2-20:空を駆けて
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ツカサは理の神の代替わりがどのように行われるものかも知らない。そもそもそれがあるのかも知らない。
知らないこと、わからないことだらけだ。神ではないのだから当然、けれど、そうかもしれないと思うと思考がそちらに引きずられてしまう。セルクスがそうしてシュンを相手取ったのだとしたら、あの怪我の理由の裏付けにもなる。世界にいくつも分身を置いたことにも理由は欲しいが、そこまでは謎を紐解けなかった。
ツカサとラングはいくつかの考えを抱いたまま、明確な答えを言わず、現・理の神に対して不快感を示す大虎の態度から推測するしかなかった。結局これといった結論はなく、注意しておこう、に留まったのも無理はない。
もう一つ、ツカサは相手が会話のできる者で、かつ助けた者である優位性から世界を渡るための遺跡について尋ねた。
『【精霊の道】のことか。【異邦の旅人】であるおぬしらには必要なものであろう』
『どこにあるんだろう?』
『告げられぬ』
大虎からの秘匿に目を丸くしてしまった。それもまた理の制約というのだろうか。ツカサが困った顔をしていると大虎は罪悪感に苛まれたのか、ンンン、と低く喉を鳴らした。
『人が探し求め、自らの足で進み、その手で得るものなのだ。伝えてやりたいのだがな、また成れの果ての命をこの身に集め、守らねばならぬ役割があればこそ、制約を課されるわけにはいかぬ』
『また集めるの?』
『まだ人が生きておるのでな』
優しく言われ、ツカサはそれを止めることも口を出すこともできなかった。ラングはツカサと大虎を眺めた後、尋ねた。
『どのくらいの数を抱えられるんだ?』
『ざっと五千ほどだ。抱え込むのも初めてではあったが、まぁ苦しいものよ』
『期間は』
『守る土地は狭くとも、大きな戦もあったのでな、ここ二百年ほどか』
え、とツカサは顔を上げた。
『待って、それはおかしいよ、だってセルクスが魂を誘えなくなったのはここひと月のはず。二百年って……』
『時の死神を最後に見たのは、二百年より前である』
どういうことだ。ツカサはまた左頬に触れ、混乱を極めた頭の中を整理しようと努めた。ラングはツカサの代わり紙に今聞いた話を書き込み、大虎を見上げた。
『その【精霊の道】とやら、こいつをこの世界に留まらせるために言わないのではないだろうな』
『断じてそうではない。言葉を重ねたところで、我とおぬしらは存在が違う。誓ったところで意味もなさぬ。だが嘘は吐いておらぬ』
『それもまた信用ならないが、尋ね続けたところで意味がないことは理解した』
ラングは目をぐるぐる回しているツカサの肩を叩き正気に戻すと立ち上がった。
『ならば探すしかない。立て』
『あ、うん、そうだね……』
よろりと立ち上がり、ツカサは自身の両頬をバチンッと叩いて深呼吸をした。移動しながらでも多少、宿に行けばしっかりと思案はできる。もっと情報収集をして考えられる幅を広げたかった。今の話だけでも頭は痛いが、情報があればもっと視野を広げられるはずだ。帰るための遺跡、【精霊の道】というものも、そうすることで不可思議な事象の多い場所を探せるだろう。
大虎はぬっと立ち上がり、ツカサとラングの周囲を足取り軽く歩き回った。
『体が軽い。礼にもならぬだろうが、フォルマテオの街の近くまで我が運んでやろう。乗るがよい【異邦の旅人】よ』
どす、と再び伏せの姿勢で大虎は背へ促し、ツカサはラングを見遣った。正直とても乗ってみたい。風にたなびく緑の鬣も、さらさらと揺れるような毛皮も、触り心地が良さそうなのだ。うずうずと目を輝かせるツカサに、ラングは小さな溜息をついてからシールドを揺らし、大虎を指した。
ツカサはいそいそと、大虎が首を下げてくれたので前足を足場にさせてもらい、腕を、肩をよじ登って首の後ろに跨った。ラングはふわりとその後ろに乗った。ツカサは手を滑らせて毛皮を堪能し、ふわふわ、まるでシルクのような滑らかさにわぁと声が出た。体の大きさからは想像もつかないほどきめ細かな毛皮はばふりと抱き着くととろけそうだった。ふかふかと頬を受け止める感触に顔がにやける。
『ペット禁止のマンションだったから、ペットを飼えなかったんだよね』
『ふはは、我を愛玩動物扱いか! おぬしも豪胆だのぅ! よいよい、しかと掴まっておれ!』
大虎が立ち上がり、ぐぅっと前傾姿勢になった。毛皮にしっかりと腕を入れ、掴み、ツカサとラングは振り落とされないように構えた。ざわざわと木々が揺れるような音が響き、神殿の様相が変わっていく。金細工を纏った扉が現れ、ギィィ、と音を立ててひとりでに開いていく。それが開ききればその先は淡く緑に輝く美しい光が広がっていた。
