2-9:ジュールの街
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祭壇の奥、住居への扉を潜った。トーチを取り出して視界を確保し、するすると移動するラングの後を追う。
二階にいくつか部屋があり、その内の一つの前で立ち止まるとラングは迷わずに何かを手にし、そっとしゃがみ込んだ。細い何か、恐らく針金を鍵穴に差し込み、器用に手元を動かしている。テレビとかだと手元にモザイクが掛かるやつだ。ツカサは新しい技術に興奮し、ぎゅっと口を閉じた。すぐにカチャ、と解錠の音がした。おぉ、と零れた音にラングはしぃー、と息を吹き、違う何かを手にして、そっと扉を開いた。古い教会ゆえにキィと軋んだ音がした。中からはすぅすぅ寝息の音がしている。そろりと近づこうとしたツカサとは違い、ラングは即座にその寝息の下へ素早く近寄ると、口元に布を当て、首に何かを刺した。待って、本当に手が早すぎる。声は潜めたが咎めるように名を呼んだ。
『ラング!?』
『騒がれる前に、もう少し深く眠らせただけだ』
ゆるりと手をどけ、ラングは指の間に持った針を見せてから腰のポシェットに仕舞い込んだ。覗き込めば若い娘が変わらずに寝息を零していた。
『何をするのか言ってからにしてよ、そういうところ昔っから変わらないんだね』
『知らん』
そういうところもだよ、と内心で呆れかえり、ツカサは娘を覗き込んだ。まずは【鑑定眼】。今はメリア、半分テレサ、と書かれていた。詳細に覗けば行き場を無くした魂が、温かな人の内を求めた。と出ている。推測はある程度正解のようだ。状態は睡眠。これはラングの針の結果だろう。
視えたことをラングに共有し、確かに祖母テレサの魂が孫娘であるメリアに入り込んでいることを確認できた。さて、では、これをどうするのかだ。
『頬に紋様が出ている』
言われて左頬を撫でる。今回は痛みもなく、いつの間にか現れていたらしい。自分で消したり現わしたりできない分、人前に顔を晒す時は気をつけなくてはと思った。視界が黒く染まるなどの怖い思いもせずに済み、ほっと小さく息を吐いた。
さて、孫娘の件だ。セルクスならばあの大鎌で刈るように体でも斬るのだろうか。それとも現れるのを待って大鎌で誘うのだろうか。いつもセルクスは横笛を吹いていたような気もする。そんなものは手元にはない。ツカサがあの時やったことといえば、葬送の儀だ。思いつくのはそれしかなく、とにかくやってみた。唇を親指に触れさせ、人差し指と中指の背をそっと娘の頬に置いた。柔らかな娘の体温に、モニカを思い出した。
瞬間、ぶわっと黒い液体が娘の体から形容しがたい音を伴って引きずり出された。思わず後退り腕を引いたツカサの指にくっついてくるようで、気味の悪い粘着質な音が鼓膜を滑って塞ぎたくなった。
『うわっ!? 出てきた!』
『斬る』
ラングが双剣で素早くそれを斬り、返す刃でもう一度、と斬り刻んでいく。ツカサの指にあった縋りつくような吸着力が消え、ばさりと灰になり、その場でぐるぐると回る。ほっと息を吐いてから、もう一度葬送の儀を行った。灰は白く輝き光の粒に変わり、そして、ツカサの中へ消えた。一瞬ぐらりとするものの、この間のように気を失うことはなかった。じわりと胸を温かくするものはあるが、それ以上の影響はない。娘は変わらず穏やかな寝息を零している。【鑑定眼】で確認をすれば、メリア、睡眠、と出ていて、テレサの名は消えていた。今起きたことを相談したくて振り返れば、ラングは既に扉の外に居た。
『話は後だ。まずはこの町を出るぞ』
『神父に話はしない?』
『個人的な経験談だが、理解のできない話を理解させるには時間が掛かる。加えて、おかしくなった孫娘を治した、などと言ってみろ。異端者扱いで咎められるか、追われるか』
『わかった、わかったよ。出発しよう』
確かに、ラングに事態を分かってもらうだけでも時間が掛かった。ラングに柔軟な思考と可能性を受け入れる度量があってこそ、あの程度の時間で済んでいるが、小さな町の中で生きる人々の視野が広く、柔軟な思考である確証はない。サイダル一つ例に挙げてみても、ツカサは外を知って、自身の視野の狭さと情報の少なさを知った。誰か信頼のおける人物が『それは正しい』と証言をしなければ、あいつらは何を言っているのだ、頭がおかしい、と思われても仕方のないことだと、今ならわかる。エフェールム邸を追い返されたことを思い出し、暗い気持ちになった。
『まず、相手の話を聞いてみようって思えるのって、それって案外、余裕があるからできることなのかも』
