沈黙が下りた。
「坊主、あれァお前の兄貴なんだろゥ? いいのかァ?」
トルクィーロが大人として口を出した。ツカサは下唇を噛み、すぐには答えなかった。ぱち、と焚火の音が弾けて、息を吸う。
「わかってる、けど、どうしてラングが機嫌損ねてるのかが、わからなくて。わかってもいないのに、わかってますって顔するの嫌なんだよ」
「言いてェこたァわかるが、こういうのァな、時間を置いちゃァなんねェぞ。後回しにするだけェ厄介になっちまァ」
「親父、そんな話ができたのか」
「ったりめェだろうがァ! お前ェの母親がそういう奴でよォ、そらァ、話を後回しにすりゃァするほど怒りが怖くってよォ!」
ガッハッハ! と笑う豪快な声に、思わず釣られて笑う。トルクィーロは大きく息を吸って、声のトーンを落とした。
「だがァ真面目な話だぜェ。わからねェんなら、わからねェとはっきり言うのも大事だァ。俺ァ死んでるがァ、あのユキヒョウとは結構喧嘩してらァ。俺ァあいつがなんだか知らなかったし、あいつはァ俺がなんだかわからなかったからなァ」
喧嘩、とツカサが呟く。苦手なんだよね、とも続く。トルクィーロはよっこら移動しツカサの隣に座ると、どっしりと肩を組んだ。
「喧嘩っつゥのは、悪いもんじゃァねェ。相手を傷つけてェ、って思うようなのはァ、もう喧嘩じゃねェ、それァ殺し合いだ。喧嘩っつゥのはよ、相手を知りてェって思う気持ちが、わかってほしいってェ気持ちが、あるもんなんだと思うぜェ。俺ァそうであってほしいと思ってらァ」
俺も弟とはァ足りなかったかもなァ、とトルクィーロは苦笑を浮かべ、ツカサから離れた。
ツカサはじっと考え込んだ。腕を組み、焚火の炎を見ているのか、いないのかわからないその視線が、姿勢が、ラングに似ているとキスクは思った。それから深呼吸、すっくと立ち上がり、ツカサは洞窟の外へと向かっていった。その後をトルクィーロがいそいそと追う。
「おい、親父、何してんだァ?」
「ばっか野郎、面白そうな喧嘩だァ、見に行くんだよォ! ドルワフロの男ならァ、炎と鉄と拳を楽しまなくっちゃよォ!」
「さっき株を上げたと思ったらァこれだァ!」
けれど、興味があったのでキスクも慌てて走っていった。
背後のうるさい声も聞こえてはいたが、ツカサはそれどころではなかった。こういう時、いつも話の切り出し方が下手なのだ。いろいろ前置きを置いて空気を和ませてから話そうと思うのに、イーグリステリアとの戦いに参戦する際も、ラングにズバリと切り出してしまった。そういえば北の洞窟で出会った時にも、とにかく何かを話さなくてはと思い、なぜか自己紹介してもいいかと切り出した。洞窟を出る直前、一度深呼吸をして、飛び石を踏んだ。
今日は少しだけ空が晴れている気がした。雲が薄く、雪が降っていない。魔法障壁なしで出てきたので上からヴェールのように降りてくる冷気に晒され、ぶるりと震える。滝つぼのほとりでラングが空を見上げていて、ユキヒョウもそれに倣っていた。シールドがゆるりと動いてツカサを見れば、ユキヒョウもまたこちらを見て、髭をピンと揺らし、揉みたくなる口元、ウィスカーパッドを動かしてツカサの名を呼んだ。
白い雪景色の中、浮かび上がるくすんだ緑と保護色のユキヒョウ。浮かんだ黒い斑点とブラックダイヤモンドのような目だけがぱちぱちと見え隠れしている。ツカサは雪を踏み、近寄って、もじもじとマントの中で自分の太腿を撫でた。
『どうした』
不調も機嫌も察させないいつもの冷静な声色で、ラングがこてりとシールドを傾げた。ツカサはそれを前にして寂しさを覚えた。じわ、と浮かぶ謎の苛立ちと、駄々をこねたい気持ちが湧いてきて、ほんの数秒前に考えていたことなどすべて吹き飛んでいた。
『ねぇ、ラング、喧嘩しない?』
何を言っているんだお前は、というラングの呆れた感情はシールドがあったとて、その口元が雄弁に物語る。ツカサは瞑目して、やった、と思いながら、小さく頭を振って顔を上げた。言ったのならもうそのままいくしかない。
『喧嘩しよう』
『意味がわからない』
『俺だってわかんないよ!』
うぅ! とツカサは唸り、いいから! と叫んだ。
