2-48:眼
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隠し通路をひたすら走る。土を蹴る音が反響し、王城や玉座の間を見た後だと、神獣の住処への道にしては随分と地味なように思えた。
「木の支えも天井もないんだね」
「あぁ、えっと、ここ、元々は頭一族のちょっとした抜け道で、神獣様の住処への道じゃなかったんだ。あとからわかったんだ、聖域だって」
ほう、と相槌を打てばキスクはドルワフロのことを話すのが嬉しいのか、続きを強請らなくても話してくれた。
この先、出てすぐに川があるらしい。そこは山にぽかりと空いた穴、少ないが緑もあって、春と夏はとても綺麗な場所なのだそうだ。雪が降ると危ないので行ってはならないと言われ、雪の危険性もよくわかっているので守っていたらしい。そこに友人を連れ込んだことは叱られた、とキスクは父親との思い出に少しだけ目を細めていた。
ツカサにとっての選択の結果、捨てた父を思い出した。もう妹か弟は生まれたのだろうか。いや、自分が決めたのだ、引き続き知らぬままでいよう。こちらも必死で生きている。父もきっと、そうであろう。
キスクは、その川を上っていけば滝があり、そこが聖域とされていると改めて告げた。リュートを弾こうとしてそれがないことに気づき、残念そうな溜息をついた後、声だけで歌う。
東に水の美しい滝つぼがある。西に燃えたぎる炎の川がある。北に大地の輝きを知れる洞窟がある。南に風が吹きすさび人の通れない谷がある。
滝つぼは辿り着いた者に癒しを。炎の川は折れぬ心を。大地はその身を守る術を。風は世界を知る知恵を授けてくれるだろう。
相変わらず歌は見事だ。滝つぼは辿り着いた者に癒しを。もし神獣がラングを癒す目的ならば褒めてやりたいところだ。しかし、そんな力を得たところでどうしろというのだろう。ラングを連れて帰るために必要なのは精霊の道であって、歌に込められた力ではない。いやな予感がするな、とツカサは思った。
「水の音が大きくなった、もう出口だ」
「俺が先に出るよ」
頼む、とキスクはツカサが前に出られるように道を譲った。いつもラングがしてくれていたように足を速め、少しだけキスクと距離を開け、鈍い明かりを隙間から見せる木製の扉を押し開いた。
ツカサは初めて無音というものを感じた気がした。バタン、と開いた扉の音まではあった。そこから一歩出て、息を吸って、止まった。
ここには風が入ってこない。広く、丸く山をくり抜かれたその場所は、神聖な空気で満ちていた。流れている川は確かにある。向かって右手の奥から、左へ穏やかな流れのように見える。下流は洞窟の中へ流れて行き、やがてどこかで外に出るのだろう。雪は小さく、軽く、ここは踏めば少し沈む程度しか積もっていない。広場を包むように木々があり、今は雪にそっと身を委ねていた。空を仰いだ。円形の窓がそこにあり、灰色の空は同じ顔でただこちらを見下ろしている。
こんなに静かな場所があるのか。ツカサはゆっくりと瞬きをした。
「ここって冬はこうなっているのか、知らなかった、初めてだ」
追いついたキスクの声にツカサはびくりと肩を震わせ息を吸った。さぁ、と流れる水の音が聞こえ、無音が消える。なんだったんだろう、とツカサは周囲を見渡した。
「滝は上流だ」
キスクが右手を指差し、なだらかな上り坂を示した。また絶妙に歩きにくい道を進み、滝を目指すというわけだ。
「危なそうだから雪は払っていくね」
「あぁ、頼みたい、悪い」
ツカサは上り坂に足を掛け、魔法障壁で雪を押しやっていく。濡れた茶色の土を踏んで先を目指す。幅は二メートルほど、左手は川。右手を崖に置いて一歩ずつ進んだ。そうして歩いて暫く、ツキン、と左頬が痛んだ。見えないが紋様が浮かび上がったのだろう、近い。
風の音に混じってザァァ、と何かが降り注ぐ音がする。ハミルテで聞いたことのある滝の音だ。上り坂を終え、滝つぼの真下に出た。白いミスト状の空気が蔓延していて、魔法障壁が無かったら全身ずぶ濡れ、それどころか呼吸も苦しいだろう。地上で溺れる可能性もあり得る。それほどの細かなしぶきだった。視界が白くて滝が見えない。
「キスク、滝ってどこ? 風魔法で払うけどいい?」
ザァァ。滝の音に搔き消されたか、返事が聞こえない。
「キスク?」
後ろを振り返れば、姿が無かった。濃霧のような視界の悪さにまさか見失ったかと思い魔法障壁の位置を探す。上り坂を登りきる前あたりでそれが止まっていることに気づいた。
「どうしたの、キスク」
そちらへ駆け寄ろうとし、ツカサは違和感を覚えた。また音が消えた。魔法障壁にもったりと纏わりつく白い靄はそのまま、すぐそこで落ちている滝の音も、川の音も、風の音も止んだ。感ずるものを構えた。ぼんやりと刀身が光る。理の者が近い。
「神獣? ねぇ! いるの!? ラングはどこ!?」
声すら響かずにツカサの口元だけで消えていく感覚があった。いつもと違う状況。ツカサはすぅーはぁー、と呼吸を入れ、事態に備えた。
感ずるものを構えながら魔力を練る。ゆっくりと視線を巡らせて、一歩一歩、前に進む。理を探るように感ずるものを右に、左に揺らし、刀身の輝きを辿って歩いていく。呼吸を鎮めて、冷静であれ、それが強みになる。心の中で繰り返し、やがて神経を研ぎ澄ませる。
