2-32:鶏もも肉のスープ
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様々なことを考えたが、当初の目的通り東の山脈、ドルワフロの山へ向かうことは決定した。
キスクには、ツカサたちが戦力としてではなく伝承の地を目指していること、土地神とは出会おうとして出会っているわけではないので、向こうから接触があれば対応すること、それから、【不思議な力】、以降魔法と称するそれの扱い方を教えることを話した。
「ドルワフロへの案内の前払いってことで。使い方を知っていればキスクも困らないし、何かの助けになるでしょ? その代わり俺たちに戦うことを強要しないこと。もししたら、俺たちはキスクの敵になるよ」
学園で教えていたのだ、魔法を教えるのは得意だ。キスクは一先ず戦力としてではないが、同行してもらえることに喜んでいた。もう一つ、ツカサは尋ねた。
「キスクの周りに、土地神と仲がよかったり、不思議な声を多く聞いてた人っている?」
「何で知って、いや、あぁ、居た。俺たちドルワフロでは【囁きを聞く人】って呼んでたんだが、十年くらい前に、教会が連れて行った」
ツカサは唸った。キスクに書かれている【導きを失った者】が気になっていた。
ヴァンは、導き手は大きな困難を前にし、理の傍に現れると言われていると言った。リガーヴァルでは導く側が魔力側であったが、もしかしたら、逆の可能性もあるのではないだろうか。
キスクが共に居たその【囁きを聞く人】が導き手なのだとすれば、失ったに理由がつく。属性こそ重なってしまうが、導き手を補ってみるのはどうだろうと考えたのだ。ラングに相談をすれば、やってみればいい、と返ってきた。
『私は不思議な話に対して知見があまりない。お前の提案は下地があってのことだろう。いざという時には手を貸す』
その言葉が何よりも心強かった。
さて、旅の道連れにキスクを増やし、東の山脈、その手前の交易都市を目指した。森の中を進むツカサとラングにキスクはかなり頑張ってついてきたと思う。するすると先を行くラングにツカサはさくさくとついていくが、キスクは背負ったリュートを庇うように歩いたり帽子で視界が遮られたり、時々迷子になっていた。面倒になって帽子を外させ、仕方なくラングは足を少しだけ緩めた。キスクは街道を行こうとぶつぶつ言っていたのでラングがツカサに呟いた。
『言うことを聞くように躾けておきたいものだな』
いったいどういう躾を施すつもりなのか少し興味は沸いた。だが、変に犬のようになられても困る。ツカサは強く頷き、胸を叩いた。
『いい手がある。任せて』
その日の夜、ツカサは空間収納から食材をどっさりと取り出した。平たい場所を選んでの野営、街道からも距離がある。魔獣避けのランタンが煌々と視界を照らし、ツカサは腕まくりをした。
簡易竈の上に置いた鍋には水魔法、それが沸騰するまでの間ちゃぷちゃぷ、トントン、芋やニンジンの皮を洗い、切り、下準備をする。玉ねぎは個人的に少しシャクシャク感を残したいので後回しだ。鶏もも肉を取り出してハーブで揉んで、少しだけ置いておく。鍋が沸けばそこに芋とニンジンを放り込み、香りづけの葉っぱを一枚はらりと落とす。少しゆらゆら湯の中を舞わせた後、これはさっと取り出しておく。長く茹でてしまうと苦くなるのだ。芋とニンジンに火が通る頃、玉ねぎを追加。鶏もも肉にふわりとハーブの香りが移ったところで軽く切り込みを入れ、鍋へ投入。ニンジンと玉ねぎの香りが強かった湯気にハーブと鶏のいい匂いが混ざり、キスクは鼻を引くつかせていた。暫く煮込んでいる間にツカサは小麦粉と塩、オイルを並べた。いつだったか【ラング】が作ってくれた即席パンを練り始める。水、塩、オイルを入れてねちょりとした生地をつくる。フライパンにたっぷりオイルを引いてからそこに生地を置き、これは火魔法でじっくりと焼いていく。上から下から、熱を通すイメージだ。弱火にして置いておき、鍋に戻る。鶏もも肉特有の香り、甘さが湯気に混じっている。岩塩をコツコツ砕いて味を調え、清涼感のあるハーブ、肉にも使ったローズマリーの生を少し刻んで散らした。今日は歩き回ったので少し塩は強めだ。
