2-34:かつてのツカサ
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キスクを連れての旅はなかなか大変だった。
途中、霜が降りるようになってしまい、頭上に布を張るだけではついに耐え切れなくなった。そこで、薪を作るついでにテントを置けるだけのスペースを確保し、ツカサは自前のテントを出すことにした。ラングは近場への荷運びの帰りでそうした泊り道具を持っていなかったので、あの旅路とは逆で、ツカサが提供する側だ。ラングの快適なテントとは違いベッドはないので、寝床は毛皮を敷き、布を重ね、そこに敷布団を置いて、と柔らかさと快適さを量で求めた。キスクはその贅沢な寝床に大興奮だったがそのまま寝れば寝床は汚れてしまう。というわけでツカサは風呂も用意した。もちろん、これはキスクに「俺も創りたい」と思わせるためだ。
「俺はキスクに魔法を教えながらやるから、ラングはこっちでゆっくり入ってて」
ツカサは少し離れたところに創った風呂を土魔法で囲い、器用にアーチ形の入り口だけを残すと、そのままラング用にしてキスクを連れテントを挟んで向こう側に行った。洗濯桶も置いてきたのでラングなら上手に湯を使い、風呂も洗濯も済ませるだろう。洗濯物を乾かすのはキスクでは破きそうだ、自分がやろう。さて、修行を始めるとするか。
「キスク、まずは魔力の流れをちゃんと認識するのが大事。制御と調整、それができない限り、ラングに水を浴びせたように、扱うことはできないからね」
「あぁ、いや、わかった。どうすればいい?」
「まずは俺の手に手を重ねて、魔力を流すからね、抵抗しないで」
キスクの魔力の色は青。同色なら拒絶反応も起きないはずだ。ツカサはいそいそと重ねられた手を握り返し、ゆっくりと水を注ぐように魔力を流した。キスクの左手から心臓を通って左足、腹へ戻って右足、腰を通って右腕、心臓を再び通り頭、そこから心臓へ、最後に左腕。
一巡を終えて手を離せばキスクはぽかんと呆けて固まっていた。
「キスク? 大丈夫?」
「あ、あぁ、いや、何だ今の、すごい、何かあったかいものが体中を……」
「それを追いかけるようにしてみて。自分の中を流れるものを感じ取るんだ」
あったかいものを、追う。キスクはぶつぶつ言いながら両拳をぐっと握り、全身に力を込めていた。
「魔力は筋肉じゃないよ、肩の力を抜いて」
言って、笑ってしまった。ツカサの中ではある意味のスイッチでもあるその言葉をまさか誰かに掛けることになるとは。突然笑い出したツカサを奇妙なものを見るような目で見るキスクに咳払いし、手のひらにトーチを現した。
「風呂は土魔法、水魔法、火魔法の複合魔法だから、キスクにはまだ早い。まずは制御と調整のための練習をしよう。照明魔法から教えてあげる。ランタンの魔法」
「明るいな……不思議だ」
目を見開き、感動を味わうキスクにそうだね、と返す。これは火魔法の応用のようなものであり、魔力の制御と調整の鍛錬法だ。ツカサは小さな炎を想像するように言い、焚火に火を点けるために必要なものを、その想像の中でやるのだと教えた。キスクはうんうん唸ってはいたが、線香花火のような小さな火花がパチパチと弾け、最後に消えかけの蝋燭のような火を手のひらに現すことができた。なんとなくで水を出して鍋をひっくり返したくらいだ、なかなか筋がいいのかもしれない。
「これが、火魔法の基礎であり、照明魔法の基礎」
「すげぇ、あったかいな、これを、俺が? 木も、火打ち石も何も使わずに」
両手で大事そうに火が消えないように抱いて、キスクは微かなオレンジの明かりに目を潤ませていた。初めて魔法を形にした時、ツカサも嬉しかった。初めての魔法は治癒魔法だった。なかなか風切の短剣を使う機会に恵まれず、実際に使ったのはジュマのダンジョンが最初だ。シェイの言葉で命を創りだすことができないと知り、それはつまり、蘇生魔法は使えないということだと気づいた。
【変換】を用いれば無を有に変えられると気づいたのはいつだったか。この力は神の力の片鱗、そこにあるものを命に変えることもできるだろう。何度も、何度もツカサを試してきた人たちの顔が浮かんだ。
力の使い方を説いた兄。命を尊ぶことを話した師匠。見ていると示した水晶の目を持つ軍人。そして、自身に埋め込まれた鎖。誰もがはっきりとやるなとは言わなかった。ツカサがそれを悪用し、乱用すれば容赦なく首を斬り落としに掛かって来ただろう。鍛錬はしていても未だ師匠の剣技は超えられず、魔法の扱いも瞬き一つで行うような師匠には簡単に魔封じを行われるだろう。そして、冷たい水晶の目がこちらを一瞥し、口上とともにこの首を斬るのはきっと、ラングだ。