『さぁ、駆けるぞ!』
大虎が浮かれた様子で声を上げ、地面を蹴った。扉を潜る際、ぶわぁっと顔を森の風が叩き、ツカサは体を起こして景色に笑顔を浮かべた。葉を引き連れた淡い緑の光が空に道を描いていて、大虎はそこを駆けていた。濃い緑色の森が下に広がり、やや紫に染まり始めた夕方の空と微かな星が出迎えてくれた。顔を撫でて通る風も気持ちよくて思わず腕を広げて受け止めれば、体勢がぐらついてラングに首根っこを掴んで戻された。毛皮に再び腕を差し込んで掴み直し、周囲を見渡す。感動がツカサの胸を駆け巡っていた。空を落ちたことも飛んだこともあるが、駆けるのは初めてだ。
遠くまで空が広がっている。森の緑が続き、その先に山々の茶色いと灰色の岩肌が見える。眠りゆく太陽の残滓が赤く鈍い光でツカサとラングを照らしていた。
もう一度感嘆の声を上げ、首を巡らせ、ツカサは世界の美しさを再び噛みしめた。
『すごい! ラング、見て! ファトアがすごい勢いで小さくなってく!』
『あぁ、すごいな。これは……なかなかできない経験だ』
背後でラングが周囲を見渡しているのもわかった。すごい、とまた小さな声で囁く声に、ツカサは嬉しくなった。大虎もまたご機嫌だった。
『もう少し速さをあげるとしよう』
掴まっておれ、と言いながら大虎は急降下したり大きくジャンプをしたり、ツカサを楽しませてくれた。ラングは小さく唸り、ツカサと違いジェットコースターを楽しむことはできなかったようだった。
降りる時は森が開いて障害物もなく柔らかな着地だった。ラングはするりと降りてマントを整え、シールドの縁を撫でていた。ツカサは滑り台を降りるように大虎の肩を降りて、振り返り笑顔を浮かべた。
『ありがとう、楽しかった!』
『恐れ多いとも思わぬその楽しめる心、気に入ったぞ』
頭突きをするように大虎がツカサへ顔を当て、そのふわふわとした顎の下へ腕を差し込んで撫でさせてもらった。ラングは双剣に肘を置いてそれを眺めるだけだ。さて、と大虎が威厳を取り戻して胸を張った。
『我のいた土地はまだ狭く、人も少ない方であった。ゆえに我は間に合った。だが、努々忘れることなかれ、我のような土地神、精霊だけではない。ツカサの素直さが心を開かせることもあれば、ラングの警戒もまたおぬしらを救うだろう』
既に体を奪われたものもいるだろう。好意的に接してくれるものだけではないだろう。ツカサは姿勢を正し、忠告を刻み込んだ。大虎は別れの言葉を言わず、そのまま踵を返し、あの不思議な森の中の道を戻っていった。残された二人はそれを暫く見送った後、顔を見合わせた。
『すごく楽に移動できちゃったね』
『そうだな』
見上げた葉の隙間から遠くに見えているフォルマテオの街の建造物。城郭外から見上げているのに月光で浮かび上がる尖塔。教会の屋根だろう。大きな街の中でひときわ目立つように建てられているそれは権力の象徴であり、信仰の証だ。
ラングが森の中を先導し始めた。大虎の背に居る間に方角を把握、人の気配を探り、街道がどちらにあるのかを踏まえた上での行動開始。ツカサは魔獣避けのランタンを取り出し、日の落ちた森の中を歩いていった。
街道に出る前にラングの指示で魔獣避けのランタンを消し、空間収納へ。ラングが呪い品ではなく、蝋燭を用いるものを取り出して火種をツカサに求めた。ぽ、と火が灯れば足元も照らしきれていないが、ここにいるのだとわかる程度の明かりにはなった。ツカサはラングのマントを掴ませてもらい、街道を進んだ。
また暫く行けば門に辿り着いた。大きな門だ。篝火で燻されたような色合いが照り、打ち付けられた鉄材が支え、乾燥し密度の増した木製の門は、長くここを守っている証だ。今は人が一人通れるほどの隙間しか開いていない。荷物を抱えた人々や商人らしき者たちが検閲を受けており、二人もその列に並んだ。順番がくれば篝火と松明で人相と格好を確認され、門兵はラングのシールドに眉を顰め、その中を覗こうと松明を寄せた。ツカサがその間に手を差し込んだ。
「ちょっと、危ないよ。兄さんが火傷するだろ」
「兄さん? 兄弟か? その格好はなんだ」
「俺たち旅芸人、大道芸人なんだ。兄さんの格好、目立っていいでしょ?」
大道芸、という単語はわかったのか、ラングは手をくるりとひっくり返しながらわざとらしい礼を取り、門兵へ首を傾げた。柔軟な対応をしてくれてホッとした。門兵は顔を見合わせて身分証を求め、ここでは冒険者証を差し出す。
「大道芸人とは言うが、いったいなんの芸を見せるんだ?」
冒険者証を返されながら問われ、ツカサは腰のショートソードを見せながら笑顔で言った。
「剣舞とか、ナイフ投げとか。兄さんの気が向けばだけど」