シェイの信頼を早々に得られたことも大きかったが、【空の騎士軍】であり【快晴の蒼】である彼らは、そこに至るまでの経験が余裕となって話を聞いてくれたのだろう。今持っているものを、どうやって生かせばいいかをよく考えねばならない。築き上げた信頼も、導いたはずの繋がりも失った今、改めて一つ一つ積み上げていく必要がある。
『考え事をすると前が見えなくなるのは、指摘されなかったのか』
声を掛けられ、ハッと息を吸った。目の前にラングが居て双剣の柄頭を腹にぐっと置かれていた。これが刃であれば死んでいるぞ、と言いたげにシールドが揺れ、離れていく。気づけば、いつの間にか教会どころか町を出て暫く歩いていたようだった。これから伸びをするだろう太陽の先駆けが、遠くにうすらぼんやりと木の柵を見せていて、小さく頭を振った。
『ごめん、指摘もされてたし、直そうとしてる。……直すよ』
『そうしろ。世話はしない。……頬の紋様はあの灰を光に変え、お前の……中に入ったあたりで、消えたぞ』
『そっか、うん、ありがとう。覚えておく』
ふぅ、とラングから息が零れ、道を行った。ツカサはその背を追って足を進めた。
朝食も昼食も取らずに歩き続け、次はもっと大きな街に着いた。かなりの速さで歩いていて、昔のツカサであればついていけなかっただろうと思った。ここは町々の交易地点なのだろう、そこそこしっかりした石造りの城郭と木の門があった。身分証を確認する自警団に、さて、どうするか。
『俺、身分証無しでああいうの越えたことないんだけど』
『素直に無いと言うか、忍び込むかだ』
『素直に無いって言っていい?』
ラングは肩を竦めた。黒いシールドを既に見慣れているツカサであれば気にはならないが、人相を隠した装備というのは目立つし、相手に不安を与えるのだ。ラングはそれを目的としてもいると言っていた。一応、外せるかどうかを尋ね、殺す、と返ってきたので前へ向き直った。若い頃は随分短気で、加えて血気盛んだったようだ。
並んでいた順番が進み、ツカサはまず丁寧に礼をした。自警団員もそうされれば、後ろの連れがおかしな格好でも一応礼を返してくれる。
「ようこそ、ジュールの街へ。身分証を」
「こんにちは、私、旅人。身分証……まだない」
敢えて片言で話す。自警団員は顔を見合わせ、疑いと好奇心半々の顔でこちらを振り返った。
「旅人って、どこから来たんだ。この辺の町の者じゃないのか」
「先の見えない崖、落ちた」
ざわっと周囲で音が響く。あの崖、随分高かったもんな、と動揺を堪えてにっこりと笑う。
『何を言った?』
『あの崖の名前を言ってみたんだよ。あの町の人も崖の上を知らないみたいだったからさ、誤魔化せるかなって』
『なるほど、考えたな。任せる』
自警団員だけではなく、近くに居た他の町の人も、商人もじろじろとこちらを見てくる。黒い仮面の男に、灰色のマントの男。周囲の人々からすれば異質だ。
「本当に崖の上から?」
「んー、落ちた!」
ツカサは手を上から下に向けて落とし、ガサガサ、バサバサ、と木々に守られたのだと示してみせた。あまり詳しく話すとボロが出そうでそうするしかなかった。
「まさかあの崖の上に人が住んでいたとは……よく生きてたなぁ。言葉も違うとは初めて知った」
親切な人に当たったらしい。同情が目に浮かび、ツカサは肩をトントンと叩かれた。
「身分証な、無い場合は街に入るのに、通常よりも金がかかる。わかるか、金だ」
「わかります」
「仮で滞在証を渡してやるから、それを持って、街の中央にある組合で何かしらの身分証を作るんだ。でないと、どこに行くかは知らないが、もっと大きな街には入れないぞ」
「わかりました、ありがとう」
にこ、と微笑み、また礼を取る。ツカサの後ろでラングも胸に手を当て礼を示した。礼儀を持って接すれば、悪いようには取られないものだ。二人分、丸形銀貨一枚を支払い、銅板のような薄い板のついた紐をもらい、首にかけ、まず一つ難関を越えて街に足を踏み入れた。
サイダルからの旅路と同じ、徐々に街の規模が大きくなってきた。始まりが廃村だったことを考えると、サイダルの方がましだった気さえする。いや、最初からラングと居られるのなら、こちらの方がいいか。ツカサは少し前でこちらを待っているラングに駆け寄った。
ジュールの街。行き交う人々は多く賑やか、石造りの街並みはなぜだか懐かしい。足元は剥き出しの土、建てられた屋台はここでも骨組みは変わらず、様々なものが売られていた。土地、国により変わる空は、晴れているはずなのにこの辺りの気候の影響なのか、今遭遇している事態の影響なのか、灰色がかっているように思えた。食事もとらずにいたので空腹だ。せっかくならば食べ歩きをしたいと思った。
