2-51:滝の音
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実感した。痛感した。ラングから意識を奪ってはならない。ツカサは首筋に残る湿った息と殺気にゾッとしたものを覚え、そこを摩った。
ツカサの見ていた【ラング】という男は、生きるための術を持っていて、泰然自若、常に冷静であれ、それが強みになる、とツカサに言い聞かせるほど、本人がそもそも冷静だった。だが、それは本人の意識があればこそなのだと、ツカサは理解した。
一度目、心臓を抉り取られ、竜の心臓を移植された時、ラングは死の淵から蘇り、死と夢と現が混ざり合い、そこに師匠、リーマスを見たという。リーマスとどこか意識の狭間で手合わせをしていたらしいが、その本質は自身が生きるために、そこにいる【敵】を屠ろうとしたところだろう。シェイはその第一の被害者だったわけだ。
ツカサがそう思ったのは二度目、このユキヒョウの聖域でラングが同じことをしたからだ。
殺されてたまるか。死ぬわけには
いかない、だろうか。将来、祝福となった言葉は、今はラングにとって呪いなのだ。生き残るために他者を殺す。そうしなくては自分が殺される。過酷な人生を、凄まじい覚悟で生きている人の片鱗を、改めて垣間見た思いだった。
霊薬で病は治ったとはいえ、高熱やその時に体を動かした負担は、精神的なものとして残ったようだ。今、ラングは再び眠っている。寝姿を晒したくはない、と言い一度は拒否をしていたが、ユキヒョウが器用に衝立のようなものを創ればその向こうで休んでくれた。
魔法障壁を張らなくとも心地よい温度を保つユキヒョウの聖域で、わざわざ魔力を使うことはない。時折寝返りを打つラングの身じろぎにユキヒョウが尻尾を咥えびくりと震えていたが、やがてそれにも慣れたらしく、ようやくざりざり音を立てながら毛繕いを始めた。
「怖かったのである。神獣の首を噛み切ろうとするニンゲンなんて初めてである」
「元はと言えば対話をすっ飛ばしてラングを連れて行くのが悪いんだよ」
「我は、我は話すと言ったのだ! このニンゲンが急かしたのだ!」
「霊薬が落ちるってェ言うからよォ……!」
「わかったようるさいな! ラングが起きるでしょ!」
先生の声が一番でかいよ、とキスクに言われ、三人とも黙った。少しの沈黙があり、キスクは父親を見遣った。
「ロトリリィーノ叔父が、本当に親父を?」
死んでらァ、と豪快に笑った男は、髭を撫でながら再び笑った。
「おぉよ! ガッハッハ! やっちまったなァ!」
「なんで親父を殺すなんてことを、ロトリリィーノ叔父と、親父は、いい兄弟だったじゃないか」
「さァな、俺だってわからねェ。俺を殺してェと思う何かがあったのかもしんねェ」
キスクの父、トルクィーロは寂しそうに眉尻を下げた。その表情だけでトルクィーロにとっては大事な弟だったのだろうと感じた。では、弟、ロトリリィーノにとってはどうであったのか。それもまた本人しか知り得ない真実があるのだろう。口を出すことはせず、ツカサはハーブティーを飲んだ。
キスクとトルクィーロは他愛もない話から、三年間の旅の話になり、ゆっくりと、だが、奇跡的に得た時間を最大限大事にして話しだしていた。ツカサは居た堪れなくなり、周囲を確認してくる、とその場から立ち上がり、席を外した。
聖域を出て滝の方へ歩いていく。水のカーテンが延々と降り注ぐところまできて、座り、膝を抱えた。
「俺も父さんと話していたら、違ったのかな」
選んだ道は戻れない。選ばなかった道は消えるだけ。それでも、ああして親子の会話を見ると、少しだけ羨ましくなる。ツカサがもう得られないものだ。いや、歩み寄れば向こうもそうしてくれるかもしれないが、どこか子供のままの心が、意地を張る息子の心が、目を背けた。
「お主、お主、寒いのか?」
と、と。微かな足音を立ててユキヒョウが近寄り、ツカサの顔に髭を当ててきた。くすぐったさと意外と硬くて痛い髭に笑い、柔らかい顎の下を撫でた。
「少し寒いかも」
「ならば、ならば、我の毛皮を貸してやろう!」
ユキヒョウはツカサを包むように座り込むと、その腹をもふりと寄せて、同じように滝側を向いた。その体に背を預け、ツカサは柔らかくて気持ちいい毛皮に手を通し、少し頬ずりをした。不思議と綺麗な水のようなにおいがした。ここは氷の世界だけれど、本質は水なのだろう。北にあった大地の輝きを知れる洞窟は、既に神獣を失っていたのだろうか。聖域だけが残っていたのか、セルクスが何かしたのか、考えても考えても答えは出ない。取り留めもない考えに疲れ、ツカサはただ滝が落ちるのを眺めていた。
暫くそうして過ごしていれば、足音も気配もなく、ラングが現れ、ツカサとユキヒョウはびくりと肩を震わせた。
『ラング! 起きて大丈夫なの?』
『あぁ』