ーーお前にその覚悟があるのなら、選択をするのなら、それがどんな覚悟だろうと背中を押してやる。私がお前を殺してやる。
「大丈夫か?」
小さく息を吸った。ちろちろと揺らめく火を大事に抱えたキスクの顔がぼんやりと照らされ、心配の表情を見せている。いい奴だよなと思い、首を振って大丈夫だと答えた。
「キスク、筋がいいよ。でも調子には乗らないこと、その火を大きくして木に燃え移ってみなよ? みんな焼け死ぬ」
実際にはそうならないように魔法障壁も張るが、危険を想像させることは大事だ。キスクは小刻みに頷き、次を求めた。ツカサは蝋燭の火のように揺らめくそれをいつも扱っている丸い光の球、トーチと同じ形にできるようになったら次の修行だと言った。魔法障壁をキスクの周りにそっと張り、練習させている間にツカサはこちらの風呂を創り上げる。
「ツカサ!」
「なに? お風呂はまだ創らせないよ」
「見てくれ!」
振り返って驚いた。キスクの手のひらにはツカサが出したのと同じ光の球があった。時々ぐにょりと形が変わるそれは、ツカサの出したものをイメージしたため、どういう硬さであることが正しいのかがわからないせいだろう。しかし、早い。
「上手いね。形は別に何でもいいんだけど、俺は丸くて硬い石をイメージしてるよ」
「丸くて、硬い石」
やってみる、とまたそちらに夢中になって背を丸める姿に少しだけ自分を重ね合わせた。こちらの風呂には隠すべきものがないので囲いはなしだ。ツカサは風呂に入るよとキスクに声を掛け、装備を外した。そういえば、風呂に一緒に入る習慣はあるのだろうか。
「キスク、お風呂って一人派?」
「あぁ、いや、全然気にしない。というか、俺の国では温泉が湧いてて、大人数で入って騒ぐようなもんだ」
「へぇ! 温泉! いいね、楽しみだな。……体は洗って入るよね?」
「当然だろ? 公衆浴場なんだから」
ほっと胸を撫で下ろす。ツカサは冷たい風にぶるりと震え、ざばざば湯を被って体を一度温め、こちらにも魔法障壁を張った。隠された港で経験したものだ。風が止んで湯気がこもり、少しずつ暖かくなる。
「これも魔法なんだよな? いいなぁ、これがあれば故郷だって寒くないぞ」
「俺、こういう調整はまだ練習中なんだよね」
物理、魔法、気温に水に、と機能を追加していくたびにスイッチを一つずつ押すようなイメージだ。もしくは、透明なフィルムに一つずつ絵の具を重ねるような、そんな感じだ。シェイはこれを最初から一枚のフィルムで、しかも透明なままサッとやってみせる。凄まじい魔力の消費量なのだが、どうしてそれができるのだろう。眼が特殊だと言っていた、ツカサも眼は特殊だ。何か使えないだろうか。
「不思議な何かであったかいけど、そんな全裸で立ってたら風邪ひくぞ?」
「あ、そうだね」
腕を組んで考え込んでいるところに言われ、ツカサは洗うのを済ませて湯船に浸かった。キスクはいつの間にか、ちゃっかりツカサの置いた石鹸も使って幸せそうに湯に体を沈めていた。その横でツカサが深い溜息をつけばおっさんくさいな、と笑われ、笑い返す。つい最近出会ったばかりで殺しそうにはなったものの、こうして一緒に風呂に入っているのは不思議だ。これもまたギルドラー、新米パニッシャーの片鱗か。何かあっても殺せるという自負と、何かがあってもどうにかできるという事実がこの余裕を生み出すのだとしたら、そこまで考えて、ふとツカサは顔を上げた。
ラングの乱暴さに理由を見つけられた気がした。【ラング】はとにかく強かった。人生経験も豊富で、くぐり抜けた修羅場の数も違い、アイテムも揃っていて、何より培った技術が、知識が、知恵が、魔法すら凌駕してその身一つであの事変を生き延びた。そこにツカサというバッファー、アルという相棒はもちろん存在したが、一人でも【ラング】はその喉笛に噛みついてみせたのではないだろうか。
そうだ、ラングのあの乱暴さと言葉の強さは、かつてのツカサだ。ジェキアに至るまでの道中で少しずつツカサはそれを剥がして、脱いで、外して、置いてきたものだ。
威嚇、強がり、虚勢、自分を守るための盾、もしくは鎧。
【ラング】が故郷で旅をしたのは三か国程度だと聞いた。【あの年】までに学んだことがあればこそ、サイダルでの初対面の落ち着き具合に今は納得する。だが、今のラングは? ツカサは慣れが出た頃、どうなった?