『ラングが口下手なのはよく知ってる! でも、俺だってこういう時、口が上手いわけじゃないから! そう、こういう時ってどっちかっていうとアルの方が上手いんだよ。なんかぽんと話したことが本質を突いてたりしてさ、今まで会話に混ざらずにわかりませんって顔してるくせに、答えにパッと辿り着くんだ』
『落ち着け、いったいどうした』
『どうして機嫌が悪いの?』
ラングのマントを掴んで尋ねたことに、即座に答えはない。ツカサの剣幕に否定をすることもできなかったのか、それとも大丈夫だと取り繕うことも忘れたのか、ラングは薄い唇を僅かに開いて、恐らく、シールドの中では目を見開いているはずだ。見たこともないラングの表情は、ツカサにも少しは見えるようになっている。
『ラングが何か考えているなら、知りたいよ。俺が何かしたなら、言ってほしい』
『話す理由も義務もない』
『義務はないけど理由ならあるよ、俺はラングを守りたいし、ラングは帰らないといけない。そのために、協力しなくちゃならない。お互いに気まずいのはいやでしょ』
『私は気にしない』
これだからギルドラーは。ツカサは両手でラングのマントを掴んだ。話してくれと言ったところでこの調子ならラングは話さない。そして宣言通り態度も変えないだろう。
人は、相手とわかり合いたい、わかってほしいと思わない限り、何が嫌だった、何が嬉しかったと話すことはない。一方的に切り捨てることもできれば、ただ隣人として付き合うこともできる生きものだ。本当に一歩踏み込んだ関係というのは、お互いに、相手に対しての敬意や好意があればこそ成り立つものだと教えられ、知っている。【ラング】は常にツカサに敬意を持って接してくれていた。そうした姿にツカサは尊敬を抱き、好意を抱き、兄と慕った。
マントを掴んだまま俯いて、動かなくなったツカサにラングは視線をやるだけで声を掛けることはない。その場で困っていたのはユキヒョウだけだった。ぽつりとツカサが呟いた。
『……ガキかよ』
え? と聞き返したのもユキヒョウだった。
『なんでもかんでもリーマスリーマス言って、嫌いだ殺すだ言う割に大好きで慕ってて、そのくせ強がって! ガキじゃん!』
胸倉を掴み直して叫べば、ひくりとラングの口元が歪んだ。
『自分は一人で大丈夫です、って顔して、何でもできます、って顔して! 言葉がわからなくても全然焦らないし、でも本当は不安な癖にそんなのも気にしてませんって顔して! 強がりで、臆病者で、頑固で、ただのクソガキだろ!』
ツカサの胸倉が掴み返される。身長はツカサの方が大きいとはいえ、その差は微々たるものだ。どちらかというと胸倉を掴み慣れているラングの方がツカサを圧することができていた。
『クソガキにクソガキと言われる筋合いはない』
『あるだろ、自分の中で言いたいことを堪えて我慢して、なんだよ悲劇のヒロイン? 今時流行らないよそんなの』
『ヒロイン?』
『あぁもう、【変換】仕事して!』
シールドを傾げられたツカサは胸倉を掴む腕を振り払おうとした。クソが、離れない。ええい、とツカサは腕を掴んで真っ直ぐにシールドの奥の双眸を見た。
『考えてることに蓋をするなよ! 言葉にしてよ!』
――考えていることに蓋をして隠す癖もあると思うが
『ラングが何を言ったっていいんだよ! 誰もそれを責めないよ! 怒らないよ!』
――自分がどうしたいのかを伝えることは、罪ではない。
『受け止めるから、俺が』
頼むよ、と腕を握り返す。風も、世界も、滝の音すら気を遣うように静かで、ツカサの息だけが零れる。ゆっくりと胸倉を締め上げていた手から力が抜けていき、引っ張られていた力が緩む。離れる時は早かった。二歩離れ、ツカサに背を向けたラングが深い呼吸をし、顔を上げ、再び振り返る。そして。
痛い。ツカサは雪に倒れていた。頬が痛い。頬骨が、鼻が痛い。白い雪に血の花が咲き、目を瞬かせた。
『喧嘩をしようと言ったな』
真っ赤な血をだらだらと零しながら声の方を向けば、マントを外し、武器を外し、その上に放りながらラングが顎を上げ、立ち上がることを要求してきた。
『いいだろう、付き合ってやる。せいぜい死ぬなよ』
ツカサは痛みも忘れてにやりと顔を笑わせ、立ち上がり、灰色のマントを外し、武器を放った。
『魔法は使わないでおいてあげるよ』
『くだらん、かかってこい』
折り曲げられた指に誘われ、ツカサは雄叫びを上げて飛び掛かった。