シールドが揺れ、場所を空けろと示され、ツカサは少しずれた。ラングは空いた場所に座りユキヒョウに背を預けた。ユキヒョウは少し緊張していたが、徐々にそれが解けて柔らかくなった。怖い思いはしたものの、ラングの本質もまた理の属性だ。心を許す何かがあるのだ。ラングが尋ねてきた。
『お前は体調を崩していないか? モリフリア、だったか』
『うん、大丈夫。俺、小さい頃にいろいろ風邪にはかかってるから』
『運がよかったな』
本当にそうだと思う。予防接種にワクチンに、不治の病は未だ多くあれど、それでも治せるものも多い世界で生きてきた。渡った先で大きな病にかかったこともなく、今の故郷でも医学は発達し、魔法のおかげもあり、きっと治せるものは多い。それだけで幸せなのだと今なら思える。
『そうだ、黒い命さ、ラングが刃で、俺が笛みたい』
『何の話だ』
ふふ、とツカサは笑い、時の死神のことを話した。大鎌で刈り取り、笛の音で誘う。セルクスの力は大きく分けて二つあったのではないか。一つはラングに渡った刈り取る力。もう一つはツカサに渡った誘う力。
『俺たち、二人で一つなんだ』
自分で言って少し照れくさい。ラングはそうか、と一言返し特に何の反応もしなかった。嬉しくないのかと顔を覗き込めば、それがどういうことなのか考えている、と言った。
『一つにしておけば早いものを、なぜ分ける必要があったのか』
物事に一歩踏む込んで考えるのは若い頃からなのか、さすがだ。なぜ分けるのか。
『俺とラングが喧嘩して、仲違いした時に、でも、二人でいないとだめだぞって、なるように?』
『時の死神というのはそこまでガキなのか』
『違う? じゃあ、なんだろう』
『奪われた時の損害の大きさを考えたのではないか?』
神の力。命を誘える力は確かに大きな力だ。けれど、命を誘うという大役を担いたがる神などいるのだろうか。ラングはユキヒョウの腹に後頭部を預けて言った。
『何かから隠す必要があった。誰かに奪われるわけにはいかなかった。お前だから、私だから持たせておく必要があった。言葉も多く出れば思いつくことなども多い。けれど、答えになりはしない』
『……可能性を考えておくってことだね』
『そうだ。では、こうして力が二分されている状況が、誰にとっての有利で、誰にとっての不利なのか』
ラングは肩を竦めた。そこから先の答えはないということだ。ツカサもなかった。ただ、有利なのはこの状況をつくりだした、時の死神だろう。
『わからないけど、ちょっと、名前を気をつけよう。呼ぶなって言われたんだ。実は、空に大きな目があって、何かを探してた。それがこの力だとしたら、相手はシュンだけじゃないかもしれない』
『聞こう』
ツカサは洞窟に辿り着く前にあった出来事を話して聞かせた。白い靄に囲まれていたこと、誰かが背後から囁き掛け、守ってくれたこと。宙に浮かぶ大きな目は、確かな敵愾心を映していたこと。
どれも謎が残る。ただ、注意せねばならないという危機感だけを抱かせた。
『今後をどうするかだな』
ドルワフロへの到着は果たした。確かに、東に水の美しい滝つぼがあり、辿り着いた者に癒しを与えてくれた。それはラングを救ってくれたが、どういう意図があるのだろう。北の大地の輝きを知れる洞窟でお互いを得られたのと同じように、何かしらの効果があるのか。
『【精霊の道】が見つからないのは困るよね。試練だったら、ラングとなら越えられるけど、そもそも場所がわからないのが困るよ』
ちらりとユキヒョウを見れば、組んだ腕の上に顔を乗せ、ぷすぅ、と寝たふりを決め込まれた。腹の下に手を突っ込めばくすぐったいのである、と呟かれた。
『ヒントとかないの? 手がかりがなさすぎるんだよ』
『人が探し求め、自らの足で進み、その手で得るものなのである』
大虎と同じ台詞だ。理に属するものは総じて遠回りで口が堅い。その点、魔力に属する者は秘密主義でもあるが、必要だと思ったことはきちんと教えてくれる。シェイが、その師匠がそうだった。世界の真理の一部に触れさせてくれ、ダンジョンという謎を一部解いてくれ、おかげでその知識が今も役に立っている。ツカサにとって理の制約が面倒だと思うのは、やはり、魔力に属する者だからなのだろう。
『揃えばいいと言っていたな、何が揃えばいいのか、だ』
『あぁ、言ってたね。何が揃えばいいの?』
『それも言えないのである』
ユキヒョウはそっぽを向いたまま髭を揺らした。西か、南か、果たしてこの大陸かどうかも不明だ。せめてそのくらいは知りたいと言えば、ユキヒョウは地図が見たいと言った。ツカサが四枚の地図を並べると、ユキヒョウは尻尾でツカサとラングを包むようにして、地図をばふりと叩いた。
『この大陸ではあるらしい』
『行くしかないのかな』
