2-26:フォルマテオの街 出発
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七日間、密度の高い毎日を過ごした。情報収集と今後どのようにして移動するか。ツカサの力をどう隠すか、それは左頬の紋様の件もそうだった。
フォルマテオの街に滞在中、一度だけ頬に紋様が浮かび上がり、ツカサは慌てて首に巻くマフラーのようなものを購入した。今まで手に入れた毛皮や魔獣素材でそうしたものを作っておけばよかった。ゴワゴワした感触は首や顔が痒くなる。加工をフォルマテオの街で依頼しようと考えもしたが、皮を鞣し、加工し、とすると、物と人によりひと月は優に掛かるらしい。折を見ての対応になった。
紋様が出たということは黒い命が近くに居るということだ。ムズムズする感覚を辿った先は街のはずれ、手入れのされていない辺りにそれは居た。聖教国の北東支部というほどだ、街の民に対し手厚い対応をされているかと思っていたのだがそうではなかったらしい。みすぼらしい格好をして、手足は骨のようになり、内臓だけがぷっくりと見える餓鬼のような姿で子供が並んで横たわり、死んでいた。そこで黒いものはお互いの手を取って、じっと揺蕩っていた。
死んだこともわからずにただここで空腹に耐え続ける姿に涙が出そうだった。他者を哀れむそれもまたツカサのエゴだ。ラングは何も言わずに双剣で一思いにそれを斬り払った。ツカサは葬送の儀を行い、二つの命を光に変えて自分の胸へ誘う。これだけの大きな街だ。毎日人が死んでいてもおかしくはない。だというのに、この二つの命にしか辿り着けなかった。
ツカサは、この違和感をよく覚えておこうと思った。
フォルマテオの街の南門を出て、途中の分かれ道を東に折れて山脈を目指す。
組合で相談したところ、持っていなかった四分の三の地図を手に入れることができ、最初に持っていたのが北東の切り取りだったことがわかった。四枚を並べると中央部分がひし形に穴が開いている。ここがフォートルアレワシェナ聖教国の本当の首都なのだろう。地図に描かれないのは、描くことすら不敬だからなのだ。
これから目指す山脈は南東の方角にあるという。宗教国家の怖さもわからないため、早いところ山脈を越え、ドルワフロの一族の方へ行ってしまいたい。そこも属国ではあるそうだがこれからの季節は雪が深く、好んでいく旅人も教徒も少ないらしい。【理の女神様】について調べるにしても、多少、目のないところの方がやりやすい。
もちろん、教徒や目が届いていないからこそ、情報が少ない可能性もある。シュンが本当に【理の神の座】に収まっているのか、不思議な力を持つ者が教皇の座についているのならばその力の正体は何か、気になることは多い。けれどツカサは目的を履き違えてはいなかった。
ツカサが果たすべきは、ラングを守ることなのだ。
単独行動を取りがちで何も言わずにどこかに消え、情報を持ってくるような人だ。いっそ、情報を得たいと思うような環境から離れる方がいい気がしていた。そういった観点でもラングがツカサの気持ちを優先してくれたことは有難かった。それに、嬉しかった。
旅支度はこれから寒くなるということもあり、特に疑われることもなく済ませられた。ジェキアへの旅路、補給の街ダイムで準備をした時と同じようなものだ。厚手のマントにシャツ、靴下に下着といった感じだ。ラングは革袋を取り出して着替えを入れていたが、フォルマテオの街を出て人目がなくなったところで肩に引っ掛けてあったそれをスッと空間収納に回収すれば口元が歪んでいた。
『頼んでいない』
『頼まれる前にやっただけ』
ツカサがあまりにも自信満々に胸を張ったからか、ラングは呆れて物を言う気力が失せたらしい。
さて、道中の方針だ。基本的に街は通らない。ツカサの持つ食料と、時折森の中に入って作る薪で火を持たせる。雪深い地域に行くのならば薪は売れるだろうという目論見もあった。
山脈の目前には一つ交易都市があるらしいのでそこで情報を入手し、洞窟に備えることになった。ラングは洞窟というものが恐ろしいのだと言った。
『誰かが掘り進めて、誰かが通っているのならば、経路は示されているだろうが得意ではない』
『ラングにもそういう場所があるんだね。どうして得意じゃないの?』