『何か食べない?』
『あぁ、賛成だ。さすがに腹が減った。あの兵士と話していた内容も知りたい』
『そうだった』
ツカサはじゅわぁ、といい匂いをさせている屋台へラングを促し、串焼きを二本ずつ頼んだ。【鑑定眼】で見ると、猪肉と出た。あの大猪を思い出し、焼けるのを待つ間、肉の種類を伝え、自警団員の言葉を通訳した。
『では、まずはその組合なる場所で身分証を作成し、宿を見つけよう』
『そうだね、結局寝てないから、そろそろちゃんと寝たい』
『同感だ。こういう場所では、体を休めることも大事だ』
お互いに頷き合う。それぞれ二本ずつ串焼きを手にし、いただきます、と言ってからかぶりついた。炭の香ばしい香りが鼻孔をくすぐり、口に入れた肉からも独特の焦げた匂いが充満していく。肉は少し繊維質で硬く、ぐいっと串から外してはふ、はふ、と熱を逃がしながら噛みしめていく。じわぁっと溢れた肉汁が赤身の旨味を滴らせ、もち、ぎゅむ、とした食感が顎にいい運動をさせてくれる。味付けは岩塩のみ。少々獣臭さはあるが十分に美味い。ごっくんと飲み込んで次を引っ張り抜いてまた食べる。ふと視線を感じて隣を見れば、ラングは口元をもぐもぐさせながらツカサを見ていた。
『なに? どうかした?』
『いや、串を真っ直ぐに咥えなくてよかった』
【ラング】はいつも串から横にぐいっと引き抜いていた。ツカサも歩いて食べることを止められはするが、横にして食え、と指摘されたことはない。ただ、【ラング】がそうしていたから真似をしている。
『真っ直ぐだと何かまずい?』
今まで聞きそびれていたことを問えば、ラングは言った。
『昔、串を真っ直ぐ口に突っ込んで食っていたギルドラーが、後ろからぶつかられ、串が頬を突き破ったのを見た』
頬でよかったがな、とラングが付け加えた言葉にゾッとした。それは気をつけるようになるだろう。今後もツカサは串焼きの食べ方の注意と、歩きながら食べることは避けようと思った。ラングはツカサが串を眺めて決意しているのも気に留めず、続けた。
『それに、美味そうに食べるのだなと思っていた』
『だって美味しいし』
『そうなのだが』
首を傾げれば、ラングは、ふっ、と笑った。
『なんでもない、美味いな』
『ラング、昔は結構笑ってたんだね。いつからあんな仏頂面になっちゃったの?』
『なんのことかは知らないが、侮辱されたことはわかった』
思わず尋ねて機嫌を損ねてしまい、その後のご機嫌取りはそれなりに大変だった。
とにかく、街の中央にある大きな建物、組合ある場所に辿り着いた。三階建て、大きな太い木を支柱に建てられた石造りのそれは、入れば天井が高く、人がごった返していた。上を見上げゆっくりと周囲を窺い、並んでいるカウンターやボード、打ち合わせに使っているらしいテーブルのあるエリアなど、大体の構造を把握する。革鎧を着けているのが冒険者だろうか、腰に下げた剣の質があまりよくなく、ダンジョンありきのリガーヴァルとは違い、受けた印象だけでいえば、なんとなくアナログに思えた。この空間で幅を利かせているのは商人のようだった。荷運びの手合いを募集していたり、商売のやり取りが聞こえてきた。それらを眺めていれば、とん、とラングに小突かれてそちらを見遣り、示された視線の先を追った。
『視線だけで、顔を向けるな』
注意を受け、ちらりと視線だけを向けた。階下を見下ろせる位置に白いマントと立派な鎧を着こんだ一団が居て、注意深く皆を見渡していた。こちらは手甲もガシャリと音が立つほどしっかりしたもので、それぞれ武器の誂えも立派だ。あそこだけ空気が違う。
『なんだろう?』
『どこの所属かは知らないが、騎士だ。何かを探している。ああいう手合いは厄介なことが多い、避ける意識をしておけ』
『わかった』
ツカサの知る騎士はグレンと、エフェールム邸の者たちだけだ。騎士がいるということは、仕える主も近くにいるのだろうか。あまり視線を送り過ぎても不味いだろう、ツカサはいっそ楽しそうに、はしゃいだ様子でラングとどのカウンターに並ぼうかと話し始めた。
じぃっと、騎士がこちらを見ている視線には気づかないふりをした。
ブックマークが3800超えました、ありがとうございます!
これだけの数の読者様である旅人たちが居てくれることが嬉しい。
(そしてこの数の旅人諸君が一冊ずつ紙書籍を手に取ってくれたら、たぶん続きます、書籍。)
行商から、本屋から、是非旅記を手に入れてくださいませ。
改めてよろしくお願いします……!
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