2-5:少しずつ
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あぁ、しまった。いっそのこと契約の本に、ツカサから離れない、とか書けばよかった。
灰色のマントから顔を出して大きく伸びをして、ツカサは昨日の失敗を悔やんだ。考え込み過ぎると一周回っていいや、話そう、に変わる人間の諦めというのか、どうにでもなれというのか、覚悟というか、そういう感覚に我ながら単純だなと思う。
これは一度寝たおかげでもある。目まぐるしく環境が変わり、突然転移させられ、兄は若返り、股関節を痛めつけられ、滅んだ村、重なった死体、灰になった命の成れの果て。そして、浮かび上がった時の死神の紋様と、魂らしきものを受け入れた自分の空間収納。ツカサの脳は情報処理能力を超えて限界だった。話す、話さない、でも未来がどう変わるかわからない、どうすればいいのかわからない。ツカサは疲れからそれに気づいていなかったが、同じことをぐるぐると考えてしまっていたのもそのためだ。
僅かな時間とはいえ、きちんと睡眠をとったことで脳が情報を整理し、そうすることでようやく、人は情報と現実を受け止められる生きものなのだ。
伸ばしきった腕を戻し周囲を見れば、すっかり朝になっていた。そして、ラングがいなかった。ぎょっとして魔法障壁のマーカーを探れば、近くにいた。ゆっくりとこちらに戻ってきているので行動を別にしようというわけではないらしい。ホッとし、ツカサはまず顔を洗い、歯を磨いた。不慣れな場所では習慣を守れ、と草原での修業中に教えられたことだ。ついでに、昨日の干し肉のお礼に朝食をご馳走しようと思った。食べ物を持っていることも伝えておいた方がいいだろう。ツカサはサイダルからの旅路で、美味しい食事があったからこそ耐えられたし、胃袋を掴まれた。空間収納はリガーヴァルに来てから得たものだと知っている。つまり、今、ラングは携帯食料に頼っているはずだ。ツカサはにやりと笑い、鍋を取り出した。
暫くして、かさりと草を揺らしてラングが姿を見せた。
『おはよう、不寝番ありがとう』
『おはよう。……食材を持っていたのか?』
『うん、昨日は余裕がなくて、干し肉助かったよ』
ツカサが焚火に火を入れ直し、その上に簡易竈、さらにその上に鍋を置いているのを見てラングが首を傾げていた。
『ロストアイテムか、随分入るんだな』
『そう、俺の持ってる空間収納、容量も大きくて、時間停止機能付き、要はものが腐らなかったり、便利でさ。食べ物はたくさんあるから、よかったら任せてよ』
『性能がいいな。食事の提供は助かるが、いくらだ?』
『一緒に食べてくれれば、それが報酬。ご飯は一人じゃ美味しくないからさ』
昨日見た夢を思い出して寂しそうに笑う。ラングは少しの間沈黙した後、マントを広げて座った。食事は簡単なものだ。塩だけで味をつけた、芋とニンジン、干し肉のスープだ。器があるかと尋ねれば、ある、と出してくれたのでよそって返し、ツカサも自分の器によそった。
『どうぞ食べて。いただきます』
『いただきます? 昨日も言っていたな』
『俺の故郷の、食事前の挨拶。ラングは何かないの?』
ふぅふぅと芋に息を吹きかけて冷ましながら尋ねれば、ラングは黒い仮面を少しだけ上げて鼻先まで晒し、胸に手を当てて言った。
『感謝を。……いただきます』
柔軟で、真摯なところも変わらない。先にツカサがぱくぱくと食べ、ラングも少し遅れてスープを呑んだ。口元がもむもむ、と動いて味わってから、ほ、と小さく息が吐かれた。感想が気になってちらりと窺ってしまった。ニンジンをはふりと食べ、こちらも味わってから答えがあった。
『美味い』
『へへ、ありがとう』
ツカサもラングも昨日はろくに食べていなかった。無言でスプーンが進み、お互いにおかわりをした。鍋にたっぷり作ったスープはあっという間に空になり、二人で水を飲みながらひと息ついた。まだ二十二と若いからか、ラングはいい食べっぷりだった。もっといろいろ作ってあげたくなるから不思議だ。昔、ツカサに対してあれも、これも、と次々に差し出してきた祖母を思い出した。こういう感じだったのだろうか。
桶に水を出して器や鍋を洗い、魔法を使わず自然乾燥させながら食休みを取っていればラングが切り出してきた。
『周囲を見て回ってきた。あの村に辿り着くまでと同じ、魔物もいなければ鳥も虫もいない。おかしな森だ』
『静かだよねぇ』
風に揺れる木々の音だけ、お互いの声だけ、なんとも奇妙で怖い状況だ。慣れてはいけないのだが、そういうものもあるか、と受け入れてしまう心がツカサには育まれていた。気をつけよう。周囲を見渡していた視線をラングに戻し、ツカサは頷いた。
『まずは予定通りこの先を目指していこっか。ほら、誰か見つけないとね』
