2-33:ともしび
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足を一歩踏み出したらとんでもないことになっていた。
今さっきまで確かに居たはずの相棒が消え、手入れの行き届いた家は急に古びた気がした。いや、確実に何かが違う。きょろりと見渡し、自分の体をまさぐった。たまたまというのか、必然というのか、少し出掛けるぞと言われ、装備を全て身につけていたのが幸運だった。兄たちから貰ったポーチも、分配された報酬で作ったマントも、小手も、何より槍もある。準備を整えてがちゃりと部屋の外に出たらこれなのだから驚くのも当然だろう。埃の舞う廊下、酷く軋む階段。リビングは人の気配がなかった。
『おい、どこだよ!?』
あれで、置いていくぞ、と言わない限りは待っていてくれる男だ。いつもなら毛皮の掛けてある専用の椅子で足を組んでゆったりと待っていてくれる相棒はおらず、そもそも、その椅子がない。いや、あることにはあるが、毛皮もなく、随分と色褪せている。
相棒の愛用していた鍋やフライパン。集めたと言っていたハーブなどの乾燥スパイス。庭の畑で収穫して吊るされていたはずのハーブもない。竈の形すら少し違う。玄関から見渡せるリビングを確かめれば皆で食事をとったテーブルなど、手入れをする人がいないことを如実に表し白く埃を被っていた。家というのは人が住まなくなると一気に劣化していくというが、まさしくそれだ。天井の梁に綿密に描かれた蜘蛛の糸に堂々と家主が住んでいる。
何が起こった? 混乱が加速して玄関を飛び出した。
玄関を出て左手、相棒が大事にしている薬草畑に走る。案の定そこに広がっているのは雑草だけで畑らしいものは何もない。そのまま裏庭の井戸がある方へ回り込む。鍛錬に使っていないせいかここも土を被っており、石畳の隙間も上も草が生えている。さらに洗濯物を干す場所へ、ぽつんと木が二本立ってはいるが、ひび割れ、腐り、朽ちていた。ボロボロだ。
『どういうことだよ』
もう一度家に駆けこみ、階段を駆け上がり自由に使えと充てられた自室へ戻る。そこは物置のようになり、ベッドも机もなく、ここも蜘蛛の糸や埃まみれで到底体を休められる場所など無かった。この世界に来て多少なりとも集めた替えの服や部屋用のランタンなど、全てどこにいったのだろう。
『待て、落ち着け、こういう時こそ、冷静であれ、ってやつだろ』
とはいえ埃を吸い込んで咽る未来しか見えず、一先ず外に出た。玄関を出たところでぐるぐると歩き回り腕を組みうんうん唸ったものの答えは出ず、そうだ、相棒の息子夫婦はどうだ、と思いついた。地面を蹴って駆けだす。ここは街の郊外、目的地は少しだけ距離があるのだ。
暫くしてレパーニャの街に辿り着いた。門を預かる自警団に軽く挨拶をして抜けようとしたら止められた。言葉はまだ不自由だが身分証を出せと言われたようだ。その時点でおかしいことはわかる。この街で身分証など求められたことがない。それでも大人しく冒険者証を差し出し、通ってよし、と頷かれた。
レパーニャの街の様子も何かがおかしい。治安のかなりいい街だというのにガラの悪い輩がそれなりに居るように思えた。ここは最強の処刑人のお膝元なのだ、冒険者たちは目を付けられないように背筋を伸ばし、己を律してここに来る。
数度、相棒と訪れたことのある家に辿り着いて一軒家を見上げ、この時点で違うと察した。窓から見えるカーテンの色、家の手入れの仕方、敷地内にある手押しポンプを扱う人物が違う。恐る恐る声を掛けた。
「すみません、リシト、いますか?」
きょとん、と見たことのない女性が首を傾げ、不審そうにこちらを眺めてくる。
「リシト? そんな人いませんけど」
「……間違えました、すみません」
ぺこりと首を揺らし、はぁ、とじろじろ見てくる女性の視線から逃げる。次に冒険者組合を目指した。
