2-12:朝靄の中に響く不安
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ようやくぐっすりと眠れた。やはり睡眠は大事だ。体も軽いし、頭もすっきりしている。
ふぁ、とマントの中から腕を伸ばし体を起こせば、相変わらずといえばいいのか、ラングは身支度を整えて装備の確認を行っていた。指ぬきグローブをぎゅっと引きながら確かめる所作がかっこいい。ツカサはどうにもグローブというものがあると、魔法が扱い難く感じて着ける気にならないのだが、人のを見るのは好きだ。ゆるりと緑色のマントが揺れ、シールドがこてりと傾き、起きたのか、と問われる。
『おはよう、今何時?』
『おはよう。先ほど鐘が鳴っていた。六時十五分だ』
鐘に合わせて時計を直したのだろう、ぱちりとラングがそれを開いて伝えてきた。ツカサものそりと起きて懐中時計を空間収納から取り出し、そこに合わせた。教会に忍び込んだ時もそうだが、時計というのは、意外と大事なのだ。しかし、若いのに早起きである。
『おなかすいたな、朝ごはんもうできてるかな』
『まだだ。先ほど井戸を借りに行った際に確認している』
朝の鍛錬などが既に終わっている気配を感じた。腕の鈍りを感じていたところだ、今のラングの正確な実力も把握したい。
『あのさ、ラング、もしよければ一緒に鍛錬とか』
『する必要があるのか?』
はっきりと尋ねられ、ツカサはベッドから立ち上がって体を伸ばした。
『ラングの今の実力も知りたいし、教えてもらったことを見せておきたいなと思ったんだよ』
『測られるのも試されるのも嫌いだ。【私】が教えたことは、日頃の行動で見る』
太い釘を刺された気がした。頑固だなと思いながら、ツカサはテーブルの上に手桶を置いて水を入れ、顔を洗い歯を磨いた。ラングはそれを物珍しそうに眺め、尋ねてきた。
『お前のその魔法という力、私からすれば不思議なものだ。どこまで、何ができるんだ?』
そうか、魔法についてもある程度話しておかなくてはならないだろう。水が出せる、火が出せる、氷、風など見せたものはいくつかあるが、ツカサの持つ力の全容ではない。そういった未知のものを把握しようとする姿勢にもまた安心してしまう。
風呂場の水道管に使った水を流し、ツカサはどうしてそれができるのかは聞かないでほしい、説明ができない、と前置きをしてから話した。
炎、風、水、氷、土、説明が難しかったがいかずちも最近イメージできるようになったこと。この部屋に張っている防音魔法障壁や、マーカー代わりにラングにつけっぱなしにしている物理攻撃を防ぐ目的の魔法障壁。部屋に鍵を掛けるのに使った鍵魔法。それから、治癒魔法。ツカサは自分の腕を短剣で斬り、それを治してみせた。ラングは少し言葉を失い、それがどの程度使えるものなのかを問うてきた。【変換】についてはツカサは事例を見せながら説明したため質問は多くなかったが、今回はこっちか、と思った。
『そもそも怪我をしないのが前提で言うけど、酷いものだと、斬り落とされた腕を頑張ってくっつけたことがあるよ。……やらないでね.。それに、魔法で治すと馴染む馴染まないの問題もあって、有用だけど万能じゃないんだ』
ラングが乱心し、アルの腕を斬り落とし、ツカサが治したことを思い出した。暫しの沈黙。ラングはツカサの言葉をよくよく咀嚼してからシールドを上げた。
『お前は神官なのか?』
『いや、違う、癒し手兼魔導士って呼ばれてるかな。俺、そういえばラングの言う神官を知らないなぁ』
ジュマのダンジョンでロナが瀕死の重傷を負った際、ラングは外に手当てのできる奴がいると言っていた。ミラリスは自身を治したロナを神官殿とも呼んでいた。
その点について問えば、ラングは大変不機嫌な声音で話してくれた。
曰く、金の亡者らしい。ラングの故郷には国教以外に治療院を運営する、ある集団がいるらしい。ヴァロキアやアズリアで国教がありながら、マナリテル教があったようなものだろうか。その集団というのが全ての命の救済を掲げる治療集団で、独自の女神を崇めており、傷を癒せる不思議な力は確かにあるのだという。
『私は世話になったことはないが、お前のように、怪我を治しているのは見たことがある。最初はやらせか何かかと思っていたが、隣で死にかけていた奴の傷が塞がったのを見て、驚いたものだ』