『異論はない』
するりとラングが立ち上がった。移動開始か、とツカサは乾燥させていた器や鍋を空間収納に片付け、灰色のマント直し、トントン、と二度ジャンプして馴染ませた。マントを払い、草や土を器用にそれだけで払ったラングの隣に並ぶ。
『ラングさ、その、黒い仮面、よく見えるね?』
『シールドだ』
うん、知ってる、と内心で返し、シールドね、とにまりと笑う。ラングはツカサを横目に見て眉を顰めた気配を隠そうともしない。ちゃっかり尋ねた、なぜそのままでも見えるのか、という点に関しては答えがなかった。
歩き続けながらツカサは少しずつ話をした。
『覚悟が決まったわけじゃないけど、聞いて欲しいから、話したい』
ツカサは自分に家族がいることを改めてラングに話した。
兄が一人、妻と、兄嫁と、冒険者なので四人パーティを組んでいて、そのメンバーの一人と、お手伝いさんが二人家に居ること。兄ともう一人は旅に出ているということ。
家にいる人数を聞き、随分と稼いでいるのだな、と言われ、たまたま実入りがよかったんだ、と答えた。
学園、学問を教えるところで実は教師をしていると話した時には、その若さで何を教えるのだと言われた。ラングの故郷ではそれなりに時間を掛けて学ぶため、知者は老齢が多いらしい。冒険者についてだよ、と胸を張れば疑いの眼差しを感じた。
『兄さんが腕の良い冒険者で、いろいろ教えてもらって、他の冒険者からのお墨付きをもらってのことだったんだから!』
『私はその兄とやらを知らない』
『それは、そうだけど。本当に腕の良い人で、厳しいけど優しくて、立ち居振る舞いがカッコイイ人なんだよ』
『そこまで聞いていない』
ふん、と鼻で笑われた。ツカサはムッとしつつ、でも、と言葉を続けた。
『こういう感じでいろいろ話しながら、いつかは話すよ。ラングを……守る理由も』
『私としては、その理由とやらで充分だ』
『そう簡単な話じゃないんだよ。俺は、家族も、仲間も、友達も。これから生まれてくる子供たちを守りたいんだ』
ぽつりと言ったツカサの声に、ラングが足を止めた。先ほど年齢で驚かれたこともあり、意外だったらしい。
『子供がいるのか』
『うん、これから生まれるところだった。絶対に、失いたくない命たち、これからの未来なんだ』
『親ならば当然だろう。人質にでもされているのか?』
『あながち間違いじゃないかも。あ、でも、言っておくけど、守れって言った人がそうしたとかじゃないよ! 絶対に違う! ちょっと、複雑でさ……』
血にまみれ、誰かの名を呼びながら崩れていったあの神様がやることとは思えず庇ったが、ツカサは困ったように眉尻を下げた。
『同じ毎日が来ると思ってた。でも、ほんの一瞬で全部、無かったことになった』
『どういうことだ? お前の話は抽象的すぎてよくわからない』
『ごめん、話すって言ったけど、俺にもよくわかってないんだよ。ただ、こう、たとえば、ラングがお世話になった人を思い浮かべてみて。人生に影響を与えたような誰か』
ふむ、とラングは存外素直に思い浮かべてくれたようだ。きっとリーマスだろうな、と思いながら、ツカサは続けた。
『その人がラングのことを知らなくて、でも、ラングはその人のことをよく知ってる。一緒に歩いた道とか、一緒に食べたご飯とか、教えてもらったこと、掛けてもらった言葉。お互いが持っているはずの思い出とか軌跡が、向こう側には何も無いんだ。お前のことは知らない、誰だ、って言われる。それから、ついさっきまでそこにいた身重の妻も、家族も、みんな消えた。……それが、突然俺の身に降りかかったことなんだ。嘘だと思うかもしれないけど、本当のこと』
お互い、ゆっくりと息を吸った。黒い仮面、シールドがこちらを向き、ツカサも向き直る。
『なぜそんなことが起きた』
そんな馬鹿な、と疑わず、まずは受け止めてくれる。それがどれだけ有難いことかツカサは知っている。ここに来る直前、【快晴の蒼】だけがあの場所で温かな配慮をツカサに向けてくれた。なぜと問われたことには確証を得た答えがまだなかった。
『わからないんだ。ただ、ラングを守れって言ってくれた人がいて、訳もわからないけど、そうしてみてるところ』
『なぜ私を、と聞いたところでそれもわからないのだろうな』
『そのとおり。でも、いくつか気になることはあるんだよね。それも、どう話せばいいのか、というか、どこから話せばいいのかまとまらなくて』
お前が大事にしてたもの、一つ、一つ。全部壊してやるからよ、って言われたんだと伝えたところで、何が答えになるのだろう。その結果、なぜかラングはここにいる、俺もここにいる、と言えば、ツカサが元凶だと思われるだろう。そうであってほしくない気持ちが唇を重くした。ラングは腕を組み、顎を撫で、じっと黙り込んでいた。そこからどんな言葉が飛び出てくるのかわからず、ただ待った。