建物の面構えは同じだ。中に入り、前よりはガラの悪い声を聞きながらカウンターへ行く。いつもここで出迎えてくれる壮年の男性はいなかった。いや、ギルドマスターなのだ、奥で事務仕事でもしている可能性がある。冒険者証をカウンターへ出して、見知らぬ女性に言った。
「ギルドマスター・ベルスティード、いる?」
「ベルスティード……? いえ、うちのギルドマスターはカーネリアですが」
んん、と唸った。
「ベネデットは?」
「前ギルドマスターですか? でしたら、今日はいらしていません」
ということは自宅の方か。ありがとう、と礼を言って冒険者組合を後にし、何かあったら頼れと教えられた家を目指した。
レパーニャの街には市長や貴族がいない。冒険者組合が管理者であり、ギルドマスターがその権限を有している。そのため、自宅はそれなりに大きい。石造りの塀に鉄の門。ここを入ることができるのは許された者か、罰則が怖くない者だけだ。ギィ、と門を開けて中に入り、ドアノッカーをゴツゴツと鳴らす。暫くして顔を出したのはこの家のメイドだった。これもまた知らない人だった。
「どちら様でしょうか」
誰だと問われることが、その積み重ねが予想を確かなものに変えていく。それでも、これは最後の頼みの綱だった。
「こんにちは。ベネデット、会いたい。……ラングのこと。伝えて」
メイドはこちらを訝しんではいたものの、必要以上に足を進めてこず、一定の距離で待つ姿に少々お待ちくださいと中へ引っ込んだ。鍵を掛ける周到さはさすがだ。
数分待った後、勢いよく扉が開いて老人が現れた。その眼光だけは鋭く、じろりとこちらを見た目が一瞬、ハッと見開かれた。
「リーマス? ……いや、雰囲気が似ているだけか、何の用だ?」
「あの、話、するしたい。ラング、いない」
ラングの名にぴくりと老人は眉間に一瞬皺を寄せた。
「なぜラングの名を」
「ラング、俺の相棒です。一緒に行くはずでした。レパーニャの街」
知りませんか、と続けた言葉に老人は何度か深呼吸をして怒りを堪えているようだった。足を一歩引いた。それほどの怒気だった。
「小僧、その名はこの街で禁忌だ。どういうつもりで口にしたかは知らねぇが、容赦はしねぇぞ!」
老人とは思えないほどの覇気を発し、怒鳴る。びくりと飛び跳ねてしまったのは親切だった相手から殺気を感じたからだ。
「ラングは帰ってこなかった! 俺たちがどれほど心配して悲しんだか、テメェ、許さねぇぞ!」
「ごめんなさい! でも、俺は本当に、ラングの相棒です!」
「いねぇ奴とどうやって相棒になるっていうんだ! おい、剣を持ってこい!」
剣、と聞いてもうだめだと思った。素早くそこを駆けだして門を開けるのも時間が惜しいと飛び越えて逃げ出した。背中に罵詈雑言らしきものが掛けられるが言葉が不自由で凹まずに済んだ。
門すら飛び出して街の外、森の中で少し息を整える。
『マジでどうなってんだ。ラングが、帰ってこないって言った? おかしいだろ今朝も俺は一緒に飯を食ってる』
ラングお得意の豆のスープ。甘くてクリーミーな、ツカサもお気に入りのものだ。それにパンをつけて食べるだけの簡単なものだが、穀物ということもあって満腹感もあり、腹持ちもいい。食休みを取って準備に離れた僅か数分で何かが確実に変わっていた。槍を抱いて蹲る。
『オルファネウル、お前は変わってないよな!?』
シィィ、と優しく宥めるような声が響いた。よかった、オルファネウルはそのままだ。ぎゅうっと抱きしめて額を当てた。もはやオルファネウルだけが頼りだ。
『何が起こってんだよ。ラングが帰って来なかったって、いったいいつって話だよな。オルファネウル、なんかわかるか?』
シィィ。他者から聞けばその音は武器の鳴る不思議な音だ。だが、持ち主には男性の声で、きちんと言葉として聞こえる。十五の頃からの付き合いでもあり、命を何度も救ってくれている相棒であり、それなりに恥部も見せている相手とあって、加えて、槍であって人ではないというその形状も結果としてこのぐずぐず甘える姿を見せてもいい相手になっている。トボトボと数時間前まで生活していた家に戻り、傷んだ家屋を見るために、ぼんやりと視線を上げる。