一回の治療で法外な金を取り、救われたければ寄付をしろというようながめつい集団で、大怪我を負い、生きたい、生きていてほしい、そんな人の本能と願いに金で優劣をつけ、振り分ける。けれど、商売としても、技術を売る手法としてもそれは正しいやり方ではあるとラングも思うらしい。ただ、彼らの他者を見下した態度が心底嫌いなのだそうだ。
『自分たちにしか治せない、癒せないを盾に、人を売買し、頭を踏みつけ、靴を舐めさせる連中だ。反吐が出る』
『比喩だよね?』
『事実だ。表向きは救済を謳うが、奴隷商人と変わらない』
ツカサはぎゅうっと目を瞑って天井を仰ぎ、それから元に戻った。
『それはちょっとやだね。でも、だとすると一応、ラングの故郷にも魔法は存在しているのかも。魔法っていう言葉がないから、奇跡、って呼んで、女神を創りあげているんじゃないかな』
冒険の女神がそうであったように、人はそこに偶像を求めるものだ。形のないものよりも、形のあるものの方が信じやすく、縋りやすい。そう考えると冒険の女神は本当によくできていると思う。
『魔法については大体わかった。あとは見て感じ取る』
『うん、できるだけ詠唱するから、詠唱されたものがどういうものかも把握してほしいな』
『わかった、注意しよう』
よかった、留意しよう、と言われたら困るところだった。そんな話をしていればドス、ドス、と階段を上がってくる音がした。次いでドアをノックされ、防音魔法障壁を解く。
「起きてるかい? 朝ごはんだよ」
「はい! 今行きます!」
ツカサが返せばドアの向こうで早起きさんだね、と女将の優しい声がして、また重そうな足音が階下へ戻っていった。
『朝ごはん食べて、行動しよっか。まずは組合だね』
『あぁ、地図が欲しい。場所がわかれば、協力者の下へ行く方法を探すだけ、なのだろう』
『うん、その方法も知らないわけじゃないけど、たくさん情報を詰め込んでる自覚はあるから、一つずつね』
話しながらツカサは寝間着から着替え、灰色のマントを空間収納に入れて準備を終えた。それをじっと眺めていたラングが呟いた。
『私は呪い品があるからその消える現象にも多少の慣れはある。だが、この場所ではどうなのだろうな』
『あー、そうだね、ダンジョンがあるかどうかにもよるし、ちょっと気をつけておこうか』
『その方が良いだろう』
よく気の付く人だ。灰色のマントを取り出し、腕に持った。ツカサが既に慣れてしまっていることが、ラングにとっては慣れではないからこその進言。この場所で何が普通で何が異端なのか、考えられる視点に毎度のことながら頭の下がる思いだ。
ツカサも一つ気になっていることがある。なんとなく、ラングの緑色のマントも、ツカサの灰色のマントも、この場所では目立っていたように思う。周囲を見渡せばマントを羽織る人々はおらず、明らかに浮いていた。先の見えない崖というツカサも知らない崖の上を想像させ、そういう格好なのだろうと相手の理解に任せた逃げ方をしたが、マントを見たのは組合の上階、恐らく、守護騎士と呼ばれた人々だけだ。それを言えば、ラングはむぅっと唸った。
『マントを脱ぎたくはない。シールドも断る』
『ラング、それ自体が武器とか技術を隠す一端だもんね』
『それも【兄】から聞いたのか?』
まぁね、と自慢げに言えば、ラングは小さな溜息をついた。階下、小さな食堂に行けば他の宿客はまだいなかった。テーブルを広く使わせてくれて、野菜が少し入ったスープと硬そうなパンが一人一つ置いてあった。スプーンもなく、木の器のスープと、パンはテーブルに直置きだ。
「おはよう、簡単なもので悪いね」
「おはようございます、ありがとう」
ラングと二人テーブルに着き、いただきます、と手を合わせる。ラングもそれに倣うのは二人が同じ場所から来ていると示すためだ。硬いパンを千切り、スープに浸して食べる。発酵のないパンはぼそぼそとしていてスープに浸してもまだ自己主張が激しい。ごりごりとした潰しきれていない小麦の食感は歯に詰まるような感じがした。スープは塩漬け野菜の影響で少し酸味のあるものだ。以前、ラングから保存食を利用したスープのことを聞いたことがあり、宿はなけなしの食料を使ってくれたのだとわかった。塩味と唾液腺を刺激する酸味。ツカサにとって美味しいとは言い難いが、大事にいただいた。パンも、スープも食べきって器を返し宿を出た。早速情報収集を行うことにしよう。