器に盛りつけていく。まずはラングへ渡し、ありがとうと礼を受け取る姿に頷く。真っ白い湯気の柱が熱々であることを知らせ、受け取るキスクの手が熱いものを抱えるように指がばらばらと動く。木の器なので外側は熱くないはずだが、それを見るとこちらも熱いと思ってしまう。すっかり焼けたパンもフライパンごと土魔法でつくった低いテーブルに置き、切り取る用のナイフを刺して、キスクにスプーンを貸し、ツカサはにっこりと笑った。
「さぁ、召し上がれ!」
「いただきます」
「いた……? 理の女神様、恵みに感謝を」
ラングとツカサが両手を合わせて礼を取るのを不思議そうに見ながら、キスクは自身の言葉を言った。
――湯気が多くて器の中がよく見えない。スプーンで取った橙色はニンジンか。はふ、と口に入れれば甘い香りと熱が広がり、噛んだ歯にすら熱が伝い、痛いのか心地よいのかわからない。塩味の利いたスープにじゅんと唾液が誘われて息を入れながら咀嚼したニンジンの甘さが引き立つ。ごくり。思わず息を吐いた。さっと二口目を求め、次は黄色みがかった芋が拾われた。少しふぅふぅ息を吹きかけてから、けれど冷めないようにというジレンマに挟まれつつ口に入れた。よく洗った芋は皮ごと煮込まれていた。ほくほくと熱を持った柔らかい芋が一緒に入れたスープと出会い、さらりと溶けていく。芋の皮の剥けるべろり感が口にあり、奥歯で噛めばしゃくしゃく、土の香りがした。鼻から息を抜けば謎の満足感がある。スープをもう一口、芋のほくほく、もそもそ感が鶏のいい出汁に流されていった。
塩味の強いスープは時々ハーブを噛ませてきて、スゥっと香りが鼻を抜けていく。それが味の濃さを気にさせず、具材を引き立てている。器から飛び出ている鶏もも肉の骨。ごくりと緊張が走った。ついと指で摘まめば骨も熱くて持てなかった。ちらりと他の二人を見れば器用にスプーンで肉を外して食べている。そういえば切り込みを入れていたのだったか。同じようにスプーンを鶏もも肉に差し込めば、ほろ、と肉が柔らかく崩れた。こんな鶏肉は初めてかもしれない。分厚くてぷっくりしたところから左右にスプーンを動かして骨から外し、ふぅ、ふぅ、ぱくり。キスクは自身の唾液腺が壊れるのを感じた。わかった、鶏肉の脂がスープを覆っていたから冷めなかったのだ。美味いスープに溶け込んでいた出汁の元、鶏肉の旨味が口の中に広がり、キスクは口端から零れそうになったものをじゅるっと音を立てて啜った。柔らかな鶏肉を噛めばぷりぷりした食感。いつまでも食べていたい。美味しいものを口にした際、思わず呑み込んでしまうことがある。これはまさにそうなってしまった。キスクは次々にスプーンを口に運び器を空にした。
ツカサがにこりと微笑んで手を差し出してくれたので勢いよく器を差し出し、二杯目。また鶏もも肉が入っていた。それにがっついていればツカサはフライパンからパンをナイフで切り分けて、底から外すようにしてラングに差し出していた。キスクも手を伸ばせばツカサは笑顔で分けてくれた。オイルの滲んだパンはしっとりとしていてこれも熱かった。白い断面図は柔らかく、外は少しパサリとしていて、これもまた熱いうちに食べなくてはとかぶりついた。もっちりとした食感、上等な小麦の味。ふっと香るオイルの鮮烈さ、塩味が薄っすらと利いていて、少しだけ水分が足りない。片手に持った器を寄せてずずっと啜れば、あぁ、最高だ。キスクは無我夢中で食事を貪った。
「う、う、美味い……!」
三杯目のスープとパンのおかわりをして平らげ、四杯目を強請った頃、ようやくキスクは言葉を発することができた。