『最悪、生き埋めになるからだ』
映画のワンシーンを思い出した。洞窟や坑道で足元が崩れ落ちたり、滑落したり、天井が、ということだろう。そういえば、一度埋められたことはあるが二度と御免だ、と言っていた気がする。
『大丈夫だよ、俺が魔法でどうにかするから』
『それに頼りきりなのもどうかと思う』
有用だが万能ではない。どこまで信頼すればいいのかラングはまだ測りかねているらしい。無理に、信じて、大丈夫、と言葉を重ねるよりは、実際に役に立つところをもっと見せた方がいいだろう。ツカサはそうして見せられ、結果を提示されて信頼を築いた。
フォルマテオの街を出て二日目、精霊に出会った。ツカサの頬に紋様が浮かびあがり、ここでもムズムズ感を辿ったところ、黒いものに浸食されている大きな牡鹿を見つけた。首まで黒ずんで美しかっただろう毛皮は消し炭のような状態になっていた。この世界の精霊は動物の姿を象っているのだなと思い、そっと声を掛けた。牡鹿はもはや立ち上がることもできず、ただここで朽ちてゆくのだと言った。
「せめて哀れな魂たちを、我が消滅と共に無に帰すつもりだ」
命を守ることがまさか消滅だとは思いもしなかった。牡鹿が乗っ取られた場合、それはまた命を奪う存在と化す。そうしないために自らの命を懸けて抱え込んだ魂を消滅させるらしい。
大猪も馬も、もしかしたらそうするつもりだったのかもしれない。だが、死ぬことは誰だって怖い。あとに何も残らないという恐怖をツカサは想像できた。まさしく今の自分なのだ。牡鹿がこの後、消滅を恐れて乗っ取られたとしても責めることは誰にもできないだろう。ツカサはふと嫌な予感がしていた。
ツカサは大虎、エントゥケの体に守られた魂を誘った話をし、よければ手を貸したいと言った。牡鹿は人に何ができる、と鼻で笑っていたが、もはや朽ちる身、好きにせよ、と長いまつ毛を伏せた。
ラングは相変わらず容赦がなかった。大虎よりは小さく人よりは遥かに大きな牡鹿の胴にぶっつりと剣を刺し込んだ。悲痛な鳴き声が響き、さすがにもう少し労わってあげてほしいと言えば、言葉を合わせてもこない奴に払う敬意はない、とはっきりと言われ、ツカサはあとで話し合おうと決めた。
ラングの剣先からぶわりと黒い命が大虎の時と同じように円を描いて周囲を飛び回った。ツカサは感ずるものを胸の前で騎士剣のように構え、セルクスから教わった言葉を口にした。
『旅人よ、今ひと時の安息の眠り、揺れる舟の揺り籠でその身を癒すがよい。水の流れは時の流れ、喉を潤し、渇きを癒し、焼けた骨の熱を冷ますだろう。その眼が、再び世界を見るその時まで、静かな水辺で旅人に微睡を与えん。おやすみ』
今度はラングの世界の言葉で。言語に関係はないらしく、黒い塵が剥がれ落ち、きらきらとした光の粒に変わった命がツカサの中へ誘われる。牡鹿はその光景に言葉を失っていて、全ての命がすぅっと消えた後も暫く空を眺め続けていた。
「なんと……、人の身で斯様なことが……」
『時の死神から渡されたんだ』
なんと、と牡鹿は再び言葉を失っていた。ラングが剣を抜けば血は出ないが痛かったらしく牡鹿がまた悲鳴を上げた。理の属性に魔法、魔導は合わないのはわかっていたので、そっと癒しの泉エリアの水を差し出した。するとどうだろう、牡鹿の態度は一変した。
『おぉ貴殿は理の使者であったか……! 感謝するぞ!』
『いや、そういうのではないんだけど。とりあえず飲んでもらって、傷を治したら少し話を聞かせてほしいな』
差し出した癒しの泉エリアの水はきれいになくなり、牡鹿はすっくと立ち上がった。総身をぶるぶると揺らして短い尾っぽの先まであった焦げを落とすと、見事な茶色い毛皮がつやつやと輝いた。かっぽかっぽと嬉しそうに飛び回った後、こちらに顔を摺り寄せようとしたのはわかるが立派な角が目を突きそうになって恐怖を感じて身を引いた。同じような危険性を感じたらしいラングが腕を差し込んで牡鹿の顔を押しやり、貴様、と牡鹿とラングが睨み合う。本来、牡鹿が敬意を払うべきはラングなのだが大虎と違い随分物分かりの悪い態度だ。ツカサが魔力を持っていることがわからないのだろうか。先ほどまでの状態では感覚が鈍るのだろうか。