『どうすればいいんだ。俺はこういうのよくわからないんだぞ。ツカサなら……、いないものを頼っても仕方ないな』
パシン、と自分で両頬を叩き、一つ頷く。金はある。であれば生活はどこでもできる。ラングが何かあった時のために、とまるで子ども扱いで渡してきたそれなりの金額。あの時はあとで自分で稼いで返せばいいやと受け取っていたお守りがその効力を発揮しそうだ。これは買い食いには使うなと釘を刺されていた金。ラングの息子、リシトが『ラングの言うことは聞いておいた方がいい、かなりの確率で当たる』と言っていたのを思い出した。ぶるりと震えた後、気づいた。
『そうだ、ツカサに手紙……!』
この事態を相談できる不思議な知恵に溢れた青年を思い出し、兄たちからもらったポーチを探る。なんとなく、まだ送れないとわかった。
『んあぁ! 融通利かせろって!』
ガシガシと頭をかいて悪態をつく。オルファネウルに宥められ家の前で立ち尽くした。
どうすればいいのかわからない時、いつだって足を進めてとにかく先を目指してきた。ではどこを目指せばいいのだろう。どこに行けばいいのだろう。今わかっていることはまず一つ。
『ラングがいないこと』
ラングが居てこそ、この場所で受け入れられた。ラングが身分と人柄、立場を保証し、確保してくれたからこそ、言葉が不自由でも皆が受け入れてくれた。そのきっかけとなった男が、いつからかは知らないが、いない。家の中の荒廃具合からそれがかなり前であるとは察せられる。
『リーマスは少し前に死んだって聞いてるしな。ベネデットも昨日会った時よりなんかこう、老人だった。何が起こってんだよ』
むぅっと槍を抱いたまま腕を組めばオルファネウルが囁いた。何か来る、と。即座に槍を手に構え周囲を見渡す。家を取り囲む森の深さは変わらず、ただ、確かに何か違和感がした。カチリ、と何か空から音がして、ざわめいていた葉擦れの音が止む。それに目を瞬いていればヒュッと脇腹から臍に掛けて嫌な感覚がした。それもそのはず、突然足元に黒い空間ができて、そのまま落ちたからだ。
『おわぁ!?』
落下はある意味慣れっこではあるのだが、落ちた先が何もない暗闇であることは不慣れだ。オルファネウルを握った手を、両腕を広げて体勢が崩れないようにしながらいつまでも暗闇を落ちていく。あっという間に周囲は光が差さなくなり、黒一色のどこかを落ちていくのは先が見えなくて逆に恐怖が薄らいでくる。どこかに槍を引っ掛けようにも伸ばした槍が掠めるものはない。いったいどこまで行くのだろう、と冷静に考えたところで下に明かりが見えた。草の生えた地面。この勢いで落ちれば不味いだろう。
『うわああぁ! ウィゴール!』
思わず叫んだ友達の名前。その甲斐あってかぶわりと下から風が吹き、ふわっと一度体が浮きあがった後、どさりと草の上に落ちた。がばりと起き上がって自分の体を摩る。槍のオルファネウルを確認し、生きてる、と声が掛かり、ほーっと息を吐いた。
上を見上げれば落ちてきただろう黒い穴も何も無く、不思議な色合いの空が広がっていた。深い青に淡い紫、その中をふわふわと漂う緑の薄いカーテンのような何か。キラキラと星が流れ続けていて願い事がし放題だ。その美しさに目を取られていればいつから居たのか、隣に不思議な装束の人物がいた。敵意はなく、同じように空を見上げていたので暫くポカンと眺めてしまった。
「時間がないのでそろそろ本題に入りたい」
故郷の言葉。瞬きに合わせてこちらを向いた視線。肩までの髪も、眼も、美しい青銀の色合い。鈴のような声音に女だと気づく。女の向こうには人相の悪い男が立っていてその手に船のオールのような、不思議な形状の武器を構えていた。よろりと立ち上がり一先ず槍を背に戻せば、男も武器を背に戻した。その動作で敵ではないとわかった。
