2-14:【若人】
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案外、道中は平和だった。街道を足早に行き、逃げた人々の気配を察知して森に入り、それも迂回するように進んだ。夜になれば魔法障壁を張り、木々に布を張って夜露や虫を防ぎ、毛皮を敷いて座り、温かいスープを作った。テントもあるのだが、森の中は狭すぎて出すことができなかった。ラングにテントの有無を尋ねたところ、無い、と答えがあったので、あれはもっと後になって手に入れたものらしい。
そもそも、ラングは隣町への荷運びを引き受けた帰りに事態に遭遇したのであって、長距離、長期間の移動を見込んでいなかったという。ゆえに、食料や水に不安があった。ツカサが水を用意できる、食料を潤沢に持っていることに申し訳ないが安堵した、と素直な感想があった。
焚火の明かりではツカサには暗く、魔獣避けのランタンで光源を確保しながら隣に並んで言語の勉強。パチパチと弾ける焚火の薪を時折足しながら、ハーブティーで喉を潤しながら、これは、あれは、と尋ねるラングにツカサは根気強く付き合った。何があるかわからない今、ラングに一人でも行動できるだけの言語力を持ってもらうのは、守ることに直結するのだ。
『文法の説明はしないんだな』
『あはは、普通に使えちゃってるから、説明ができないっていうか……』
英語の成績だって良くなかったのに【変換】で話せている言語の文法説明などできるわけがない。【変換】がなかったらどうなっていたのか。ツカサは頬を掻いて話題を誤魔化した。
『ラングはさ、結構いろんな言語覚えてるって言ってたけど、どうしてそんなに勉強したの?』
ふむ、とまだ若い、少し背伸びをしたような音を出してからラングはツカサへシールドを向けた。
『お前にとって言語とはなんだ?』
『うわぁ、質問に質問で返すと怒る癖に』
『会話の一部だ』
ゆるりと肩を竦められ、ツカサは少し笑ってから考え、答えた。
『言語とは、と言われると難しいなぁ。意思疎通、コミュニケーションツール? 伝わらないと買い物も面倒だし。そういう感じかも』
『同じことだ。私にとって言語とは、相手が敵であるか、味方であるかどうかを測るための手段だ』
また物騒な。けれど、その意図を知りたくて、うん、と相槌を打った。
『少し話の幅を広げるが、たとえば、握手。多くはそれが友好を示すための手段ではあるが、決闘の申し込みである国もある』
『あー、右手と左手でも意味合いが違うとか、なんとなくわかる』
『胸に手を当て、礼を示す場合、それが絶対服従の証である国もあれば、拒否を示す意味を持つ国もある』
ふと、言葉をわからないということを敢えて見せ、それでも真摯に対応していたラングの行動の意味を知った気がした。要は【あなたとは文化が違います】というのを言葉にせず、伝えていたのだろう。そこまで考えてのあの旅路の対応だとするならば、【ラング】に見えていた視野の広さに舌を巻く。そして、その礎の一端を今、垣間見ているのか。ツカサは深く頷きながら続きを促した。
『言語とは、言葉とは、相手に正しく自分のことを伝える手段であり、相手のことを理解する手段だ。相違があるのならば、理解ができるまで言葉を重ねればいい。もちろん、それが難しい相手もいるし、言葉を重ねた結果、道を違えることもある。だが、知っていれば無駄な争いは避けられる』
『だからラングはちゃんと言語を勉強するんだね』
『お前ともそうだ。言葉が通じなければ今こうしていない』
『ごもっとも』
あの複雑な事情をカタコトで伝えられる気もしなければ、ラングに自分の有用性を伝えることも難しかった。今受けた話を、うーん、としみじみ噛みしめ、ハーブティーを啜っていれば、ラングは低い声でぼそりと言った。
『昔、言語を学んでいる際、とにかく話して覚える方が良いと言われて素直に従っていたら、酷い目に遭った』
なぜ必死なのか、と問いかけたことへの答えだろうか。ツカサは喉を潤し、もう一度コップに唇を近づけながら尋ねた。
『話して覚えるって大事だと思うけど、何があったの?』