リィン、と何か澄んだ金属音がした。迷宮の加護が共鳴する時の音に似ている。
「迷宮……? まさか、そんな」
そういえば、この世界で迷宮、ダンジョンというものを聞いたことがない。
リガーヴァルでは世界が世界を守るために生まれたそれは、多くの命が降り注いだことで受け皿から溢れた成れの果て、歪みの生きものをそれ以上跋扈させないために生まれたものだ。やがて時間を掛けて世界に馴染み、なくてはならないものに変わり、今も循環の一部を担っているらしい。ふと思う、世界には決まった数だけしか命が入らないのだろうか。
いや、正しく渡れなかった命が、溢れた命がそうなった、とシェイの師匠は言っていたはずだ。けれどそれは命の巡りが正しい世界での話であって。
「この世界は、どうなんだ?」
長く時の死神を失っていた世界。死んだ命が次の生へ誘われることのない世界。では、命はどこから来ているのだろう。キスクの妹、チュチュリアネは六つだという。六年前には命は生まれていた。ツカサが都市で誘った子供も、同じくらいだった気がする。赤ん坊を見ていないのだ。
「命を誘って俺の空間収納に預かっているだけじゃ、どうにもならない。神獣たちのやっていることを引き継いでいるだけ。どうにかしないと何も変わらない」
――そうだ。
「でも、じゃあセルクスはどこにその命を導いていたんだろう」
――あぁ、いけない。
「何か浮かびそうなのに……」
――焦るな、大丈夫だ。
ずっと誰かの声が聞こえている。それがまた思考を邪魔して、ツカサは小さく頭を振った。くそ、と見上げた空に見開かれた巨大な目があった。驚き、おののき、ツカサは叫びそうになった。
『シーッ、静かに』
誰かがツカサの口を押さえ、優しく声を掛けてきた。
『大丈夫だ、アレは名前さえ呼ばなければこちらに気づけない。この白い霞が守ってくれている』
口元を押さえている手が冷たくて体温が持っていかれる。けれど、案ずるような声に敵ではないとわかる。巨大な瞳は美しい虹色の虹彩を放ちながらぎょろり、ぎょろりと何かを探し、諦めたのか、眠るように目を閉じて消えた。そのまま暫く空を見上げ続け、ツカサは息を止めていた。
ゆるりと手が離れ、ツカサの両肩を後ろから撫でる。
『いいか、名を呼ぶのではないぞ。今はまだ、時間が必要なのだ……』
『誰なの?』
振り返ろうとする体が石のように動かず、ただ息だけができる。背後のその人は小さく笑い、後ろから伸ばした手でツカサの眼を覆い隠した。
『言っただろう、今はまだ、時間が、必要なのだ……』
そっと、冷たい手が離れる。先ほどまで広がっていた靄は消え、幅二メートルほどの滝が注ぐ滝つぼが露わになった。体が動く、振り返った。
「先生! 足速いな、本当」
「キスク」
いつの間にか近くにいたキスクに安堵を浮かべ、周囲を見渡す。
「キスク、ここにもう一人いなかった?」
「え、いや、俺たち二人だけだ。どうしたんだ? 剣なんて構えて……」
いや、とツカサは自分の口元を、瞼をなぞった。ひんやりと冷えていて、体温が感じられない。そこにあったものが確かに奪ったのだと思う。夢ではない、だとしたら、なんだったのだろう。
「不思議な紋様も出てる、それ、神獣様が近いと出るんだろ? じゃあ、居そうだ、よかった」
「ラングもいるといいけど」
ツカサが冷たく言えば、キスクは咳払いをして先を促した。
「先生、滝の裏側に回り込める。ちょっと足場は悪いけど、飛び石があって、入れるんだ」
「あぁ、わかった」
駆けていくキスクの背を眺め、ツカサはもう一度だけ振り返った。誰も居ない。けれど、聞いたことのある声だった。
「……名前を呼んではならないって、もしかして、あなたも?」
にんまりと細められる藍色の目を思い浮かべ、ツカサは名を呼ぶキスクの下へと駆けて行った。
いつも旅路にお付き合いいただきありがとうございます。
きりしまのよもやま話。
よもやま話というよりはお知らせです。
Xでは投稿したのですが、11/10まで以下のスケジュールで更新予定です。
11/7 本編
11/8 本編
11/9 記念SS (気が向けば本編も。未定)
11/10 記念SS 2巻発売日!
もうすぐ発売。
道は変わらず景色は変わる。辿り着く場所も変わらず、ただ、少しだけ仕掛けが変わる。
見慣れた景色から視点を変えることは、挑戦でもあります。
人は見慣れたものや慣れ親しんだものを本能的に好むものです。
それこそ【適応】するために労力を使い慣れに安心感を抱くので、そこから【変化】することを恐れる構造だからだと言います。
旅人よ、冒険に飛び込むのだ。
きりしまと、ツカサとラングとともに、せっかくならば新しい景色を旅しましょう。
発売から3日くらい、web版の更新をお休みしてきりしまも書籍を楽しもうかな、と思ったりもしています。
発売日の11/10はどこかの本屋で探し求めているかもしれません。
1巻を読んで、2巻を読んで、世界をお楽しみいただけますように。
ドキドキします! よろしくお願いいたします!
1巻書影
2巻書影
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