大虎が如何に敬意と礼儀を持って、理にも魔力にも差をつけず、ツカサとラングに接していたかがわかった。
ツカサは不思議に思っていたことを尋ねた。なぜ、時の死神の紋様は反応したり、しなかったりするのか。もしわかれば教えてほしい、と。牡鹿は立派な角を揺らした。
『わからぬ。我は森の主である。人の呼ぶフォルマテオの近隣の森、小さな庭の管理者である。我が知るのは森のことと、ここに生きるもののことだけである』
『このへんの土地神さんは?』
『わからぬ。随分前からお姿が見えなくなった。我が耐えていたのだ、あの御方ならばと思うが、その分、お抱えになった命は大きなものだ』
『つまり、人の命というわけか』
ラングが言えば、牡鹿はふんと鼻を鳴らした。それに舌打ちを返すラングと牡鹿の間に入り込み、ツカサは咳払いをした。
『とにかく、無事でよかった。俺たちは先を急ぐからもう行くね』
『行ってしまうのか』
『土地神さんにも話を聞きたかったけど、どこにいるかわからないんでしょ? じゃあ、先に進むしか』
大虎のようにせめてこちらに来てくれれば場所もわかるものの、ツカサには感じられず、牡鹿もわからないらしい。それを闇雲に探すだけの時間と労力をかけることに迷いが浮かんだ。命を抱え込み他者を傷つけないように守る彼らから命を預かるのはいい。だが、それがどういった結果に繋がるのだろう。
「ただでさえ、俺、一度人間をやめかけてるんだ」
『どうした?』
日本語で呟いた一言にラングが声を掛けてきた。なんでも、と笑顔を見せ、ツカサは牡鹿を振り返った。
『俺が救えるのはこの手の届くところまで。悪いけど、どう探せばいいのかもわからないから、ごめん』
『ううむ、致し方なし。そもそも人に委ねることが間違いである。しかし礼はしたい、良ければこの背に乗せて進ぜよう』
また顔が寄せられて角がぶつかりそうになった。人と触れ合わない精霊の距離感が怖い。再びラングが前に出て睨み合った。シールドなので表情は見えないが、じっと睨みつけているように思えたのでそう書く。移動速度が上がるのは嬉しいが、牡鹿がこの状態でラングをその背に乗せるとも思えず、頭が痛くなった。ラングははっきりと言った。
『断る。どうせ、そのまま連れ去って、あちらこちらの黒いものの対処をさせようという魂胆だろう』
『まさかそんな』
沈黙。精霊、嘘が吐けないらしい。ツカサはそっとラングの背に隠れ、マントを掴んだ。自分の方が身長も高いし魔法を使えばどうにかなるだろう。けれど、こういう時のラングの背中は本当に頼もしい。
『立ち去れ。礼をというのならば、今すぐここから、即刻、消えろ』
『その人の子がいれば我らは救われるのだ』
『人に委ねることが間違いなのだろう。何度でもこの刃をその首へ叩き込み、次は落とす』
すら、と双剣が抜かれ、牡鹿は前足を振り上げ、角を振り回し、苛立たし気にひと鳴きすると森の奥へと駆けていった。ざぁ、と風が流れ葉が少しだけ音を立て、ラングは双剣を収めた。ツカサはぐったりと膝に手を置き脱力をした。
『大虎さんが如何に話の分かる相手だったかっていうのを痛感した』
『私たちと存在が違うと言っていただろう。分かり合うことなど無理だ』
将来、あなた、精霊とお友達なんですけど、とツカサは胸中で呟いた。
いつも旅路にお付き合いいただきありがとうございます。
きりしまのよもやま話。
お食事中の方には事前に謝っておきます。
きりしま、お猫様の下僕をさせていただいているのですが、よし、ちょっとゲームでもするか、と電源を入れるとそれを待っていたかのようにお猫様がおトイレに入られます。
あらあら、偉いですね、さすがです、と言いながらお片づけをさせていただくのですが、お猫様、絶対狙っているよな、と思うわけです。
これはきりしまがお猫様を優先するかどうか、試されているのだろうか。
ベッドだって7割お猫様にお譲りしているというのに、これ以上何が足らないというのです。
そしておしりトントン顎の下ちょこちょこ背中なでなで耳むにむに、左手ではだめなのでしょうか。右手は今、勘弁願いたい。腱鞘炎が……!
面白い、続きが読みたい、頑張れ、と思っていただけたら★★★★★やリアクションをいただけると励みになります。
1巻書影(挿絵もいいぞ)