『羅列された単語と、教えられた文に偏りがすごかったらしい。教えてくれていた他国の女冒険者に襲われた』
飲もうとしていたハーブティーを噴いた。隣から舌打ちが聞こえ、ごめん、と謝る。
『な、なるほど、だからラングは自分から【言いたいこと】とか【話したいこと】を例に挙げて、俺に通訳させて覚えていってるんだ』
『そうだ』
ツカサはそうっと不機嫌そうな口元をしているラングの顔を覗き込んだ。
『……ど、どうなったの? それ』
『蹴り飛ばした』
相手が女性であっても容赦がない。その後、ラングが教わっていた単語と文を他の意味をわかる者に見てもらい、かなり独断と偏見だったことがわかり、女冒険者は街から追い出され、手配したギルド職員は叱られたらしい。師匠にも散々揶揄われ、玩具にされ、ラングは屈辱を味わったという。しかしながら、確認を怠った師匠自身もまたギルドマスターからの拳骨付きのお説教があったそうだ。そういう苦い経験が、こうした堅実な勉強姿勢を作ったのだと思い、憐れみと尊敬と堪えきれない笑みが複雑にツカサの表情に現れていた。手にした手記でラングはツカサの頭をパシリと叩いた。魔法障壁があって痛みはないが、驚きはする。
『ちょっと! 暴力反対!』
『お前がニヤニヤしているからだ。腹立たしい』
『話したのはラングでしょ!』
ッチ、と舌打ちの後、ラングはツカサの隣から焚火を挟んで向こう側に座り直し、別の手記、恐らく日記を開いて何かを書き始めた。ツカサは焚火からポットを取ってコップに湯を足しながら、揶揄うように言った。
『俺の悪口書かないでよね』
返事はなかった。
街に居ない方が食事が自由にできるというのも、旅慣れした冒険者二人だからである。ツカサの空間収納には毎日三食きちんと食べたとしても無くならないほど潤沢な食料があり、クズ魔石なども転がっているので火にも困らない。最悪、薪がなくなれば魔法で木を倒し、風魔法で乾燥させ、とかなり応用も利く。人が居ないのをいいことに、薪の補充は手早く行われた。ラングはそうした魔法に毎回いろいろと考え込んでいたようだが、事前に原理を説明できないと釘を刺していたことが功を奏し、ツカサは質問攻めには遭わずに済んでいた。
ラングが少し高い木に登り周囲を確認するのも恒例になった頃、今回もばさりと降りてきた緑の影が言った。
『街が見えた。ファトアだろう』
『ジュールの街を出てから四日かぁ、結構森の中遠回りしたもんね』
地図を開き、二人で覗き込む。ファトアの街から南東を目指せばフォルマテオ。それなりに大きな石の城郭をぐるりと回り込む必要があり、それだけでも半日から一日は掛かりそうだ。
『一つ問題がある。地図には記載がなかったが、どうやら東西に伸ばすように、壁を造っているようだ』
どういうことかと問えば、ラングは手記を開き、ファトアの街を丸で描いた後、左右に横棒を追加した。南北を分けるためか、ここをラインにしてあの黒い溶けたものを南にやらないためか、様々な理由は思いつく。
『それに伴い、木々が伐採されている』
『隠れる場所も減って、遠回りしようとするとその作業現場を迂回するために、もっと時間が掛かるってことだよね』
『そうだ。迂回はしたが、移動自体は早かった。今街道に出たとして、遭遇することはないと思う』
それはあの広場で蜘蛛の子を散らすように逃げた人々のことだ。彼らはホーヴニルの姿を見ていない。単純にツカサとラングが武器を手にしていたので追い剥ぎだと思われた可能性と、それを通報された際の面倒事を懸念している。轟音がとどろいたことは彼らの中にどう残っているのかわからなかった。となれば、いつぞやのマブラやアズリア王都と同じだ。敢えて避けて通らない方がいいだろう。門兵の反応がよろしくなければ逃げればいい。
薄曇りの空を見上げ、懐中時計を開く。午後一時過ぎだ。
『街に入って、一日休んで、明日には抜けた方がいいかな』
『同じ考えだ』
そうと決まれば話は早い。街道へ向かってゆっくり戻り、前後、人が途切れたところでするりと混ざる。先を急ぐ人は後ろを振り返らないので助かる。追いつかないように距離を開けて歩きながら、ツカサは隣のラングへ尋ねた。
『聞いていいかな。マントが装備と技術を隠すためなのは知ってるけど、シールドはどうして外さないの?』