気難しい人でさ、と苦笑を浮かべれば、門兵も釣られて同じ顔を浮かべていた。見かけたら覗いてやるよ、と肩を叩かれ入門料を支払い門の中へ入った。やけにあっさりだなと思ったものの、変に引き留められるよりはましか。ツカサは先導するふりをしてラングのマントを掴み直した。
フォルマテオの街は大きな街だった。門をくぐり、そこから石造りのトンネルを五メートルはゆうに歩いてようやく城郭を抜けた。石と漆喰の壁と防腐剤か何かを塗られ黒く染まった木材。それに明るい色合いのオレンジの屋根と、夜ながら綺麗な街並みだった。大通りは広く、面した家々の窓はお洒落で窓ガラスを使われている家もあった。そうした家から零れた灯りで暗闇が照らされ、ぼんやりと見える感じだ。ラングのランタンはこの明かりの中では少し暗い。マジックアイテムのなさがこの暗さであるのならば、やはり火は文明、あれは魔法が溢れていたのだと思った。少し懐かしさに目を細めていればラングの視線を感じ、ツカサはにこりと笑った。
『宿を探そうか』
『あぁ、少し情報も整理したい』
『だね、次は腰を据えて調べられるといいけど』
ファトアは結局、一日も休まずに出る羽目になった。大虎との出会いもあっていくつかの情報は仕入れているが、この世界の理の神がどうなったのか、本当にシュンなのか、パズルのピースを少しでも集めたい。宿はどこでもいいかと問われ、ツカサは頷き、先導するラングに任せた。
ラングはいくつかの宿の外構えを見遣り、扉の閉まっている宿を選んだ。これから休む人々が宿を選ぶ書き入れ時、どの宿も扉を開いて泊り客を呼び込む中、わざわざ扉を閉めている宿を選ぶ。入りにくさと受付の様子がわからないのでツカサなら選ばない宿だ。扉を開けば外の喧騒が少し遠くなったような気がした。
「いらっしゃい」
不機嫌そうな店主が受付で台帳を眺めており、ラングはその前に立った。
「七日、泊まりたい」
教えたことを早速実践している。ツカサもその隣に並んでフォローはできるように立った。黒い仮面の男の隣にのほほんとした青年が立てば多少怪しさは軽減するのか、店主は訝しみながらも台帳の空いているところを開いた。
「二人かい? 七日な、わかった。飯はどうする」
「朝ごはんは宿で食べたいな」
ラングの視線を受けてツカサが答える。朝食付き、と書かれ、店主から台帳と羽ペンを差し出され、ツカサが名前を書き込んだ。料金表があり、一人一泊二千ティル、朝食五百ティル、それが二人分で七日間。ツカサはえっと、と計算し、半月形銀貨を一枚、満月形銀貨を三枚支払った。七日朝食付きで三万五千ティル。やはりこの世界、物価が安い。
金額を確認し、ん、と不愛想に店主は鍵を差し出し、ツカサが受け取った。
「上がって右手、すぐの部屋だ」
「ありがとう」
階段はギシギシと軋みはするものの中の骨組みは太いのだろう。板が抜けるような不安感はない。二階に上がれば数は少ないが蝋燭がきちんと灯っていて配慮はされている。指定された扉を開き、二人で中に入った。
木に布を敷かれただけのベッド。上掛けにするための布も畳んで置いてある丁寧さ。小さな暖炉があるのでちょっとした明かりと暖はそこから取れるだろう。窓は二つ、今は開いていてそこから外を覗いた。微かな明かりを手に夕食を探し求めている人々の喧騒と、店や家庭から漂う料理の匂いに鼻がひくつく。木製の窓は閉めれば真っ暗だが、あとでトーチやランタンを使うならその方がいい。振り返って、テーブルと椅子が二つ。そこにぽつんと置かれた一輪の花。店主の態度からは想像もつかないほど手入れの行き届いた部屋だ。
部屋のチェックをしている間それを好きにさせて待っていたラングをツカサは振り返り尋ねた。
『良い宿かも。どうして選んだの?』
『臭くなかった』
あの人混みの中で嗅覚を使って探したというのか。犬みたいだね、といえばまた怒らせるだろうと思い、ツカサはすごいね、と一言だけ返した。
いつも旅路にお付き合いいただきありがとうございます。
最近恒例になりつつあるよもやま話です。
きりしま、食べ歩きが好きなのですがこの猛暑でなかなか外に出る気になれず、少々悔しい思いをしました。
もう少し涼しくなったらいろいろ食べ歩きたいなと考えています。
問題はきりしまが極度の方向音痴だということです。だいたい一回では辿り着けないので、食べに行きたいお店に行く前にまずは経路の下見というものが必要になります。
飛行機や新幹線で行く先は必ず友人を頼っています。驚くほど目的地に着かないと定評があるんです。
迷子にならない原理は知っているはずなんですけれど、不思議なこともあるものですね。
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