「口にあったならよかった。はい、どうぞ。ラングは?」
「もらおう。ありがとう、美味い」
よかった、と笑うツカサ。今回も鶏もも肉は入っている。キスクはスプーンで鶏肉をほぐして舌鼓を打つ。ラングは二杯目をゆっくりと食べ、最後に鶏肉の骨周りまで綺麗に平らげていた。そのあと、骨は焚火に入れられる。キスクはそれを見て自分が食べた骨の周りにそれなりに肉が残っていることに気づき、恥ずかしそうに四本目は綺麗に食べた。ぷるぷるした鶏の柔らかいところが唇を脂でてかてかとさせた。ツカサはにこにこ笑みを浮かべ鍋の残り、ツカサにとっては二杯目をよそっていた。そこには鶏もも肉が入っていなかった。
「あぁ、いや、悪い、俺、あんまり美味かったから、あんたの分まで」
「いいよ、気にしないで。作った側からすると、それだけ美味しそうに食べてくれたら満足だからさ」
足りなければまた作れるし、とツカサは少し冷め始めたパンを千切り、スープに浸して食べた。また作れるのか、これを。キスクは空になった器を眺め、ごくりと喉を鳴らした。
旅を始めてから温かい食事など数えるほどだ。どこか宿に入っても昨今の不作もあり塩漬け野菜のスープを口にできればいい方で、酸味のない爽やかで美味いスープは久々だった。故郷では雪の中でも育つ野菜もあるが、肉は貴重な保存食。それもトナカイやウサギを保存したものばかりだ。最後は魚になってくるのでこんなにぷりぷりした肉はいつぶりだろう。白い小麦を使ったものだって、もしかしたら初めてだ。
「――ごちそうさま、美味しかった」
ラングが言い、どういたしまして、とツカサが言い含めるように返す。キスクも同じ言葉を倣って使い、ツカサから同じ言葉が返ってくる。
「キスク、美味しかった? おなかいっぱいになった?」
「あぁ、いや、もう、そりゃ本当に美味かった。あんたの分まですまない。あんた、いや、ツカサは料理が上手いんだな。それに、その、食材がな、すごいな」
「そうでしょ? 俺はね、ちょっと特殊なんだ。食材をたくさん【不思議な力】で抱えてるんだ。だからね、こういう食事がいつも作れるんだよ」
おぉ、とキスクは身を乗り出して目を輝かせた。もしかしたら自分もできるのだろうかという期待に笑顔にもなる。ツカサは少しだけ申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「これは本当に、本当に特殊だからね、キスクには難しいと思う」
「そ、そうか」
「でもね、キスク」
うん? と顔を上げればツカサの顔が優しく微笑んでいた。
「キスクがいい子で、俺たちにちゃんと協力してくれるなら、旅の間、こういうご飯がいっぱい食べられるよ」
ごくっ、と鳴ったキスクの喉。ツカサは胃袋を掴んだことに満足気に目を細めた。
いつも旅路にお付き合いいただきありがとうございます。
きりしまのよもやま話。
きりしま、【処刑人と行く異世界冒険譚】を書く傍ら、別の長編を書いたり、いろいろとよそ見をしながら全部進めているのですが、やはり【処刑人と行く異世界冒険譚】に付随する作品の筆の乗りが違います。
リーマスの話であったり諸々。
リーマスに関してはいっそのこと1~2章書き上げてから一気に出したいなと思うくらいの密度なので、恐らく出すのは随分先でしょうけれど、ご興味があれば記憶の片隅にでも置いておいてください。
腱鞘炎もだいぶよくなってきました。日によって痛いのが右か、左か、というように絶妙にランダム性を持っていますが、ペットボトルが持てるようになったのは進歩と言えます。
引き続き体を労わりながら更新します。ペースが落ちていても行方不明にはなりませんので、どうぞゆっくりと旅路にお付き合いください。
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