早朝の街は静かだった。昨夜はなかった白い霧が立ち込め、視界も悪い。生活音はする。朝食の支度などがされているのだろう。だが、朝早い労働者向けの屋台は出ておらず、皆がそっと慎ましやかに家の中で朝を迎えている、そんな雰囲気を感じた。今まで通り過ぎてきた街に比べると違和感がすごい。その空気を探りながら道を行けば、ラングに腕を引かれた。そちらを向き、抗わずについていく。
『隠れるぞ。気配は消せるか?』
『頑張る』
引き込まれた路地裏、置かれた木箱の裏に二人で身を潜めた。ラングの気配が揺らめき、隣に居るが小さくなる。ツカサはここには居ないぞ、と息を静かに、小さくし、魔力は漏れ出ないように水道の栓を閉めるようにした。
『何かあった?』
『馬の蹄が聞こえる。街が静かなのに、この霧の中移動する理由がわからない』
よく聞こえるな。ツカサは鼓膜を叩く自分の脈動を押さえ、耳を澄ませた。遠く、朝靄に紛れるようにして鈍い音で、かぽ、かぽ、と聞こえてきた。そぅっと木箱から覗けば、昨日組合で見た白いマントの騎士集団だった。剣、斧、槍、メイスのようなもの。各々違う種類の武器を持ち、四人が立派な馬の上でその揺れに体を合わせていた。ツカサは【鑑定眼】を使おうとして、嫌な予感がしてやめた。騎士たちからぞわりと広がる何かを感じ取ったのだ。ラングは木箱に背を預け、少しだけ首を傾けて騎士たちのいる大通りを窺っているらしい。不意にラングは自身の左頬を示した。
『紋様が出ている』
ツカサは左頬を撫でた。痛みもなく、凹凸もないのでわかりにくい。馬の蹄の音が完全に聞こえなくなってからラングはゆるりと立ち上がった。ツカサも立ち上がり、ふぅ、と息を吐いた。
『上出来だ。まだ少し粗いが、一応は及第点だ』
『ありがとう。紋様は?』
『まだある』
何に反応したのだろう。ラングはぴくりと揺れ、再び大通りを振り返った。木箱の影から離れ、路地裏の出口、壁沿いにそっと身を顰め、こちらを見ずにラングは指を折り曲げてツカサを呼んだ。白い霧の中、黒いものが呻き声を上げて、まるでゾンビのように、とた、とた、と左右に揺れながら歩いていた。
『溶けた魂? こんな街中を堂々と?』
『人が外にいない理由が知れたな。あれを避けるためだろう』
霧のせいか、くぐもった低い嘆きが何とも不愉快な周波数で響いている気がした。
『宿もわかっていて止めなかったか』
親切そうな女将さんと瘦せっぽちの主人。自分たちに害がなければ、誰かに何かあってもいい。気づいてしまえば悲しいが、それに肩を落とすほど、もう、子供ではないつもりだ。
『誘っていいかな、全部の魂をってわけにはいかないだろうけど、せめて巡り合ったものだけでも』
『いいだろう』
ラングはすらりと双剣を抜き、黒い生きものに接敵、間髪を入れずに斬りかかった。右から左、返す刃でやや右上、それから再び左、手首をくるりと回転させ、右下へ。ねっとりとした黒いものは、ぼたぼたと地面に崩れ落ちて灰になり、やはりその場でぐるぐると回り始めた。双剣の刃を一度確認、鞘に収めるその横で、ツカサは葬送の儀を行い、光の粒を大事に抱え込んだ。次はぐらりとも来なかった。もしや慣れてきたのか。
『ありがとう』
『構わない。頬の紋様は消えた。あの黒い溶けた命に呼応でもするのか』
『かもしれないね』
ツカサはそっと左頬を撫で、次いで胸を撫でた。誘うとは言ったものの、今、ツカサは自分の身の内にその魂を集めているだけだ。これをどうすればいいのかは未だ答えはない。ツカサは漠然とした不安を吐露した。
『なんとなく、ここを早く離れた方がいい気がする』
『同感だ。先ほどここを通った騎士にしろ、何か嫌なものを感じる』
『うん、俺もそう思った』
できればゆっくりとした旅をしたかったが、何かが後を追ってくる。そんな焦燥を抱き、足早に向かった組合で地図を調べ、入手でき、結局、その日のうちにジュールの街を出ることにした。
ツカサは自分の足跡を追っては、それを消そうとするシュンの影をどこかに見たような気がした。
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