ヴァーレクスとの戦いの際、あれが防具であり武器であることはなんとなく察した。けれど、いつだってそれを着けたままのラングには疑問も抱いていた。
『【兄】は話してくれなかったのか? 問うということは、私の素顔も知らないと見た』
『……一度でも勝てば見せてくれるって言ってた』
『では今の問いに対し、全て黙秘する』
ぐぅとツカサは悔しそうな音を出した。しかし、だ。今の季節がわからないが、マントを羽織っているだけで目立ってしまうこの状態、どうにかしなくてはとも思うのだ。
『それに、その黒いシールド、本当目立つもんね』
素顔の見えない男に興味を抱く者もいるだろう。【ラング】とは違い、まだ立ち居振る舞いも若く、凛然としたものはあるが、威厳は軽い。ラングは鼻から息を抜いて溜息をつき、ツカサに軽くシールドを向けた。
『考えはある。通じるだろうという自負もある』
『何か言い訳あるの?』
『大道芸、という言葉は?』
「大道芸」
通訳し、えっ、と目を見開いた。
『そうであるならば、目立つ格好をしているのも道理だろう』
『いやいや、そうかもしれないけど、ラング、目立っていいの? まさかすぎるでしょ』
『ギルドラー、いや、冒険者の地位が低いのならば、別の手段で地位の確立は考えるべきだ。腕と技術というのは、言葉が通じなくとも相手を説き伏せることがある。魅せる技術というものも存在する。……そういうことは教えていないようだな?』
『……はい』
悔しい。同一人物ではあるのだが、【兄】が教えていないことを責められるのは心底悔しかった。ツカサが未経験からのことだったので、【ラング】は教えきれなかったんだ、と内心でぶつくさ言い、顔を上げた。
『魅せる技術って、たとえば?』
『簡単なのは剣技だ。正しくそれを扱うことができれば、剣舞として成り立つ』
そういえば、ツェイスたちもそれを披露してくれたことがあった。なるほど、と一人納得をしていれば門に辿り着いていて、身分証を求められた。ジュールの街で作ったものを差し出せば、じろじろ見られはしたが止められることもなく、満月形銀貨一枚を入門料として支払い、門をくぐった。
ファトアは、賑やかだが規律を感じられる街だった。くすんだオレンジの屋根は角度があり、冬場、ここでは雪が降るのだろう。横長住居にちょんと出ている数多くの煙突は薄っすらと煙を吐き出して、今まさに何かが作られているのだとわかる。丁寧な石造りの街並みは今歩いている大通りも石畳で、ところどころ凹みはあるが剥き出しの土はない。二階建ての建物の奥で一際高いトンガリ屋根に鐘のついた建物があった。教会だ。
『結構しっかりしてる。ジュールよりはやっぱり、大きくて、ちょっと硬い感じ』
『あぁ、路地裏への道が狭い。道がはっきりしていそうだ』
言われ、ちらりと建物の隙間を覗く。子供でも通り抜けるのがやっと、というほどきつく建てられており、決まった道で行かねば向こう側へ移動するのも難しい。
『この街や国の歴史を知らないが、小競り合いか、戦争が多かったのだろう。これは敵に攻められた際、地形に疎い相手を殺すための造りだ』
『知っていれば通らないけど、知らないから通れる道を来る。それを迎え撃つ、ってこと?』
『そうだ』
『だとすると、移動する道は気をつけなくちゃね』
ほぅ、とラングから感心したような声が零れた。何、と問えば、いや、と肩を竦められた。一先ず、食事と宿を決めたい。それから、黒いものの状況を聞きつつ、明日にはフォルマテオを目指し街を出る。その方針だ。あとは、季節を知りたい。それによっては今後の準備も変わる。
俺も成長したなとツカサは一人胸を張った。
いつも旅路にお付き合いいただきありがとうございます。
きりしまです。
突発思いつき開催にもかかわらず、「ここ好き」「泣けた」や、遡って感想をいただいたりと有り難い限りです、ありがとうございます。
【処刑人と行く異世界冒険譚 このセリフ・シーンが好き・ツボ発表会】にもお付き合いいただき感謝です。
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