ツカサは勢いよく湯を上がり慌てて体を拭いて着替えた。
「ツカサ? どうした?」
「ちょっとラングと話さないといけないことができた。タオル置いておくから、好きに出てきて」
あぁ、いや、うん、とキスクは頷き、顎まで湯に浸かってツカサを見送った。
テントも焚火も見える位置にある。ブーツを適当に履いて踏んづけて戻れば、焚き火のオレンジの明かりの中、湯上りのラングがキスクのリュートを腕に弦を撫でていた。洗濯物は木に結んだ紐の一部に掛けてあった。キュイ、と音を立てながら滑るその指を止めずに、ラングのシールドが少しだけ上がった。
「どうした」
『聞きたいことと、お願いがあるんだ』
ぽろん、と一音鳴らしてラングはゆっくりと首を傾げた。ツカサは敷かれた毛皮に座り、リュートを一音ずつ、一定のリズムで弾くラングへ尋ねた。弾けるのか、というのは後で聞く。それよりも。
『ラング、俺には【鑑定眼】っていう、ものの本質、それが持つものを視る力があるんだ。最初、洞窟で視ようとしてナイフを投げられたやつ』
『土地神たちの様子を視ていたものか』
『そう。それを、ラングに使わせてほしい』
ぽん、と弾いた音を最後にリュートの弦が震えることを止めた。ラングはリュートを元の位置に戻し、ツカサに体を向けて座り直した。
『測られることも、試されることも、好きではない』
『わかってる。だけど、これは必要なことだよ。信じてもらうしかないけど、俺も俺の視えるものをラングに伝える。視せてもらうなら、こっちもまた視せるべきだから』
焚火の微かな息づかいだけが響いていた。パチパチ、ジジ、からん。いつだって二人の会話の先を促すのは、薪の崩れる音だった。
『目的が知りたい』
『ラングが何を持っているのか、できるのかを正しく把握したい。【俺】が守られた時、俺ができることを伝えて、足りないところを教えてもらって、足して、旅をしたから』
一度深呼吸をして、ツカサは続けた。
『本人に生きる意志がなければ、助けることなんてできないんだ』
あの時の【自分】に比べればラングは手練れだ。経験もある。それでも【ラング】を知っているからこそ不安を抱いてしまう。それが本人にとって不愉快なことであろうとも、仕方のないことだった。そして、これが一番大事だ。
『ラング、俺に何か隠してるよね?』
確信を持った声で言えば、ラングはシールドを少しだけ横に向け、目を逸らし、焚火を眺めたのがわかった。気になっていたのだ、言い直したことも、それ一つを書かなかったことも。
暫くの沈黙の後、ラングは再びシールドをツカサに向けた。
『私はパニッシャーではない』
ツカサは膝立ちで詰め寄っていた体を少し下げ、どすりと胡坐をかいて座り、ラングの言葉を待った。
『正しくは、パニッシャーになることは決まっているが、現状は仮。任命をまだ正式には受けていない状態だ。引き受けるための最後の試験が残り二つ、その内一つの依頼の帰り道にこうした事態に巻き込まれている』
ぐっとラングの左手のグローブが引っ張られ、素手が露わになる。ラングの膝に置かれた左手、その甲にはまだ焼き印がなかった。
『荷運びの依頼を終えて戻れば、残りの一つを終えれば、ここに焼き印を押され、パニッシャーになる。……はずだった』
『なるよ。必ずラングを元の場所に戻してみせる』
まだ綺麗な手に手を重ね、ツカサは強く頷いた。あの日、不器用な優しさを、温もりを分けてくれた【ラング】ほど力強い手ではないだろう。ただツカサは精一杯にその手を握り締めた。
『視てもいいかな』
『……いいだろう』
ツカサは一度目を瞑り、色の違う両眼をゆっくりと開き、【鑑定眼】でラングを視た。
いつも旅路にお付き合いいただきありがとうございます。
きりしまのよもやま話。
腱鞘炎、だいぶ良くなった気がします。
という言い訳を置いてから話しますが、最近気分転換に短編を練習がてら書くようになりました。
日間などでもランキング上位に入れていただけて嬉しいなぁと思っていたものの、あとがきに「処刑人≪パニッシャー≫と行く異世界冒険譚もぜひ」と書き忘れるという痛恨のミス。
シチュー令嬢からすると毛色は違うものの、やはり代表作も味見してほしいというちょっとしたおねだりです。
書きためている小さな物語を、今年の年末には短編集のような形か(するとしたら連載という投稿方式にはなる)、短編でバッと出すか、悩みます。
少々取り留めもなくなってきたので本日はここまで。
面白い、続きが読みたい、頑張れ、と思っていただけたら★★★★★やリアクションをいただけると励みになります。
1巻書影(そろそろ2巻の書影もいただけるだろうか……。)