苦笑が滲んだ。ここでこうしている間に、時間はどんどん過ぎていく。ラングの年齢も、ツカサの年齢も変わってしまえば、それだって未来が変わる要因になり得る。ただでさえ様々な未来の出来事をラングに話してしまっている今、どうなるかわからないという不安が過ぎる。じくりと心臓が、胃が痛む。ラングを守ったとして、本当に守りたい未来が守れるのだろうか。ぱさりとユキヒョウの尻尾が膝に乗り、隣からラングに肩を叩かれた。少なくとも、今、寄り添ってくれる誰かが居ることにツカサは顔を上げた。
『南だったら少しはあったかいと思う?』
『どうだろうな。大陸が同じであれば、雪は少なくとも、あまり気候は変わらない気がする』
『じゃあいっそ西を目指す? 炎の川ならあったかいかも』
『熱くて暑いのである』
『どっちもいけないじゃん』
ツカサとユキヒョウが笑う。ラングはシールドの中、目を瞑り滝の音に耳を澄ませているらしかった。ツカサもそれに倣う。草原の草の音とは違うが、ざぁざぁ言う音が少し懐かしくて、自然と口元が緩んだ。
『キスクの友人とやらは、どうしているのだろうな』
『あ、そういえばいたね。戦力を集めるって、どうやって集めてるんだろう。聞いた感じ、【偽りの女神様】はあちこちでヘイトを集めてそうだけどさ』
そうだった。キスクの目的をすっかり忘れていたが、【偽りの女神】に対しての戦力を求めていて、ツカサとラングに目を付けて後を追ってきたのだ。戦いに身を投じないと言った手前、キスクともここでお別れかもしれない。
『また二人旅になるね』
『そうだな』
結局、南か、西か、どちらに行くとも決まらずに言葉だけが流れていく。
ふとツカサは何かを感じた。懐かしくて明るい、そんな不思議な感覚だ。思わず立ち上がり、周囲を見渡し、腕をあちこちに向けた。
『どうした』
『ラング、こっちって、方角どっち?』
ツカサが向けた方角を尋ね、ラングは太陽の位置を確認しようと立ち上がったが、その前にユキヒョウが答えた。
『南西である』
『南に行こう!』
断言したツカサにラングはシールドを揺らした。なぜ南なのだと声に出して問う前に、ツカサが叫んだ。
『これ、絆の腕輪っていうんだ。同じものを着けてる人が、遠く離れていても、どこにいるかなんとなくわかる、っていう、呪い品。感じるんだよ!』
ツカサは感極まった様子でラングの肩を掴んだ。
『ラングはここにいる、なら、あとは一人しかいない』
もしかしたら、もしかするかもしれない。絆の腕輪は【赤壁のダンジョン】をともに踏破した証だ。つまり、知っている状態のあの人かもしれない。
『きっと、アルだ! 仲間のアルだよ! ラングの相棒の、きっとそうだ! アル!』
わぁぁ、と突然泣き崩れたツカサの声に、キスクも、トルクィーロも駆けつけてきた。
誰も自分を知らない世界。ツカサの居ない世界。そこでようやく、自分を知っていてくれる人がいるかもしれない。その歓喜が涙となって溢れた。
ツカサの声は滝の音で隠され、外に漏れることはなかったが、どうしようもない無力感をラングに味わわせていた。
いつも旅路にお付き合いいただきありがとうございます。
きりしまです。
2巻発売いたしました!
紙書籍、電子、旅人諸君、お楽しみいただけておりますでしょうか……!
活動報告でも記載をさせていただいたのですが、紙の書籍、本当に数が限られているのでお早めにお求めください。
あとでいいか、と考えていると、気づいた時には無いというのは世の常です。
紙とインクのにおいとページめくり、独特の感触は物理でしか得られない体験ゆえ、どうか、旅記を御手にとっていただけますように!
ちなみに、持ち運びに便利な電子版は楽天Kobo様で
ファンタジージャンル 11/10分 9位 取らせていただきました!
お手元に迎えていただき本当にありがとうございます!
日付変わってすぐに読みたいという旅人が多かったのかな、嬉しいです。
……睡眠時間大丈夫ですか……?
そしてこちらも活動報告にて記載させていただいた件ですが、
書泉ブックタワー(秋葉原)様にて、
処刑人≪パニッシャー≫と行く異世界冒険譚 第2巻
【サイン本】を置いていただいております!
恐らく、旅人諸君が考えている以上にサイン本、数少ないのでお早い者勝ちになります。
遠方の方は誠に申し訳ないです……。
<詳細こちらのポストでご確認ください。>
https://x.com/shosen_bt/status/1987701241376584097?s=20
人生初のサイン、こういった機会をいただけたこともまた、本当に幸運でした。
少しの間2巻発売でふわふわしておりますが、引き続き旅路は書き続けてまいります。
年末に向けて謎の忙しさが増してくる頃ですが、旅人諸君もお体ご自愛下さい。
それでは、引き続きよい旅を。
心より感謝を込めて。
きりしま
TOブックスオンラインストア様
他、Amazon様や楽天kobo様、書店様オンラインサイトにてお求め頂けます。
1巻書影
2巻書影
面白い、続きが読みたい、頑張れ、と思っていただけたら★★★★★やリアクションをいただけると励みになります。