『話を聞けば聞くほど、何が理由なのかわからなくなるな。どうすれば答えが見つかるのか、そもそも、お前の問題を解決する当てはあるのか?』
『んん、そうだなぁ。本当なら話を聞ける人もいたんだけど……話……、話?』
そうだ。聞ける人がいた。【快晴の蒼】だ。彼らは世界渡りも成し、人知れず世界を救った英雄でもある。不可思議な事象について詳しく、それを夢物語だと馬鹿にすることもない。実際に彼らはツカサのことを知らなくとも、真剣に話を聞いてくれていた。時の死神セルクスの友でもあり、その力についてはツカサよりも詳しいだろう。
世界は時を止めた、というセルクスの言葉は気にはなるが、一先ず、何も目標が無いよりはましだ。
『ラング、本当に、ここがどこなのか調べよう』
『それが何に繋がるのかを知りたい』
『道標になる。場所さえわかれば、行くべき場所への行き方を探すだけでいい。そうしたら、こういう不思議なことに詳しい人に話を聞ける。どうにかなるかも』
『人探しか。まぁいい、お前に確信があるのならば、付き合ってやる』
私もここがどこだかは知りたいしな、とラングが歩き出し、ツカサは先ほどよりも軽い足取りでその後を追った。
ツカサは話を聞く相手、協力者について問われ、世話になった恩人であり、友人だと答えた。歩きながらそれぞれの人柄やあった出来事を話して聞かせ、ラングはただ黙ってそれを聞いていた。
休憩もなしにそれなりに歩いて昼を過ぎた頃、森に生きものの気配が戻ってきた。静寂の中を歩いていたので鳥の羽ばたく音にツカサはホッと胸を撫で下ろし、ラングは時折植生を調べながらまた進んだ。
夕方に差し掛かろうとする頃、石造りの低い囲いが見えた。遠目にも煙が上がっていて火が使われているとわかり、ここには人がいると理解できた。村というよりは小さな町だ。
『よかった、誰かいそうだね』
『あぁ』
入り口のところには人もいた。ようやくここがどこだかわかると近寄れば、槍を構えられた。ツカサは両手を上げて敵意がないことを示し、ラングは肩を竦めた。
「止まれ、何者だ」
『……何と言った?』
言語が違う。ラングはこてりと首を傾げ、顎を撫でた。もう片方は剣の柄だ。マジかよ、この時から手が早い。
『待ってラング!』
「おい、答えろ、お前たち何者だ?」
「俺たちは、旅人です」
ツカサがさっと前に出て、胸に手を当て礼を取りながら答えた。
『あいつらの言っていることがわかるのか? どこの言葉だ』
『いいからちょっと任せて、黙ってて!』
「旅人だと? この先の村から来ていて?」
「あちこちうろちょろしてたら森で迷子になって、道をようやく見つけて歩いてきたところなんだ。よかった、人がいてくれて」
これは本心だ。ほっと息を吐くツカサの様子に槍を構えていた人物は眉を顰めながら尋ねてきた。
「あの村を見ていないのか」
「無人の村なら確かにあった。誰もいなくて困ったんだよ」
困ったのは嘘じゃない。槍の穂先が持ち上げられ、男は訝しみながら言った。
「死霊ではなさそうだな……。本当に旅人か? それにしたって」
言いながらちらりと視線はラングに行く。黒いシールドはここでも異質で、奇抜だ。ツカサはさっと視線に割り込み、苦笑を浮かべた。
「兄さんは顔に大きな傷があって、見えないところが酷いんだ。あんまり見ないであげて」
「兄弟なのか? なんでこんなところに?」
「落ちたんだよ。運よく、いろいろこう、生きてて。そのまま迷子」
「落ちた? まさかあの先の見えない崖を?」
ツカサは適当に首を揺らした。うん、流暢に誤魔化せるようになったなぁ、と我ながら感心してしまった。男の視線が同情めいたものに変わり、そうか、とようやく警戒が解けてきた。
「すまんな、いろいろあったもんで」
「構わないよ、こっちも落ちて運が良かっただけの不審者だろうし。少し休みたいんだけど、宿とかあるかな」
「あぁ、槍を向けた詫びに、案内してやるよ」
いい人だ。助かる。振り返ってラングに軽く情報共有をすれば、感嘆したような息が零れた。
『語学が堪能なんだな』
『言ったでしょ? 役に立つって』
へへ、とツカサは胸を叩いた。
面白い、続きが読みたい、頑張れ、と思っていただけたら★★★★★やリアクションをいただけると励みになります。
……こそっと書きますが、書籍は各巻で加筆をめちゃくちゃ行っておりますので、紙でも電子でも、お好きな形でぜひお手に取ってやってください……。
特に紙は発行部数が決まっていて、実際にはそんなに量が出回っていません。
書き下ろしはそこでしか読めません。
どうか旅路がお手元に届きますように。
重ね重ね申し上げますが、書籍の方も、何卒、よろしくお願いいたします。