「えっと、あんたたちは?」
「時の死神の友、お前たちに聞こえる音では、ジンでいい」
「ジン? 時の死神はセルクスって奴であってる?」
「あっている。なんだ、そうか、お前はそこまでセルクスと縁が深くないのか」
ふむ、と目を伏せて逡巡、ジンなる人物は再びその視線をこちらへ向けてきた。
「刻の神という名を聞いたことは?」
「あー……」
ある。あれはイーグリステリアとの戦いの前、ラングが逃げの一手を一度は選び、ツカサがその感情を赤裸々に告白し、エレナが怖かった時に出た神の名だ。確か、その神の心臓が脈打つたびに時間が刻まれるとか、どうとかヴァンたちが喚いていた気がする。
「あんたがその刻の神ってやつ?」
「そうだ、刻の神・ジン。名は命を縛る効力を持つため偽名だが、本名はお前たちには声に出すのも難しいだろうから、ジンでいい」
一度頷く。それを見てから刻の神・ジンは本題を話した。
「ラングがその命を狙われた。今のラングではなく、かつてのラング。歳にして二十二、まだ未成熟の時だ」
いったい、突然、何の話だ、と思ったのが正直なところだった。
「ラングはとある事件で戻ることができず、そうして、その先の未来が変わった」
ゆるりとジンが細い腕を持ち上げ、宙に円を描いた。それはイーグリスを映してからその隣へ移り、西街、渡り人の街の惨状を見せた。
「なんだこれ!? どういうことだ!?」
「未来が変わるというのはこういうことだ。一つ大きな起点を失えば、選ばれる未来の道は変わる。時間が変わる」
頭は痛かったが、言いたいことは分かった気がする。それが明確にこうだと言葉にはならないのだが、いつもの直感だ。
「未来を元通りにするために、協力してもらいたい」
「どうすればいいんだ」
「ラングを守るための守り手は、既にあいつが連れて行った。だが、手が足りない」
映し出していたイーグリスを手で払うように霞に変えると、ジンは手をくるりと回して握り締めた。開かれた手のひらには透明な石。差し出され、思わずノリで受け取ってしまった。持ち上げ、空を透かして覗いてみれば屈折することもなく、その美しい色合いが透明な石の中でも変わらずに煌めいている。
「私には、これ以上の手出しはできない。時を刻む者は誰の味方でもない、中立、だからこそ不可侵なのだ。それでも、できる限りのことはしたい。友と、この身に刻まれた役割を守るために。多くを守るために。これは私の、唯一の抵抗だ」
「難しい話するなよ、そういうのはラングとツカサが担当する領分なんだ! 簡単に、端的に頼む」
「守れ」
「誰を、やり方は!」
「思うままに進め。それもまた、ヒトの選ぶ結末だ」
だからわかりにくいと文句を言おうとした体がまたひゅぽりと黒い穴へ落ちていく。
神様なんて嫌いだ! と叫んだ情けない声は落ちていく自分にも付いてこずにどこかへ置き去りになった。
いつも旅路にお付き合いいただきありがとうございます。
きりしまのよもやま話。
2巻発売まであと1か月です。早いです。あっという間です。怖いです。
2巻は大きな幹はそのままに、見せ場、見どころ、新しいシーン、web版では中盤になるまで名前も出なかったあいつらが立ちまわったりと、web版読破勢は「なにこれ知らない」が多い2巻となっています。
大筋はまったく変わらず、ただ、
「ツカサが選んだ選択という寄り道、出会いはこうであったかもしれない」
を加筆し、きりしま、楽しく書かせていただきました。
どうか旅人諸君もまた、新しい景色を楽しんでいただけますように。
さて、web版の最新話(この投稿)では、おやおや、気になる感じです。
面白い、続きが読みたい、頑張れ、と思っていただけたら★★★★★やリアクションをいただけると励みになります。
1巻書影(2巻の前に、1巻の読破をぜひ。)